異形の【魔物】
機工人形の一声で、迷宮が震えた。ジークハルトの片眼鏡ごしに【不可視の刃】が飛ぶイメージが写る。その刃は、迷宮の壁面に突き刺さり、激しく奇妙な音を響かせ突き進んだ。その音を耳にして、
「か、壁が壊れて……っていうか、破 れ て る ッ !?」
自らの発した言葉にすら疑念を抱くように、ロゼは信じられないという様に頭を振るう。
それはまるで、圧倒的な力を持つ巨人が『壁という名の紙切れ』を摘んで、無理やりに引き千切っていく様だった。
続けて『普通の轟音』が響きわたる。ロゼが瞬き一つをする間に、硬質であったはずの壁面は、あまりにもたやすく瓦礫へと変わっていた。
「無茶苦茶だな、なんだありゃ」
「まったくだ。思ったより厄介だぞ」
【歪】を超え、軽い足音が立つ。エリオットが二人の前に戻っていた。軽く一息ついて、長剣を一度払う姿を見て、すかさず嫌味が飛ぶ。
「エリオット。ちったぁ働け」
「おい、人がまるで【無職】のような言い回しをするんじゃない」
「黙れ役立たず」
「なんだと」
「いいか、敵にトドメをさせねぇ前衛なんざ、はっきり言ってゴミ以下だぜ」
「仕方あるまい。まさか、中枢回路のコアと <魔剣> を繋げていたとは知れんさ」
「……は? なんだって?」
聞くと、エリオットは「なんと言えばいいかなぁ」と、呑気に考えてみせる。
「つまりだな。あの機工人形は【自動的】に制御されている」
「機工人形ってのは、そういうもんだろ?」
「いや、本来ならば思考及び、行動パターンの判断ができるよう、自我・自立に関する【属性】がある程度付与されるんだが。あれには一切付与されていないようだ。その代わり、機工人形の司令塔が <魔剣> になっているのか、ある意味で戦闘に特化されている」
「分かるように言えよ、ゴミクズ剣士」
「訂正しろ貴様。とにかく、俺たちが戦っているアレは、<魔剣> 専用の担い手だと思え。攻撃判定を <魔剣> が瞬時に判断し、その箇所に機工人形を導いている。そこに、戦闘の技量や、力量関係などは一切必要ない。【次元】が断絶されて、攻撃が届かないわけだからな」
「じゃ、じゃあ、さっきの一撃はなんだったんですかっ、役立たずのエリオット様ッ!?」
ロゼが口を挟む。その形容詞があまりにも自然だったので、
「おそらくは <魔剣> が示した攻撃判定の【次元】を一つ下げ、質量を持つ対象をすべて切り裂いて――――」
自然に応えてしまっていた。直後に、ひょいひょいと手を招いて見せながら言う。
「まぁまぁ、ちょっと待たんか貴様ら。俺だって頑張ったろ? 見てたろ?」
「及第点以下の常套句だな」
「もっと頑張ってくださいっ!」
「……若人め……っ!」
ふぅ、と妙に疲れた感じのため息。
「なぜだろう、むしょうに酒が飲みたくなってきた」
「一人で飲んで酔い潰れて死んでろ。で、どうすんだ?」
「うむ。実に困った」
さらりと言った。ジークハルトもまた、ため息をこぼし、
「仕方ねぇ。打つ手が無いなら逃げるぞ」
「むっ! つまらんことを言うな。せっかくこうしてお目にかかれたのだぞ!」
「うるせぇ。脳筋は黙ってろ」
「誰が脳筋だ貴様。俺とて毎日、書類仕事に追われて頭を動かして――」
「ケンカは後にしてくださいッ!! 相手がこちらを見ましたよッ!!」
ロゼの言った通り、機工人形が三人の様子を眺めていた。ゆっくりと剣を下ろし、最初の状態で、感情の窺えない瞳を向けている。
「……戦闘を続行しますか?」
『…………』
しん、と言葉の交わされない時間が過ぎる。ヘタなことを告げれば、再び攻撃をしてくるかと身構える。
「あぁくそ、貴様が正々堂々と戦わんからだぞ……」
誰にともなくぼやき、端正な顔をした男が、懐から黄金色に輝く指輪を取りだす。そしてのんびりとした口調とは裏腹に、笑みを消した鋭い目配せで二人を見やる。
「ジーク。ロゼを連れて離れていろ。一気に片付ける」
「……戦闘続行と判断。カウントを開始します。【10】…………」
エリオットが手にした指輪を通そうとした時。
「待って!」
ロゼが正面に立ち、両手を広げた。
「こちらから攻撃したことは謝りますっ! でも、少しだけ話を聞いてくれませんかっ!」
「おい、ロゼ?」
「エリオット様は少し黙っててください」
ずばっと言って退ける。獅子と同じ色の瞳が、亀裂の入った穴の向こうにいる、機工人形をしっかりと見据える。
「貴女の目的がなんなのか、私たちは知りません。貴女が言いたくないのであれば、ひとまずはそれで構いません。でも、私は出来ることなら、貴女と話し合いたい。せめて迷宮を移動している理由だけでも答えてくれるわけにはいきませんか。そうすれば私たちは戦わずして済むかもしれないっ!」
その問いかけに、機工人形は返答をしなかった。が、数えていた秒読みも停止した。
