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アイテム鑑定士の業務内容  作者: 冴野一期
一章(前編)
14/27

【FOR LOOP】;

 翌朝に、さっそく事件は起きた。

 二階にあがって眠りなおし、ふたたび目を覚ました時だった。

「……ん?」

 焦げた匂いが鼻をついた。二日酔いに痛む頭を抑え、台所へ降りる。白いエプロンといつもの帽子を被ったリアンがいた。

「ういやゃぁーっ!」

 気合い一閃。

 手元から、ぐぉぉっ! と紅い炎が燃え上がる。フライパンに蓋を落とせば、隙間から黒い煙が立ち込めた。

「なにやってんだ……」

「あっ、ししょー、おはようございまうっ!」

「状況を説明しろ」

 ジークハルトが睨みつける。リアンが嬉しそうに言った。

「朝ごはん、作ってまう!」

「メシ……?」

「あい! ししょーのは、先に作っておきまひたっ!」

 それです、それっ。とばかりに指さした食卓の上。

 消し炭となったトースト、焦げたウインナー、ブラック目玉焼き。

 唯一に瑞々しいのは、まっぷたつにされ、じわぁ……と、汁を垂れながす、トマト。

「コレを食えってか」

「あい!」

 断言された。迷った末に、ジークハルトは消し炭トーストを口に運んだ。

「…………」

 予想通り、いや、それ以上に悲惨な味。

 消し炭特有の苦さと、妙な甘さが、口の中で絶妙にブレンドする。

 その秘訣は砂糖とハチミツである。大さじ何杯振りかけたのかしれない固まった砂糖が、口の中でゴリゴリ音を立てた。

 甘ぇ――。

 顔面が歪むのを通り超えて硬直。その口元を手で覆いかくす。正面には、なにかを期待する瞳があった。

「ど、どーでうか?」

「…………」

 おまえは俺に、この食物を練成した成果を、褒めて認めろと要求すんのか。

 ふざけるな。本当にふざけるな。

「おいしくない?」

「…………食えなくは、無い」

「えへ~」

 精一杯の譲歩だった。後は容赦しない。

「どけ。料理は俺が作る。おまえはそこで見てろ」

 ジークハルトはヘラを取り、黒こげになった玉子を退けた。新しく二つを割って、フライパンに落とす。塩とコショウを小量に振って、手早く丸め、オムレツを作っていく。

 翠の瞳がキラキラ輝いた。

「すごいでう! ししょーは、お料理もできるんだぁ!」

「お前よりはな」


 ――本日は晴天なり。

 最初、店に訪れた客は、朝食を終えて一時間ほど経った頃だ。特有の鈴の音が鳴って、店内に大男と小男のペアが踏み入る。

「兄さんよ、また来させてもらったぜ」

「ん、まだ生きてたか」

「そいつぁご挨拶だな、おい」

 二人の仕草は変わらず粗野なものだったが、その表情は、旧来の知人に会ったかのように和やかだった。

「今日はこいつを見せに来たんだ」

「おっ」

 ジークハルトは一見しただけで、小さな感嘆の声をあげていた。淡く金色に輝く宝石のブローチだ。さっそく片眼鏡をつけてみれば、輝きは増していた。

「どうだ。今回は正真正銘、中層の途中で発見したもんだ」

「当たりだな。質の良い【魔石】を加工した細工だ。職人の名も予想がつくぜ」

「一目見ただけでかよ」

「まぁな。ただ、見たところ、本来の力が若干薄れてはいるようだがな」

「あー、兄さんよ。そりゃ、付与師の修理が必要かい?」

「鑑定ついでに直していくか?」

『へ?』

 二人の表情が、そろって間が抜けた風になる。

 その言葉が意味するところは、付与師がそれだけ稀有な存在ということだった。ジークハルトが振りかえると、扉の先に、びくびくと怯えたリアンがいる。

「…………兄さんよ、あんたの子か? ちいせぇなぁ」

「違――」

「ちいさうないっ! お子さまでもないんでうーっ!」

 突然大声を出して、リアンが否定する。

「リアンは、ジークの弟子だもんっ!」

 ぷんぷん怒って、大股でやってくる。どかっと、高い位置に置かれた椅子に座り、乱暴にブローチを取りあげる。

「お、おい嬢ちゃん!」

「嬢ちゃんじゃありまへん! リアンでうっ!」

 キッと睨んだ翠色の瞳には、存外鋭い瞳の色が浮かんでいた。

 王女オーラを発散させて、そして一言「簡単っ」と告げてから、【魔】を唱えた。


 二人の職人が、一つ屋根の下で暮らした。自由(エル)鑑定士(サーズ)だけでなく、貴重な付与士(エンチャンター)の子供も現れて、しかも両人ともに腕が良い。噂は少しずつ広まって、客足は伸び、店で働く時間は増えていた。忙しい日々だったが、ジークハルトにとっては平穏な「日常」だった。

