項目3:営業時間について。
月明かりに照らされた職人街の通りは、しん、と静まりかえっていた。そのなかで、一軒だけ灯りのついた建物がある。見栄えよりも実用的な印象を放つ、無骨な赤レンガで出来た小さな店だ。正面に木製のプレートが下がり、閉店中だと告げていた。
勝手口を抜けた先、さして広くない室内の中央に、長机が置かれている。
天井から吊り下げられた電球の明かりが、ぼんやり届く。
「…………ゴミ」
ジークハルトは椅子に座り、手を動かしていた。赤い宝石が乗った杖を置く。
茶色の短髪と瞳。やたらと険しいその目を細めれば、どこか猫科の肉食獣を思わせる雰囲気が滲みでる。
「…………こいつもゴミ」
白い絹の手袋をはめ、無言で、青い宝石を乗せた指輪を、ためつすがめつする。
その指先が不意に止まり、舌打ちをした。
「クソ。初見の客は信用ならねぇな」
ジークハルトの右目には、昼間つけていたものと同じ、丸い片眼鏡が被せられていた。銀縁の外枠が、苛立った内面に呼応するように光る。
「あの野郎。なにが伝説の <妖精指輪> だ。ホラ吹きもいいとこだぜ。指輪から【魔】の反応がぜんぜんしねぇ。単なるクズ銀じゃねぇか」
両手を動かしながら、今度は青い宝石に注目した。
「こっちの【魔石】は本物みたいだが……」
慎重に、ゆっくりと、角度をズラしていく。指輪の青い宝石に注目すると、じんわり、右目に乗せた片眼鏡のガラスに、イメージが浮きあがってきた。
ぽつ、ぽつ、飛び散る、赤い鮮血の色。
すぅぅーと、人の手を模したイメージが伸びてくる。
「ウゼェ」
実在する己の手で払いのけると、イメージは霧散した。
ひとつ溜息をこぼし、片眼鏡を外す。指輪は再び、なんの変哲もない銀の指輪に見えていた。
「どこの死体を漁ってきたんだか。良物は、あのナイフだけか」
指輪を机上に戻し、傍らに置いてあったマグを取る。中には半分冷めたコーヒーが残っていた。苦い顔を浮かべ、茶色い毛を掻きむしる。
「面倒くせぇ」
改めて、作業机の上を見渡した。
転がるのは革の鞘に入った短剣を除くと、赤い宝石を載せた杖、目を引く青い宝石の指輪が三つに、黒い水晶で作られたネックレス。そして極めつけは「カタカタ」音の鳴る鎖帷子だ。
「ったく。王城の鑑定師が拒否するような、面倒なアイテムばかりじゃねぇか。まとめて銀貨六枚で引き取らせてやる」
手にしたコーヒーを、ぐっ、と飲み干したとき。
――カラン、コロン、カララン。
澄んだ鈴の音が、薄明るい店内に響いた。一人、男の客が入ってくる。
「ジャマするぞ」
背の高い、青空の髪と瞳を持つ、二枚目の男だ。黒衣のロングコートを着て、足は膝下まである濃紺のブーツを履いている。腰元には一振りの長剣をたずさえていた。
「相変わらず仕事熱心だな、ジーク」
「……エリオット」
「なんだ? 嫌そうな顔をされる覚えはないぞ」
「表の看板が見えなかったのか。店はとっくに閉まってんだよ」
「そうか。暗くて分からなかった」
さらりと見栄えのいい顔が笑う。
エリオットと呼ばれた客は、木目の床を進み、客用の椅子へと腰かけた。
「仕事熱心なおまえに、いい話を持ってきたぞ」
「頼んでねぇ」
「頼まれた覚えはないさ」
「なら帰れ、今は面倒事を聞いてる暇はねぇよ」
「鑑定中か。相変わらず、面倒な【属性】が付与されたアイテムが並んでるな」
エリオットが、先ほどまでジークハルトが鑑定した指輪を取りあげる。
宝石から赤い【霧】が立ち込めた。再び人間の腕が伸び、エリオットの手に食らいつかんと迫るも、
『――【呪】を知る我、命ず。<< 解除・ 属性付与 >> 』
ささやくと、赤い【霧】は弾かれたように消えてしまう。続けて、その他のアイテムにも手を添えて、同じ言葉を告げていく。
「ふん。【魔】が外れたら、ただの粗悪な指輪だな」
「俺が預かってる商品に勝手な真似してんじゃねぇよ」