互いを見る。その距離は数えて十歩あるかという程度。途中には巨大な亀裂が広がってはいるが、無理に飛び越えられないほどでもない。さらに【時空】の歪はそのまま。
「――あなたにも、なにか、理由があるんじゃないでしょうか。それが悪しきことでなければ、私たちにもお手伝いできるかもしれない。私は、ただ、貴女がその剣を持って、迷宮の上層部で働いている方々に危害を加えるかもしれないと思ったから、止めに来たんです」
機工人形は、ぱち、ぱち、と瞬きをした。
「貴女が、地上に住む魔都の人たちに危害を加えるのであれば、私は戦います。でも、そうでなければ、まずは話をして頂けませんか?」
「…………あなたは、」
機工人形は、中途半端に口を開いたまま、しばらく動かなかった。
なにかを逡巡するように小首を傾げてから、言った。
「……あなたは、この上に住む、人間ですか?」
「そうです」
「名前は?」
「ローゼ・フォン・ハーツです」
「了解。ローゼ・フォン・ハーツ。貴女は、おいくつですか」
「……えっ?」
「年齢です。貴女の歳、です」
「? じゅ、十四ですけど……」
「了解。判断します。少しお待ちください」
「な、なにを判断するんですか?」
「判断中です」
オウムのように繰り返したきり、機工人形は何も答えずに押し黙った。
「えーと、あの、どうしましょう……?」
「さてなぁ。俺はどうやら役立たずのようなので、そこの若い鑑定士にでも尋ねたらどうだ」
「テメェは本当に面倒くせぇな」
さすがに呆れたように両肩を落としかけた、その時だ。
キ、ギギ、キ、ィ、ッ 。 !
金属が擦り切れるような音が、迷宮内を反響した。
「えっ」と声を漏らし、ロゼが周囲を見る。対照的に、エリオットとジークハルトは一瞬で反応していた。
「ったく、間が悪ぃんだよ」
「これだけ暴れていれば仕方あるまい――が……」
カ、シン、カキン、カシン、。
背後。闇の先より、それは来た。
【光】を飛ばして照らす。
「やっぱ【下層】の連中かよ。破壊された昇降機のところを伝ってきやがったのか」
「妙だな。最近はこの辺りも比較的安全だと見ていたが。すまないな、迂闊だった」
「詫びの言葉なんざ後でいい」
細長く鋭利な爪先が蜘蛛のように六足。歩く度に、カキ、カキンと硬質な音が響く。
一体、二体、と姿を現す。
「あ、れは……」
「座学で習ってんだろ。【魔物】だよ」
人でも動物でもない生命。
亜人ともまた違う。正真正銘、迷宮の奥底にしか住まわない、バケモノだ。
「……キ、キキ、グ、キキ、ギ……ッ!」
体躯となる中央には、爛々とかがやく緋い瞳と、鋭く尖った長い牙。牙は常に擦りあい、嫌悪感を増長する不協和音を際立てる。さらに威嚇するように、先端が棘となった尾が振りまわる。巨大な蜘蛛と蠍を組み合わせたような生き物が、背後の通路から数体押し寄せた。
「あ、あのっ! 【魔物】は基本、単独行動するのだと習いましたっ! 同じ種族でも共食いしてるからって!」
「基本そうだったら、例外が一切無いとか思ってんのか」
「だ、だって!」
「おいエリオット。潮時だ。俺はこのバカを連れて帰るぞ」
「バ、バカじゃないですってばっ!」
「致し方ないか。ジーク、退路を塞いでいる三体、任せられるか」
「十分だ」
「あ、あのっ、まだ、機工人形の返事が。あと私、バカじゃ……っ!」
「黙れ」
言い切られ、ロゼに苦痛の色合いが浮かぶ。全身の震えが大きくなった様子を見て、互いに失言だったという表情を浮かべる。
カキ、カキン。
その間にも、進化の論理から外れた怪物が三人を挟撃するかたちで迫り来る。
倒して進まねば道がない。
「悪かった。やっぱ連れて来るべきじゃなかったな」
「い、いえ……」
「だから、誓っとく」
「えっ」
「アイツの形見には、指一本触れさせねぇ。その代わり、少しだけ援護を頼む」
言って、赤い髪に手を乗せた。不器用に、ほんの少し笑んでみる。
「できるか?」
「……ぁ、はい……」
こくんと、ロゼも素直に応じた。ジークハルトが「よし」と呟いたのをきっかけに、息を一つ吸いこみ、すぐに表情を結ぶ。
赤い【魔石】が乗った杖を構える。
ジークハルトもまた、腰に帯びた短刀を抜き放った。
【魔物】との距離が詰まる。移動を止め、身を低くしていた。鋼の色に似た尾を、ひゅぅるり、ひゅぅるりと回す。見た目はおぞましく、さらには威嚇をしてきている相手に対し、笑みの色が変わっていた。
懐かしいな、と。ここにいない誰かに呟くように、
『――【炎】と【風】。すべてを知る我、命ず。<双刃・双脚に力を宿せッ> !!』
呼応する。一対の短剣それぞれに【炎】を帯び、威嚇するように、火花を散らす。
呼応する。一対の具足それぞれに【風】を帯び、硬質な床を蹴り、爆ぜるように跳ぶ。
間合いが一瞬で詰まり、一体の中央、緋い瞳のそれぞれに貫き通し、抉り、
「【爆ぜろ】」
内側から燃焼。緑の血液を伴い抜き放つ。
ギチ、ギチ、ギチッ!
