何があっても Ⅰ
「ねぇ悠喜、大丈夫?」
目尻を下げ心配そうに俺の顔を覗き込む風美。そんな風美に俺はいつものように返す。
「何がだ?」
「だから、昨日のことだよ。なんか、すごい取り乱してたから」
「昨日? ああ、引かれそうになって焦ってたんだろ」
「でも、そんな感じじゃ――」
「それより、弁当の時間、なくなるぞ」
そう言って俺は今日の朝もいつもと同じようにコンビニで買ったパンを昼食にしていた。
なんの味もないただのコッペパンを口に運びながら俺は風美の方へと目を向ける。
「…………」
不安そうに俺のことを見ていた風美と目が合う。俺は溜め息をついて風美に言う。
「そんな顔する必要ないって。今の俺、フツーじゃないか?」
大して表情も変えずに俺は口にする。風美が少しうつむき気味になってしまうが、これ以上俺が何を言っても無意味だろうと思い黙る。
がやがやとうるさいクラスの中で、俺たちの周りにだけ何かがあるかのように感じる。
俺たちのいる空間にだけ、静寂が訪れる。
周りはうるさいはずなのに、何故かそれが全然聞こえてこないような、そんな感覚。
「……風美、今日の帰りどこかよるか?」
「…………え?」
顔を上げ俺の方をまっすぐ見てくる風美。俺をじっと見つめ、警戒するように目を光らせる。
「どうしたんだ?」
俺がもう一度聞くと風美は俺をじっと見つめたまま言った。
「何で?」
「なんでって、何がだよ」
「いつもの悠喜なら、こんなこと絶対に言わないのに。あたしから誘わない限り、絶対に言わないのに……」
そういった風美は警戒を未だに解かない。いつもと違うのはどっちだと言ってやりたくなる。
「……悠喜、やっぱり変。何かあったんでしょ。昨日言ってたことが関係してるんでしょ?」
「昨日言ってたこと……?」
パンを口に運びながら聞き返す俺。自分でも少々そっけないかと思ったが、これがいつもどおりだ。これが俺と風美のフツー。
「だから、誰かのこと、探してたでしょ。夏希……とかなんとか」
「…………」
俺はパンを食べる手を止め、飲み物に手を伸ばす。
一度飲み物で喉を鳴らしてから一つ息を吐き、じっと俺を見つめてくる風美に言う。
「夏希って…………誰だよ?」
そう言うと、風美が目を大きく見開きフリーズしてしまった。
俺はクエスチョンマークを浮かべながら風美の方へと顔を向ける。
「な、なにいってんの悠喜……?」
ようやく声が出せるようになったのか、震える声でそう聞いてくる
「何って、言葉のままの意味だよ」
「だから、それがわからないって言ってるのッ。昨日あんなに取り乱してたんだよッ? 普段の悠喜からは考えられないくらいッ」
「それは引かれそうになったからだって――」
「じゃあなんで夏希なんて言葉が出たのッ? 何かあったんでしょ、悠喜?」
「別に、何もないよ。その夏希っていう人、俺の妄想かなんかじゃないの?」
「……は……悠喜……。ふざけないで。あたしは本当に悠喜のことが心配で言ってるのッ。だからちゃんと答えてよッ」
拳を握りふるふると震わせながら俺に言ってくる風美。その言葉は、どこか願っているようにも聞こえる。
「だったら、俺が何もないって言ってるんだから――」
「何もないわけ無いでしょッ!!」
いきなり大声を上げる風美に驚いて、今度は俺が目を見開いた。
教室内で食事をしているので当然ほかのクラスメイトもいる。そして当然、こんな大声を上げればみんなの視線が一気に集まる。ざわざわと何かを話している声がするが、内容なんてもちろん聞こえず俺はあっけにとられていた。
「風美、いきなりどうしたんだよ」
「いきなりも何もない! それにいきなりなのは悠喜の方でしょ!! 昨日引かれそうになったとき悠喜が無事であたしはただ嬉しかったよ! けど、そのあとにあんな取り乱した悠喜を見たんだよ! あたしがどんな気持ちだったと思う!? すっごい不安になったんだよ! そんな状況で悠喜が言ってた言葉を考えてたんだよ! それなのに一日たったらこんなふうに知らんぷりされて! 悠喜らしくないよ!!」
