項目11:飴と鞭の比率は3:7。
リアンがジークハルトの店に来て一週間が経った。特にこれといって波風も立たず、平穏無事な日常が続いていた。
昼過ぎ、客足が途絶えていた時間に、ジークハルトは随分と冷めてしまったコーヒーを飲んでいた。
「――まだか、リアン」
「うくっ、ん、ん、ん~っ」
机に片肘をつき、酸味の効いたコーヒーを飲んでいる隣で、リアンが必死に手を動かす。
「むずかしーでう、ししょ~っ!」
「それぐらい、さっさとバラせ。あと、その呼び名やめろ」
「えー」
新緑の如き翠瞳で見上げられると、それ以上は反論する言葉も消えてしまう。なし崩し的に「手を動かせ」とだけ言うと、今度は素直に従った。
「むむ~っ!」
作業机の上には銀色のトレイが乗っている。精密のネジ回しで、細かいパーツに分解された、目覚まし時計の部品が並んでいた。
「遅い。おまえ、本当に不器用だな」
「ぅぅ……」
リアンはネジ回しを手に、ふらふらと、危うげに外していく。工具の先についた小さなネジを、トレイの上に持っていこうとした時だ。
ピンッと机で跳ねて、
「あっ!?」
床の上に落としてしまう。
「おい、無くすなよ」
「あ、あいっ!」
拾いあげようとして頭を突っ込み、今度は「ごすっ!」と派手な音をたてた。ネジを摘んで現れたリアンは涙目だった。
「……おでこ、ぶつけてしまいまひた……」
「なにやってんだ、バカ」
涙目になった、リアンの前髪を持ちあげた。指を近づけ、触れる。
「し、ししょーっ!?」
「痣にもなってねぇ、大げさだな」
「あ、あのっ、えぇとっ!」
――カラン、コロン、カララン。
リアンが軽く目を回しているときに、店の扉が開いた。
入って来た客は長身細身の女性だった。獣の毛皮で作られたレザーベストとズボンを身につけ、板金の入った硬質なブーツが床を叩く。右目は眼帯で覆われており、左手は常に、腰元にある長刀の柄に添えられていた。
「久しぶりね、ジグ」
一つに結いあげた長い黒髪が揺れる。
「……レティーナ?」
ガタッと椅子が音をあげ、ジークハルトが立ち上がった。そんな様子を楽しむようにして、残された瞳が猫のように細くなる。
「ジグ、最近あなたの顔を見なかったから、野たれ死んだかと思ってたわよ」
「こっちのセリフだ。残念だが、そこそこ上手くいってるさ」
ジークハルトが席に座りなおすと、レティーナと呼ばれた女性は近づいた。
「相変わらず、副業の仕事を受けてる。って聞くけれど」
「金があって困るこたぁないからな」
「あまり安請け合いしてると、死ぬわよ?」
ふっ、と笑いながら、ジークハルトの向かい側にある椅子を引き、浅く腰かけた。
「……で、どうした?」
「そのまえに、私も質問したいのだけど」
レティーナが、ややジト目になって、言う。
「ジグ、あなた。いつのまに子供を拵えたのよ」
「は?」
レティーナの視線を追ったその先、机の下に隠れたリアンが顔だけ覗かせていた。眼帯をつけていない方の瞳に見つめられると、「ひぃっ!」と叫んで、また引っ込んだ。
「すごい美形ね。男の子? 女の子?」
「うるせぇ、勝手に俺の子どもにすんな」
「もう。相変わらずの堅物ねぇ。冗談ぐらい流しなさいよ」
にんまり笑ったとき。後ろにある扉が開いた。
「失礼します、飲み物をお持ちしました」
「フィ~~っ!」
机の下からリアンが飛び出して、白黒エプロンの裾に、ぎゅむっと抱きつく。
それをみて、レティーナは怪訝そうに、ジークハルトの方を見た。
「……あ、もしかしてそういうこと? 連れ子の女性に手を出すなんて、いい度胸してんじゃない」
「だから、ちがう。こいつらは事情があって預かってるだけだっ!」
「そうなの、って……」
