入社のヒミツ
ノックに対して部屋の中から聞こえた「どうぞ」の返事が、男女二人の声で被っていた。
一瞬、気まずい雰囲気が漂ったであろう中の様子を想像して、なんだかとても和んでしまった。
緊張が薄らいだのを有難く思いながら、プレートに会議室と書かれているその部屋のドアを開ける。
入った正面に面接官っぽい人物が三人、細長いテーブルに並んで座っているのが見えた。
一連の入室マナーを守り、相手に「東山 徹」と名前を伝えた後、問題無い手順でやや貧相なパイプ椅子に腰を下ろした。
面接官の背後にある会議室の窓からは、ブラインドを通して午後一時の高い角度の日差しが入ってきている。
どこにでもあるようなその幅三十センチ長さ二メートル程の折りたたみ式テーブルは、殺風景で十畳ほどの広さしかないこの部屋と合わせて、いかにも安っぽい会議室を演出している。
まず最初に、三人の面接官は事前に提出してあった俺の履歴書と何かの書類に目を落とし、各々が質問する事柄を考えていた。
俺はというと、向かって右側に座っている、俺よりやや年上(二十台後半か?)位のOL風な女性、化粧は濃い目だが結構美人、のタイトなスカートから伸びた足が組まれているのがそのテーブルの下から直に見え、置き場所に困ったように視線をその横の面接官に漂わせた。
真ん中に座っている四十代程の真面目で神経質そうな男性がようやく書類から顔を上げると、それを待っていたかのように向かって左側に座っている、小太りで白髪の混じった初老の男性も書類を机に置いた。
一呼吸置いて正面の面接官が、まだ書類に目を落としている女性の方にちらっと視線を送った後、
「ではまず、東山さん御自身で思われる自分の性格の長所と短所について、お願いします」と切り出してきた。
まぁ、面接の流れとして無難なところだろう。
俺は事前に組み立てておいた文章を、特に詰まる所も無く順調に口にする。
話の流れの中で出てきた、学生時代の部活動のエピソードなどは履歴書にも書いてある。
その辺りに矛盾が無いか、相手がちらりと視線を書類に目を落とすが、無難にその経験も絡めて返答を終えた。
真ん中の面接官が満足したように軽く頷いた後、次に前の職場を辞めた理由を訊いてきた。
だが、職歴に目を移した面接官は、その前の職場が最近潰れたところの名前である事に気付くはずだ。
躊躇する事も無く、俺はその前の職場がライバルとの戦いに敗れ廃業に追い込まれた事を話した。
ある程度この業界では有名なところであり、廃業の経緯などは同業者から同情されるべき点が多い。マイナスに働く事は無いだろうと思えた。
その返答にも満足したように面接官がひとつ頷いた後、気が付けば書類から返答する俺の方に視線を移していた女性の面接官が今度は口を開いた。
「ここの特技の欄に書かれている事なんですが」
履歴書の右側を指で示しながら、ちょっとかすれ気味な声で問いかけてきた。
その先の言葉を制するかのように、
「はい、必殺キックです」
俺は胸を張って堂々と答えた。
部屋の空気が変化したのを皮膚で感じた。
「本当に、……その、必殺キックですか?」
疑わしそうな女性面接官の口調に、正面から向かい合うように俺は答えた。
「はい、私は訓練を受け必殺キックを放つことができるようになりました」
驚きのあまり面接官たちは言葉を失っているようだ。無理も無い。
「どのような意味において必殺なのですか?」
次に一呼吸してから質問してきたのは、真ん中の面接官だった。
「はい、世間一般で言うところの、必殺の意味として受け取って頂ければと思っております」
微妙に答えになっていないような気もするが、相手はそれ以上は訊いてこなかった。
「あー、その、キックの威力というのはどれくらいですかね?」
それまで見ているだけだった左側の小太りな面接官が、気になったような話し振りで尋ねてきた。
