項目7:己の親は選べぬが、己の師匠は選ぶべき。
* * *
――ガキには過ぎた金だろう?
依頼主であった王城の騎士に裏切られ、路地裏で腹を刺された瞬間、哄笑するような笑い声が降ってきた。
殺してやる。確かにそう言った。しかし両足はぐらついて、機能を失ったように倒れ込んだ。ちょうど遠くから雨の音が聞こえはじめていた。
ふたたび目を覚ましたのは、月が浮かぶ深夜だ。気を失っていた間はずっと、ドブネズミのように雨に打たれていたらしい。ゴミの入り混じる腐臭が鼻をついた。ハエも集っていた。荒れた石畳みの地面には、いくつもの真新しい水溜りがあって、夜空には綺麗な星が映っている。
「……ぅ」
顔の側に飛びまわるハエを追い払おうと手を振れば、ジャラと鳴る袋が落ちた。
開いてみると、奪われたはずの金貨が丸ごと入っていた。
「…………?」
眉をしかめ、刺された腹部に手を添えると、凝固した血液が剥がれ落ちる。傷口は綺麗に塞がれているが、手当てをしたらしい痕は無い。
「なんなんだ……?」
首を傾げた。いっそ、親切な神様でも通り過ぎていったのか。とさえ思った。
「……はっ」
くすんだ笑いがおちる。神様、ねぇ。
笑えば、身体の奥底から熱が滾るような感覚を覚えた。心臓に手を添えると、どくん、どくんと、自然に脈を打つ。盛大に腹の虫が鳴いた。
「なんか食い行くか」
立ちあがった。歩き出す。
表通りに出てから、馴染みの安酒場に入ろうとした時に、
「――少年、一杯おごってくれんかの~」
かけられた声に振りかえれば、そこには妙ちくりんな老人がいた。ボロのローブを着て、頭には不思議な尖がり帽子を乗せていた。命があったせいで、気持ちが楽になっていたのかもしれない。言われた通りに奢ってしまった。
馴染みの安酒場に踏み入ると、酒ビンを持ち、手をあげて叫ぶ声がある。
「よぉ、ジークぅ!」
「……ジジィ」
「嫌そうな顔をするでないわ。こっちに来て、いっぱい付き合えいっ!」
「うっせぇ」
無視してカウンター席に座ると、勝手に隣の席にやってきた。ジークハルトの背中を、ワーグナーと名乗った老人が景気づけるように叩く。
「なにしやがる!」
「怒るない。本日も講義をしてやろう。テーマは『マナ・ポーション』じゃ!」
「……はぁ?」
「賢者の助言をタダで聞けるとは、おぬし、運がえぇぞぉ~」
「頼んでねぇ。つーか誰が賢者だ。この酔っ払いが」
「では、年寄りの長い話、はじまり、はじまりじゃ!」
「聞けよジジィ!」
ワーグナーはまったく気にせず、好き放題に話していく。ジークハルトは相槌を打つ代わりに、舌打ちを一つくれてやる。
「……メシがマズくなる。マスター、鶏の手羽先を丸ごと一つくれ」
「ほぉ、羽振りがええのぅ」
「うっせーな。昨日拾ったアーティファクトが、ようやく換金できたんだよ」
「おおぅ、そりゃあめでたいの~。で、どれぐらいの儲けになったんじゃ?」
「答える義理はねぇ」
「なんじゃ、ケチいのぉ」
ワーグナーは言って、ビールジョッキを、ぐびっと煽った。
「ぷっはーい。んでは講義をするかの」
「必要ねぇ」
「なら適当に聞き流しとけい」
「チッ」
ワーグナーが酒ビンを煽る。ジークハルトは咥えていた鳥の骨を吐き飛ばした。
「マナ・ポーションは大変貴重なアイテムじゃ。今では <精霊の霊薬> なる愛称で、王城のギルドが販売しておるがのう」
「一瓶で十日はメシが食えるな」
「うむ。バカ高いじゃろう。何故だか知っておるか?」
「……量が多く取れねぇからだろ」
「半分正解じゃ」
ワーグナーが、ちちち、と指を振る。
「残り半分は、エルフとの協定があるからじゃ」
「協定?」
「うむ」
ぐびっと酒を煽り、
