項目8:藪蛇の対処法 「斬り殺す」
現王が座す魔都の城は、平地から伸びた小高い丘の上に建っていた。見張り塔から見下ろせば、魔都ルーインの全景と緩やかにカーブを描く河の流れが見える。その岸辺の一角は、大地がぽっかり抉られており、その場所だけが異質だった。
広がる迷宮の入り口。さらに河の向こうには、緑豊かな森の情景が広がっている。
エルフ達が住んでいた『帰れずの森』だ。
「……じきに陽がくれるな、夜までに一雨くるか?」
蒼髪の男が、濁った具合の空を見あげていた。そろそろ夕方に近い時間で、空には灰色の雨雲が広がりつつある。
「こんなところにいたのね」
「うん?」
声に振りかえる。黒髪をなびかせ、片方の眼を眼帯で覆った女性が、塔の螺旋階段から顔を覗かせていた。
「バカと煙は高いところが好きね。会議が再開されるわよ。部屋に戻って」
「わかった。にしても、時間は有用に使いたいものだな」
言えば、女性は素直に応じた。
「無理でしょうね」
城の議会室。広い石組みの部屋には、飾り気のない円卓が一つと、十席に満たない椅子が置かれているだけだ。
「――それでは、昨日に回収した宝は引き続き、王城の『ギルドマーケット』の倉庫で保管しておくということで、よろしいですな」
「意義なし」
殺風景な室内に反して、高価な服を着た初老の男たちが、忙しく言葉を交わしていく。
「では、森への調査については、いかが致しましょう」
「最優先の事案でしょう。あの里には、貴重な <精霊の霊薬> となる源泉がありますし」
「うむ。アレは魔都の柱となる、貴重な財源ですからな」
「錬魔師ギルドが作っている、代替品ではダメなのですか?」
「効力が無いことはありませんが、まだまだ、改善の余地があります」
「では、やはりエルフの森の調査を行い、原水の状況を確認しないことにはなりますまい」
話の流れは、一つの方向に傾いていくように思えたが、
「……いやしかし、そのための予算はどうするおつもりで」
「街の地方警備に回しているぶんを、一割ほど回してみては?」
「バカな。自警部隊の予算は今でも足りないぐらいでしょう。それよりも、迷宮の関所に投入されている予算をですな……」
簡単には決まらなかった。
いざという場合の、責任時の押しつけあい。そして予算の出資所の取り決め。結論だけが引き延ばされるやりとりの行きつく先は、
「――さて、どうしたものでしょうなぁ」
明らかに、場にいた一人に向けられる。
言葉を受けた蒼髪の男は、「まったく困りましたね」と、無難な返事をしておいた。
<精霊の霊薬> という名をつけられた【水】は、非常に高価だった。
失った精神の安定を取り戻し、ふたたび【魔】を発動させることが可能になるアイテムは、一見しては無臭透明の水なので、ニセモノが堂々と出回る品でもある。最悪の場合、毒薬をそうだと偽って、暗殺に使われた前例もあった。
それ故に、基本的には王城と直接に繋がりのある『ギルドマーケット』で、やりとりするのが常となる。これは、売り手にとって都合がいい。
(……【水】の供給が途絶えれば、城側の権威は大きく落ちる)
エリオットは言葉を隠し、思考していた。
(だからこそ、今は逆に好機といえる。俺たちにとっても、城の連中にとってもな)
【魔】は、強力だ。 <精霊の霊薬> がいくら高価であっても、求める者は多い。
己を際限なく強化することもできるし、逆に相手を衰えさせることもできる。
自然界の火や氷を模した、擬似的な【火】や【氷】を新たに創造することも可能で、応用すれば自らの武器に、【火】や【氷】の【属性】を付与できる。反面、その【属性】の攻撃から身を守ることもでき、【魔石】と呼ばれる特殊な鉱物を用いれば、その力はさらに増す。
だが、用いれば用いるほどに、精神が疲弊する。
肉体的な損傷はないのに、己の存在意義が分からなくなったり、記憶が抜け落ちたり、ひどいと自我が崩壊してしまう。
【魔】は使いこなせれば強力無比。しかし同時に、諸刃の剣だった。
「――ット殿! エリオット殿ッ!」
「…………は?」
気がつけば、ぼんやりと考えに耽っていた。やや焦って怒声のする方をみれば、頬に傷のある男が、真っ向から睨みつけている。
「心、ここにあらず、といったようだなァ?」
齢三十をいくつか超えたぐらいの男だった。筋骨隆々としており、白い魚眼を思わせる瞳が来る。勲章をつけた白銀の全身鎧もまた、ギラリと輝いた。室内の視線がすべて、エリオットの顔に注目する。
「……大変に失礼をいたしました」
席を立ち、頭を下げる。周りから失笑したような声がきた。
「どうやらお疲れのようですな。まだお若いというのに」
「申し訳ありません。なにぶん、こういう所には縁のない下賤な身の上でして」
「ほぉ、その割には、ずいぶん慣れた風に口が回るなァ」
「まったくだ」
初老の男たちも頷いて、楽しげに、柔和な表情で追いつめてくる。
