魔都の「姫君」
職人街の一角に、古代アイテムの鑑定店がある。
場末とも呼べる場所にある店内では、一心に亭主の帰りを待ちつづける女性がいた。
「……おなか、すいたでぅ~……」
突っ伏した作業机の上には、ごちゃごちゃと、鑑定を依頼されていたらしいアイテムが並ぶ。それらに加え、作業用の精密ネジ回し、小型のハンマー、散らばったメモ用紙などが机の上に広がっていた。
「ジークー、早く帰ってきてぇ……」
顔だけ持ちあげて切なそうに呟けば、お腹が「ぐぅー」と鳴いた。
「もう一歩も動けまへんで……」
細長い睫の下、紺碧の瞳が潤んでいた。すらりと整った鼻梁と細まった唇。肌の色はミルクと蜂蜜を混ぜたようにすべらかで白い。耳に下げた涙滴型のイヤリングは、彼女の長い耳を隠している。
「はうぅぅぅー……」
太陽の兆しのように輝く金髪は、今は花模様のシニョンで結い上げられている。ただし、女神の如き容姿と程遠いその服装。大きなポケットのついた、やぼったい青の作業着を着て、だらーんと机上に垂れていた。
「奥さん、お腹空いて死んじゃいまう……」
ぐぅ~ぐぅ~と、腹の虫が鳴りまくる。
「うっ、うっ、はううぅん……」
泣きが入りはじめたところで、表玄関の鈴が、カラン、コロンと鳴り響いた。扉を開けて入ってきたのは、店の主である青年だ。二人の顔に対極的な表情が浮かぶ。
「ジーク!」
「リアン。お前はまた、こんなに散らかしやがって」
「おかえりっ!」
しかしそれでも、ぱたぱた子犬のように駆けてくる体に抱きしめられると、
「……ただいま」
ほんの少し、幸せそうな顔を浮かべてみせた。
昼食は、パンとソーセージ、別皿には、コーンと野菜の付け合せが乗っていた。
二人は席についた後、瞑目し、手を合わせて祈った。
「――」
言葉はない。
ジークハルトは祈る神を知らない。むしろ、そんな存在はいないのだということを信じている。それでも犠牲になった食物には感謝の意を捧げてもいいだろうと、そんな風に思い始めたのは最近だった。
「食うか」
「うん!」
祈る神はいなくとも、生きていくことは出来る。
パリッと、ソーセージの皮が千切れるいい音がして、リアンがほくほく顔で告げてくる。
「おいひ~」
「そうか」
ジークハルトもそれだけ言って、手を運ぶ。
「ねねっ、ジーク」
「ん?」
「今日は遅かったけど、がっこーの方でなにかあった?」
「あぁ。エリオットとフィノが来ていてな。仕事を一つ頼まれた」
「わっ、いーなー。どんなお仕事?」
「あまり良くねぇぞ。機工人形の探索と鑑定だ」
「……おーとまたー?」
はぐはぐと、ウサギのようにレタスを齧っていたリアンの手が止まり、ジークハルトが応える。
「古代に作られた自立兵器だ。迷宮内で起動したものが一体、徘徊してるらしい。それを、なんとかしてこいってよ」
「えっ、じゃあ、迷宮に入るの?」
リアンの瞳に不安がさした。
「やだ。ジーク、行かないで」
「入るのはそんなに奥じゃねぇから大丈夫だ」
「でも……」
「エリオットと、それから仲間も連れて来るらしいしな。それに、迷宮がどう変わったのか、俺も少し興味がある。留守の間は、フィノに滞在してもらうから安心して待ってろ」
「うぅ……」
複雑そうな顔をする。離れ難い気持ちを訴えるように告げた。
「……危なくなったらすぐに帰ってきて、ね?」
「わかってる」
言葉を返すと、ふと安堵した笑みが届く。続けて、押し殺していたらしい持ち前の興味心を、そわそわと覗かせていた。
「そいで、機工人形の鑑定って、なにを鑑定すうの?」
「あぁ。正確にはそいつが装備している、剣が問題らしい」
「剣?」
小首を傾げてみせるリアンに、ジークハルトは応えた。
「<魔剣> だって噂だ」
「それなに?」
「まだ知らなかったか?」
「うん。フツーに【魔】を【属性付与】した剣じゃないの?」
「若干違うな。――この魔都では基本的に、【魔】が付与されたアイテムで、使い手にとって有用な物は <アーティファクト> 反対にマイナスの効果を付与するアイテムは『呪い物』と呼ばれるのは、もう知ってるな?」
「基本はどっちも同じ、『付与師』が付与したアイテムだよね」
「そうだ。だが例外がある」
「例外?」
「概念を超越した、唯一無二の品だ」
「がいねんを、ちょーえつ?」
「たとえば、そうだな」
ジークハルトが切り分けた林檎を手にとり、口元に運んだ。しゃりっと、音を立てて食むと、リアンも一つ手にとって、しゃりしゃり幸せそうに食べていく。
「リアン、今食べた林檎。【時空転移】を唱えて元に戻せるか?」
「へう?」
「お前は【魔】のリソースがあれば、物体の時間軸を変動できるだろ」
「あい、できまう。でも、このリンゴはできまへん」
「どうしてだ?」
「だって、食べちゃったもん♪」
ごっくん。咀嚼したリンゴを飲み干した。手元にはまだ、半分になったリンゴが残る。
「リンゴ自体の時間は巻き戻せうけど、二つに分かれた物は戻んない。元々が一つだったから。私がそーいう風に認識してうから。――なくなった命を戻せないのと一緒でう。【時間】と【命】の存在は、似て非なるもの、だから」
最後の言葉を紡いだとき、リアンは少し寂しげだった。
ジークハルトも、ほんの少し苦笑する。
「まぁ、言い換えるとだ。世界にある常識的な概念すらも無視できる、【万能】の力を秘めた代物が存在するってわけだ」
「えっ、じゃあ、人が生き返っちゃったりしちゃうの?」
「可能だ。古代都市には【蘇生】の概念を付与した <魔杖> ってのもあったらしいぞ」
「本当に?」
「あながち嘘じゃ無いかもしれねぇがな。期待はすんな」
「――うん」
リアンは、またしても寂しげに笑う。
その言葉の向こうにある意図は、知っているよという風に。
「ねぇ、ジーク。<魔剣> ってどんな効果なの?」
「聞いた話だが、【次元】の属性が付与されてるらしい。剣には、常に別世界の時間が流れているから【消耗しない】特製を持つ」
「へぇ~。でもでも、それってちゃんと斬れうの? うぅん、手で持てう?」
「察しがいいな」
ジークハルトが口元を緩める。
「<魔剣> には独自の【時間概念】が流れている。故に他【次元】に一切の干渉が行えず、同時に他からの影響を受けることもない。はずなんだがな」
「うんうん」
「この <魔剣> の属性は、衝撃の際にだけ発動するらしい」
「どーいうこと?」
「つまり衝撃時のみ【次元】を変化して、瞬時にすべての【属性】を切り裂き、同時に外敵からの攻撃、及びすべての影響を防ぐ。東洋の国に、最強の矛、最強の盾って話があるが、正にそれだ」
さて、語り終えたぞとばかりに、ジークハルトはコーヒーの入ったマグを傾ける。
それを眺めていたリアンが、ぽつりと言った。
「……ずるくない?」