項目12:客人への詮索はやめておくが吉。
リアンの初仕事は大成功に終わった。レティーナが笑顔で「また来るわね」と言って、満足そうに店を後にした直後、
「リアン、少し留守を頼む」
「へう?」
「表の看板は返しておく。客が来ても適当にあしらっとけ」
「えっ、えっ?」
困惑するリアンの様子には応えず、ジークハルトは急ぎ壁にかけていた上着を羽織り、そのまま駆けるように店を出ていった。
「…………」
その場に残され、所在なさげに、分解の途中だった目覚まし時計を手元によせる。
「続き、しよっかな」
ぽつんと呟いて、ネジ回しを掴んだときだ。廊下につながる扉が静かに開いた。
「失礼します。お茶を――。あら? リアン様、ご主人様は?」
「おでかけ。るすばん頼むって」
「そうでしたか」
フィノがやってきて、両手に抱えた盆を作業机の上に置いた。湯気の立つ紅茶のカップを、リアンの前に差しだす。
「ありがと~、フィー」
「ふふ。ご主人様の分も作ってきたのですが、冷めてしまいますし、こちらは私がいただいてしまいましょうかね」
フィノもまた椅子を引いて座る。甘いミルクの漂う紅茶を一口含んだときに、
「ねぇ、フィー」
「なんでしょう」
カップに口付けたまま、上目づかいになって、リアンが何気ない風に言う。
「レティーナって、どういう人かなぁ」
「えっ?」
食器が小さな音を立てた。フィノが少し驚いて正面に座る少女を見つめると、柔らかそうな頬のうえに、ほんのり明るい朱が乗っていた。
「あ、あの、えっとね。ししょー、レティーナを、追いかけてったから……」
もごもごと、言葉を口の中で転がすように言ってくる。
フィノが思わず、小さく笑った。
「リアン様、気になるんですか?」
「ちょ、ちょびっと……」
「いやん可愛い」
地の声で反応してしまえば、リアンが言葉にならない小さな悲鳴をあげていた。ごまかすように紅茶を飲んで「あふっ」と舌を出す。そんな所作のひとつひとつが、フィノにとっては可愛らしく映ってしまう。
だからつい、口が軽くなってしまったのかもしれない。
「レティーナ様は、剣閃とも呼ばれる、一流の剣士にして冒険者です。ご主人様とは昔、同じギルドに属していたと聞いてますよ」
「ししょーも、昔は冒険者だったんだよね?」
「えぇ」
フィノは紅茶を一口、静かに含んだ。隣に座るリアンが「続きは?」という表情をしていた。
「――私とエリオット様がこの街に訪れたのは、三年前でした。その時には、ジークさんは冒険者を引退されており、すでにこの場所で鑑定士を営まれていました」
「へー、エリオットと、フィーは、ずっとこの街にいたんじゃないんだねー」
「はい。私たちは来訪者です。ジークさんと、レティーナ様はこの街の出身ですよ」
カップが軽く音を立て、ソーサーの上に置かれる。リアンも聞きかえした。
「じゃあ、レティーナだけ、ずっと同じギルドで冒険者をやってうの?」
「いえ、それはですね……」
フィノが困ったような素振りを見せた。少し開きかけた口を閉ざして、逡巡するように宣言する。
「あまり、気持ちのよい話ではありませんから」
「いいよ。フィー、教えて」
「リアン様?」
「わたし、ジークハルトのこと、知りたい」
翠の双眸に見据えられ、フィノがほんのわずか、たじろいだ。仮の主従関係であることすら忘れて圧倒される。王族、として生まれた者に共通する、静かな威圧感。
「おしえて、ね?」
「……私も詳細を存じているわけではありません」
「それでもいいよ」
「わかりました。くれぐれも、ジークさんにお尋ねしてはいけませんよ」
「あい」
二人の間に漂う空気が、再び和らぐ。そろってほんの少しの紅茶を口に含んだ。同時に小さな音が重なった。
「当時、お二人が在籍されていたギルドは、今は存在していません」
「そうなの?」
「はい。ギルドの代表者を含めたパーティーが、迷宮を探索中に『全滅』してしまい、土地と財産を所有する権利が認められなくなったんです」
「…………ぇ」
カチャン、と大きな音が鳴った。普段は甘くて優しい、野ブドウ色の瞳が、まっすぐにリアンを貫いていた。「続けますか?」と尋ねられ、リアンは受け入れた。
「――パーティには、当時、十三歳だったジークさんと、レティーナさんも参加されていたそうです。私も、それ以上に詳しいことは存じあげません」
職人街から、目抜き通りへ続く道を歩いていた。言葉は少なかったが、何気なく交わす視線や、整えられた石畳を歩く足音でさえ、互いがもっとも最適とする間合いを保っていた。