フィノの顔に注目する。レティーナは何かに気がついたように、目を瞬いた。
「貴女、蒼髪のギルドにいたわね」
「いいえ。私はただのメイドですよ。剣閃レティーナ様」
続けて、レティーナの視線がゆっくりと、腰元にひっつく子供の顔に向けられた。
「そっちの子は……」
「俺の弟子だ。裏路地で食いっぱぐれてるところを、拾ったんだ」
「弟子? ジグの?」
「あぁ、付与師の素質を秘めてる。ただ、半端なく手先が不器用なんでな。技を仕込んでる最中だ」
「へぇ、ジグが弟子を取るなんてねぇ?」
レティーナが、くすっと笑う。
今度こそ楽しそうに、女性らしい含みを込めて、少し意地悪く。
「昔の貴方からは想像できないわね」
「うるせぇな。冷やかしにきたなら帰れよ」
ジークハルトが、ガシガシと髪をかく。反対の手をだして、つまらなそうに告げる。
「仕事を持ってきたんだろうが。鑑定物があるなら、さっさとよこせ」
「悪いわね、鑑定の依頼じゃないの。でも、ちょうどよかったわ」
「なにがだよ」
「実は、付与師を探してたの。貴方の伝手で、その筋の人間がいるかしらと思ってね」
レティーナが胸元のベストに手を入れ、ポケットから、てのひらに乗るサイズの懐中時計を取りだした。ジークハルトの瞳が見てわかるほどに大きくなる。
「……まだ、持ってたのか」
「懐かしいでしょ」
「少しな、借りていいか」
「えぇ」
時計を受けとる。懐から片眼鏡を取りだして乗せた時、
「それ、貴方も持っててくれたのね」
「大事な商売道具だからな」
言いながら、時刻を合わす「リューズ」を動かした。
くるりと、二つの針が仲良くまわる。
「どこか悪いのか? 時刻合わせも問題なくできるみたいだが」
「肝心の【魔】の効果が弱まってるみたいでね。一日で時間もズレてくるのよ」
「ってことは、中の【魔石】に問題があるな。一度、バラすぞ?」
「構わないわ」
レティーナが頷いたのと同じく、ジークハルトが振り返った。
「リアン、仕事だぞ。はやく来い」
「あ、あいっ!」
フィノにくっついていたリアンが、慌てて駆けてくる。作業着のポケットから、小さな片眼鏡を取りだして、同じように身につける。
「ふふ、可愛い弟子ね」
「見かけは小せぇが、実力はあるぜ。お前からもらった片眼鏡、実はちっとヘマして使い物にならなくなってたが、リアンが【魔】を付与して、今は問題なく動作してる」
「へぇ、やるわね」
黒の瞳が優しく微笑んだ。すっと手を泳がせて、たれのついた帽子の上から、リアンの頭をなでる。
「お手並み拝見といくわよ。小さな職人さん」
「あ、あいっ!」
ジークハルトの手に、精密のネジ回しが渡される。
手早く蓋を開いて、刻まれたサインをリアンに見せた。
「職人の名前は、アドルフ・ランゲ。有名な時計職人であると同時に、凄腕の付与師でもあった人物だ。この職人が作ったアイテムは冒険者だけでなく、一般人にもコレクターが大勢いる。サインの贋物も多いからな、しっかり覚えとけよ」
「ほ、ほむっ!」
リアンが身を前にだして、サインを見た。ひたすら一心に見つめていると、そこまで見んでいいと、デコが叩かれる。ぴぃ、と鳥の鳴き声みたいな声をあげて引っ込んだ。
「解説するぞ」
「あい」
「この男が作った時計には【魔石】が込められている。【魔石】は、時計のイメージと呼応して、装備者の速度を高める効果を持つ。影響は微々たるものだが、一瞬の判断が生死を分ける冒険者にとって、その効果は大きい」
語って、ジークハルトは懐中時計をバラしていく。まったく危うげなく、細かい部品を、トレイのなかに移していった。
「し、ししょー! すごいでうっ!」
「やかましい。それより【魔石】の位置を探してみろ」