「ぷっはー。えー、南西の森に住まうエルフ族は、マナ・ポーションの源泉となる『精霊の泉』を確保しとるが、その対価として、この国から生活用品を支給してもらう約束を交わしておるんだがー、」
「マスター、手羽先とソーセージ追加」
「聞けよ若者ぉ!」
「うるせーな、聞いてるよ」
がるがる、噛み千切る。
「で? それが協定ってのと、どう関係してくるんだ?」
「ヒント出しちゃろう。貿易と税金の関係って言うたらピンと来るかの?」
「知るかよ……」
口を動かしながら、ふと気づく。
代金として取り出した銀貨が数枚。鋭い瞳が瞬いた。
「……おいジジィ。その協定ってのは、昔から『物々交換』なんだな?」
「そーいうこったの」
ぐっ! と親指を立てて、ワーグナーが笑んだ。
「<精霊の霊薬> をいくらで販売するか。その値段を決めるのは貴族たちじゃ。おまけに、元手がタダ同然の商品を、おぬしらに吹っかけとるわけじゃの」
「ハッ、貴族ってのは碌な連中がいねぇな」
「まぁのう」
「でもよ、ジジイ。エルフの連中はなんで文句言わねぇんだ?」
「おっ、話を聞く気になってきたようだの」
「うるせー」
そっぽを向いて、ソーセージをぷすっと一刺し。
「時にジークハルトよ。おぬしが拾ったアーティファクト、そいつを売った先は何処じゃ?」
「……ギルドマーケットの、鑑定師に決まってんだろ……」
答えた言葉は低く、そして苦痛に満ちていた。
売り買いの値段は相手に一任せざるを得ない。それでも、これだけの金銭を得られたということは、答えは一つだ。
「恐らく、おぬしが売ったのは、よほど質が良かったんだろうのぅ」
「黙れよジジィ。メシが不味くなる」
殺気を込めて睨む。ワーグナーは「すまんの」と一言だけ呟いた。
そしてビールジョッキを掲げ、ぐびぐび飲んだ。
「ぷぁっ! ジークハルトよ。おぬしは頭が良い。冒険者なんぞ止めて、どこぞのギルドにでも入って、王宮での働き口を捜してみたらどうじゃ?」
「貴族共に使われるぐらいなら、死んだ方がマシだ」
「傲慢なやっちゃの――ぷっはぁっ!」
「……うっ!」
酒臭い息に眉をしかめ、ジークハルトもまた吐き捨てる。
「んで、理由はどうなんだよ」
「うん? 何の理由じゃ?」
「だから、エルフの連中が、そんな不利な協定結んだ理由だよ。その時は事情があったとしても、今なら俺らに【水】を売った方が、あいつらも暮らしが楽になるだろ」
「まーの。しかしそれは、次回のお楽しみということにしておこう」
釈然としねぇ、という顔で睨んだ。
「んじゃ今日の講義は終わりか? 金にならねぇ、腹はふくれねぇ。おまけに気分は悪くなる。最低の内容だったな」
「む! 年寄りの話は聞いておいて損はないのぢゃ! いついかなる時、役に立つかわからんからの! ほれほれ、情報量として、その手羽先よこさんかいっ!」
「っざけんな! こいつは俺のだっ!」
「ならば追加注文ぢゃ! 骨付き肉を追加で五本! 代金はそっちのガキ持ちで~っ!」
「五十歳下のガキにたかんなジジィッ!! テメェこそ自分で稼げ!!」
「うーむ、この前も迷宮に挑戦したんじゃがの~。腰が痛うなったんで、早々に帰ってきたわ」
「いっそ死ね!」
「ジジィには、いささか辛いわ! ふぉーふぉふぉふぉ~っ!」
ワーグナーは、冒険者としては最悪の腕前で、性格も相当に残念だった。
そんなダメ老人が、もがもが肉を食らいつつ、ふと真剣な眼差しになって言う。
「ジークハルトよ。おまえには、仲間はおらんのか?」
「いらねぇよ。んな面倒くせぇモンはな」
もう、宝の分け前で裏切られ、殺されかけるのは御免だった。それだから、ワーグナーとも酒場だけの付き合いで、共に遺跡に潜ったことは一度としてない。
「ジジィ、この街を表す言葉を知ってるか?」
「ん?」