「エリオット殿の噂は聞いておりますぞ。三年前、この魔都に現れてからというもの、破竹の勢いで迷宮を攻略し、今では最も『深淵』に近い男であるとか」
――しかしその生い立ちは、ほとんど謎に包まれているとか。
――帝都の王族が、妾に産ませた子であるという噂もあるとか。
ここぞとばかり、次から次へ生じる質問に、エリオットは苦笑した。
「単に放浪癖があって、少しばかり、広く浅く、物を知っているだけですよ」
「そうだろうな。所詮はこの国になんら想い入れなど無い、余所者だ」
吐き捨てるように騎士団長が告げれば、取り成す声があがる。
「まぁまぁ、レンデル殿。その辺りにしておきましょう。普段、人知を超えた迷宮に対峙している剣聖も、こういう席では心が折れるご様子だ」
「ほぉ。では我々の闇の広さは迷宮以上と?」
「さもあらん、ですな」
冷ややかな笑いがこぼれる会議室のなか、エリオットはもう一度頭を下げて、席に座りなおした。それから、何度も頭の中で組み立てていた言葉を口に出す。
「皆さま。もし騎士団を動かすのにお困りでしたら、私が束ねたギルドを持って、南西の森の探索、およびその調査を赴かせていただくことは可能でしょうか?」
「ふざけるなよ、蒼毛の」
レンデルと呼ばれた騎士団長が、睨みを効かせてくる。
「南西の森に住まうエルフの領域は、我らが王に連なる者と、その従者のみが立ち入ることを許された地だ。貴様のような、何処の生まれかも知れん者が踏み入れると思うな」
「……失礼いたしました、騎士団隊長、レンデル殿」
一呼吸おいて、言葉を続ける。
「では、我がギルドの者たちは、王宮騎士の手足となって働かせて頂きます」
「なにが狙いだ」
「単に血が騒ぐだけですよ。未知に対する憧れ、とでもいいましょうか」
「はっ、やはり貴様らは、蛮族に過ぎんな」
「返す言葉もありません。あぁ、ところで。昨日、私たちが捕らえました女の詳細は、なにか分かりましたでしょうか?」
安い挑発を流して告げると、正面にあるいかつい顔が、さらに険しくなった。
「なにか、とはどういうことか」
「……どうかされましたか?」
エリオットが聞き返す。さらに言葉を重ねる。
「探索先は『帰れずの森』とも呼ばれる迷宮です。如何にしてそれを突破し、エルフの里を落としたのかは見当もつきませんが、捕らえた女を吐かせて案内させれば、エルフの里や源泉にも、楽に辿りつけるのではないかと思いまして、ね」
もっともらしい事を言えば「確かに」などと続く声もあがる。
レンデルだけが、苦虫を噛み潰すような顔をした。
「森を案内させるのは、生き残りである、リーアヒルデ王女でもよかろうッ!!」
「――ならん」
そしてこの時、エリオットの対面、上座にいる壮年の男が声をあげた。
「かの王女が得た傷は深い。我々が近づけば、部屋の隅に逃げだす程にな」
「……しかし、それは……」
「レンデル。女の正体は分かったのか」
落ち着いてはいるものの、しかしこの場で、最も威厳に満ちた声だった。
場がにわかに、しん、と静まりかえる。
「はっ……、いえ、なにぶん、口が堅く……」
「そうか」
するどい灰褐色の眼光が、胸中を貫き刺すように、光る。
「では、ひとまずここまでだな。エルフ族の秘法は取り決め通り、ギルドマーケットの倉庫に保管しておけ。競りに参加していた者たちの処分も、裁判官たちに通達しておくように」
告げる男の声に、わずかな老いは感じられる。しかし、ひたすらに重かった。
「さて、エリオット・ニーベルンよ」
「はい」
「お前のギルドに森を探索する許可を出す。我らが騎士の配下となるのは抵抗があるやもしれんが、引き受けてくれるな?」
「微力ながら全力を尽くしましょう」
双眸が混じり、互いにひとつずつ、相槌を打つ。
「あぁ、それともう一つ、貴殿に頼みたいことがある」
「なんなりと」
魔都の王は、うむ、と頷いた。白くなった髭を撫で、口を開く。
「エルフの王女、リーアヒルデのことだがな。先ほども言ったが、不慣れな環境ゆえにか、食事も満足に取らぬし、城中の者とも言葉を交わさぬ。唯一に、おぬしの配下であった者とは、いくらか言葉を通じていたようだが」
「フィノですね」
「うむ。その者に、リーアヒルデの身柄を頼むわけにはいくまいか」
「国王ッ! それは我らに信頼がおけぬとッ!?」
レンデルが激をあげる。しかし変わらぬ口調で、魔都の王は言いかえす。
「事情が事情なのだ。仮に捕らえた女がなにも吐かねば、エルフの王女であるリーアヒルデが唯一の生き証人なのだ、わかるな?」
「……ぬ、う」
「いや、確かに王の言質には一理ありましょう」
「そうですな。まずは精霊の泉の原水を、一刻も早くとり戻さねばなりますまい」
場に集った方々から、賛同する声があがる。さりげなく、王女の安否よりも、泉の水が大事だと言わんばかりだった。
エリオットが密かに笑う。冷静さを装っていた表情が、ここに来て初めて崩れていた。