「べつにいいだろ。持ち手に害意を与える【属性】が付与された『呪い物』を、好んで引き取るやつもいまい」
「それもそうだな。おい、エリオット。ここらのアイテム全部【解除】しやがれ」
「なんだと貴様。こっちは客だぞ」
「うるせぇ。やれ」
この世界に満ちた【魔】と呼ばれる力。
万物、ありとあらゆる【属性】のイメージに、別のイメージを付与し、本質を操作、または変貌する力。
【魔】が秘められた有用なアイテムは、人々から <アーティファクト> と呼ばれ、そうでないものは「呪い物」などと呼ばれていた。
「まったく人使いの荒い……」
エリオットは愚痴をこぼしながらも、素直に呪いを解いていく。
黒い水晶のネックレスと、さらに『カタカタ鎖帷子』を黙らせたところで、
「――さて、後はそのナイフか?」
残るのは、革の鞘に入っていた短刀だ。
手を伸ばすと、先にジークハルトが取りあげた。
「こいつは必要ない。今朝、俺が市場で買いとってきたもんだ」
抜き放てば、黒い刀身が現れる。
ジークハルトの片眼鏡越し、刀身の中央に【歪んだ渦】が見え隠れする。エリオットの口元からも「ふむ」と声があがる。
「いっぱしの冒険者なら、そいつに秘められた【魔】に警戒しそうだが」
「単なる『呪い物』と、純度のいい【魔石】の違いが見抜けなけりゃ、鑑定士なんざやってねぇよ。おそらく、これを作った職人はよっぽどの腕利きだぜ」
「何故わかる?」
「本体に、一切の刃こぼれも血の跡もついてねぇ。――鞘は使い古された感があるのに、刀身が真新しいってのは妙だろ」
「そうか? 普通に研いだんじゃないか?」
ジークハルトが首を振る。
「この『いかにも怪しいです』って刃を研いだとすれば、普通に実用性があるってことだ。それに、もう一つの可能性があるだろ。このナイフがそもそも『直接斬りつける用途に使われてなかった』ってな」
「なるほど」
エリオットが、会得の言ったという感じに頷いた。
「特定の【魔】を発動させるべく作られた、触媒用の 『クリスナイフ』 か」
「そういうこった。片眼鏡で鞘の方も見たら、そっちにも【魔】の反応があったんでな。特別な【魔石】は、作り手の意識で、姿も、形も、色も変える。だが【本質】を見抜く片眼鏡と、質量だけは誤魔化せねぇ」
片眼鏡を載せたジークハルトの瞳が、ナイフの鞘を見据える。一見して動物の革に見えるそれは、刀身と同じ、漆黒の色合いを映し出していた。
「鞘、刀身、握り手に至るまで、すべてが【魔石】で出来てやがる。革の鞘を手にしたときの重さによる違和感と、抜き身にした時の真っ黒な刀身のせいで、呪われてるように勘違いするんだろうな」
「――見事な鑑定だ。いくらだった?」
「銀貨一枚」
ジークハルトがすかさず答えると、エリオットが噴き出した。
「いい買い物をしたなぁ。金塊に等しいお宝を、銀貨一枚で買い取ったか」
「宝が腐ってんのを回収して何が悪い?」
エリオットが、くっくっと、心底楽しそうに笑う。端正な表情を緩め、口端を吊りあげる。
「たいした奴だ。やはり、場末の自由鑑定士にしておくには惜しい」
「そいつはどうも」
「よし、そろそろ仕事の本題に入るか」
「うるせぇ、引き受けねぇって言ってんだろが」
「人に解呪を任せておいて、それはないだろう。いいから話だけでも聞いてくれ」
微妙に下手になりはじめた。
「今回の仕事は王城から来たものだ。もう一度言うが、損は無いぞ」
「……城からの依頼? 危険はねぇのか」
「当然ある」
「帰れ。死ね」
ジークハルトが心底嫌そうな顔をする。ナイフを引っ込め、睨みつけた。
「場末の鑑定士の店に、厄介な依頼持ってくんじゃねぇ。テメェんとこの『ギルド』で片しとけ」
「ウチは隠密行動に向いてる人材が少なくてな。できれば、あまり顔が知れてない奴で、なおかつ腕利きが好ましいわけだ。なっ、頼む、ジークハルト」
「うるせぇ。つーか、なんで王城から仕事預かってくんだよ。テメェは元々、ただの冒険者だろうがよ」