捌の一体が、槍の穂先を突くように尾を伸ばす。
右の剣先で反らし、左の剣で斬り飛ばす。
緑色の液体が散る。肌に触れないように大きく避ける。
退路となるそこに残る一体。距離がある。
「ロゼッ!」
「――【炎】を知る我、命ず!」
手にした杖の先、【赤の魔石】に光が集い、
「<炎球よ生じ、異形なるモノを焼き払えッ!> 』
呼応する。
ロゼが手にした杖の先端より、竜が吐きこぼしたような【炎球】が飛ぶ。
命じた通りに、ジークハルトの脇を逸れ、鋭い尾を翻していた異形の体を包み込んだ。
だが火力が弱い。吼え狂ったように奇怪な悲鳴をあげ、ロゼの方へと突き進みかけたその前に、直接投げられた短刀が貫いた。【風】で強化した脚力で一息に飛び、残る一刀でトドメを刺す。
「ロゼ!」
「は、はいっ!」
動かぬ屍となった【魔物】の間を怯えながらも駆け抜ける。エリオットもまた、機工人形の一挙一種を見やりつつ引く。
迷宮に踏み入れた時とは逆、出口に向かいジークハルトが先頭、エリオットがしんがりを努めて駆ける。間に挟まれたロゼが杖を握った手を伸ばす。
『――【光】を知る我、命ず! <光球生じて、道行く先を照らし出せ!> 』
呼応し、杖の先から明るい掌サイズの【光球】が飛んでいく。
三人を先導するように飛んだ先より、カキ、カキン、と地を踏みしめる脚音が届いた。
予想通り、機能しなくなった昇降機の内壁を伝い上ってくる【魔物】が見えた。
そして、さらに上層へと続く道の途中、暗褐色のローブを纏った、性別・素性の知れない存在が一人いた。右手に、ロゼと同じような杖を持っているが、そこにはめ込まれた【魔石】は見当たらない。
「冒険者……?」
「いや」
ロゼがそう囁いた時、ジークハルトは片手を伸ばして制した。自らも止まる。
勘だった。
本日二度目の、喜ばしくない勘だった。
「――これは僥倖。 <魔剣> のみならず、<指輪> まで存在するとは。ボクは運がいい」
正面より、若い男の声が朗々と響く。どこか謡うような声でもあった。
「キミ達に告げる。その命惜しくば、」
「うるせぇ退け」
躊躇しなかった。口上を告げる男の言葉を切るように、ジークハルトは【風】を纏った投げナイフを掴み投擲。
投げた一刀は威嚇。頬を掠めるように飛び、後ろの壁面に突き刺さる。
「……何をした。そこの下等種族が一」
「腹が立っただけだ」
「そうか」
ガンッ!
苛立ったように足元の床を、手にしていた杖で叩く。
昇降機より現れていた一体の【魔物】が、ぴくりと反応する。ジークハルト達に向き直り、歩みを速める。ジークハルトが一対の短刀を構えれば、その前にエリオットが立つ。
「【魔】を使いすぎだ。下がってろ」
地を蹴り、間合いを詰める。
尾撃を避け、長剣の一閃のみで鮮やかに撃退。
どこかしら「面目躍如だな」と言った顔で、自己満足気に頷いた時だった。
「愚かしき下等種らが二」
すぅっ……と、手を伸ばす。その際に、ふわと被っていたフードが後ろに落ちた。
黒髪黒瞳。女性にも見違えそうな顔立ち。瞳の上には、シンプルなサイズの両眼鏡。口元には色濃い愉悦が浮きあがる。その手に携えし物が、絶対的な威光を放つ、他者を貶めるに通じる絶大な自信の泉に通じているというように、厳かに言霊を謡う。
『――我は魂の奏者なり。 <魔杖イグドラシル> に命ず。
狭間の彼方より此処に集いて、彼の存在らを【蘇生】せしめよ』