 やがて、咲き乱れていた花が枯れ落ち、雨季に入る。

 その日は、連日の雨で客足が途絶えていた。早々に店を閉め、二人の職人は作業机で手を動かしていた。

「ししょー、油とって」

「ほらよ」

 機械油を渡す。精密に計算された、真新しい時計の部品へ抽送される。

「いけそうか?」

「あい、大丈夫でう」

「それにしても、リアン、随分と器用になったな」

「ししょーのおかげー」

 垂れのついた帽子の下から、嬉しそうに、ほころぶ顔がある。

 組立作業は終わり、リアンが金色の懐中時計の蓋を閉めた。色の薄い、クリーム色の掌が、久しぶりに大きく震えているのを見る。

「動かして、いーい?」

「あぁ」

 片眼鏡をつけたジークハルトの見ている隣で、リアンがゆっくり、懐中時計のリューズを巻く。針が回って時刻をさした。


 ――カチ、コチ、カチ、コチ。


 鳴った。響く針音が小さな店内にこだました。片眼鏡を嵌めた二人の瞳には、時計から漂う【魔】の気配が、うっすら見えている。

「……でき、た?」

「よくやったな」

 リアンの頭に、ジークハルトの掌が乗せられた。短く切り揃えていた金髪は、今では首を隠すぐらいまでに伸びている。

「合格だ、付与された【属性】も問題ないみたいだな」

「あいっ!」

「こんだけ出来りゃ、魔具専用の職人を名乗っても、問題ねぇな」

「にゃあ! めずらしく褒められたぁーっ!」

 うわーいと、両手をあげる。そしてすぐ、なにかに気がついたように真顔になった。

「ししょー、もしかして、遠まわしに出ていけって言うてまう?」

「は? なんでだ」

「だって、これ卒業試験でしょ。完成しちゃったら……」

 不安そうに見あげてきた。初めて顔を合わせてから数ヶ月の間に、身長の差はいくらか縮まっていた。リアンの服装は相変わらず青い作業着だったが、胸がわずかに膨らんでいたりして、もう少年に見るのは難しい。

「安心しろ、今日、明日に追い出すような真似はしねぇよ」

「ほ、ほんろ?」

「本当だ。っていうかおまえ……。相変わらず、妙に訛るよな」

「あい、なおりまへんっ!」


 外の雨はいくらか弱くなってきたらしい。心地よい雨の音を聞きながら、屋根裏にある自分の部屋、ベッドの上で、リアンは幸せそうに転がっていた。

「えへ、えへへ、えへへへ~」

 組み立てた懐中時計の針音を聞きながら、足をパタパタ泳がせる。「それはおまえが持っていろ」と言われた時計の表面を撫でたり、キスをしたり、胸に抱いたりしながら転がっていた。

「わたし、認められたんだぁ……」

 どうしても、顔が緩んでしまう。嬉しい、嬉しいなっ、と言って転がっていると、

「はごぁ!?」

 ベッドから落ちた。それでも「にヘヘ……」と笑ってしまうのだから、もう末期だった。起きあがり、カチ、コチ、と、針が刻む音を耳にする。

「うれしいな……」

 自分が作り上げた時計を、リアンはじっと見つめていた。満面の笑みだった顔は、次第に穏やかなものから、少し辛そうな感じへ移る。

「……レティーナ。キレーな、ヒトだったなぁ……」

 一度だけ、顔を合わせたことのある女性は美しかった。

 心情を明かさない店主が、彼女の墓前にいる間はいつにも増して無言になった。何をするにも手際のいい男が、花を添えて立ち去るまでの時間は、ただ、長かった。

 トクベツな、ヒトだったんだよね。

 わたしの知らない、ジークハルトを知ってるんだよね。

 ぎゅっと。時計を抱いた。

 針音よりもゆっくり進んでいた心臓の音が、同じぐらいになり、早くなり。

「胸が痛いよ……」

 頬は赤く、早鐘のように急いた。

 自分の髪を撫でてくれた掌と言葉を思い出す。

 それは温かったけれど、きっと、特別というには至らない。

「わたしは、お客さんと同じなのかな……」

 レティーナのギルドに所属していた子供たちは、時折この店に訪れた。ジークハルトは料金を取らなかったし、また「こいつはお節介だが」などと言って、詳しい助言を述べたりもした。さらにエリオットと、そのギルドもまた、残った子供達の支援を続けた。

