【TRUE】
空が美しく、茜色に輝いていた。
西の尾根の向こうへ沈んでいく夕日を見あげていた。
気品は無く、ひたすらに自由で。
あの先には何があるのだろうかと想いを馳せた。街外れ、丘の上にある岩に腰をかけて、世界の先を見る。いつか、自分はあの向こうへ行けるだろうかと夢を見た。
「――ジグ。やっぱりここにいた」
振りかえると、黒髪をなびかせた少女がいた。小走りに駆けてきて、鳥のように軽々と飛び上がってみせる。彼の隣に足を乗せた。まぶしい笑顔が可愛らしかった。
「陽が暮れちゃうわよ」
「そうだな」
いつもの無骨な軽鎧ではなく、村娘が着ているような、飾り気のない平凡なエプロンをつけていた。
「家に帰りましょう」
「……」
手を取った。少女は物騒な長刀の代わりに、唐草で編んだバスケットを手に抱えている。色とりどりの明るい花束が覗き、内にある一本を手にとった。そっと、少年の鼻先に触れさせた。
「いい匂いだ」
「ふふっ、でしょう?」
少女が笑う。これからの憂いなど、なにひとつ無いように。
「帰ろう」
「えぇ、一緒に帰りましょう」
少年が、少女の手を取って立ちあがる。
短い下草を踏みつけて降りると、小さな家が見えた。
そうだった、と思う。
自分には、帰る家がある。一人じゃない。
――チク、タク、と。
【時】 が鳴っている。
気がついて、胸元の隠しポケットに手を入れる。
にぶい鎖の音を聞いた。硬質な重さが不思議と手になじみ、その重さこそが、真実であるような気がした。
「どうしたの、ジグ?」
「……あ」
少女が、バスケットを落とす。自由になった両腕を回してきた。身を寄せられるとまた、頭のなかにモヤが浮かび、時計の刻む音が遠のいた。
けれど消えてはくれない。音は、さらに大きくなって告げてくる。
『――過ぎた時は戻らないし、これからを歩んでいくのは恐ろしいけれど――』
時計の上蓋に触れる。文字盤が視界に映る。秘められた想いが、七色の虹のようにあふれ出た。キラキラと輝いて告げてくる。
『――あなたと一緒なら、怖くない――』
過ちも、後悔も、諦念さえも乗りこえて。
進みましょう。
『 ジークハルト 』
一緒に、その先へ。
「……帰らないとな」
「ジグ?」
「悪いな、レティーナ。俺の帰りを待ってる奴が、いるんだよ」
ジークハルトは言って、もうひとつ、反対の胸ポケットから小さな片眼鏡を取る。
『―― 【正しき】を知る我、命ず。<この世界の、歪みを明かせ> 』
鑑定士である男が口にしたのは、形の問わぬ概念と呼べるものだった。
答えが「ひとつ」でない、不確かなもの。質量を持たないもの。
しかし道具は、呼びかけに応じた。
片眼鏡は、授けられた具現化を力と化した。
発動する。
装備者である鑑定士の男が、心より信じる【解】を、提示する。
生じる。一点のみを指し示し、出口はそこだと告げていた。
漆黒のナイフを抜いた。
『……ジグ! やめて! ジークハルトッ!』
【水】が作りだした幻聴には、耳を傾けなかった。
力を込めて、意志を貫いた。ありし日の思い出を、過去へと押し流す。
温かく、懐かしき時間と決別する。いとおしむだけの時に、終わりを告げる。
「――ここは」
先へ続く道は汚れている。醜悪に満ちている。
正しく流れつく世界の先は、そんなところでしか、ないけれども。
「俺の帰る場所じゃぁ、ねぇんだよッ!」
自らの腹を、貫き刺す。傷口が開けた。
力さえあれば、生き抜ける世界へと帰還する。
「――ジーク、生きてるか、おい、ジークハルトッ!」
「……ぅ」
意識を深淵の底より持ちあげる。
常日頃から、厄介な仕事を持ってくる男が、そこにいた。
「……エ、リオット、?」
「おっ、生きてたか、しぶといな」
軽く言われた。しかしその表情には心底、安堵したような笑みが浮かぶ。