時が経てど、忘れられないものがあった。
人の流れがうねっていても、最小限の動きでそれらを避け、すぐに元の立ち位置へと体が戻る。息をするように覚えていた。
懐かしいな、と。
雑踏の中を歩き、ジークハルトは思う。レティーナの左手もまた、常に長刀の柄に添えられているし、右手の指は、常に暖めておかんとするように泳いでいる。
彼女のベストの内には、過去に自分が贈った【魔】を込めた懐中時計が収まっているはずだった。自分も同様に、【魔】を込めた短刀と、片眼鏡を忍ばせている。
「――ジグは、変わったわね」
「ん?」
前を見つめながら、レティーナが告げてきた。
「随分と優しくなったわ」
「どうだかな」
同じように応える。互いの顔は見ない。
「なったわよ。貴方は、自分の知識を誰かに教える人間じゃなかったもの」
ジークハルトの記憶よりも艶のある、それでいて、柔らかな微笑が返ってくる。
「もう、冒険者に戻るつもりは無いのね」
「無いな」
「残念。実は少しだけ、期待してたのに」
「ウソつけ」
間髪いれず応えると、また、楽しそうに笑われた。
「悪態にも、切れがなくなってるわよ」
言われてしまい、苦そうな顔をする。短い茶の短髪をかいて歩いた。眼帯のない左目と、懐かしそうに笑う横顔を見てしまえば軽口も叩けない。
二人は目抜き通りを越え、やや細い路地の方へ歩いていった。
街の雰囲気は一変し、なにかしら武装している者達が、暗い色の瞳を向けてくる。すれ違う度に、わずかな緊張感を覚えながら進むことになる。
「この街の、この場所だけは、いつになっても変わらないわね」
「……変えようとしている奴が、一人いるがな」
いつも厄介事を持ちこむ男の顔を思いだせば、隣に立つレティーナもまた、ふふっと笑っていた。
「数日まえだったかしら。おまえも森の探索に参加しないかって、わざわざ『蒼髪』 が出向いてきたわ」
「ご苦労なこったな」
「蒼髪が来たのは、いつだったかしら」
「三年前だな」
他の冒険者と同様、エリオットは数人の女性を連れて街にやってきた。
翌年には、卓越した戦闘能力から『蒼の剣聖』などと呼ばれるまでになり、さらには王城の政治に食い込んでいた。一体どんな詐術を使ったのかと、噂の種が途切れない男であったが、実際、普段はどこか飄々としている癖に、いざという時の立ち振る舞いや所作には、妙に高貴な振る舞いを見せていた。
「知ってるとは思うけど。蒼髪は、滅びた国の王族だ、なんて噂もあるぐらいよ」
「実際聞いたら、想像にお任せするとか抜かしやがったがな」
「不思議な男よね」
「なに考えてるか、知れたもんじゃねぇ」
あれだけ出世すれば、もうジークハルトの店に顔をだす必要もないだろうに、足しげく訪れては、厄介な仕事を持ちかけてくる。一度は冗談で「この国の王になるつもりかよ」と問いかければ、エリオットは「まさか」と両肩を竦めた後で言った。
『――俺たちは根無し草だったからな。帰る家が欲しいだけなんだ。そして、この街には同じような境遇の連中が多いだろ? だから、できる限り広くて、住み心地の良い家を作りたいと思うわけだ。その為にも、力が必要だ』
エリオットの根底にある想いは、正直、ジークハルトには理解しがたい。
仮に実現したところで重荷となるだろう。生きていくなら一人がいい。背負うものが少ないことが、この街では賢明な生き方だと身を持って知っている。
「ジグ」
「なんだ?」
「力、って、どういうものかしら」
レティーナが立ち止まっていた。わずかに行き過ぎたジークハルトは、彼女の方へと振りかえる。薄暗い路地裏で視線が交わった。
「蒼髪の問いよ。あいつは、大切な者を守るべき手段。と言ってたわ」
人の流れはちょうど途絶えていた。
「不思議よね。あの男だって、それなりの地獄を見てきたのでしょうに。それでもバカみたいに、御伽噺の勇者みたいな事を語るんだもの……。ねぇ?」
チキッ、と。
刀が鳴る。
「ジグ、あなたは、現実が分かっているでしょう?」
答えねば、斬る。とでも言うような気配を醸す。
豹変した昔馴染みの態度にも、ジークハルトは特に表情を変えなかった。そして目つきは相変わらず険しい。
「……そうだな」
思考することは、経験を、過去を蘇らせることに等しかった。
もっとも最初に浮かんだのは、小汚いスリの小僧だ。
「最初は、エサを食い、奪う手段だった」
「私たちと出会う前ね」