「ふっ。それだけ、この俺の名が売れてきたということだなっ」
「アホが」
「なんだと」
「良いように使われてるだけだぜ」
ジークハルトは、そっと腹部を抑える。
じわっと、わずかに古傷が痛んだような顔をした。
「悪いが、帰ってくれ。俺は、貴族の犬になるのはごめんだ」
本気で苛立つ言葉を耳にすれど、エリオットは引き下がらなかった。
「便利屋のように使われることに辟易してるなら謝る。だが事実、お前の力が一番高いと確信している。それに俺は、信頼を切り捨てるようなバカとは違うぞ」
懐から小さな袋を取りだし、放り投げる。
中に詰まっていた金貨が、机の上に広がった。
「前金でニ十万だ。質素に暮らしていれば、三月は食っていけるだろ?」
「だから……」
眉間に指を添え、ジークハルトは、深々とため息をこぼす。
「俺は、只の鑑定士だって、言ってるだろうが」
「謙遜するな。鑑定だけじゃないだろう。鍵開け、罠外し、古代知識に、異国の言語。ついでに薬物調合とかな。おまえなら、今でも一流の冒険者としてやっていけるさ」
「引退済みだってんだよ」
市場価値の高い金貨を取りあげ、指で弾く。
手に落とし、純度を確かめるように軽く噛んだ。
「……ま、金に貴賎はねぇ、か」
「その通り」
「一万上乗せで話ぐらいは聞いてやる」
「そうこないとな」
エリオットが平然と、新しい袋を取りだし乗せた。そして、真顔になる。
「事のはじまりは先週だ。南西にある森で起きた噂は聞いてるか?」
「知らねぇよ。ここから南西の森っつーと……」
「【魔】に優れた、『エルフ』の一族が住んでる森だ」
言葉をひとつ区切る。
「先週から、エルフ族との連絡が途絶えているそうだ。おかげで、連中の森から取れるアイテムの流通が無くなり、王城は大騒ぎらしいぞ」
「そのアイテムってのは?」
「 <森の霊薬> だ。消費した【魔】を回復させる、飲み薬だな」
「あぁ……。王城が販売を独占してるアイテムか」
「そうだ。そのアイテムの流通も途切れている。エルフ族はおそらく、ほとんどが死に絶えたという見方になっているらしい」
へぇ。
ジークハルトは、どこか気のない様子で返事をした。
「それでだ。この街で、明日の夜に盗品が流される情報を掴んだのが、つい昨日だ」
「盗品?」
「エルフ族の <アーティファクト> が売りに出されるらしい。売り場に潜り込めば、一族が滅びた元凶が掴めるかもしれん」
「流してる連中の正体は分かってんのか?」
「確証はないが、十中八九、この国の貴族だ」
「あー、腐ってんな」
唾を吐き捨てるように告げ、後ろ髪をかいた。
「自分らの不始末が処理できず、テメェのギルドに依頼が来たわけだ」
「そういうことだ。腐った貴族の連中に、一泡吹かせてやるのも面白そうだと思わんか?」
「……悪くねぇな」
ジークハルトが応じれば、蒼の双眸が深く頷いた。さらに、懐から一つの仮面を取りだして置く。顔の上半分を覆う、目と口元のところだけ開かれた、白いオペラマスクだ。
「なんだそりゃ?」
「これが、売り場に行くための招待状らしい。手にとって見てくれ」
ジークハルトは片眼鏡を装着し、受け取った仮面を観察した。額に触れるところを撫で、表情を歪める。
「気づいたか?」
「……詳細は分からねぇが、わずかに【魔】を感じる。催眠系か?」
「恐らく。内側に己を驕らせる【属性】が籠められているはずだ。あとは……」
少し言葉を濁して告げた。
「オークションの客は、男に限定するらしい」
「それがどうかしたのか?」
「確証はないが、エルフの生き残りが売りに出されるらしい」
「クソだな」
「同感だ。さて、そろそろ返事を決めてもらえるか?」
「あぁ」
ジークハルトが片眼鏡を外す。茶の短髪と同じ瞳を閉じ、思案に耽る。
壁際に置かれた棚上。時計の秒針が一週した。
「――いいぜ、引き受けてやるよ」