「王城の方は片付いた。リーアヒルデ王女もフィノに任せてきたから大丈夫だ。あとはおまえ次第だ。ジークハルト」
そうか、と言いかけ、口から大量の【水】を吐く。
「――ガッ、ハッ、ゲホッ、ゴホ、ゲ、ェ……ッッ!!」
「大丈夫か、おい!」
体がこごえるように冷たい。指先ひとつ満足に動かせない。夢から覚めるために施した傷は影響無かったが、レンデルの【氷柱】に穿たれた脇腹の怪我は、変わらずあった。
「…………ぅ……」
「くそ、まずいな。出血が止まらんか」
エリオットが焦ったように言う。
そうして、どこか、諦めたように呟いた。
「二度目だな」
黒いコートの内側に手が入り、そこから黄金の指輪が現れる。
「感謝しろよ。少年」
指輪を嵌めた手を差し伸べる。
『――【呪】を知る我、命ず。< 限界突破・逆転 > 』
唱えた。指輪を嵌めたエリオットの掌が、ジークハルトの負傷した部分に触れると、一瞬で開かれた傷口が閉じていく。身体に熱が戻ってくる。全身に感じていた疲労ですら消えていた。この場に赴く前の、万全の状態に巻き戻っていた。
「ジーク、調子はどうだ?」
「……おい、今、なにした?」
ジークハルトが起きあがれば、エリオットはあくまで、軽い調子で言ってきた。
「気にするな。おまえの時を、ほんの一日だけ、巻き戻しただけだ」
「……は?」
「代償は、大きいがな」
ジークハルトは眉をひそめた。そして、正面の男を見下ろした。
「おい、エリオット……?」
「――歳は、取りたくないもんだ、な……」
目前。男の蒼髪が白くなり、肌にシワが増えていく。
腰を曲げて、膝を曲げて、くっ、くっ、と笑う。
骨ばった右手を差し出してくる。薬指に嵌った黄金の指輪が、キラリと輝く。
「――これはな、ニーベルンゲンの指輪というのだ。所有者の願いを、【なんでもひとつ、実現させる属性】が込められておる、最上級の <アーティファクト> でなぁ……」
衰えていく。歳を重ねていく。その、あまりにも急激な変化を見届ける。
「――そのむかし、愚か者の男がいた。この世の遍く知識を、すべて己の物にしたいと願った故に、その力を他人に施さんとすれば、己に <呪い> を授けてしまうのじゃよ」
いつしか若い男は、着ているものは違えど、数年前に見知った老人へと変わっていた。
「…………ワー、グナー?」
「久しいのぅ、ジーク。元気にしとったか?」
冗談めいて「ふぉふぉ」と笑った。
老人が己の心臓に手を添えた。苦しげに呻く。
ジークハルトが咄嗟に肩を貸して、その身体を支えた。
「おぉ、すまんのぅ~」
「ふざけんな……。なにが、どうなってやがる……。おいッ!」
「質問は後じゃ。まずは【水】を精製しておる、元素装置を破壊しにいくぞ」
「は? ゲンソ……?」
「この世に、精霊や、魔という概念が生み出される前に存在しておった法測じゃよ。リーアヒルデが唱えておるのは、それらの科学式が元になっておる――まぁ、いつか解説することがあれば、また講義してやるわい」
ふぉ、ふぉ、ふぉ。
「……ワーグナー、テメェは何者なんだ?」
「ただの酒好きな物知りジジィじゃよ。よーく知っとろう?」
それから腰に帯びた長剣を、枯れ木のような手で握る。
鞘に閉ざしたまま、杖のように用いて、ジークハルトから離れて歩きだした。半ば呆然としながらも、その後ろ背を追いかける。
「……四年前、死にかけてた俺を助けたのも、あんたなのか」
「うむ。本当に、単なる気まぐれで助けてしもうた」
振りかえって、ニヤリと笑った。昔に老人がいつも被っていた帽子はない。一つに束ねた白髪が舞い、頭の両脇からは、先の尖った耳が見えていた。
「……エルフ、なのか?」
「大昔の話じゃの~。国を建てなおすため、魔術師の一員として城を出て、森に【封印】の属性を施し、泉を管理することになった一人じゃ。指輪を手に入れてからは森を出て、あっちこっちを放浪しとったがの~」