「はい、今のところ、人に対しては使用しておりませんが、必殺の威力であると自負しております」
実績として具体的な事例を挙げる事ができないのはマイナスだが、下手に嘘をつくよりはいいだろう。とりあえず、それは前の社において戦闘員クラスであった俺のアピールポイントの一つである。
「これは……、なかなか珍しい特技ですな」
その初老の男(後で分かったのだが、専務だった)は感心したように呟いた。
その反応に俺は大きな手応えを感じた。
そう、やはり戦闘員で必殺というまでの技を持っているものは全国の秘密結社で見ても少ないのだ。
秘密結社、平たく言えば「悪の組織」って奴である。マッドな科学で怪人を作り出したり妄想的な思想の元で世界征服を企む大手もあれば、企業間の工作を請け負ったり地味に株価の操作を狙った利益追求型の組織もある。
以前は個人経営に近いようなところも多く、その数は一時膨れ上がった。しかし正義の味方を名乗る表向き政府非公認の結社が現れ、抗争が激しくなるにしたがって次第に小さな組織は駆逐され、生き残った組織もある程度の規模の組織へと集約されていった。
内情としては世間一般で思われているほど非人道的でもないが、傍から見ている程に経営に余裕があるところも少ない、と言ったところか。
俺が居た組織も大手の一つだったのだが、運悪く正義の組織大手二社に戦いを挑まれてしまった。
俺も含めて組織全体が厳しい運営を余儀なくされる状況の中で、会社が生き残る為に様々な手段が模索される。
その研究の一つとして戦闘員の能力向上を目的とした計画案が出され、それまでの実績を考慮して俺は見事に抜擢された。
その計画による実験段階の薬物の使用や特殊な訓練を経て、必殺技や鋭敏な五感等を得る機会を得たわけだ。怪人を作る技術を考えれば、それほど大掛かりとも言えまい。
しかし、計画が完成する前に幹部とボスは倒されてしまった。
組織は解散、戦闘員はチリヂリとなり、多くはその職を失う事となった。
まぁ、どんな組織の戦闘員であろうと、生活していこうと思えばやはり何かしらの仕事に就くしかないのだが、この不景気の世に新たな業種での職を得るのは非常に難しい。
まして一般企業で元戦闘員の経験や必殺技など活用しようが無いのだ。
結果、昔のつてを頼るなりして他の秘密結社にアプローチして再就職、という流れを辿る元戦闘員が大半だった。
とりあえず今回俺が採用面接を受けた組織は、業界においては中堅というところだ。
組織の性格上、書類選考の段階から用心深く選考され、一次の筆記試験を終えてようやく面接にたどり着いたのだ。
「おぉ、あの時の幼稚園バスのっとり事件は君が担当だったのか。いやぁ、人質は無傷のまま見事に要求を通して逃げ切ってたのを見て感心したよ」
「はい、あの時は現場責任者として全体を指揮しておりました。途中、子供達が暴れないように興味を引いたり、好き嫌いの多い子が食事に苦情を出したりするのを対応するのが一番苦労しましたね」
言うまでも無く、この手の一見非効率に見える事件の目的は、こちらの要求を通すことは表向きで、裏で暗躍しているクライアントの思惑や駆け引きが主となる。
だから子供に安易に危害を与えるような凶悪事件にしてしまうと、正義組織の連中から集中的にマークされてしまい割に合わない。
たとえ大手といえどもそういう状況は避けたいので、いかにスマートに物事を進める事ができるのかが求められるのだ。
その面接においては、先程の俺の必殺技の詳細や実験に抜擢された経緯、そして例の小太りの専務が、俺の直属の上司でだった幹部と古くから交流があったという事もその流れの中で分かり、終始和やかな雰囲気で進める事ができた。
家族にはその身上をどう話すのかや、正義の戦隊との戦闘において窮地に陥ったらどうするか、等の質問もあったが、厳しい圧迫面接という程の事も無く確かな手応えを感じる事ができた。
