猟師と猟犬
少し長くなりました。。。
「シッ!」「ハァッ!」
「ふん、ふん!」「はっはっ!」
男達の唸り声が訓練場に響き渡る。汗が舞い、剣の風圧がそれをしぶかせる。槍が空を切り、鋭い音を響かせる。ある者は一人で黙々と剣を振り、別の者たちは二組で模擬戦を行い、また他の者は延々と身体を鍛えている。200人近くはいるだろうか、皆筋骨逞しく、その顔つきはお世辞にも騎士とは呼べそうにもない。傷の入った凶悪な相をしている者が多く、せいぜい呼ばれたとしても傭兵だろう、見方によっては山賊にすらみえるかもしれない。それもそのはず、彼らは皆、元は犯罪者であり、牢に繋がれていた者たちだった。
聖法歴1026年、一昨年に即位した時の帝国皇帝フェルナンデス3世は未だ幼く、摂政である伯父のシャルル7世の手を借り、大陸を統治していた。その摂政シャルル7世により、皇帝直属の遊撃部隊設立が進言され、朝廷に波紋を起こしたのは初秋の候であった。直属部隊の設立…それはすなわち近衛兵だけでは補えないほどに皇帝の身が危ないという事であり、逆にいえば敵がいるという事でもある。
この世界、「大陸」には超大国と呼べる国は、5年前の「継承戦役」と呼称される、大陸を二つに割った大戦を経てからは帝国しか存在しない。かつて帝国と覇を競ったプロイセル王国は大陸の南部から中央平原の一部にかけて君臨したが、4年の継承戦役の後、唯一の継承者であった王女を失い諸侯連合は瓦解、プロイセル王国の王女を祖母にもつ帝国が事実上その領土の大半を継承した。残存の諸侯達はそれぞれ小国として独立し、帝国への恭順と朝貢によってその自治を認められた。それ以降、帝国を脅かす勢力は消滅したといっても過言ではなく、事実上帝国は大陸の覇者となった。しかし、継承戦役を勝ち抜いた帝国ではあったが、戦後直後の不安定な時期に統治者である皇帝フェルナンデス2世が急逸、崩御と同時に皇弟シャルル7世を摂政とした皇子フェルナンデス3世の即位が宣言された。あまりに唐突な一連の政権交代に諸侯達は動揺したが、宮中を首尾よく手中に収めたシャルル7世は正式な玉璽と認可をもって、諸侯に忠誠と慶賀を求めたので、諸侯は応じないわけにはいかず、結果として既成事実を追認する形となり、また表立って反対の声を上げる者は逆賊として速やかに誅された。かくして、強引ではあるが国を割ることなく混乱を収束させたシャルル7世の手腕と、幼帝の摂政としての権力は確固たる足場を得て政治の実権を握るに至った。
宮中の玉座の間、朝に行われる御前会議では主だった大臣たちが集まっているが、その様相は深刻であり、会場はどよめきに包まれていた。
「直属部隊…ですか」
臨席している一人が訝しむように口を開いた。
「そうだ、陛下の直属となる。未だ陛下は幼くあらせられる故、しばらくは摂政たる余が指揮を執る事になろう。これも陛下の、牽いては帝国の安定のためだ」
重くて低い、耳の奥にまで届く重低音。答えたのは摂政たるシャルル7世本人であった。空の王座から一段下がった間に設けられた長机の上座に陣取っている男、年齢は40歳ほどであろうか、茶色い髭を蓄え、眼には力がみなぎっている。瞳の色は青く、小さい。目つきが鋭く、視る者を畏怖させずにはいられない三白眼。恰幅がよく、相手に与える圧迫感に拍車をかけているように思われた。茶色い髪は短く整えられ、男が武人気質である事を示している。
「しかし、どこから徴兵されるので?それに近衛兵が素直に納得するとは到底…。あ、いや決して殿下の御進言に異を唱えるわけでは…」
「わかっておる。諸卿らの言い分ももっとも。徴兵先と近衛への説得については余に一案がある故、心配には及ばぬ。予算元については、正式に発足するまでの間は余の私財と皇室の費用より捻出する。」
皇室の財産を皇帝の許可なく独断で使用すると平然と言い切る男に、臨席の者たちは僅かばかりに眉を顰めるが、もはや宮中の支配者たる摂政に面と向かって言えるはずもなく一同は沈黙する。
(それではもはや私兵ではないか。殿下はそれほどまでに貴族派を警戒しておいでなのか…)
一同が皆、おもいおもいの思考に耽っている頃、最も下座に座っている男が口を開いた。
「殿下、その新たな直属部隊の訓練と現場の指揮権について、是非とも私めにその大役を賜りたく存じまする。」
「ファンデルワース辺境伯、卿はこの部隊の意味がわかっておろうな?」
「はっ。春の狩りには猟犬が必要でございましょう。高貴なる獲物を狩るには、飢えた猟犬がよいかと」
「だが飢えたる犬には牙があろう」
「故に犬には鎖が付き物かと」
「ふむ、そこまで言うのであれば良かろう。新設部隊の訓練と現場指揮は卿に一任する。見事役目を果たして見せよ。」
「はっ。必ずや」
「うむ、他に意見がなければ本日の朝議はここまでとする。皆の者、大義であった。陛下にも卿らの忠誠と働きは報告しておく。では解散せよ」
