項目13:店の主と、お客様。
職人街の奥にある鑑定士の店に、一通の訃報が届いた。
黒い上着を掴み、そういえば、あの日もこれを着ていたことを思いだしていた。
「ジークさん、そろそろ時間です」
声に振りかえると、いつもと違う格好の女性が見えた。落ちついた野ブドウ色の髪だけが光を反射する。彼女もまた黒一色の喪服を着ており、唇の赤いルージュも相まって、妙に艶かしい。
「今日はメイドじゃないんだな」
「えぇ」
「悪い。冗談だ」
ジークハルトが袖を通したとき、廊下に繋がる扉が開いた。ふらふらした足取りで、リアンがやってくる。
「……ししょ~、フィ~?」
「リアン様」
「どこか行くの~?」
寝惚けているのか、ふわっと欠伸をする。ジークハルトが近づき、屈んで手を伸ばした。
「今日は閉店だ。上で寝てろ」
「ふぇ?」
短い金の髪を乱暴になでる。リアンは頭を振りながらも、どこか嬉しそうに撫でられていた。
「いいか、怪しい奴が着ても扉を開けるなよ。二階でおとなしく、本でも読んでろ」
「あい~」
背を向ける。それから外を見て「雨か」とつぶやいた。傘を手にして店をでる。反対の手には招待状と、壊れた懐中時計が握られていた。
その報告を聞いた時、正確な内容は、あっさり抜けていった。
時間をかけて、どうにか、断片的に理解した。
自分のギルドの仲間を守るために、死んだこと。
生き残った仲間が、彼女の亡骸を運んだこと。
ギルドの主は、すべての最終決定と、責任を負うこと。
むかし、彼女の両親はそれを実行し、彼女もまた同じ道を選び抜いたこと。
牧師が十字を切った。
レティーナの名前を口にした、その音を、ぼんやり聞いていた。
小雨の降る早朝。街外れの墓地で、冷たい風が流れる。
冒険者の葬儀が行われることは珍しい部類に入る。大抵は朽ちた骨と化して、迷宮に転がることになるからだ。死体が持ち帰られることになっても、窯の中で焼かれ、細かくなった骨をそのまま河の中へ流されることも多い。
だから、たとえ少なくとも、名を彫られた墓前に人々が集い、一人の人間の死を嘆くことは大変に稀だった。
ここは、そういう街だった。
生も死も、気品はあらず。
昨日、当たり前のように挨拶を交わした知人が、次の日には息絶えていた。姿を見なくなった。服だけが見つかった。そんな話を聞くのは珍しいことでは無い。
黒い集団から少し離れ、枯れた大樹の幹に背を預ける。手の内には、粉々に破壊された懐中時計が存在する。針は止まっていた。
『――どういう風の吹き回しかしらね?』
忘れた。どうしてこんな物を渡したんだったか。
頭から、つま先まで。感覚が無い。
傘は閉ざしている。たぶん、ずぶ濡れになっている。
『ねぇ、この前のお礼なんだけど。よかったら、』
棘のついた棒で殴られるような感触がきた。胸が痛んだ。
朝からなにも食べていないのに、吐き気を催した。喉がカラカラに枯れている。
いっそ、上着に隠した短剣で、喉を切り裂いてしまおうか。
『どうして、私を守ってくれなかったの。ウソツキ』
思い出す。なのに、時計はもう動かない。
針を巻き戻すことは叶わない。
『ジグ、貴方は根本的なところで、冒険者には向いてないんだと思う』
彼女を守ってやりたかった。少しでも危険から遠ざけてやりたかったのに。
ふざけるな。
『あなたは賢くて、慎重で、実は臆病だったりする。つまり、優しすぎるのよね』
ふざけるな、ふざけるな。
『平穏に生きるべきだわ。たとえば、そうね。店でも開いてみたら?』
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなッ!
