この世界で 一
「……おい、何言ってんだよ風美……!」
俺とおまえが初対面? そんなことあるはずねぇだろ。学校で一緒に昼飯食ったり、買い物行ったり、ゲームやったり、いろいろやったじゃねぇか。なのになんで、初対面だなんて言うんだよ!
俺は叫びそうになるのを堪える。必死に、堪える。
…………そうだ! まだ決まったわけじゃない! 忘れてるなんてこと起きるはずがない! これはドッキリかなんかなんだ! すぐに母さんか誰かがやってきて「ドッキリでした」って言うに決まってる!
俺はさっきから何をこんなに動揺してるんだ? これじゃあ……。
「あれ? 風美おねぇちゃん?」
と、玄関の方から声が聞こえた。この声は七海。
そうだ、七海ならちゃんと正直に、ふざけたりしないでほんとのことを言ってくれるはずだ!
「七海! お前は俺のこと分かるよな!?」
やけに強い口調になってしまう。それはなぜか……。知るかよ! 七海、いいから答えてくれ! 俺たちは兄妹だって!
けど、一度始まった絶望は、そう簡単には消し去れないものだった。
「あっ、だ、誰ですか? お姉ちゃんの知り合いですか?」
何だよそれ! わかるだろ! なぁ七海! なんでそんな他人行儀なんだよ!!
誰なんだよ夏希って!! 一体誰のことを言ってるんだよ!!
「夏希って誰なんだよ! さっきから何言ってんだよ!!」
俺はここにいる全員の顔を見回しながら叫ぶ!
近所から野次馬どもが集まってき始める。でもみんな遠巻きに見ているだけ。
そんなことはどうでもいいんだ! そんなこと関係ない!
「夏希なんて存在しない! お前らはいったい何を――」
「うるさいよ………朝から近所迷惑じゃない?」
その声はほかならぬ俺の家の中から聞こえてきた。誰だよ。お前……!
俺の通う学校の女子の制服姿で二階から降りてくる。なんで俺の家に俺と同年代の女子がいるんだよ!
さっき会ったはずの女子なのに、そんなこともわからない。だって、こんなに訳の分からないことが起きてるんだ、整理がつかないに決まってんだろ!
俺はその女子を睨み付けるように見る。憎しみで殺すような視線で。
「……夏希は存在する。お前はいったい何を言ってるんだ……! 俺の認識の中に存在しないのはお前の方だ!」
父さんが、俺の正面から堂々と言い放つ。俺を睨みながら。
母さんがその女子が下りてきたのが分かったのか、キッチンから出てきた。
「夏希、お友達が待ってるんだから早くしなさいよ」
母さんは、その女子のことを夏希と呼んだ。夏希? この女子が? なんだよなんだよなんなんだよ!! わけわかんねぇ! なんでこいつは俺の家にいて、こんなに受け入れられてんだよ! なんで俺はみんなに忘れられてんだよ!
夏希と呼ばれた女子が母さんの方を向いて「分かってる」と一言返して、前――俺たちのいる玄関の方を向く。
「なっ!? なんで変態がここにいるの!?」
出ていくって言ってたのに、っと言ったかと思うと母さんが口をはさむ。
「夏希ったら、素直になれないのはちょっとダメなとこよね~。今日は三人で行くんじゃないの?」
母さん、何言ってんのかわかんないよ。なんでその女子とそんなに親しそうに話してんだよ。そいつは赤の他人じゃんかよ!
母さんが俺の方を向いてはっ、っと口を手で押える。そして早歩きで玄関までくる。
「挨拶が遅れちゃいましたね。夏希の母です。えーと、お名前は?」
何だよ、名前なんてわかってるんだろ! 頼むから正直に言ってくれよ! もういい加減おかしくなりそうなんだよ! まるで俺が間違ってるみたいじゃんか!
そこに父さんが追い打ちをかける。
「お前のことなど誰も知らない。初対面だ。いい加減変なことを言うのはよせ……!」
「そんな風にきつく言うのはダメじゃないの? 初対面だからってきつくしすぎよ」
母さんまで、初対面だなんて言いだした。
そして風美がまた俺に言葉を放つ。
「もしかして……転入生? それで道が分からなくて――」
「ッぁぁあああ!!」
俺は背を向けて走り出した。
あんな、誰にも覚えられてないなんて……。今まではどうでもいいって思ってた。けど、実際誰にも自分の存在を覚えてもらえてないと、すごくつらかった。
耐えられなかった。
俺は学校に向かって走ってる。なぜかわからないけど、そこに行けば誰かが覚えてくれてると思った。変わり者だって言われてる俺なら、そう簡単に忘れられるはずはないと。
俺は校門を全速力で走り抜けて、靴を脱ぎすてて、上履きを履かずに教室に向かう。
息を切らせながら教室に飛び込む。まだあまり人はいないが、クラスにいる全員の視線が俺に向けられてる。けど、違う。俺を知っているっていう目じゃない。
ひそひそ話してる声が聞こえる。「え? 転校生?」「珍しいな」「委員長話しかけてやれよ」など、全く俺のことを知らないっていう感じだ。ただの一人も、俺のことを覚えてるっていうやつはいない。
くそっ!
