二人の世界は Ⅵ
夕日が街を茜色に染め、一日の終わりを告げようとしている。
住宅街の一本道、俺と夏希の長く伸びた影だけがゆらゆらと揺れている。
「楽しかったか?」
隣を歩く夏希に向かって尋ねる。別に聞かなくたってわかっている。いま夏希はとても楽しそうに微笑んでいるのだから。
「うん、ありがとう悠喜」
俺に微笑みを向けてくる夏希。その顔は無理に作ったものでもなんでもなく、正直な夏希の気持ちなんだとわかる。
そしてだからこそ、俺はそんな夏希の表情に惹かれる。
感情豊かで、誤魔化すのも隠すのも下手な夏希の笑顔だからこそ、魅力的だと思う。
今日一日はとても楽しかった。俺自身もそう感じている。
元いた世界に帰るためのヒント探し、なんていう口実で一緒に出かけた。本当の目的はそんなものじゃなくてただ二人で遊びたいだけだったのに。
まだ不器用な俺たちはそんな前までの関係や口約束を言い訳にしてでないとデートもろくにできない。夏希は大胆な方ではないし、俺だってなにか胸の内で欲求がはじけたりしない限り大胆な行動は取れない。
奥手な二人は、すぐにバカップルのようになるのは無理だ。
まだぎこちない関係なんだから。
「あ、ごめん、メール」
「風美か?」
俺が聞くと夏希はふるふると首を振る。
「中学の時の友達」
携帯電話を操作して手早く送信する夏希。相手が誰か特定などできないが、もしかしたら、俺の知っている相手かもしれない。俺が元いた世界で関わりがあった相手かもしれない。
「……悠喜」
と、俺のそんな視線に気づいたのか夏希が俺の名を呼ぶ。そして、
「悠喜は中学生の時、どんな人だった?」
おもむろにそう訪ねてきた。俺は意味がわからなかったが、夏希が知りたそうだったので素直に答えることにした。
「今よりも好奇心がある感じの、フツーの男子だった、と思う」
自分から見た自分と、他人から見た自分では全然写り方が違う。だからきっちりと断言することはできない。
「……そう。友達とかは?」
「ん? まぁ、男友達がそれなりには……高校に入ってからは無関心決め込んでたから風美くらいのもの好きしかよってこなかったけどさ」
「……最近は合ってたりした?」
「最近? この世界に来る前ってこと? いや、高校入ってからは全然合ってない。中学の時はテスト勉強とかくらいはしたけどな。……それがどうかしたか?」
俺が聞くと夏希は陰りを帯びた顔をリセットするかのように首を振って言った。
「ちょっと、気になって」
違和感のある笑顔。無理に作っているのだとすぐにわかる。けど、なぜなのかはわからない。別に俺の過去の話を聞いてショックを受けたわけでもないだろうし……いや。もしかしたらそうなのかもしれない。
少し前の俺は人付き合いをするような人間じゃなかった。それはこの世界に来てから少しのあいだも続いていた。それは当然夏希だって見ている。だから、意外だったのではないだろうか。昔の俺が、どこにでもいるような人付き合いをするフツーの男子だということが。そして同時に、不安になったのではないだろうか。もしかしたら、男女としての付き合いだってあったのではないかと。
「……心配するな、夏希」
そう思うと、言わずにはいられなかった。
「別に女子とは全然喋ったことないし、気にかけた相手もいない。夏希だけだよ。本当の意味で好きだって思ったのは」
風美のことをなかったことにすることはできない。だから本当のという言葉を使うしかなくなってしまう。風美への行為は、ただの言い訳だった。しかしそれは紛れもない事実。嘘なんてつけない。
「……ありがとう」
そう言った夏希はまだ不安なのかぎこちない笑顔のままだ。
「…………あッ、そうだ。クリスマスに一緒にどこかに行こう」
「え? ま、まだ一ヶ月もあるのに、どうして?」
いきなりの俺の提案に不思議そうな顔をする夏希。
「いや、別にそんな早くないだろ? 俺がこっちの世界に来てから一週間以上経ってるから、とっくに十二月に入ってるだろ?」
「……え?」
「俺がこの世界に来たのは確か十一月二十七日だったからさ。……あれ? まだ十二月入ってないのか?」
俺が尋ねると夏希は慌てたように両手を振る。
「そ、そうじゃなくて……。なんでもないよ」
