亡霊と辺境伯
レギオルがペックの決闘から1週間、彼は通常訓練を続けていたが、ペック達3人組と頻繁に話すようになっていた、とはいっても彼らが一方的にレギオルに絡んでいるだけなのだが、その接し方には棘はなく尊敬する戦友を得たような態度であった。
時刻は陽が昇って間もない早朝、肌に刺すような寒さの中、訓練場の片隅でレギオルは剣を振っていた。
華麗にして流麗、苛烈にして強烈、奇抜にして奔放。まるで剣によって導かれている、或いは剣そのものの意を体現しているかのような動き。
彼の剣はどの流派の型にも属さない我流だったが、見る者を惹き付けてやまない美しさがあった。だが、実戦経験のあるものならば恐れ慄いただろう、・・・一体彼は今まで何人の人間を斬ってきたのかと・・。それほどまでに彼の剣は人を斬る事に特化していた。
パチパチパチ。
突然手と気がぶつかる音が聞こえ、レギオルは剣舞を中断する。振り返ると、ペックが近づいてきていた。添え木で拍手をしている。鎧を身につけていないのはまだ寝起きだからだろうか。
「相変わらず何度見ても美しいな。我流の剣でここまで見惚れたのはあんただけだよ。」
「・・・たいした事はない」
「そう言われると俺の立場がないんだがな」
苦笑いを浮かべるペックは、しかしどこか喜んでもいそうだった。
「そう意味で言ったんではないがな」
「ああ、わかってるよ。それよりもどうだい?今日から2日間は休暇だぜ。予定はあるのか?ないなら俺達と酒でも付き合わないか?」
「そういえばそのような事を昨日イオニア卿が言っていたな。今日これから団長の訓示を聞いて、明後日には正式に騎士団発足だったか」
「ああ、お披露目まではする事がないから休暇だってよ。既に正規軍としての身分は発行されてるし、給金についても今日もらえるらしい。街にも繰り出せるってわけだ。お前も来るだろ?」
「ああ、問題ないが・・何故俺を?」
「なに、この間の借りを返そうと思ってよ。やっぱ借りを作りっぱなしってのは性に合わねぇみたいなんでな」
「・・・そうか、別にそんなつもりで助けたわけではないし、気にすることもないと思うがな。」
「わかってる。これは俺の問題だ。とにかく、予定がないならちょうどいい。知り合いがやってる店がある。ごろつきが集まるような所だが酒の味は確かだ」
「恩にきる。」
「ああ、じゃまた昼にな」
「鉄鎖騎士団全隊!整列!!」
昼食をとった後、団員達は皆訓練場に整列させられていた。総勢270名のならず者達が一糸乱れぬ動きでまとまっているのは壮観ではあったが、訓練された正騎士というよりも絶対的な首領に支配された傭兵というほうがしっくりくるだろう。
小隊毎に整列した団員達の前には、彼らと直接接する事の多いイオニア卿と数人の兵士達、そして中心の壇上には一際目立つ白銀の鎧を身にまとった30歳位の男、栗色の短髪に、整った容貌、惜しむらくは曲がった鼻だろうか、その一点が類まれなる美貌に唯一にして最大の汚点を残している。だが最も特徴的なのは翡翠色の瞳、そして色に似合わない野心を宿したかのような挑戦的な目つきだった。
「わが名はファンデルワース辺境伯爵。今朝、宰相殿下より鉄鎖騎士団の団長を拝命した。敬愛なる団員諸君、今日という日を迎えられた事を神に感謝しようではないか!諸君らの鍛練と努力が、血と汗の対価によって遂に報われたのだ!諸君は厳しい審査と入団試験、そして文字通り己が身を捧げた態度によって、今日、栄えある帝国政府にその存在を認められた!十分に誇るがいい!!諸君はそれだけの偉業を成し遂げたのだから!」
ファンデルワース辺境伯の口調は徐々に熱を帯びていき、それに伴う身振りも益々激しさを加えて行くようだった。周りの団員達も顔を上気させて聴きいっている。この世の底辺を彷徨ってきた彼らを、伯爵の演説は魔法の言葉となって刺激していく。一人、また一人とその刺激は伝達していき、訓練場は異様な興奮に包まれていった。
「私は誇りに思う!諸君らの偉業とその勇気に!忠誠心に!何より自らの生き方を変えたその意志に!!私は敬服せずにはいられない。諸君らはかつて悪であり、クズであった、とるにたらないゴミだった!しかし!諸君らは生まれ変わった!何に!?帝国軍人にだ!!諸君らは最早パンに飢える事もなければ、一杯の水に乾く事もない!諸君らは帝国の威光によって右手に剣を、左手に名誉を手にするのだ!諸君!栄光の時は近づいた!それは両手を広げて、英雄を迎える美女のごとくに諸君らを待ちうけている!さぁ共に進もうではないか!栄光へと続く黄金の道を!!」
「「「ウオォーーー!!」」」
「「「帝国万歳!!鉄鎖騎士団に栄光あれ!!!」」」
場を揺るがす大歓声のあと、ファンデルワース辺境伯は壇上からおり、代わりにイオニア卿が2日間の休暇と給金の配布、及びその受け取り場、そして3日後の成立式について淡々と説明し、そのまま解散となった。
