妹だったら 14
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「七海、本当にいいのか?」
曇天の中、小さいチェック柄の傘を片手に持ちながら俺はもう一度七海に確認を取る。
あのあと、すぐに部屋を出た七海が心配で俺も付いていくことにした訳だが、ここに来てまでまた俺は悩んでいた、というか心配していた。
最寄りの駅から電車に乗り一つとなりの駅、俺が七海の傷を抉ってしまった街に来た。
電車に乗るとき七海が過剰に周囲を警戒するのでもうすでにそのストーカー男が近くにいるのかと思ったが、周囲を見渡したところで俺はそいつがどんな人物なのかを知らないので判断することは出来ないが、あからさまに怪しい奴はいなかった。
電車は七海にとって最も使いたくない乗り物なのだろう。それもそうだ、七海は電車に乗っている最中にそのストーカー男に痴漢されかけているのだ。それなのに七海はわざわざ俺の意見を無視して電車に乗っていくと言った。七海にどんな意図があるのかはわからないが、逃げたくないと思ったのかもしれない。電車に乗るのを避け続けるようなら自分はいつまでもあのことを引き摺ったままなのではないかと思って、あえて電車に乗って立ち向かおうとしたのではないだろうか。
七海なりに決意して俺たちはここに来たわけだが、今きて意味があるのだろうか。
七海の精神状態がどうとかいう話じゃない、むしろななみの精神状態を言うなら今が最適と言えるだろう。だが、今は平日の正午前。このの時間帯にそのストーカーとやらはこんな場所にいるのだろうか。
そのストーカーだってこの世界の住人で、自分の生活があるはずだ。社会人なら働きにいかなくてはいけえない、それ以外でも学校に行く等と、この時間帯に街を歩いているなどということがあるのだろうか。いや、七海はこれからそのストーカーの家に行こうとしているのか? 七海はストーカーの家を知っているのか? 仮に家を知っていたとしてもさっきと同じ理由で家にいない確率の方が圧倒的に高い。それでも七海が今行動したということは、会えると確信していたからなのだろうか。そのへんのことはよくわからない、けど俺はここで七海がストーカーに会っていいのかどうか分からない。心理状態はいいが、会って七海に危険が及ぶようなことはないのか、という心配があるのだ。そのストーカー男は七海をつけ回すだけじゃなかったんだ、痴漢という行為にまで及ぼうとした。そんな相手と七海を合わせていいのかと俺は悩んでいる。もちろん俺だって七海を守る気でいるが、あくまでこれはななみ自身が解決しなければいけないことだ。だからずっと俺がそばにいて七海の代理のように喋ってしまってはいけない。そんなことは今の七海にはないと思うが、俺がいるだけで七海は甘えてしまうんじゃないかと思う。俺だってそうだ、自分の恐怖と戦うというのは一人で立ち向かえば壊れてしまうかもしれない、そばに誰かかいれば頼ってしまうかもしれない。人間の行動パターンだ。七海も例外じゃない。だから俺は悩んでいる、七海のために何をすべきか。
視線を前方から右隣にいる七海へ移す。
上は厚手の女性用パーカー、これは問題無い。だが下半身はショートパンツにニーソという格好だった。この格好も俺の心配する理由の一つだ。
そのストーカーが七海の姿を見て何かをしてくるんじゃないかという不安が一層高まる。
他人にあまり関心がない俺から言わせても、実の妹とは思えない容姿のスペックの高さを備えている七海だ。太ももを露出させているだけで、いやそれ以前に容姿だけでも注目を集めるのに、冬場にこんな服を着ているのは視線を集めようとしているとしか思えないほどのものだ。女子からしたら普通であっても男子の俺からしたらこの服装は少なからず気にかける。ストーカー男ならば気にかけるだけではないだろう、何か卑猥な言葉を投げかけてくるかもしれない。
などと俺は誰がどうみても過剰としか思えないほどの心配をしていた。
「うん、今じゃないと、あたしが逃げちゃうから」
そういう七海は不安そうな俺とは正反対にたくましく、なぜかそれが男と会うことがわかりきっているようで余計俺を不安にさせる。
と、七海は突然立ち止まり言った。
「だから、逢うのはあたし一人にして」
それはどうしても聞き入れられない言葉であって、けどその判断は正しいと思ってしまう俺もいた。さっきも言ったように、誰かが一緒だと人は――。
「ここまでついて来てもらって自分勝手だけど、一緒にこられると、頼っちゃうから。あたし一人で行かせて。絶対大丈夫だから」
「…………分かった」
決意の篭った声でそう言われると、七海の意思を尊重せざるおえない。
「ありがとう、ここまででいいよ。一人でいかないと、あの人は多分出てこないから」
そういう七海は、どこか物怖じしない兵隊のような強い空気をまとっていて、俺に不安を感じさせると同時に安心もしているような気がして、俺は七海から目をそらして少し考える。いつ雨が降り出しても不思議ではない暗い雲に覆われた空を見上げて。
俺は一言だけ、いうことにする。
「……すぐ雨が振るかもしれないから、すぐに戻ってこいよ」
「うん」
七海は傘を持ってきていない。いや、正確には七海の傘はある。俺が今持っているのが七海の傘だ。俺は手ぶらでこの世界に来たから自分の傘がない。家にもななみの分の傘しかなく、この一本しか持ってきていない。
だから七海に今この傘を渡すべきだろうが、俺はそれをしない。だからかわりに。
「俺はここで待ってるから、ここに戻ってこいよ」