「生も死も、気品はあらず、ってな。どう生きようが俺の勝手だ」
「……ふむ。まぁ、それもよいか。若さ故じゃな」
ワーグナーは、空になったジョッキを意味もなく揺らす。
そしてまた、好き勝手に語りはじめた。
「ついでに、もう少しエルフのことを教えてやろう。森に住むエルフの種族は【魔】に特化した能力を持つ。彼らはひどく閉鎖的な種族じゃが、それには体質的な要因もある」
「聞いたことあるぜ。連中は、俺たちより【魔】の消耗が激しいってな」
「そうじゃ。生活の水として、日常的に精霊の泉を用いておる故にのう。その【水】が無ければ、彼らとて生きてゆくのが困難なのじゃ」
ふらふらと、空になった酒瓶を煽り、語っていく。
「故に精霊の泉の存在は、秘中の秘。エルフ達の間でも、王族につらなる者にしか詳細が伝えられとらん」
「やけに詳しいじゃねぇか」
「伊達に、長くは生きとらんでな」
「そうかよ」
目つきの悪い少年は、適当に聞き流し、残った最後の肉を手にとった。
「――スキありッ!」
ワーグナーが、ジークハルトの酒瓶をひょいっと取り上げる。一気に飲み干した。
「んなっ! おいジジィ!!」
「ぷへーいっ! ちなみに【魔】というのはぁ、言葉を用いることで【己の精神を構築している精霊】と接続するのじゃ! 命令コードは仮物質となり、【自然界を構築している精霊】の資源と結びつくことで実体化するっ! それが【魔】じゃぁ~い!」
「やかましい! クソジジィ! いい加減にしねぇと殴るぞ!」
「そして最後はぁ! せっくす! について!」
「ぶはっ!?」
酔いが回ってきたらしい。
驚いたジークハルトが、半端に砕けた肉を口から吐きこぼす。ワーグナーが「ひょっひょっ」とか言いながら、怪しく指先を動かした。息荒く、陶酔したように語りだす。
「基本的にぃ、体内の魔力は、【自然界の精霊】と同調することで、時間をかけて回復させるわけじゃがぁッ。対象が強い激情を放った瞬間ッ! すなわちオスの精子を、体内の深いところで受けとめることで、【魔】を回復させることも可能なのじゃああああいッ! メスが総じてオスよりも魔力が高いのは、そおいうことおぉぉぉーーーッ!」
「黙れエロジジィッ!」
「魔女っ娘が、【魔】を使いまくった後はチャンスぢゃぞ。本能的に、やらしー気分になっておることが、ワシの長年の研究で分かっておるッッ!!」
「んなもん研究してんじゃねぇーッ!」
ごす。っと殴ったら倒れた。
息をしていたのが、残念だった。
* * *
「……あー、クソ、ムナクソ悪ぃ」
過去の回想から戻ってきたジークハルトは、眉間に指を添えた。
深く椅子に身体を預け、小瓶を掴み左右に揺らす。
「つまり、エルフの王女は、あの時『喉が乾いてたわけ』だな……」
昨晩、エルフの王女が急変した様子を思い出す。
【魔】を吸われる【水】を飲まされて、心ここにあらず、という状態だった。
「……エルフの連中がやられたのは、『精霊の泉』の水源を突き止められて、本質を【魔】で変化させられたせいか。この小瓶に入ってるのが、恐らくその【水】だろうな」
一見しては、無色透明な、ただの水。
本質は【魔】をたっぷり秘めた、エルフ達の日常生活における必需品だ。
それが性質を【逆転】させられてしまった。飲めば逆に【魔】を失ってしまう【水】へ。
「エルフの純粋な肉体能力は、人間以下って話だしな。【魔】が使えないエルフなんざ、赤子を捻るようなもんか」
机の上に置いたマグを傾ける。少し冷めたコーヒーの苦さが眉間を貫いた。
「もう少し推測するなら、一気に変化するよりは、地味に混ぜてったんだろうな。そうなると犯人は、多少なりともエルフの連中と接点がある奴らか……」
エリオットが言っていたことを思いだす。