「レギオル殿、少々宜しいでしょうか?我が主がお呼びです」
給金の受取に向かう廊下の途中でイオニア卿に呼び止められた。
「・・・わかりました。参りましょう。」
「では、こちらへ・・」
通された先は執務室であった。煌びやかではないが格式のある調度品が揃っており、質素な空間に重みのある雰囲気が漂っていた。
「あまりに質素で驚いたか?なにせ宰相殿下の私設訓練場だからな。よほど派手だと思ったのだろう?だが見ての通り、殿下は質実剛健な方でね。」
「・・・・・」
レギオルは無言で室内を眺めるが特に興味はなさそうだった。
「だが、勘違いしてはいかん。派手ではないが全て一級の素材から作られているものばかりだ。そこの本棚もコナの木から出来ている。売り払えば金貨30枚は下るまい」
いきなり金貨30枚と言われてもピンとこないが、すべてが高価なものでるのは理解したのか、レギオルが曖昧に頷くとファンデルワース辺境伯は口元に微笑を浮かべ着席を促した。
「君を呼んだ理由は特にない、というよりもこの目で直接君を視る事自体が目的だった」
「・・・・・・」
「なるほど、確かに恵まれた体格をしているな。未だ細身ではあるが、鋼のような、それでいてしなやかな筋肉をしている。あのペックに勝ったのもまぐれではあるまい・・顔の方は報告通りの凶相だな。漆黒の髪と瞳、その異様に深い堀は生まれつきか?」
「はい。先天的なものです」
「ふむ。初めて声を発したな。亡霊というからにはもっとおどろおどろしい声質を想像していたが、思ったよりも高いのだな。少年のようだ。」
「・・・故に沈黙を第一としています」
「ははは!亡霊にも悩みがあったか。声の高さを隠して無口に振舞うとは中々どうして可愛げのある行動だな」
「・・・一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?申してみよ。答えられる範囲で答えよう」
「その亡霊というのは?よく耳にするのですが・・・」
「おぬし、自分の渾名を理解していなかったのか・・。いや、らしいと言えばらしいか」
「はい、恐れながら独房から解放された後も病床の身にて人との接触は最低限でしたので」
「確かにな。世情には疎くもなろう。おぬしの渾名、亡霊はな、おぬしの経歴からそのままきておるのよ」
「・・・・・」
「終戦の引き金となったカメルン砦攻防戦において、敵味方が全て死す中おぬしだけが生き残ったと聞く。唯一の王国継承者であった姫・・、既に戴冠して女王であったな、名前は確かルシャトリエと言ったか・・公式には死んだ事になっておるが遺体は今なお見つかっておらん・・。」
「・・・・・」
レギオルは依然無表情を装っていたが、膝の上に乗せた拳が僅かに震え、手に力が入っているのを見抜かれていた。
「不可解な点はそれだけではない、精強無比の帝国兵を次々と破った大戦の立役者にして、旧王国における求国の英雄、稀代の戦術家と呼ばれ、戦場の申し子と持て囃された男・・。アビシャス卿の遺体も見つかっておらずその生死は不明。帝国は未だに彼の首に賞金をかけている・・」
「・・・・・」
視線を合わせる事はせず、ただ虚空を見つめていたが、その視線は鋭いものに変化していた。彼の逆鱗、或いは核心に迫りつつある事がファンデルワースには理解出来た。
「そして最も発見者を驚かせたのは、兵士総勢2000名の遺体だ。彼らは、中には鋭利な刃物で切られていた者もあったが、そのほとんどが傷を負うことなく急に心の臓が止まったかのように凍りつき動かなくなった人形のようであったと報告にはある・・・。まぁ、こちらは眉唾だがな。発見した部隊の者達があまりの恐怖にほらを吹聴した可能性もある」
「・・・・・」
「ここまで言って一言もなしか・・。やはり口は固いようだな。帝国諜報部の拷問にも耐えたとあっては、私ごときでは吐かすことはできないだろう。奴らと違って人体への悪趣味も持ち合わせてはいないからな。それにおぬしは既に軍人だ。無理強いはしない。気に障ったのなら謝ろう。だが何が起こったのかくらいは話してもいいとは思わないか?」
「・・・・昔の事です。長い独房生活で忘れました。」
そう言うと、レギオルはソファから立ち上がり、出口に向かって歩きはじめる。一礼もなく去ろうとする彼をイオニア卿が制しようとしたが、ファンデルワースによって止められた。
「・・・・女王とアビシャス卿は生きているのか?」
レギオルの足が止まる
「・・・・死にました。俺が、殺しました。この手で」
「・・・・そうか。すまなかったな」
「いえ・・。約束がありますので、これにて」
「うむ、急な呼び立てすまなかったな。いずれ晩餐でも共に囲もうではないか。」
軽く会釈し退出する彼の背中にファンデルワースは言い忘れていたかのように一言加える。
「ああ、それとな、おぬしの命を狙う者がこの帝都には多いと聞く。身辺にはくれぐれも気を付けた方がよかろう」
「御忠告、感謝いたします」