大声で怒鳴り散らす風美はうつむきながら全身を震わせていた。
「……俺らしくって、風美は俺と合ってからまだ――」
「そうだよ! まだ一年も経ってない! けど今までの悠喜と全然違うところを魅せられたらすぐに気づくよ!! 悠喜はいつも冷静で、取り乱したりなんかしなかった! それにあんなふうに誰かを求めたししなかった!」
たしかに、風美の言うとおりかもしれない。高校に入ってからの俺は誰かと関わることをせずにただ淡々と過ごしていた。友達もつくろうとせず、ただ何もせず。
風美の知っている俺はそういうやつだ。実際それは間違っていない。だってそれは紛れもなく俺なのだから。
「それとも、本当に忘れちゃってるの!? 昨日のこと! 学校もいかずに何かしてたんでしょ!? 悠喜はそのことも忘れてるの!?」
風美の怒号が、俺に重くのしかかってくる。
「本当に忘れちゃったの!? あたしは何にも知らないけど、悠喜のとって夏希っていう人は大切な人じゃないの!? あんなに必死になってたのに、どうでもいい人だったの!? どうでもいいことだったの!?」
風美は何も知らない。自分自身でそう言っている。けれど俺のことはわかるんだろう。今までと違っていた俺の行動で、何かを感じ取ったのだろう。風美は、この学校に入ってからの唯一の友達だから。
「夏希っていう人は! 悠喜のとってどうでもよかったの!?」
「…………」
けど、風美の言っていることがわからない。こんなに感情を表に出して、俺の方だって驚いているけど、そんな状況を抜きにしたって風美の言っていることがわからない。
風美はなんでこんな必死なんだろう。いや、俺がおかしいからやっているというのはわかる。けど、こんなことは無意味だ。だって風美の言葉は既に昨日の取り乱したということかは大きく離れ、夏希という人物のことになってしまっている。
だから、無意味だ。
だって、俺はその人のことを――。
「悠喜にとってその人は、簡単に忘れられるような人だったの!?」
「――忘れるわけないだろ!!!!」
俺は、自分の机から立ち上がって叫んだ。
「そう簡単に忘れられたら……こんなふうに風美を心配させてないだろ……! 忘れられてたら、もっと楽だったよ!」
俺の無理に押し込めていた感情が、溢れ出す。
「今日一日、忘れてたら、それがフツーになれると思ったから、無理やりやってたんだよッ……! じゃなかったら……こんなふうになったりしない、いつもの俺なら……そうだろ、風美…………ぅッ……」
自分の瞳から溢れ出たそれを拭いながら風美に言う。
そう、忘れることなんてできやしなかった。忘れたふりをすれば、少しは楽になる。今までのことが全部夢だったって思い込める。そう思ったのに、そんなの、全然無理だった。風美に言われてる間、黙っているのが辛かった、ひたすらに辛くて、悔しかった。
堂々と言えないことが、本当に悔しくて。自分が弱いって、改めて思い知らされて……。
「……悠喜」
風美が、さっきとは違う静かな声で、俺の耳元で囁くように言う。
「それがフツーになったら、もっと辛いと思うよ」
その声は、少し震えているように感じた。
もしかしたら、風美まで泣いているのだろうか。もらい泣き、という言葉があるが、もしかしてそうなのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。今はただ、風美の言葉に耳を傾けよう。
「悠喜、その人のことが大切なんでしょ?」
俺は涙が落ちていかない程度に小さく頷く。
「忘れられないんでしょ」
再び頷く。
「だったら、会いに行かなきゃダメだよ」
そんなことは分かっている。けど、その方法がわからない。だって、この世界は、夏希がいない、俺のいる世界なのだから。
けど、そんな事実とは関係なく、俺はただ自分の感情に従って頷いていた。
「うん、分かってる……」
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