「うん」
言われた通り、リアンは黙して、時計を見つめ続けた。
「……いちばん、おく。ぐるぐる回ってる、はぐるまに、がちって、あたってうトコ」
「テンプ、だ。正しい名称ぐらいは覚えておけよ」
リアンが答えた後も、よどみない手つきで懐中時計の完全分解を進めていく。動力源となるゼンマイを入れた香箱車をはじめ、時計の針と連動した二番車、三番車、四番車、そして、速度の伝達と調整を行う心臓部へと辿りつく。
「ここだ」
振り子の原理を持って回転する、テンプと呼ばれる機械の上。隣合わせた歯車の速度をひっかけて調整している『爪先』に、緑色の、極小の【魔石】がはまっていた。
「リアン、この魔石の【属性】が分かるか?」
「んー、【風】かなぁ。それに、じかん?」
「正解だ。冒険者からは【時空】と呼ばれてる」
「あら、本当に優秀なのね。さすが、ジグの弟子だわ」
「えへへへへ~」
リアンが、てれっと笑う。その額を、ジークハルトが指ではじいた。
「ぼけっとするな。いいか、よく聞けよ」
「はうあう……」
リアンが、おでこを両手で抑え、頷いた。
「ランゲが作る懐中時計は、精巧ではあるものの、基本的には通常のゼンマイ式と変わらない。だが、これに【魔】を込めると話が別だ。ワーグナーのジジィの本を読んだお前なら理解してると思うがな。【魔】には、わずかながら <質量> が存在するんだ」
「重さがあるってことだよね?」
「そうだ。ジジィの言い分だと、魔術発動の為の【精霊】には重さがあり、【魔】として概念化されたのも同様だって話だ。実際の炎や水に重さがあるように、人間が生みだした【炎】や【水】にも重さがある」
「あい」
「そして【魔石】に属性化された概念を封じた場合、【魔】の効果が増幅されると同時に、質量そのものも大きく増す」
「あい」
こくん、こくん、と首を振るリアンを見て、ジークハルトも一息つく。向かいに座るレティーナは、反対に首を傾げはじめていた。
「つまりだ。歯車の回転にひっかかり、回転数を維持している【魔石】の爪先に重さが増せば、どうなると思う?」
「テンプ本体の回転に、ごさがでまう」
「誤差が出ると、起きる弊害は?」
「ひっかける爪先のリズムがズレて、はぐるまの回転も、一緒にズレていきまう」
「そうなると、どうなる?」
「時計の針を乗せた別のはぐるまも、ズレが大きくなりまう。ズレがひどくなったら、時計として、ただしく機能しまへん」
「正解だ」
ジークハルトが手を伸ばす。軽く、帽子のうえに乗せた。
「えへ~」
ほんわか喜ぶリアンに向かい、しかしもう一言。
「お前なら、コイツをどう直す?」
「へう?」
リアンが、きょとんと首を傾げた。
「この時計を、自分が作る立場で考えてみろ。【魔石】の効果はひとまず考えなくていい。これを時計として正しく使えるようにするには、どうする?」
「ませき、をつかわず、フツーの部品をつかいまう」
「不合格だ。もっとよく考えてみろ」
「あい」
リアンが、そっと静かに目を伏せる。
その様子を見て、ジークハルトの表情に少し、笑みが浮かんでいた。
しばらく何も言わずに、ただ答えを待った。さして時間もかからず、リアンは翠の瞳を開いて、ジークハルトの顔を嬉しそうに見上げる。
「最初から、増える重さ、質量を考えてつくりまう!」
「正解だ。やることはわかったな?」
「あい!」
リアンが元気よく手をあげる。だが向かいに座るお客は、首を傾げるばかりだった。
「……えーと、どういうことかしら」
「へぇ、レティーナは分からなかったのか?」
「うるっさいわね」
隻眼の女剣士が、思いっきり眉をひそめていた。剣呑な気配を滲ませた様子に、リアンが怯えて机の下に隠れようとする。ジークハルトがニヤリとして、その背中を掴みあげた。
