二人の世界は Ⅱ
「…………悠喜?」
なんで、と夏希の口が動く。けど、声は出ていない。
その言葉は、俺がここにいることに対して言った言葉なのであろう。そんなことはすぐにわかったが、むしろそれは俺のセリフだと言いたくなる。
家にいなかったことに対してもそうだが、それ以上に今お前は何で泣いているんだと、そう言う意味で「なんで」と言いたくなった。
いや、もしかしたら、その二つの疑問はひとつのことなのかもしれない。
ここで泣いていた理由というより、家に帰らなかった理由が泣いているということなのかもしれないと、俺は直感的に思った。
「こんなとこで何してんだ? 寒いだろ」
だから気付かないふりをする。もしも夏希が本当に自分の泣いている姿を見せたくなくてここへ逃げてきたのだとしたら、俺はそれに気付かなかったという結果のほうがいいはずだ。そのほうが、夏希のことを考えてやれてるということになるのではないかと思ったから、俺は見てないことにしたかった。
「……風美は? うまくいったの?」
声が震えているのは、寒いからだろう。
「……うまくいったって、どういうことだよ……まったく」
呆れたふうに吐息と混ぜて声を出す。
本心ではどう答えたらいいかわからない。関係ないだろとも、うまくいかなかったとも言えない。そもそも風美のことは、俺が道を誤って、その先に行き着いてしまったねじ曲がった自分の答えだったのだから。
夏季が、俺の腕に包まれたまま、抵抗しようともせずに言葉を紡ぐ。
「悠喜は、風美のことが好きなんでしょ……? 今日、風美と会ってたんじゃなかったの?」
言葉足らずで言わんとしていることの全てを理解することは出来ないが、確かに分かる事は、夏希は風美に聞いていたのだということ。
風美だって言っていた。夏希に俺のことを聞いたと。多分その時、俺と会うとか言ったのだろう。そんなことする意味なんて本当はない。風美が得することは何もないんだ。
けど、風美はあえてそれを言ったのだと、今ならばわかる。
風美は夏希に素直になって欲しかったのだ。もっと自分の望みを口にして、自分を無理矢理にでも止めて、もっといい結果を出して欲しいと思ったのだろう。
それは、もしかしたら風美の勘違いで、我が儘を言っているだけなのかもしれないけれど、それでも風美は確かめたかったのだろう。夏希の気持ちを。
夏季が自分の言った言葉で悲しそうな表情をしたり、苦しそうな感じがしたのなら、それが証明になる。そんなふうに考えたのではないだろうか。
風美は、それで確信できたのだろう。だから俺に向かって言ったんだ。それが勘違いなんかじゃないと思ったから、俺に言ったんだ。
そして俺は風美と同じように思った。
手遅れになってしまうのは嫌だと。
風美は夏希の気持ちを尊重し、逆に夏希は風美の気持ちを尊重しようとした。それに加えて俺の気持ちも尊重して、風美と会わせてくれたりしたんだ。
そんな二人の気持ちを俺も尊重したいから、夏希の質問に正直に答える。
「会ってたよ。俺は、そこで風美に告白した」
「……どうだったの……付き合うの?」
「いや、付き合わない。俺、馬鹿だったんだよ。告白したくせに、好きじゃないってさ。自分の気持ちに気付いてなかったんだよ」
「……悠喜は、ずっと前から風美が好きで――」
「風美が好きだったわけじゃない。言われて初めて気づいたよ。この世界の風美と元の世界の風美は別人だって。同じだって思った自分が馬鹿だって思ったよ。俺は、この世界の風美に事を、ちゃんと見てなかった。向こうの世界の風美と一緒にしてたから、そういうふうに思っただけだったんだ。…………そうじゃないな……」
俺はそこで思う。風美のことを好きだと思った理由。なぜこの世界に来てからそう自覚したのだろうか。なぜそれまでには気付かなかったのだろうか。
なくしてから気付く。それはよくあることかもしれない。けれど、大切な人をなくして、初めてそこでその人のことをそう自覚するのは、おかしいことだ。ましてや、さっき風美がが言ったように、可愛いと思ったことがないのならばそれは異性として見れてないのではないのかと、俺は向こうの世界の風美に対してもそんな感情を抱いたことはないのではないかと、考えが回る。