まださっきの話を引きずっているのか、暗い表情の夏希。
仕方がないと思い、俺は夏希の冷えた手を掴んで言う。
「じゃ、約束だ」
強引に夏希の小指と俺の小指を絡ませて約束する。子供っぽいがまぁいいだろう。おkれくらいしないと夏希の表情は晴れてくれないと思ったから。
少し赤くなった夏希を見てホッとした。
空の色が茜から藍色へと変化していよいよ一日の終わりを告げる。
気付けばもう夏希の家の前まで来ていた。
「……じゃ、ここでお別れだな」
俺は頬がほんのり紅潮した夏希に言う。しかし夏希はそんな俺の言葉に首をかしげ、
「今日は、泊まらないの?」
と聞いてくる。
俺は少し動揺しながら夏希に聞き返す。
「お、お前。そんなこと言っていいのか?」
「え? ……ぁ、あっ、そ、そういう意味じゃなくてッ。外だと寒いから一緒のほうがいいと思ってッ……」
必死に言い訳をする夏希。まぁとりあえず言いたいことはわかった。だが、
「いや、夏希は大丈夫なのか? 俺、ここ最近ずっとお前の家に泊まってたような……」
そうだ。ここ最近の間夏希の家に泊まっていた。夏希の部屋でなくとも七海の部屋にいた事もあった。ずっとこのままではダメだろう。などと考えたが、それが俺たちのあいだにある距離なのかもしれない……いやいや! それはない! 俺の頭おかしくなってないか!? 落ち着け、落ち着けよ俺。
どうやら今までに起こった事のせいで俺は少し浮かれていたようなので一旦深呼吸。
「……迷惑じゃないなら、泊めてもらいたいけど」
「うん、迷惑じゃないよ。お母さんだって黙認してくれてるから」
確かに、今までずっと泊まっていたにもかかわらず何も言ってこなかった母さんは一体何を考えているのだろう。自分の娘が心配じゃないんだろうか。
少し呆れながらも俺は心の中で小さくお礼の言葉を呟く。
「じゃあ、今日も泊めてもらうよ、夏希」
そう言って二人で清水家の敷地の中へと足を踏み入れる。
俺の個人的な感情に過ぎないが、まるで二人の家に入るように感じてしまう。兄妹のようにではなく、そうまるで夫婦のように。
玄関を開けて部屋へと入る。玄関にきっちりと並べられているのは三組の靴。
「ッ!?」
俺はそれを見て一瞬で理解する。帰ってきてるんだ、父さんが。
夏希もそれに気づいたのか、硬直している。今までは平日続きだったからすっかり忘れていた。休日ということは当然、父さんもいるということだ。
「えーと、とりあえずあたしの部屋に行こう?」
上目遣いで不安そうに提案してくる夏希。別に反論なんてしない。その判断は正しいと思うし、ここで俺が父さんとあって何かなあるわけでもないし、夏希にとっても何かメリットとなることがあるわけでもない。
俺は夏希の言葉に頷いて自分の靴を持って家に入る。
と、最悪のタイミングでリビングへと続く扉が開く。そしてそこから顔を出したのは、
「…………」
夏希の父親、この家の亭主だった。
まさかこんなことになると思っていなかった俺たち二人は緊張しながらこの空気を破ってくれるものが現れるのを待つ。
しかし、そんな都合のいいことが起きることもなく、父さんが俺の方へと向かってくる。
全身を強ばらせながら身構えていると父さんは通りざまにボソッと言った。
「夜に、話がある」
それだけ言うと父さんは何もなかったかのようにリビングへと向かっていった。
俺は振り返りリビングへと続く扉を見つめた。
不安そうに俺を見ていた夏希は俺のもとへ寄ってくると、、
「だ、大丈夫? なんて言われたの?」
と、眉尻を下げながら聞いてきた。
父さんが言った言葉は、夏希には聞こえていない。それもそうだ俺に耳打ちしたのだから。けど、なぜだろう。叱るのであれば今ここで、しかも俺だけでなく夏希にも言うのでhないだろうか。それなのにわざわざ俺に耳打ちそして来た。
「……いや、変なことはするなみたいなことかな」
俺はごまかしながら思う。
父さんにはなにか考えがあるんだ。だから俺を、俺だけを呼んだんだ。
だったらそれを無にしないためにも、夏希には黙っておくべきだ。
「……そう……。お父さん、認めてくれるんだ」
それを知らない夏希は、微笑んでいるようだった。
感想、誤字脱字の指摘等よろしくお願いします。