物議を醸した朝議が行われ、レギオルが地上に這い出てより1月半が経過していた。秋も深くなり、山々は紅葉に満たされ、所々には裸の樹木も散見される。「大陸」の中央平原よりやや北東に外れた湿原地帯に存在する巨大な湖、通称「銅湖」は中央平原から大河を通して運ばれてくる大量の赤い土によって文字通り赤く映るのだ。その「銅湖」の中央にまるで孤島のように浮かんで見える都市がある。都市に名はなく、「帝都」と一般に呼称される。3重に囲われた城壁、孤島の中央にそびえ立つ小山を全てくり抜き、表面を加工し細工を施した城、皇帝の住処であり難攻不落と謳われる皇宮である。小山を囲むように数え切れないほどの建物がひしめきあっており、湖の対岸から帝都に延びる桟橋は4本あり全て石でできている。降水量が減る夏の季節には桟橋を通らずとも帝都に至る道が浮かび上がる。桟橋を通るには関税が必要なので、税を払う事が出来ない難民などは夏季に帝都に入るという。桟橋の下の道を行けば帝都の下水道の入口に入ることができるからだ。無論、行政の方でも対応はしているが、なおざりであり、末端の役人には僅かばかりだが不正が蔓延っていることもあり、対応はおざなりである。帝都の人口は貴族から市民階級までで150万を超えており、難民や奴隷、犯罪者は数に入れていない。全人口を合わせれば200万近くに達するだろう。
その壮麗極まる帝都の貴族街、比較的皇宮の近くに位置する訓練場は、その訓練場を保有する騎士団の、ひいてはその家の格の高さと、宮中における位の高さを物語っている。
その闘技場、シャルル7世が保有する私兵騎士団の訓練場であり、現在はファンデルワース辺境伯の指示により、臨時徴兵軍「鉄鎖騎士団」の訓練が日々朝夕にかけて行われていた。
「して、イオニア卿、あの男の容体はどうだ?」
訓練場を一望できる執務室で、品格のある椅子に座りながら執務をこなすファンデルワース辺境伯は、自身の副官あり、妾腹の姉とはいえ義理の兄でもあるイオニア男爵に件の亡霊の様子を聴いていた。
「はっ。驚異的な回復力といって良いでしょう。足腰が萎えていたにも関わらず、現在は既に歩き回れる様子。あと一月もすれば訓練も開始できるかと。」
「ふむ、それは凄いな。とても常人とは思えぬ。兵共の報告によれば、独房で鎖を外した後に自力で立ったと聞く。噂以上だな」
「カメルンの亡霊…ですか。先の継承戦役においてその終戦の直接の原因となったカメルン城塞攻防戦、敵味方2000人が全て死す中、ただ一人戦場に立っていたという…真なのですか?」
「さぁな。真実はわからぬ。なにせその場に駆けつけ、かの者を捕虜にした部隊長も処断されておるしな。だが、かの者が継承戦役にて多くの武功を挙げ、我らが帝国軍の精鋭を次々と破った敵国の英雄、その片割れである事は確かだ。卿も戦時中に旧プロイセル王都の陥落は耳にしていよう、帝国最強の騎士と言われたイットリウム卿を斬ったのはかの男だ。」
「左様ですか。なるほど、記憶にはあります。あの「鋼鉄の騎士」イットリウム卿を討ち取ったのは平民の、それもいまだ若き剣士であったと。しかし、ならば尚の事、かような者を兵にしてよろしいので?」
「信用できぬか?」
「戦場で背中を斬られたくはないので」
「ククッ。卿はよくよく正直ものだな。その性根、嫌いではない」
「恐縮の限りでございます。若様」
「その呼び名はやめろ。もう俺は当主だぞ」
「これは失礼をば。平にご容赦を」
「良い。それよりも、かの男の行動は逐一報告させろ。牙なき犬はただの家畜だが、尖りすぎた牙は甘噛みでも少々手を焼くからな」
「御意。猟犬たちには餌を与えても?」
「構わぬ。市中に解放することは出来ぬゆえ、娼婦を連れてこさせろ。それも体力のある若い女がいい、病気持ちは必ず外せ。貴族街への通行証は発行しておく。下がって良いぞ。」
「では失礼いたします。」
イオニア卿が退室し、静まり返った執務室でファンデルワースは窓の外を眺めた。山賊のようなゴロツキたちが歓声をあげている。
ふと、自分が役目を果たした暁には何を望もうかと考えた。おかしな事に、報奨を考えていなかったのだ。だが実の所、報奨などどうでもいいのだ、自身が登っていける切掛けにさえなれば。祖父が前々代皇帝の御世に失策を犯してから一族は不遇の目にあってきた。領地は安堵されたが、実質の謹慎処分であった。直系に連なるフェルナンデス2世の御世でもそれは変わらず、継承戦役にも参戦は許されなかった。帝都大学で共に学んだ学級の知人たちが昇進していく中、彼は領地で若い野心を持て余していたのだ。そして戦争も終わり、平和な時代が訪れた。彼はもはや中央に戻るのは無理かと諦めかけていたが、帝都の屋敷に滞在した折、皇弟の使いを名乗る者から来訪があった。曰く、望むものが得られるかもしれぬと。それにはこれから先、皇弟殿下の不利になるような言動は一切慎み、皇弟殿下が機とみた折に助力すべしという内容であった。応接室には二人きり、隣室も無人である。書面ではなく口のみで交わした密約は果たして一昨年に成就した。ようやく舞台に登れた。後は駆け昇るのみ。己はいまだ30歳、野望を狩る猟師として危険な猟犬を飼いならす。面白い。ペロリと上唇を舐め、獰猛な笑顔が昇ったばかりの月光に照らされる。その姿は、まぎれもなく捕食者のそれであった。
次回は明日になります。