教訓:明日へ進むため、貯金は少しずつ増やすこと。
エルフの森にある泉は枯れてしまった。
魔都ルーインにそびえる王城は、大きな収入源であった <精霊の霊薬> の原水を、未来永劫うしなった。今後は現状の技術で作りあげた代用アイテムの、さらなる改良に力を注ぐと結んだ。また、その研究者たる専門知識の深い職人の募集を募るとのことだ。
エルフの民が死滅した元凶は、王城が伝えたところによると、亜人とそれを操作した術者によるものだと伝えられた。
また、騎士団の内部体制がいくらか変わり、内部の密告者によると、騎士団長の「レンデル」が主犯であるような事も伝えられたそうだが、本人の遺体と、部下たちの行方が知れぬことから、その詳細は知れない。
新しい騎士団長と、執政の一部を握る者としては、冒険者で名を広めた <剣聖> エリオット・ニーベルンが就任。彼は旧来の風土を大きく崩し、今後は冒険者と共に、迷宮の深淵へ向かう者たちを支える制度を作ることを約束した。
さらに今後は『ギルド・マーケット』も改革し、従来の職人の制度も変えことを発表した。
「名のある職人たちは、その過去に関わらず、現状の能力を正しく評価されるべきだ。ゆくゆくは、そのための後継者を育てやすい制度も作りあげ、職人たちは自由に店を構えてよい政策へと移行する」
エリオットはそう発信し、最初の手始めとして、職人を育成するための『公開講座』を試験的に実施した。
反響は大きかった。あっという間に、王宮に住まう正規の職人たちだけでは、教師役の手が足りなくなった。そしてここぞとばかりに、エリオットは動いた。
「――皆様、場末の職人にも、やたらと腕のいい連中がいるんですよ、まぁ、最初は、そうですね。これぐらい、の値段で雇ってみては如何でしょう」
エリオットが言って、一枚の紙片を提示する。
王城にいた老人たちはそろって頷いた。
「ほぉ、そんなに安くていいのかね?」
街には、変わらず朝日が昇っていた。
ジークハルトは、生欠伸をあげながら階段を降りた。
「ねっみぃ……」
じきに夏が来る。少し汗をかいた服を面倒に思いつつ、茶色の短髪を掻きながら、廊下を歩いた。
身だしなみを整えてから、客を迎える仕事部屋に入ると、リアンが机に突っ伏していた。美しいと評せる顔は、今はまぬけに大口を開いて、
「くにゃー」
幸せそうに、妙な音のいびきをあげていた。
部屋は壊滅的に汚かった。机の上には様々なアイテムが無造作に転がって、その惨状は床にまで広がっている。作業机の周りには足の踏み場が無い。
「くそっ」
ジークハルトは、床に落ちたアイテムを避けながら、リアンの下に辿りつく。
「おい、リアン、起きろ」
「うみゃ~……」
幸せそうに眠るアホの頭を軽く叩いた。両肩を震わせて、リーアヒルデが目を覚ます。
「……あいー……。まいどいらっさいませぇ~」
「なに言ってんだ」
「ふにゃ?」
数回瞬きした後で、ふんわり、笑顔になる。ジークハルトのことを認識したのか。両手を翼のように広げて抱きついた。頬に軽くキスをして、
「お腹すきまひたっ」
「第一声がそれか」
少し力を込めて、長い耳を引っ張りあげてやる。「ぴぃーっ!」と、ヒヨコのような声をあげて、ぐすっと泣いた。
「ひどい」
「やかましい。寝る時は、道具は片付けてから、二階で寝ろって言ってるだろうが」
「だってー、なんか最近になって、お客さん増えて忙しいんだもーん」
「……それは、まぁ、確かにな」
商売は順調だった。
客が増えると、中には弟子入りを求めてくる声もあったし、正式な『鑑定師』と『付与師』にならないかという声も増えた。しかしそのすべてを、ジークハルトは断った。
王城の貴族(エリオット含む)の言いなりになるのは癪だったし、それに弟子というのなら、既に一人いたからだ。
「忙しいのは、お前のおかげだ。あまり無理すんな」
「えへへ。ねぇ、ジーク」
「うん?」
両手が伸びてくる。微笑んで、身を寄せてくる。
「ご褒美、ちょーだい……?」
翠の瞳が閉じて、赤い唇がせまる。応えようとした時だった。
――カラン、コロン、カララン。
祝福するような鈴の音。入って来たのは、男女の二人組み。
「よぉ、ジーク。いい仕事を持ってきてやったぞ」
「あぁっ、もうっ! 朝っぱらから何やってるんですかっ! ダメですよっ、淫らなアレやコレは、せめて深夜に済ませてくださいねっ! 分かりましたかリアン様っ!」
「……フィー、空気読んでー」
褐色肌の美人メイドが、「がーん」と、衝撃を受けたような顔になる。
「リアン様に、立ち振る舞いに関して怒られたーっ!」
「これはこれは。姫君も成長されたものですね」
「えっへん!」
「……そうか?」
フィノがその場で項垂れ、エリオットが一歩前にでる。
ジークハルトは、リアンに回していた腕を外し、楽しげに笑う男を睨みつけてやる。
「仕事なら請けねぇぞ。充分、間に合ってるんでな」
「まぁそう言うな。子供ができた時のため、蓄えは少しでもあった方がいいだろう?」
「うるせぇ、帰れ」
「照れるなよ」
無視して、丸められた羊皮紙が投げられる。ジークハルトは嫌そうな顔で封を解いた。記された文字に眼を通してから、「は?」と首を傾げてみせる。
「……おい。学園の臨時講師って、なんのことだ……」
「お前が弟子入りを拒否してると聞いてな。まぁ、その気持ちはわからんでもない。だが教師で教えるならば、夫婦間の営みを維持したまま――」
「そういうのはッ! まず本人の許可を取りやがれッ!」
「ちなみに仕事は明日からだ。準備する物はそこに書いてあるからな。頑張れよ」
「テメェは昔っからそうだよなッ! 人の話を少しは聞けよッ!!」
「ははっ、お前も昔から、なんだかんだと押しに弱いからな」
「うるっせぇ!」
店内で、朝一番の、店主の罵声が響き渡った。
魔都に住む鑑定士は、今日もまた、明日にむかって生きていく。