二人の世界は Ⅲ
「やめて」
夏希は、震える声でそう言った。とても切なそうな、苦しそうな表情で。
強硬手段をとってしまったほうが早いのか、と一瞬思ってしまうけれどそんなことは無かった。こんな俺の言葉でも、しっかりと夏希に伝わっていた。
夏希は肩を震わせながら、俺に向かって言う。
「そんなの、悠喜らしくないよ。悠喜なら、そんな風に、簡単に口に出したりしないよ。もっと悩んで、もっと考えるはずだよ」
俺がこの世界で風美と会う時、そのきっかけを作ってもらうとき、俺はうじうじ悩んで、はっきりと男らしく決断することなんてできずに、曖昧な言葉で終わらせていた。
あんなところを見られていたのだ。だから、夏希にこういう風に思われても仕方がないとも思えてしまう。実際俺は、内気で自分の気持ちを言葉にするのが苦手だったのだから。
けど、今まで色々なことがあったんだ。
この世界にきた瞬間、俺が初めて涙という感情に触れた。
夏希が協力するといってくれた時、人と結びつきたいという気持ちを知った。
七海の辛い過去に触れた時、抑えられないほどの激情を感じた。
風美に俺自身を知らされた時、心の本当の意味を教えてもらった。
確かに、俺が昔感じていたように人は黒い感情だってあるし、他人に迷惑をかけ、不幸にしてしまうことだって沢山あるだろう。人との関係は、一方通行では成り立たないから、自分が良かれと思ってやったことでも、それが相手を傷つける結果に結びついてしまうかもしれない。
好意を表すことができなくて、歪んだ過ちを犯してしまった奴もいた。
理由ばかりに気を取られて、本当の心を知らない奴だってここにいる。
そんな悪い例を、俺は間近で見て、感じて、思った。
これだって人間なんだ、と。
人間だといっても、一人一人個性がある。好き嫌いがある。そうやって一人一人が違うのは当たり前だろう。
犬と言う一括りの中に様々な犬種がいるように、人間だってたくさんいるんだ。
黒い部分の大きな人間と、逆にその部分が小さい人間。
どんなことも万能にできる人間、何一つ取り柄のない人間。
人に好かれるような人間、人に嫌われるような人間。
もっと範囲を広げてしまうのならば、男と女。
人間という言葉では到底表しきれない違いが、それぞれあるのだ。
そして人は、成長というものをする。ずっと止まったままではない。
間違いを犯せば、次からはそうならないよう心がける。うまくいかなければ次に向かって努力をする、周りに流されようとも何か一つ、譲れないものを持とうとする人だっている。自分というものを保とうとする人間がいるんだ。
みんながみんな努力をし、心がけ、自分を確立しようとするわけではないのかもしれない、人間はそれぞれ違いがある。面倒に思って何もしなかったり、過ちから立ち直れなかったり、何かを見逃してしまったり。
けどそれぞれ、成長はしている。本人は気づいていない小さなものでも、人はずっと止まっているわけではない。
それはもちろん、俺だって例外じゃないはずだ。
まだ成長したと胸を張っているえるわけじゃない。未だに俺は自分自身に問いかけている。成長できたか、進歩できたかと。
けど、止まっているはずがない。だって俺は、逃げることだけはしないのだから。
逃げたら、進歩しないでそのまま終わってしまうから。
だから、俺は少しずつ進んでいるはずだ。時間に流されているだけじゃなく、自分自身の方法で、ゆっくりかもしれないけれど、確かに。
「悩んで、考えて、自分で選んだんだ。簡単に見えるのかもしれないけど、真剣に選んだ」
俺が前に進めたのは、自分自身の力じゃない。色々な人の支えがあったからだ。
母さんにアドバイスを受けて、七海と一緒に頑張って、風美に間違いを指摘されて。
他の人たちにどれだけ支えられていたのか分からない。
「夏希、ちゃんと答えてくれ。お前の素直な気持ちを」
俺は夏希のことを正面から見つめる。
「…………なんで……」
震える声のまま、夏希は搾り出す。
「悠喜は風美のことが好き。それならあたしに告白なんてしなくていいのに。そうやって、また変なこと言って、あたしを困らせて――」
困らせるのは、お互い様だ。夏希だって俺のことを困らせて、俺もお前を困らせてる。
「もしかしたらって思って、けど悠喜はいつも風美のことばっかりで、時々だけどあたしを優先してくれる時だってあって――」