頷いた。即席のパーティに参加させられて罠付きの財宝を漁りまくっていた。けれど転機が訪れた。ややお人よしの人間に拾われて、ギルドと呼ばれる組織に所属した。毎日のように顔を合わせる大人たちは気が良かったし、優れた剣の腕を持つ、同じ年の少女もいた。
気まぐれに、初めて贈り物をした。
「力があれば、金があれば、自分を満たして、たまには、相手を満たしてやることもできると知った」
「そうね、嬉しかったわ」
けれども平穏は続かなかった。ギルドが崩壊し、根こそぎ奪われていったとき、
「今度は、なにをするにも、金が必要であると知ったな」
「同感だわ」
器用にしか過ぎない手には、崩壊した日常を止めることはできなかった。
学が至らなかったのだ。日々、命を懸けて迷宮に潜るしかない。
それでも、どこかで情というものを信じており、金を持ち逃げした相手を許しかけた瞬間に、腹へと刃が突き刺さり、消えぬ傷を負ったのだ。
「……力は手段だ。持つことで、相手を殺して奪うことができる」
「えぇ、私も殺したわ。殺しまくったわ。犯され、嬲られ、隙を見た夜にも、ね」
口元が自嘲するように歪み、剣先が抜かれていた。
その一閃は貫かず、かろうじて喉に添えられるに留まった。
「ね、ジグ」
剣先が薄皮一枚、触れて切る。
「過去、貴方の驕りが、私の人生を狂わせたことを覚えているわよね?」
喉から血が垂れる。あとほんの少し手を伸ばせば、それが致命傷になりかねない。しかし動かず、瞳を逸らさず応じた。
「街へ引き返そうと言う、お前の両親の言葉を俺が切ったな。迷宮の奥にあった財宝に、仕掛けがあることに気づけなかった」
しん、とした気配だけが、魂を刻むようにおとずれる。
「たくさんの【魔物】に囲まれたわね」
「あぁ」
「私は片目を失って、気がついたら貴方の背に負われてた」
「あぁ」
「貴方は安っぽい言葉を吐いたわね。生涯をかけて償うとか、なんとか」
「言ったな。俺は何も知らない、単なるガキだったよ。酒場で妙なジジィに会ってから、そいつを知った」
ジークハルトは静かに、彼女に向かって言葉をかけた。
「結局のところ、力ってのは生きる手段だ。正しく生きようが、汚く生きようが、形は違えど、差は無ぇよ」
「素敵な答えね。今すぐに貴方を殺してやりたい」
「悪いが断る」
「あら、どうして?」
「生きてるんでな。残念なことによ」
極めて真面目な顔で言えば、レティーナは声をあげて笑った。
「それ、反則。貴方ってば、本当に優しくなりすぎよ」
「そうか」
「あー、もう。だったら、あの時の言葉は、今でもまだ有効なんでしょうねぇ?」
「有効だ」
「バカ」
剣先が翻り、鞘の中へ閉ざす。一滴の赤い血が伝う様子を見て、レティーナは柔らかく微笑んだ。
「貸しよ。今日だけは許してあげる」
「助かる」
「――レティーナ様?」
物騒な会合を終えたとき、不意に、後ろから声がした。ジークハルトが振りかえると、そこには顔立ちの整った、十歳を半ばに超えた程だろう少女がいた。
「ロゼ、どうしたの」
「いえ、あの、庭で作業をしていたら、声が聞こえたような気がして」
「迎えに来てくれたのね」
「はい」
素直に頷いた横目で、ジークハルトのことを見上げる。
「レティーナ様の、お知り合いの方ですか?」
「そうだな、そっちは……」
「私のギルドの子よ。貴方の弟子と一緒で、身寄りがないらしいから引き取ったのよ」
レティーナが言葉を挟んだ。その声は優しく、明るい。
「両親のギルドを買い戻したの。蒼髪のギルドにも少しだけ、借を作ったけどね」
「……そう、だったのか」
「他にも何人か身寄りのない子供たちを預かってるわ。いつかの誰かを思い出して、気がついたら声をかけちゃったのよ」
パチっと瞼を閉じて、ロゼと呼んだ少女の隣に立つ。頭の上にそっと手を乗せると、少し照れたように、くすぐったそうに笑った。
「お前は変わってねぇな」
「本当にね」
力強く、告げた。
「蒼髪が言ってた森の探索に付き合ってもよかったんだけどね。長い間『家』を空けるのも不安な気がして、それに、久々に貴方の顔も見たくなったから」
笑みを向けられて、ジークハルトもまた笑い返していた。
秘めた想いを、隠し切れないというように。
「良かったら、寄ってく?」
「いや、今日はいい。ウチの店番はまだまだ半人前なんでな」
「そうね。しっかり指導してあげなさい。また今度、店に寄らせてもらうから」
「あぁ、そうしてくれ」
笑い声が二つぶん、静かに、どこか幸せそうに重なった。
「さよなら、ジグ」
「またな」
二人は別れた。
互いの家に帰るために。再び、それぞれの道を歩きだす。