 そうして少なくとも、子供らが今すぐ路頭に迷うことは無くなった。

 陽が落ちれば、無事に帰れる家が残ったのだ。

「レティーナって、すごいな」

 死してなお、彼女の意志は生きている。

「生も死も、さして気品はあらず……」

 魔都の現状をあらわす、その言葉。けれど彼女の意思は、死した後も気高く在った。意思を引き継いだ者が生きてゆけば、この先、さらに変化が生じるかもしれない。

 それは、未来へ続く道だ。より良き可能性だ。

「……変わりたい……」

 ふと窓を見る。夜の窓に映ったリアンの顔は、美しくもあり、幼くもあった。

 エルフは長寿の種族だ。深い森のなかに住んでいるせいで、時間の流れに無頓着なところがある。けれどこの時ばかりは、ひどくもどかしくて、仕方が無いような顔になる。

 今すぐに、この想いが冷めてしまわぬうちに。

「……もう少しでいい」

 すぅと夜気を吸いこんだ。暖かな吐息に変えて零した。

「お願い、あのヒトの近くに在りたいの……」

 呼応する。

 精神を司る精霊と、大気の精霊が結びつく。


『――其の概念を【時空】と定義。具現化(イメージ)を喚起するは黄金、光の色』


 想像上の【属性】が生成される。物理法則と呼ばれる概念自体が、意志を持つ。

 概念が質量を手に入れる。この世界で【魔】と呼ばれる力に置き換わる。

 リアンは命じた。


『――時空を知る我、命ず。時の流れを【加速】せよ』


 魔術の完成。発動する。

 リアンの内にある【魔】を代償として、時計の内側にある【魔石】へと結びつく。

 <時計> というアイテムが持つイメージと、ヒトが願う <意志> が接続(リンク)する。

 道具は応じる。術者の、担い手の願いを叶えるべく。

 力が蓄えられるまで、 <概念質量> を一途に増した。


 < 属性(エンチ)付与(ャント)限界(オーバー)突破(ドライブ) >


 発動した【魔】は加速する。

 時計の針が狂ったように、ひたすら回る。回り続ける。

「……っ」

 キンッと甲高い音。針が振りきれた。想いの力が、古代の理論と法則の壁を超越する。

 限定的な空間のみ、光の速度を上回る。

 【時空】を歪め、新しき概念に則り、世界が変わる。

「―――ッッ!!」

 声にならない悲鳴が千切れ跳ぶ。

 リアンは、じたばた手足を動かして、もがいていた。

「ん、ん、んううううううううぅーっ!」

 高く澄み切った声。二回り小さくなった服が、とても窮屈で仕方なかったのだ。

「はうううぅ……」

 とりあえず、服をすべて脱いでみた。いつのまにか外の雨は止んでおり、窓からこもれる月明かりが、彼女の体を照らしていた。

「成功したっぽい?」

 卵の殻をやぶったばかりの雛のように、リアンは危うげに立ちあがった。

 深い森のなかでも輝きそうな、まばゆい金髪が引きあげられる。スラリと伸びた華奢な背中を覆いつくすほどに長い。

「服、先に脱いでればよかったぁ」

 リアンは脱ぎ捨てたネグリジェに一瞥くれた。いつもの、伸縮に乏しい革の作業着であれば、膨らんだ胸がつぶれていたかもしれない。それから静かに手元を見る。

「……時計、また壊れちゃった」

 ほっそりした五指と繋がった掌には、ついさっき修復したばかりの懐中時計があった。しかし針は三つとも吹き飛び、根元の部分も不安定に揺れていた。おそらく中の歯車も焼け焦げて、ショートしているだろう。