俺は教室から出て、学校から去る。行く場所なんて、たぶんない。たった今この世界で俺の存在が認められる場所なんてどこにもない。昔通ってた中学校や小学校に卒業生の名前を調べに行っても、たぶん俺はいない。俺は、世界に捨てられたんだ。
なんで俺は世界に、嫌われてるんだよ! 俺が何をした!? 確かに人と違う意見ばっかり言ってたかもしれない! けど! それだけでこんな仕打ち……! ふざけんなよ!
町の中を走る。ただひたすら。
走っていると見える周りの景色。同じなんだ、いつもと全く同じ。俺がいつも昼飯を買うコンビニも変わらずにある。学生が制服姿で歩いている。中には自転車に乗っているものもいる。交差点も相変わらず車が行きかっている。いつもと同じ朝の風景なんだ。
何もかもがいつも見ようとしなくても見える、日常の風景。なのに、ただ一つだけ、違った。俺だ。俺はいつもその風景の一部になっていたはずなのに、今日は……たぶん今日からは、この景色の中には入れなくなる。
走っているのに、足にではなく手に力が入る。なんでかなんてわからない。忘れられてるのが嫌だったのかもしれない。特に……
風美に忘れられてるのが。
俺は近くにある小さな林がある公園に入る。ここでは子供会などでバーベキューが行われたりするが、普段は立ち入り禁止だ。でも、俺はそんなのお構いなしで、すぐそばにあるフェンスがない抜け穴部分から中に入る。
俺はそこの中でも思いっきり走る。その一直線上に木があろうとも止まらない。そのまま木に向かって蹴りをかます。走っている分勢いがついて、木が揺れる。足にも衝撃が伝わってきて、少し痛いが、そんなの今の俺は感じられなかった。
足元に落ちていた木の枝を拾って木の幹に投げつける。イライラが止まらない。
少し離れたところに少し長めの木の棒があるのに気づく。ほうきくらいの長さだ。太さもそこそこ、簡単には折れないだろう。
俺はそれを拾い上げて、振り返りながら後ろにある木に叩きつける!
こんな行動、普段ではおかしいだけだと思っていた。ものに当たったりするのも、感情的になるのも、全部俺には無縁で、くだらないことだと思っていた。
でも、実際はそうでもなかった。たったこれだけのことで簡単に、壊れちまうものだったんだ。俺っていう人間は。
ショックだった。親との関係は挨拶くらいのものだったし、対して思い入れもなかった。
七海だけは結構仲良しで、家族の中では最も仲が良かった。
けど、それよりも……。風美のことがショックだった。
同じことを何回も思うのはバカだと思う。一度終わったならそれっきりでいいとか、思ってたんだ。俺は。
けど、何回そのことを思い出しても、起こったことはしょうがないとか、そんなことは思えなかった。また風美と仲良くなればいいとか、都合のいいことは思えなかった。
なんで俺は風美に対してこんな気持ちを抱いているんだろう。これじゃあまるで、俺が風美のことを心から信頼してたみたいじゃないか。
…………いや、違う。それ以上だと思われても仕方ない。
俺が風美のことを好きなんだと思われても仕方ない。別にそんな感情はないなんて言っても、そうじゃないんだから。友達としてかも、恋愛対象としてかもわからないけど、好きだっていうのは本当なんだ。信頼してたっていうのも、一緒にいて楽しかったっていうのも、全部本当なんだ! だからこんなに苦しくて、悲しくて……!
忘れてほしくなかった! 前兆なんて何もなかっただろ!? なのになんで!!
俺は何度も何度も木を切るようにして、木の棒を振りまくった。
たった一人の友達だったんだ。たった一人の仲間だったんだ! 中学の友達とも合わなくなった、だから今は風美だけなんだ! 家族とは違う、他人から始まった関係で、たった一人だけ……!
俺はより一層力を込めて振り下ろした。それに耐えられなかった木の棒は真っ二つに折れる。
だらんと、腕を垂らす。気付くと両手が痛かった。そりゃそうだろ、あんなに思いっきりたたきつけてたんだ。それも木の棒が折れるまで。
俺の手から握っていた折れた木の棒の片方が地面に落ちる。手は、血は出ていないものの、真っ赤になっていた。
…………涙が出てきた。こんなに感情的になったのは初めてだ。こんなにいろんな感情を表に出したのも。泣くなんてしたのも、幼稚園以来じゃないだろうか?
感情を表に出さなかった俺が、こうなるんだ。こんなちょっとしたことで。
…………風美……………………本当に、俺のこと……覚えてないのかよ…………?
俺は涙を拭って木にもたれかかった。