犯人は、王城に関係のある貴族かもしれない、と。
「……無理に考えることなんざねぇか。エルフが【水】を取引してるのは王城の連中だしな。私欲に溺れた奴が【水】を独占しようと考えてもおかしくねぇ。ただ、水源の本質を変化させても、それを元に戻す必要があるよな……」
頭を振る。思考を止める。
これ以上は、余計なことに首を突っ込む義理はなかった。
マグを逆さにして、一気に黒い液体を飲み干す。
「っし、通常営業に戻るとするか」
言って、片眼鏡を掴んで思いだす。
「…………」
大切な商売道具は、【水】に力を奪われたままだった。
「エリオットの野郎、あとで――」
――カラン、コロン、カララン。
呪詛の念を込めたとき、ちょうど店の扉が開いた。反射的に「よーし、いいところに来たな金よこせ!」と顔をあげれば、そこには穏やかな顔をした褐色肌の美女が立っていた。
「こんにちは、ジークさん」
「……フィノ」
昨晩『動くと潰します』宣言をした女性だった。今は色気のない革鎧ではなく、膝下まである白のロングワンピースを着て、右腕には編み模様のバスケットを抱えていた。本人の美貌とも相まってとても華やかである。空いた手で深い紫の髪を撫であげ、にっこり、花が咲いたように微笑んだ。
「お仕事中でした?」
「いや……」
怒りの行き場を失って、曖昧に手をあげるジークハルト。その様子が「元気が無さそう」という風に映ったらしい。心配そうに見つめられる。
「大丈夫ですか?」
「気にすんな。あー、ちょうど鑑定の目星がついたとこだ」
「そうでしたか。さすが、仕事が早いですね」
「まーな……」
追加料金よこせ、とは言えなかった。
「あっ、ジークさん」
「なんだ?」
フィノが、手に持っていたバスケットを机の上に置いた。かぶせていた布を取り払うと、ふんわり、甘い匂いが漂った。
「パイを作ってきたんです。よかったら食べてください」
「助かる。今日はまだ、マズいコーヒーしか飲んでなくてな」
「もしかして、起きたばかりですか?」
「あぁ」
ジークハルトが頷くと、フィノは「良い事を思いついた」とばかりに両手を合わせる。
「よければ、私がご飯作りましょうか。ここに来る途中で市場の方から、タマゴとか、お野菜を分けて頂いたんです」
「いいのか?」
「はい。エリオット様は、朝から登城されていまして、夜まで帰ってこないそうですから」
「偉くなったもんだな。最初はしがない冒険者に過ぎなかったヤツが」
「本人は、今もそのつもりですよ。三年前と変わらずに」
「……そうか、結構経つんだな」
エリオットがこの街に訪れたのは、三年前。
ジークハルトが冒険者から足を洗い、鑑定業を営みはじめた年でもあった。エリオット自身の見栄えがよく、剣の腕が異常に立つこともあったが、連れ立っていた『姉妹』も美女ばかりというのもあって、その名は瞬く間に広まっていた。
「敵多いだろ、あいつ」
「そうですねぇ」
「わざわざ『上』を目指すこともねぇのにな。一人で、気楽にやってりゃいいのによ」
そう言うと、フィノは口元に手を添えて、くすりと笑った。
「エリオット様、おっしゃってますよ。ジークさんが、もっと素直に依頼を引き受けてくれたら、自分の仕事が楽になるのにって」
「勝手なこと言いやがる」
「信頼してるんですよ。王城の鑑定師にだって、ここまで腕の良い鑑定人はいないって言ってますもん」
「大げさだな。俺は器用貧乏な、場末の自由鑑定士が似合いだよ」
言いながら、ジークハルトはパイを一切れつまんで、口に放り込む。
「おっ?」
瞬間、茶色の瞳が驚きに染まる。真顔で、短く言いきった。
「美味い。一級品だな」
「でしょ?」
やわらかな店内の雰囲気とは裏腹に。
窓の外は、少しずつ雨雲が近づいているようだった。