項目4:悪意と殺意の目利き。
※一部、倫理感に外れる描写があります。
催しは、月の浮かばぬ深夜に開かれた。
大通りから離れた裏路地の、朽ちかけた屋敷。
正面の門は錆びつき、もうずっと、人の手が入り込んでいない有様だったが、
「会場は二階か」
注意しなければ見落としてしまう程度の明かりが、一箇所。
「慣れないもんを着ると暑苦しいな」
ジークハルトは、黒一色のコートと、白のオペラマスクをつけ、錆びついた門を単独で通り抜けた。続く中庭は雑草が伸び、石畳みは割れている。しかし枯れた噴水の周辺は、確かに人が通ったと思わしき足跡が残されていた。
室内に入っても同様だ。消えるか、消えまいかといった風前の灯火が、二階へ導く。
「……………………」
辿り着いた部屋。十を越える、仮面の視線が向けられる。
室内はテーブルクロスを被せた机だけがあるホールだった。ただし内装は、急ぎ整えられた様相で、埃をかぶったシャンデリアの代わり、【魔】を付与された燭台がそれぞれのテーブルに灯っている。床の赤絨毯はところどころ糸が解れたまま。両側の窓は、黒い布きれで覆われているものの、ジークハルトが外から見たとおり、僅かに光が漏れている。
――杜撰だな。
思いながら、まっすぐ、部屋の中央に進んでいく。
蒐集家たちは、本来の目的とする物へ視線を向けた。
それぞれの机には、強奪されたと思わしきアイテムが並ぶ。指輪やネックレスの装飾品、礼拝に使われていたらしい聖杯などの呪具、さらには木製の弓や杖までも。強奪された時についたのか、血の跡がこびりついた物も少なくなかった。
「……よい、実によい。迷宮で取れるアイテムとは、また少し性質が異なるようだ」
一人の仮面の男が呟いた。
ジークハルトもまた横から覗き込んだが、一瞥をくれただけで移動する。
贋作かよ、と小声で呟き、向かった先には、三人の『仮面』が密やかに笑いあっていた。
「いやはや、驚きました。今回はこちらに来て正解でしたよ」
「はは、本当に」
内二人の声は、いくらか皺がれた男の声。
残る一人は、この場で唯一に黒のドレスを着ている。
「ご満足いただけて、なによりです……」
真っ赤なルージュが弧を作り、妖艶な雰囲気を醸しだす。
「本日取り揃えた商品は、どれも一級品ばかりですが、さらにこの後、とっておきの商品が控えておりますので……」
「ほぉ、それは楽しみだ」
「まったく、なにが出てくるのやら」
物欲をたっぷり孕んだ声。そこへ気にせず割って入り、宝石で彩られた髪飾りを、ひょいと摘みあげる。
「…………」
ジークハルトは、手の内で髪飾りを転がした。三つの仮面がその様子に釣られていると、
「これは悪くねぇな」
同じ調子で机に戻し、それからまた、足早に去っていく。
「……なんでしょう、今のは。乱暴な」
「随分若そうな声でしたなぁ。どこぞの成り上がりの息子でしょう」
「違いない」
仮面の男らは嘲笑し、再び談笑に戻る。
ただ一人、ドレスの女だけが、その行動を追っていた。
すべての机を見て回ったところで、ジークハルトは一つ息をこぼした。
口元に手を添えて、さてどうするか、といった感じに立ち尽くしていた時だった。
「――皆さま」
ドレスの女が、部屋の中央で声をあげた。一同の仮面が、すべてそちらを見る。
「本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。これより最後の一点をお披露目したく思います。あちらを、ご覧くださいませ」
ホールと廊下をつなぐ扉が軋んだ。
ジャランッと、硬質な部屋の中に響き渡る。その先には、
「ひ、ぐぅっ……!」
少女がいた。
成人した男たちの、胸元に届くかという大きさ。粗末な服と、首輪をつけて、強引に歩かされてきた。
「いひゃいっ!」
長い金髪、森の新緑を思わせる翠眼、薄いクリーム色の肌、そして特徴的な、長く尖った両の耳。幼くも端正に過ぎる顔立ちで、頭にはまばゆく輝く精銀の髪飾り。