「テメェ、一体いくつだよ」
「忘れた」
あっさり言ってから、ワーグナは樹の虚の中を、奥へ、奥へと進んでいく。
そして、ふと足が止まっていた。
「アレが、【水】を生み出しておるモノだ」
「……んだよ、こりゃ」
二人の目前、無数の枝を伸ばし、大樹の空洞に根付いた灰色の <柱時計> 。
よく見れば、枝は太い血管のようでいて、循環するように鼓動し、蠢いていた。絶えず不気味な音を響かせており、二人が見上げた正面中央には、四角に切り取られた窓があった。その向こう側から、青白い光を発散させている。古代の文字が表示されていた。
【警告】コード・エラー。
「気色悪いな、これも、アイテムなのか?」
「そうじゃ。今風に言えば、【輪廻】の属性を生み出す、永久機関の <アーティファクト> かのぅ。遥かなる古代の遺物じゃよ」
「……さっぱりわかんねぇよ」
柱時計の文字盤は随所が歪み、時刻を示す針は、今にも折れてしまいそうなほど、危うげに震えていた。チグ、ダク、ヂグ、ダグ、と。不気味な音を立てて時を刻む。
突如、ブォンッ、と空気が振動した。妙に青い光が二人の目をつく。
窓の向こう側から見える文字が変化していた。
【警告】コード・エラー。
音声認識によるパスワードは入力されていますが、
リソースが不足しているために、【水】を生み出すことができません――
発せられる言葉。意味するところは、ジークハルトには分からない。しかし、それが「なにを」求めているかは、漠然と理解ができた。さらに、文字が置き変わる。
【警告】プライオリティの高い【ユニット】を、直ちに捧げてください。
古代の言語を発する柱時計が、懇願するように、発信しつづける。
【警告】プライオリティの高い【ユニット】を、直ちに捧げてください。
世界は、同じ過ちを繰りかえしてはなりません。
一人の命が、大勢の命を救います。新しい【概念】が、世界を支えます。
永遠を、輪廻を、悠久を、不変をここに。我々は提供します。
【MATERIALIZED―MANA】ここに、新しい世界を創造します。
「リアンを差し出せってか」
「そーいうこったの」
ワーグナーが、どこか寂しそうに笑った。
「繰りかえしてきたのよ。同じ事を、ずうっとな」
指先を目元に掲げて、黄金の指輪を見つめる。
「……ワシも同じじゃ。【過去】だけを望み、孤独を愛した」
指輪の表面を撫で、自嘲気味に笑った。
「いやはや、本当に歳は取りたくないのぉ」
灰色に濁った瞳が、若者を見る。
「ジークハルトよ。アレは、ワシ一人では壊せん。しかし、おまえとならば、できるやもしれん」
「手伝ってやろうか?」
「うむ。じゃが、壊せばどうなるか理解しておろう?」
「そうだな」
短く応じ、ジークハルトは懐中時計を握りしめた。
「アレが残ってる限り、リアンは未来へ進めないんだろ」
あとはもう、不敵に笑うだけだった。
未来を祈り、願い、望む。
「俺は薄汚い盗賊だ。欲しい物だけ、あればいい」
迷わなかった。疑わなかった。
「ただ、手にいれた力を誰かに貸してやってもいい。必要であれば、手を差し伸べてやってもいい。腹を空かせた奴がいれば飯を食わせてもいいし、金が無い奴がいれば施してやってもいい――たまには、だけどな」
永遠との決別を。未来への渇望を。失うことを恐れない。
先へと進む。
『――時空を知る我、命ず。』
意志は煌いた。
『 < 進め! > 』
呼応する。
ヒトの言葉が橋渡しに、道具が支えになって、【魔】を生みだす。
概念が質量を持って実体化する。
常識を超えた可能性を生み出して、さらに輝く【光】となる。
【光】は世界に満ちていく。
幾千、幾万の輝きとなって散華する。
『 < 撃ち砕け!> 』
飛翔。【光】はなびく【閃光】に。瞬く星のように宙を駆ける。
一斉に飛んでいく。まっすぐに、古来の遺物を目掛け、千変万化に爆ぜまくる!