「……俺はさ……向こうの世界になんて縋り付くものはなかったんだ。けど、この世界じゃ自分が何をやっても、それ以前に自分がいないこの世界じゃ、なんにもならない。それが嫌だったんだ」
熱中するものも、大切にしていたものも、得意としていたことすらなかった。まるっきり生きるということに対して興味が無かった。
けど、俺は人と付き合うのが苦手でも、嫌いではなかったんだ。だから、俺は自分の存在が認められる場所に帰りたかった。
「けど俺には、向こうの世界に帰りたいなんて言い貼れるような理由がなかったんだ。だから俺は――」
ただ理由が欲しいだけで。本当は口先だけで。
ただそれだけのために、俺は――
「――風美が好きだって、思い込もうとしたんだ」
もちろん風美に事を大切だと思っていなかったわけではない。けれどそれはあくまで、友達としてだった。けど、それじゃあ帰りたいという理由には薄い気がして、無理に思い込もうとして、その結果俺は、自分の思い込みから抜け出せなくなったんだ。
「本当は、風美のことを女の子として好きだとは、思ってなかったんだ。それを、風美自身に指摘されて、気が付いた」
「…………風美に言われたから、思い込んでるだけじゃないの……」
夏季が声のトーンを落として聞いてくる。クエスチョンマークの証である語尾を上げるということすらできないような声で。
俺はその疑問を、すがり付くような問いかけを、真っすぐから破壊する。
「違うよ」
俺は、夏希に指摘されても、揺らがない。
風美との話だと、理由だのなんだの、そんなことばっかり言っていた。けれど、俺の中ではそれよりも明確に、それを証明するような出来事が起きていたんだ。
夏希といると楽しい。
夏希を見てると頬が緩む。
夏希のことが可愛くて愛おしい。
始めてあった時から、夏希のことを可愛いと思っていた。だからこれはおもしかしたら、一目惚れと言うやつだったのかもしれない。
けれどそれは俺自身が気付かなかった。。その時は、もう周りを見ることなんてできなくなってしまっていたんだ。
でも、今は違う。
今はモヤもフィルターも何一つかかっていない。自分の思ったことは本物だと確信できる。何一つ間違いなんかではないと。
始めは一目惚れだったとしても、一緒にいて、間近で彼女を見て、それが凝固たるものに変わって行ったんだ。見た目だけのものではなく、彼女の全てを見て、それが好きだと思えるようになったんだ。
それだけじゃなく、もちろん文句だっていっぱいあるさ。けど、そんな物はどうでもいいくらいに好きになってしまった。
好きで好きでたまらないからこそ、彼女のマイナスになるような部分も見つけたいと思った。
それなのに俺は今まで気付かなかった。
元の世界に帰ると決めてしまったから、ほかのことを見ていられなかったんだ。
ずっと夏希の近くにいたくせに。
「……言われたからじゃない。俺自身の気持ちだ」
もう迷わないと決めた。もう隠さないし、見失わない。理由なんか後付けだって構わないから、自分が求めるものを間違えてしまわないうちに、自分自身でそれを手に入れなきゃいけない。
それと同時に俺は渡さなきゃいけない。欲しいと思ったものと同等の価値を持つものを。
……いや、違うな。まったく俺はなんでまた難しく考えようとしてるんだ。そんな等価交換みたいなこと考えなくたっていいじゃないか。俺自身が今まで他人に行ってきた言葉じゃないか。我が儘になっても良いって。
だったら、この我が儘だけは許してもらおう。他には、何もいらないから。
都合良く自分の気持ちに気付いたとか言って、自分で好きだと言っていた人を自らで振って、それで自分だけが幸せになろうとしている。
とんでもなく我が儘だ。けど、これだけは許して欲しい。
神様にではなく、風美に許してもらいたい。