そう、俺は気づいてなかったんだ。夏希が好きだって、行動には出ていたのかもしれないけれど、自覚が無かった。自分のくだらない理由で。
「そんなことされたら――」
ごめんな。夏希は、戸惑ってたんだよな。
自分の思っていたことと違うことが起きて、けど、それを信じられなくて。こんな風にお前は、無理しようとしてたんだよな。
夏希はようやく俯けていた顔を上げて、俺と目を合わせてくれる。
「――意識しちゃうの、当然、なのに……ッ」
押し込めていた何かが溢れ出すように、涙を流す。
七海もいつだか、同じように大泣きしていた時があった。あの時の七海にとてもよく似ている。姉妹だから当然なのだけれど。
「素直にって、そんなの、いつだってそうなのに……。すぐに顔に出るって、自分でもわかってるから、悠喜の足でまといにならないように、隠れてようと思ったのに……。悠喜は、あたしのこと、見つけちゃうんだもん…………」
俺に気を遣って、無理してたんだ。
それを俺は無にしてしまった。夏希の意図を汲み取ってやれなかった。
「もう少しで、振り切れると思ったのに……みつけ、ちゃうんだもん……」
瞳からこぼれ落ちる涙を了の手で必死に拭う。
俺はそれを止めてやりたくて、瞬間的に夏希をもう一度抱きしめた。さっきと同じように、俺の気持ちを伝えるように。言葉にもして。
「見つけられて、よかった」
手遅れになってしまう寸前だった。夏季が、自分の気持ちを無理やり消してしまう瞬間に俺は居合わせたのだ。そしてそれを阻止することができた。
確証は、今腕の中にいる少女。
「…………あたし……かくれんぼ、ヘタだね……」
俺の背中に腕を回して、夏希は俺の胸に顔を埋める。
今の言葉は、どういうことなのだろうか。俺には、見つけてくれてありがとう、という意味が込められているような気もした。そしてそれだけではなく、ほかの意味も。
「どこに隠れても、見つけるからな」
「見つけて、どうするの?」
夏希の問に俺は何の躊躇いもなく言う。
「こうするよ」
俺は夏希をさらにきつく抱きしめる。夏希も苦しいだろうが、それならばそう言ってくれればいいし、そうでなくても表情でわかる。夏希は感情がすぐに顔に出るんだから。それがないということは、許される範囲内ということだろう。
「……俺、こういうの苦手だから、嫌がらせるかもしれないけど……。その時は、言ってくれればいいし、俺を跳ね飛ばしてくれていいからな。……だから、絶対に一人で抱え込むな。前も言ったけど、頼りないかもしれないけど頼ってくれ。俺は、これでもお前のことが好きで、大切に思ってるんだから」
長ったらしい言葉だけど、一言では表すことができないから多少長い言葉も許して欲しい。単語では答えられないんだ。『好き』という単語ではなく、他にもいろいろな言葉が必要で、単純じゃないんだ。
「……違うよ。抱え込んでなんかない。ずっと悠喜に、頼ってた。あたしは悠喜がいなかったら、本当に全部自分一人で抱え込んでたんだよ? それくらい、悠喜はあたしに、とって、本当は……」
どうしてもその続きを口にできないのか口篭り、声も小さくなっていってしまう。
やはり、戸惑ってしまうのだろう。自分を優先するのではなく、他人を――風美を、七海を、そして俺を優先しようとするから、わがままになりきれないのだろう。
「……無理しなくてもいいから。何も言わなくてもいいから、もう一人で抱え込まないことだけ、約束してくれよ。俺は、もう迷ったりしないから」
焦らなくてもいいと、伝えたい。
素直にも、我が儘にも、無理に慣れようとしなくてもいい。他人の伝えられなくても、俺にはもう伝わってるから。いつも素直で、何かを隠すのが苦手で、誰かのわがままを聞くだけで、自分は一切我が儘を言ったりしない。そんな夏希だから、わかるんだ。
いつだてお前は、自分の道を見続けている。
自分だけじゃなく、みんなが幸せになるための道を。
でも、俺はそれをめちゃくちゃにするんだ。このままみんなのために自分の道を曲げ続けたら、夏希自身が幸せになれなくなってしまうから。俺の我が儘で、夏希の道を、俺の方に向かせるんだ。
俺が夏希のことを幸せにできるのかなんてわからないし、そんな大きすぎる約束はできないけど。俺は俺なりに、精一杯夏希を支えてやりたい。ただ、それだけなんだ。