【警告!】
柱時計の針が回った。
正しく、正しく、正しく。
ひたすらに正しく、プラスの方向へと突き進む。
【警告!】識別不能な【属性】に対応します。
【属性】の概念は【時空】の亜種と判断。
概念を圧縮後、リソースを【逆転】します。
私は、抵抗します。
私は、応えねばいけません。私を作りし存在の願いと想いに。永遠に。
針が動きを止める。ギィギィと、虫の鳴き声のような音が呼応する。
未来へ進もうとする針を押し留め、逆方向に回転をはじめる。
「往生際が悪ぃのぅ」
ワーグナーが剣を引き抜いた。正眼に構え、こちらも不敵に笑う。
「滅びようじゃないか。新しい世界に道を譲ってやるのも、我らが務めじゃろうて。ただ、それだけのことを知るのに、世界を巡り、故郷に還り、長い、長い時間をかけた」
老人とは思えぬ鋭い踏み込みが、地を削りとる。
「――もう、迷わぬ」
一閃する。勢いのある斬り込みが深々と入る。
「よきものは、より、よきものに! 世界は変わっていく!! その義務がある!!!」
剣を柱時計に突き刺したまま、【魔】を唱える。
『――【呪】を知る我、命ず! < 対象の放ちし概念を、我へと刻めッ!> 』
想いを込め、貫き通す。柱時計の一角に突き刺さった剣の刃を伝い、黒い、靄のかかった【闇】が流れこんできた。悪しきものを、自らの身体を持って食らい込むように、体の中に取り込んでいく。
「ぐっ!」
「なにやってんだっ、クソジジィ!」
「……なぁに、心配無用じゃ」
全身が影のようになったワーグナーの口元だけが、ニィと笑っていた。
そして徐々に、柱時計の内より放たれる【闇】が失せていく。
【概念消失】 起動を、停止、し、、、、、ま、、、、、、、す。
ブゥンと音をあげて、青白かった枠中の光が消えた。
人ならざる、奇妙な音もまた停止した。そして、ゆっくり、ゆっくりと。
永遠を刻む柱時計は、自壊した。
二人の目前で、積年の歴史が瓦礫と化した。
すっかり虫食い穴にされた枯木のように、乾いた骨のような音を立てて、朽ち果てた。
「……やったか……? おい、ワーグナ、そっちは――」
「ふぅ」
長剣に集われた【過去】の属性が、持ち手にその意志を還元させていた。
キィンッ、と流麗な音を立て、白銀の刃が鞘に戻る。ジークハルトに向けられた表情は、くつくつと愉快そうに笑う顔。蒼の髪と瞳を持つ、端正な顔をした若い男だ。
「やはり、こちらの方がしっくり来る」
「……おい、エリオット」
「む?」
ジークハルトは少しだけ笑った。漆黒の短剣を喉元に突きつけてやる。
「酒代のツケ、今ここで、まとめて返せ」