この結末は、多分、誰もが望んでいた結末なんだ。俺だけじゃない、風美だってそうだ。七海だって姉のことを一番に考えて、その当人である夏希だって、きっと……。
「自分勝手でも、それが俺の気持ちだ。今は、堂々と言える…………夏希――」
――お前は、多分またここでも何かを言って俺を困らせるんだよな。誰かのことを気遣ってさ。
俺は今までになく穏やかな気持ちでいた。さっきまでいろんな感情が俺の中で渦を巻いていたというのに、今はそれが微塵も残っていないかのように落ち着いている。
――でも、それが空回りして、みんながみんな誰かのためにと思ってやったことが、誰のためにもならなくなるんだよ。みんなに思われてる人は、その気持ちを汲み取って、ほんのちょっとその人たちが求めた我が儘を言ってやんなきゃいけないんだ。
自分の我が儘と、相手の我が儘。
もしもその二つが合わさることで、幸せが生まれるとしたら。俺はこの世界に来た意味があったかもしれないと思うことができる。
そんな言葉も綺麗事だと自分で思う。憶測で夏希の気持ちを決め付けてこんなふうに考えて、それで綺麗な終わり方に持っていこうとしている。夏希に気持ちを聞いてすらいないのに。
――だから夏希。俺は言うよ。俺が望むその先に向かうために。
「――ずっと、こうしたかったんだ。夏希のことを、抱きしめたかった」
自分の欲望を口にする。
好きだなんて言葉は、俺には似合わない。そんな綺麗な言葉は、俺がそう簡単に口にしていい言葉じゃない。
一度間違ってその言葉を使ってしまった俺に、その権利はないのだから。
文脈はめちゃくちゃ、前置きも長くて、押し付けがましい言い方だけど、それが俺だ。その俺を隠していては、夏希のことを望む資格なんてない。
「……変だよ。悠喜は、あたしにこんなことしない。あたしは悠喜にとって、そういう人じゃないんだから」
「……お前は、それでいいと思うのか? …………いい訳ないよな、そんな悲しそうな顔するんだから」
「……違うよ。悠喜が、間違ってるから、こんな顔、しちゃうだけ、だよ……」
「……無理に喋んなくていい。それと、泣くのを我慢しなくていいよ」
「我慢なんて、してないよ……」
とぎれとぎれの声は、無理やり絞り出しているようで。俺には苦しく見えた。
夏希は、俺と同じことをやろうとしているように見える。思い込んで、自分の中の何かを消してしまおうとしているかのように。
なら、俺がそれを消してあげるべきだろう。
そんな間違った努力を、俺が消してあげるべきだろう。
じゃあ、どうする? 綺麗な言葉は俺らしくない。だからといって遠まわしな言葉では伝わらないだろう。
なら、俺は今どんな言葉を投げかけてやればいいのだろう。
…………言葉、か。
それだけじゃないな、夏希の靄を消してあげられる方法は。
もっと簡単なのがあるじゃないか。不器用な人間に最適な方法が。
俺は夏希を抱きしめていた腕を解き、夏希の肩に手を置き、夏希の顔を伺おうとする。けれど夏希はそれすらも隠そうと顔をそらしてしまう。
でも、夏希は今まで俺が抱きしめていたというのに否定していた、じゃあ、もしかしたらこれもダメかもしれない。
だったら、やっぱり言葉が一番なのだろうか。
あんな綺麗な言葉を、俺が口にしてしまってもいいのだろうか。
もう一度その言葉を、口にしてしまって、その言葉が更にすさんだものになってしまって、それでいいのだろうか。
……いやむしろ、だからこそ言うべきなのかもしれない。すさんでしまった俺の言葉ならば、もうそれは綺麗な言葉ではない。なら、その汚れてしまった言葉で、汚れてしまった俺をすべてさらけ出してしまおう。
都合のいい行動ばかりの、この汚い自分を。
「…………夏希――」
それで、夏希に教えてやるんだ。俺と同じ間違いをさせないためにも。
俺は夏希の顔を下から覗き込むような体制になりながら一言。
「――好きだよ」
汚れてしまった一言を口にして、夏希の胸に俺の思いを届ける。
何ヶ月か更新できていなかったので、書きました。
感想、誤字脱字のしてき等ありましたらよろしくお願いします。