「ごめんね。またすぐに直しまう」

 静かに、ベッドの側にある棚へと乗せた。

 空いた手を自分の胸に乗せ、小さく息をこぼす。

「おみず、のまなきゃ……」

 今でも彼女のことを「リアン様」と呼んでくれる、たった一人の従者がいる。その彼女が店に訪れたときに、必ず置いていってくれる【水】を。

「【魔】が、たりない」

 求めるものは一階の居間、二人で食事をする部屋に置かれている。

 どこか虚ろに彷徨いながら。部屋から出ようとした。

「…………」

 扉のノブを掴み、なにかを想って引きかえす。ベッドのシーツを剥ぎ取って、くるくる身体に巻きつけて。

 頬にたっぷり朱を乗せて。リアンは部屋を後にした。


 ジークハルトは薄手のシャツとスボンに着替え、二階にある自室の椅子に座っていた。机には古い書物が広がっており、その内容に目を通していく。

 すべてに理解は及ばなかったが、ある程度予測のつく箇所は、別の羊皮紙に羽ペンを走らせる。びっしりと、紙面に隙間なく文字が覆われたところで一息ついた。

「こんなもんだな、そろそろ寝るか」

 ペンをインク壷に置いた。ジークハルトを淡く照らすのは、机の端に置かれた【火の属性】を揺らめかせる燭台だ。それが不意に、大きく左右に揺れ動いた。

「ん?」

 ふと天井を見上げる。階段を降りてくる足音が聞こえる。

「リアンか。喉でも渇いたのか」

 安易にそう呟いて。本を閉じ、目を閉ざしてから燭代の【火】を吹き消した。闇に目を慣らしておくのは、もはや馴染んだ習慣だった。その直後に、

『ジーク』

 扉の先から声がした。

『……ねぇ、入っても、いい?』

「どうした?」

 少しの間。躊躇するように、ゆっくり扉が開いた。

 現れたのは、南西の森に住んでいた、エルフ族の生き残り。

「……リアン?」

「うん」

 美姫、リーアヒルデ王女だった。絶世の美貌が、薄いベッドシーツだけを身体に巻きつけて、歩みを進めてくる。さすがに驚き、目を見開いた。椅子から立ちあがる。

 ジークハルトの胸元に届くかといった程度の背丈が、今は、さほど変わらないところまで伸びていた。

「―――ジーク」

 妖艶に。女の気配を漂わせ、微笑んだ。

 両手を伸ばす。しなやかな、柔らかい肢体を持って抱きついた。

「おまえ、その身体どうし、」

「抱いてください、な」

 言葉の途中で、唇を重ねてきた。揺れる。ベッドの中に落ちていく。

「ん……っ」

 身体を申しわけない程度に覆っていたシーツが、そっと床に落ちていく。

「ばっ、離せっ!」

 ジークハルトが抵抗する。抱きつくも、所詮は女の細腕だった。両の手首は抑えられ、成熟した身体は逆に倒される。ギシッと音を立ててベッドが軋む。

 職人の頬に、姫君の細い五指が添えられる。

「……して、くれる?」

「ッ! なんだかよく分からんがっ、とりあえず服を着ろっ!」

「やだぁ……」

 蕩けたような声がきた。

 甘い、ミルクをたっぷり孕んだ紅茶のような裸体から、目を逸らした瞬間だった。

 リーアヒルデが枷から外れ、もう一度、抱きついた。

「喉が渇いたの。ジークが欲しい」

 背中に両手を回し、朱色に染まった頬が寄せられる。暗がりの中で、金の髪と、翠の瞳もまた淡く照る。

「おまえ、【魔】が尽きかけてるだろっ、ひとまず落ちついて、水を――」

「わかってる。でも、貴方がいい。ジークハルトじゃないと欲しくない」

 大人の女性の中に、ワガママな子供の声が混じる。身体が重なって、果実のように膨らんだ乳房が押し当てられた。唇が触れる寸でのところ、息さえ届く間近で告げる。

「ずっと、ずっと一緒にいて……」

 嗚咽が混じる。

「もう、一人はやだ。一人きりでいるのは寂しいの」

 姫君の全身は、ゆっくりと、職人のもとへ沈んでいった。

「私は、貴方に抱きしめてほしい。貴方は、私に、生きる手段を与えてくれたから」

「……バカが」

 互いの全身が小刻みに震える。両手の中に受けとめる。

「おまえ、俺なんかのどこがいいんだ」

「…………え?」

 潤んだ眼差しが持ちあがる。ぱち、ぱちと、瞬きする。

 相対する職人の顔にも赤味が差した。なにか急に、ものすごい失言を吐いたような気がしたという様子。その気持ちは、同じ屋根の下で、一つの季節を過ごしただけの間柄でも通じたらしい。

「えへへへへ~」

「笑うな」

 苛立つように、強く抱きしめる。

 ここまで生きて、手にしてきた力で、強く、強く。

 今度こそ、離してしまわないように。


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