「そんなこと言ったら……あたしだって、迷って、られないよ……。ねぇ……悠喜……あたし、見つけて欲しくて、ここに来たかもしれないよ? 悠喜は絶対にここに来るから、だからここで泣いてたのかもしれない……。あの涙だって、嘘かもしれない。それでも、あたしを、支えたいって思う?」
「もちろん」
別に、そんなことは問題じゃない。というより、そのほうがいい。
だってそれは――。
「夏希は、俺に来て欲しかったってことなんだろ。俺に、泣いてるところを見せて、心配して欲しかった。そういうことだろ? じゃあなんにも問題無い。それに、夏希。そんなこと言っても、お前は顔に出るから、嘘もすぐバレるんだぞ」
夏希の目は、正直で。自分を悪く言って、それを認めてもらえるかを聞きたかっただけだと、すぐにわかる。
俺は夏希を抱きしめ、捕縛していた腕を広げ夏希を解放する。
「心配しなくても、俺は夏希のことを嫌いになったりしない。……って言うとなんか俺が不安になってくるな……。なんかそんなだいそれた約束できない気がしてきた。……それでも、お前はいいか? 俺は、ずっと好きでいるなんて約束は、できないかもしれない。そんな男が、お前を支えてていいのか?」
正面に対峙して、俺は聞く。
二人とも、お互いの気持ちを言葉にしなくてもわかっているはずなのに、どちらも素直に好意を口にすることはない。
「……悠喜だって、自分を悪く言ってる。ずっと同じ気持ちのままなんてできないことくらい当然なのに。あたし、そんな無理なお願い、すると思われてるの?」
「じゃあ、しないのか?」
「…………する、かも」
うつむきながら頬を染めていう。
それを聞いて、俺の方は頬を緩める。
「やっと我が儘言ったな」
小さいけれど、夏希の感情だけを優先した言葉。それを、ようやく聞けた。
我が儘を言われて、こんな感情になるのは不自然なのだろうか。俺は今、とっても幸せだと感じている。夏希に我が儘を言われただけで、自分が夏希の深い部分にいるのではないかと思えるから。
「もっと、我が儘言ってもいいよ。無責任なことは言えないけど、今の俺にできることなら、最大限やるから」
俺はそう言って俺は夏希に向かって笑顔を向ける。
いつもの俺らしい苦笑にも似た曖昧な笑み。けれどそれは、俺が感情を表に出せているという証であって、今までの激情とは少し違う俺の新しい表現方法だ。
こんな当然のことでも、俺は今まで出来ていなかった気がする。
変に平静を装って、気持ちは口には出さず、感情は行動で示さない。旗から見れば無感情無気力な人間にも見えていたこの俺は、今この瞬間に、人間らしくなれた。
恋愛なんていう不完全なものにとらわれて、どうしよもなく抑えられない心の揺れが、今の俺を作り出している。
俺の米粒程度にも満たない小さすぎる約束に対して夏希は小さく「じゃあ」と言う。
「……前に、悠喜がやってたゲーム、やりたい……」
「ゲーム?」
夏希の前でゲームなんてしたことがあったかと思い疑問符付きの言葉を口にする。
「ほ、ほら、あの時……やってたのッ」
頬を染めて焦ったように早口で言う夏希だが、俺は一体何のことを言っているのかわからない。
俺がなおもハテナマークを浮かべているのを見て、夏希は付け足すように言う。
「か、風美とやってた、あれッ」
あれ、と言われて今まであったことを思い返してみる。
風美と俺がやっていたゲーム。向こうの世界ならば音ゲーをやった記憶があるが、こっちの世界になると夏希はおろか、風美とゲームをしたことはないはずだ。
と俺の頭の中でケータイゲーム機やら、テレビゲーム機の方ばかり想像していたので気づかなかったが、つい最近この世界ですこし変わったゲームをやったのを思い出す。
俺はようやく夏希が何を言っているのか分かり、、軽く微笑む。
「……夏季が、それでいいなら……」
俺は少し口ごもりながら、さきほどした約束を守るために夏希の願いを聞き入れる。
「……じゃ、じゃあ帰ろうッ。その……あたしの家に……」
俺は分かったと一言で答える。
今言った言葉が恥ずかしかったのか、それともその前の自分の発言を恥ずかしいと思ったのか、それとも俺が了想したからなのかはわからないが、夏希はまたも赤面する。耳まで真っ赤で、いつだか二人で出かけた時のことを思い出す。
俺はそんな夏希を見ながら、いつもと変わらない冷静を取り繕った表情で、自分の火照りそうになる頬を隠しながら俺は心の中で思う。
――コンビニにでも寄って、お菓子買わないとな。
感想、誤字脱字のしてき等よろしくお願いします。