エルフの少女の首輪を率いて来るのは、狼の顔立ちをした、二本の足で歩く毛むくじゃらの『亜人』だった。赤錆び、無骨な骨で出来た鎧を着て、ひたひたと素足で向かってくる。
「コ、コボルトっ!?」
「な、なんなんだ、おいっ!」
仮面の男たちが一斉に身を引く。
コボルトが「ルル……」と犬歯を剥き出し、集まった男たちを睨みつける。ギヂッと歯を鳴らし、手にした鎖を投げるように放った。
「あ、ぐっ!」
エルフの少女が床に転がされる。
ドレスの女が歩み寄り、膝を折って上を向かせた。
「みなさま、こちら、純血エルフ種の生き残りであられる、リーアヒルデ王女です。フフ、最低落札価格は、一千万から如何でしょうか……?」
「ひっ!」
上向きにされた王女の顔。
見る者にとっては、嗜虐芯をそそられる香りをたっぷり孕んでいた。男達は魂を抜かれたようにリーアヒルデを見つめる。一人を除いて、女の唇が何事かを紡いだことに気がつく者はいなかった。
仮面に秘められた【魔石】が呼応する。その力を満たしはじめる。
「……は、はっ、ははははははははは。これは、いやはや、おもしろい……」
「実に、実にいいでは、ありませんか、なぁ?」
「やっ!」
不穏な気配を感じたリーアヒルデが、くしゃと顔を歪めた。男たちの眼下から逃げようとするも、コボルトが鎖を引けば、再び転がるだけだ。
「けほっ!」
苦しげに咳きこむ声に対して、男たちが嘲笑う。
「ひははっ、愉快な催しですなぁ。低値で入札をいたしましょうか」
「あー……。では千二百」
「千三百で……」
「いやいや、過去の繁栄とは儚きものですねぇ」
仮面に付与された【魔石】が理性を溶かす。値は天井知らずに伸びていく。
「――さて、みなさま」
うっすらと、女の口元に笑みがこぼれた。感情のなかった紅い瞳に、ぼうっと怪しげな色が浮かぶ。
「本日は納得いくまで、直々に、商品をお確かめいただけることを推奨してまいりました」
そう言って、液体のたゆたう小瓶を取りだした。リーアヒルデが全身をふるわせ、ぽかんと口を開いたまま動きを止める。
「【水】をさしあげましょう。王女さま」
口をこじ開き、小瓶の液体を強引に流し込む。
「ご気分は如何?」
「…………ぁぅ」
リーアヒルデは、ぼうっと気が抜けたように宙を見上げていた。魔法にかかったように、首を傾げてみせてから、それから自分を見下ろす、情欲に染まった視線と向き合った。
「……なんだ、あの【水】は」
あらかじめ【魔石】を取り除いていた男だけは冷静だった。そして、その思考を遮るように、ドレスの女が近づいた。
「貴方は、入札に参加する気がございませんの?」
「あぁ、結構だ。テメェが持ってる薬の成分と、効能のほうに興味があるからな」
「残念ですが、こちらに関してはお答えできませんわ」
「そうかよ、なら、自分で調べるとするか」
口元が吊りあがる。その手に、半分ほど中身の減った小瓶が踊る。
「なるほど? 麻薬というよりは、【魔】に起因する成分が強いようだな」
ふたたび手に落ちたとき、女が短い悲鳴をあげていた。
「いつの間にっ!?」
「手癖が悪いのが、売りの一つでな」
平然と嘯く。小瓶をわざとらしくスーツの内にしまう。
「……お客さま、無事にお帰りいただけなくなりますわよ?」
「最初から期待しちゃいねぇさ」
「あら、そう?」
女が小さな笛を取る。音の無い響きがしたのと同時、ホールと廊下を繫ぐ扉から、武装したコボルトたちが集団で現れる。
冷酷に、ドレスの女が告げてきた。
「まったく、困ったネズミだわ。増えるまえに、駆除しておかなくちゃねぇ……」
「同感だ。もう遅いけどな」
女の言葉を制す。
手首の裾から、鞘に収まった漆黒のナイフを抜き放ち、床上に突き刺した。
『――【時空】を知る我、命ず。< 彼方へ通じる扉、此処に生ぜよ > 』