そして、身辺調査も済んだであろう一週間後、合格の通知を受けた俺は、晴れて組織の一員としてその秘密組織の基地へ出勤する事となったのだ……。
それから二ヶ月程が経過したある日。
ようやく俺は組織の調査の目を誤魔化すために用意されていたマンションから、自宅の安アパートへ生活の場を戻す事ができた。
この期間で俺が調査できたあの秘密組織の人員構成、作戦目標、そして施設の所在地、これら全ての情報は、今の俺が本来所属しているところの某正義組織にすでに連絡済だ。
秘密でなくなった組織が生き延びるのは想像する以上に困難である。
恐らくあの組織の拠点は、この正義の組織の派遣した戦隊によって壊滅させられている事であろう。
ふと、あの面接の時の女幹部(旦那の怪人は交通事故で亡くなったらしい)も連中に倒されただろうか、という考えが脳裏を過ぎったが、今更俺にはどうしようもなかった。
前の秘密組織が壊滅した際、俺は他の数名の戦闘員とともに正義の組織に捕らえられたのだ。
お互い非合法組織である事を考えれば、処刑されてもおかしくはない状況だった。その運命を何とか免れる為に、俺達は奴らの組織に貢献するよう強制的に所属させられた。
二十四時間監視された状態での正義の潜入工作員の仕事だ。その非人道性はここでは言い表せない。
まず、生体電流で動く小型の記録機器と発信機を外科的に埋めこまれた。
普段の生活を監視員にチェックできるようにする為だ。これによって再び悪事を働く事を抑制し、また監視から逃れる事を不可能にしている。
それとは別に監視員が遠隔操作をしたり、自分で無理に外そうとすると体内で破裂する、と監視員に冗談交じりに言われていたが、俺達は皆、その言葉がただの脅しであることを確信できないでいる。
プライバシーが存在しない生活の中で、以前から正体を隠した上で付き合っていた彼女と、俺は別れざるをえなかった。彼女との事が監視されるのが、何より彼女に対して忍びなかったからだ。
仕事の面でも厳しいものがあった。なにより、相手組織に正体がばれれば命に関わる事になる。最終的に相手組織を壊滅させるとはいえ、自分の情報が無くなるわけではない以上、最後までばれるわけにはいかないのだ。それは、ある意味戦闘員よりもなお危険な仕事であった。
俺の同僚だった者の中の何人かを最近見ていないのに気付いた。仲間内でもその事を余り考えないようにしている……。
そして、連中が壊滅させた組織の資産の一部は、今後の運営の為の足掛かりとして徴収されていた。
悪の組織によって集められた資金は、程ほどに貯まった段階でさらに正義の組織の手に移る。
ある意味、やっている事は悪の組織よりあくどかった。
表向きは一般企業の看板を掲げる組織の中で、契約社員の肩書きの俺は部長の肩書きの隊長に今回の潜入任務を報告する。報告の中での不備に罵声を浴びせられている途中で、その隊長の携帯が鳴った。 鋭敏な視覚が無意識に液晶に移った文字を読み取る。組織の協力関係にある企業の営業担当者の名前があった。退室を手で指示され扉の外に出たが、普段から大きい隊長の声は扉越しでも俺には聞くことができた。
「あぁ、今度新設される基地なんですがな、前から話しとったお宅の土地にきまりそうですわ。……、そう、あの使い道に困ってらっしゃった山の地下で。まぁ、政府からの裏の支援もありますので、少々値段高くしても大丈夫でしょう。それでは、代わりに例の件、……えぇ、期待してますよ。まぁ、そちらとはお互い持ちつ持たれつで……、ワッハッハッ」
どこかに俺を助けてくれる正義の味方は居ないものだろうか?
お読み頂き、有難うございました。
色々と突っ込みどころが多いかとは思いますが、笑って流して頂ければ幸いです。無理ですか、スイマセン。