「隠れてんじゃねぇ。説明してやれ」
「あ、あいっ。えーと、えー…………。し、ししょぉ~~~っ!」
「おまえな。客に説明すんのも大切な仕事だぞ」
「らって~~~っ!!」
泣きつくリアンをあしらいながらも、店主はどこか楽しげだった。
「つまり、このアーティファクトはもともと、【魔石】を組み込む予定で考案されてたわけだ。ただし、肝心の【魔石】に力を込めすぎると、テンプを調整する部分が重くなり、回転数がズレてくる。そうなると時計として使い物にならない。元来の道具が正しく力を発揮しないと、【魔】の概念も発動せず、【魔石】に付与された【速度上昇】の効果も失われる訳だ」
一息つき、すっかり冷めたマグの中身を煽った。
「で、こいつの場合は、長年の使用で【魔石】に封じた概念の付与が薄れてる。歯車を回転させるテンプ調整部に重さが足りず、勢いがつけられないわけだ」
「いいわよもう。ようするに、修理しないといつか止まってしまうわけでしょ」
「ま、平たく言えばそうだな」
レティーナの、明朗解決な答えに苦笑する。
「ただし、適当に同じ大きさの【魔石】に変えてもダメだ。込めた【魔】のバランスが正しくなけりゃ、コイツは機能しない」
「はいはい。つまり【魔】と時計の双方に熟知している職人が必要で、ここには、その職人が揃ってるわけでしょう?」
「そういうこったな」
ジークハルトは言って、分解した部品を集めたトレイを、リアンの前に置いた。
「どうだ、直せそうか」
「あい、できまう」
小さな両手の、小さなひとさし指。
トレイの上に乗った【魔石】をはめた部分に、ちょこんと触れた。
すぅ、と息を吸い込んで、言葉を発する。
『――【精霊】を知る我、命ず。
摩擦係数を鉄より有し、対象となる道具の強度を上昇。
炎から【炎】を生成する。鉄と化合し熱量を上昇せよ。その数値は―――』
リアンの口からこぼれるのは、複雑怪奇な『呪文』だった。
「ジグ、この子……」
「まぁ見てろ」
『――数値の設定が完了。
続けて回転を促す力の象徴を【風】 および媒介とする色は 【翠】 と銘じる。
精神を司る精霊と接続し、化合せよ。
複合条件による言語定義は 【時空】 と称する。
道具は、人に使えるべき物なり。望まれるならば、それに応えるべき物なり――』
リアンの口から、流れる水のように、言葉の奔流が押しよせる。
ジークハルトの片眼鏡越し、様々なイメージを放つ色と光が見えていた。
そして小さな指先から、【魔石】の中へと流れ込んでいく力を、黙って見送っていた。
『以上、ここに定義を決定する。< 属性付与・再起動 > 』
呼応する。
翠色の【魔石】のなかに、溢れていた光が吸い込まれた。リアンは閉ざしていた瞳を開いて、ぱぁっと花を咲かせてみせる。
「できまひた~っ!」
「よし」
ジークハルトは、部品を乗せたトレイを寄せて、分解した懐中時計を元の状態に組み合わせていく。それもまた、見る者にとっては魔法のような手際の良さだ。指先で拾えないほどにバラバラになったパーツが、決められた位置に収まって、元通りに形成する。
「完成だ」
そして最後に、元に戻った時計のゼンマイを巻く。時刻を合わせると、
――カチ、コチ、カチ、コチ。
時計が規則正しく動きだす。さらには、懐中時計の全体から翠色の光が浮かびでた。
「質は保証するぜ。恐らく効果もあがってるはずだ」
「え、えぇ……」
レティーナが、まだ驚いた様子で懐中時計を受けとった。時計を耳に添えて、その音色を確かめるような仕草をした後に、
「……懐かしい音が、聞こえる……」
隻眼の施されていない側の瞳を細めて、微笑んだ。