『また今度、あなたの店に寄らせてもらうから』
「……なにもッ!」
できなかった。
壊れ、止まってしまった時計は、二度と動きはしなかった。
眠れば昔の夢にひき戻されて、起きれば明日がやってきた。
「――――…………ぁ?」
頭が揺れた。世界は闇の中だった。少しずつ目が覚めて、あぁ、真夜中なのかと、ひとりで馬鹿みたいに呟いた。
「……喉が渇いたな」
酒の匂いがした。気分が悪くなるほどではないが、それでもいつもより多く飲んだせいか、額が軽く痛んだ。胸焼けがひどい。
「………………水」
ギッ、と音を立て、ベッドから起きあがる。食卓に供えてある清水を求めて、一階へ降りていく。途中、店の表に繋がる扉の先から、灯りがこぼれているのを見つけた。
カチャカチャと、小さな音が聞こえてくる。
進むか、無視するか、戻るか。
考えても無駄に頭が痛くなるだけという風に、不機嫌な顔のまま、部屋に入る。
「リアン」
「あっ」
短い金髪が、さらっと揺れた。白い手に精密のネジ回しを持っている。夜なので、薄いシャツと、淡い色のショートパンツを履いているだけの格好だ。
「なにしてんだ、おまえ」
「ご、ごめんなひゃい!」
リアンが手元に散らばった部品を隠そうとする。無視して近づく。
作業机の上には、完膚なきまでに、粉々に砕けた懐中時計があった。残された想いの品はパーツ単位で歪みが生じ、折れ曲がっている。
「直せうかなと、思って……」
「無理だ」
向かいの客用の椅子を引いて座った。それぞれ椅子の高さの違いから、二人の頭の位置は同じところになる。しゅん、と萎れた顔を眺めて、くくっと笑う。
「直せるわけないだろ」
「……あい」
「コイツはもう無理だ。ひとつの時計を、最初から作るのと変わんねぇよ」
乾いた笑みが広がった。ひたすらに、どこまでも、波のように広がった。
「……俺が守るとか、どのツラ下げて言いやがったんだか……」
力を抜いて天井を見あげる。視界が揺れた。
「リアン、フィノはどうした?」
「ふぇ? ギルドに帰ったよ。おぼえてない?」
「そうか……。エリオットが帰ってきたんだったな」
早朝の葬儀の最中、古い知人が亡くなった代わりに、森の探索に出かけていたエリオットが生還した。当初の契約通り、フィノと王女を自らのギルドへ連れて帰ろうとしたが、
「おまえ、どうして、フィノと一緒に帰らなかったんだ?」
「もう少し、ここに、いたかった、から……」
「こんなところに居てどうすんだ」
「……もっと、色々教えて欲しい、でう……」
翡翠の瞳に、涙が溜まって、こぼれ落ちていった。
小さな手の甲でぐしぐしと涙をぬぐう。
「なんで、おまえが泣くんだよ」
「……わ、かんない、でう……っ」
ぐすっ、ぐすっと、こぼれる嗚咽を、ただ黙って聞いていた。
椅子に座ったまま、その頭に、思わず手を乗せてやろうとして気がついた。
――また、重荷を増やすのか? 一人が生きやすいんだろう?
伸ばした手が止まる。
盗賊の力は、誰かを守れるほど、強くない。
「帰れ、リアン」
「なんでっ!」
「迷惑なんだ。おまえはもう、精霊の泉の権限を持つ、唯一の生き証人だ。つまり本音を言えば、死んで欲しいって連中がわんさかいんだよ。いつかこの店にも、おまえの命を狙うヤツが来るかもしんねぇ」
すぅっと、リアンの瞳から光が消えていく。
ただ放心したように、ジークハルトを見つめる。
「めいわく……? わたし」
命を狙われることよりも、そっちの方がこらえるというように、言う。
「わたし、ここにいたら……、ジークに、めいわくかけう……?」
返す言葉に詰まった。心が弱っていたせいかもしれない。酒も少し残っていたこともあるのか。ともかくその時、自分を慕ってくる存在を斬り捨てることができずにいた。
「……俺は、一人が気楽なんだよ」
代わりに、とことん情けない言葉が口をついた。
そんな安っぽい言葉で、愛らしい、一途な子供が納得するはずもなかった。
「じゃ、じゃま、しないからっ!」
むしろ勢いづいた。
「ご、ごはん、つくりまう! お洗濯とか、フィーの代わりにするからっ! こーひーもいれまうっ! だからっ、だからっ……!」
拾ってください、拾ってくださいっ!
どこぞの捨て犬だか、捨て猫だかが、必死にきゃんきゃん吠えてくる。
「……あのな、少しぐらい王女のプライドとか無いのか」
「そんなものっ、お金になりまへんっ!!」
しかも変なところだけ飼い主に似てきた。ジークハルトが「はぁ」と最大級のため息をこぼして、作業机の上に散らばる懐中時計の残骸を見やった。
「卒業試験にするか」
「へう?」
「ボロクズになったコイツを一から組み立て直せ」
「えっ、えっ、えっ?」
「おまえは俺の弟子なんだろ、リアン」
「―――っ!」
今度こそ目前の頭に手を添えた。添えてしまった。これで後戻りができないな、という想いはあったが、それでも自然と笑えていた。
薄汚い生まれの盗賊だって、光を求めてはいけない、なんて理由もない。
「し、ししょー……」
「なんだ」
「……笑ってまう」
「うっせぇ」
「にゃっ!」
身を乗りだし、細い髪の毛を掴んでぐしゃぐしゃ回す。リアンが声をあげて笑う。ジークハルトもまた笑った。その後で、翠の両眼に溜まった涙を、指の腹で拭ってやる。
「リアン」
「~~~ぁ、いっ!」
「時計の部品を扱ってる職人の工房と、【魔石】を専門に売買してる知り合いを紹介してやる。俺がここまで金にならない仕事をするなんざ滅多に無いぜ。だからやれ、いいな?」
「うんっ!」
柔らかそうな頬の上を、もうひとつ涙が零れていく。笑顔が満開になった。
「わあぁ~~~いっ!!」
「うおわっ!?」
両手を伸ばす。机を乗り越えて、飛び込むように抱きついた。ジークハルトは椅子に深く座っていたせいで逃げられず、咄嗟に全身で抱きとめる。椅子の足が浮き上がり、二人一緒に後ろへ倒れ込んだ。
「だいすきっ!」