それだけ言う。必ず無事に、何もされずに戻ってこいよと言う。
「うん、分かった。…………行ってきます」
そう言うと七海は歩き出して、俺はその少し大きく見える背中を見ながら考えた。
男の俺なんかより、よっぽどたくましいじゃんか。なんか俺、ちょっと心配し過ぎなのかな? なんて、ようやく自分の馬鹿さ加減に気付く。
そうだ、元の世界でも七海は俺なんかよりもずっとしっかりしてたじゃないか。それを何偉そうに年上ぶって、兄貴ぶって心配なんて偉そうなことしてるんだ。
自分の行っていたことを思い出し軽く恥ずかしくなる。
でも、七海を焚きつけたのは俺だ。ここでもし七海に何かがあった場合は完全に俺の責任だ。だから、七海の帰りが遅いようなら即効で探し出そう。
と、また偉そうなことを考えながら俺は心の中でつぶやいた。
そうだな、今から十分以内に帰ってこなかったら探しに行こう。
あたしは半分以上否定して欲しくて言った一人にしてという言葉のせいで今現在本当に一人になってしまっていた。
ただ、これでよかったとも思ってる。こうしなければあのストーカー男はでてこないだろうから。ストーカーなんていうことをするのは勇気がないから。ストーカーという行為も間違った意味で勇気のある行動だが、自分をそう言った歪んだ形でしか表現できない、真正面から正当な方法で向かってこれない臆病さがあるから。だから、そんなあの男はあたしのそばに誰かが――特に男の人がいたら姿を現さないと思った。
あたしは結局素直に自分の気持ちを伝えたわけではない。否定して欲しかった、一人では行くなと言って欲しかったのに、なぜかその反対のことを言ってしまった。空元気のように、偽物の決意で言ってしまった。
あたしは期待していたのかもしれない、あの男なら自分のことを引き止めてついてきてくれるのではないかと。優しいあの男ならば自分を一人にしないでくれるかもしれないと。
だがその期待は見事に裏切られあたしは今たった一人で路地裏に入り込んでいた。
こんな場所では誰も自分を見つけられない、一緒に来てくれたあの男の人も、もちろんストーカーだって。
でも分かっている。あのストーカー男は絶対に自分を見つけ出してくる。こんな時間帯でも、どこにいたとしても。なぜならストーカーだから。
あたしは自分をつけまわしていた男が住んでいる場所を知っているわけではない。いやむしろ、知っていたのなら近づきたくないから自分はその場所に目を瞑ってしまう。だから絶対にあの男が来ると確信できる、しかし他人から見たらそれはただの推測に過ぎないと思われてしまう場所を選んだ。
路地裏という、あたし以外誰一人いないこの場所を。
さっきの表通りはいろいろな店がやっていたので人もまだいたが、ここはまるっきり一人もいない。不良が屯ていることもないし、猫の一匹だって見つけられない。おまけに空は曇天、周りは灰色の壁。人のざわめきはもちろん聞こえず、聞こえてくるのは時折駅から出発した電車の通過する音だけ。心細い、なんてものじゃない。
「…………一緒に、いて……って、言えばよかったな……」
ポツリと漏らした胸中のせいで後悔の念が濁流のように迫ってくる。
でも、今更遅い。ここまで来てしまったら、相手が来てしまったらあとは自分一人の力で何とかしなくてはいけないのだから。
「……こんなところに来て、誘ってるのかい?」
腰をひねり自分の背後を振り返ると、そこには大学生くらいの割と顔立ちのよい男性が自分に対して嫌悪を抱くような言葉を口にしていた。
あたしは恐怖と憎悪と嫌悪を抱えて、怯みそうになりながらもまっすぐとその男を見る。
間違いなくストーカーをしてきたあの男だ。
あたしは背筋を虫が這うような嫌な感覚に耐えながら精一杯の鋭い声で言う。
「あんたなんか誘わないわよ、この犯罪者ッ」
いつだかお姉ちゃんの彼氏にも吐き捨ててしまった最低な言葉。けれども、今はこんな言葉を使っても許される、女の子が口にしてはいけないような汚い言葉も許されるとあたしは思う。
「……強がっちゃって。脚、震えてるよ」
唇を噛む。自分の体に無理やり力を入れて震えを止めようとする。
そんなことをしても簡単には震えは止まってくれない。自分の体に刻まれた恐怖はそう簡単に自分の意志で消えてはくれない。
「ねぇ、君は僕のことを気弱なストーカーだとでも思ってる? そんな風に見てくれだけを強くしたって僕には意味ないよ」
いつものあたしなら、言い返すことは絶対にするはずだ。けど、それすらできない。唇をかんで痛みで全てを忘れようとする。けれど成功しない。
あたしの頭の中は怖いという気持ちと、気持ち悪いという感覚だけで支配されている。
「気弱なストーカーなんてあんまりいないと思うよ。そんな希望的観測捨てたほうがいい。自分で言うのもなんだけど、僕は標的の君から気持ち悪い人に見えるんだろう? 僕のはアイドルの追っかけと同じにしてもらっちゃ困る。僕はあくまで君を標的にしているんだ。これがどう言う意味かわかる?」
口を動かせない。男はしゃべり続ける。
「あれの大半は届かない高嶺の花を崇めているだけ。でも僕は手に入れられるものから価値の有りそうなものを選んだんだ。一般人の君をね」
男は、勝ち誇ったようにポケットに手を突っ込んだままゆっくりと近づいてくる。
あたしは自分の中の恐怖と戦うのに必死で気づいてすらいない。
「そういえばさっき君、誘わないって言ったよね。じゃあ何かな、僕をどうしようと思ったの? 正々堂々戦って勝つとか? 一つ言わせてもらうなら、そんなことせずにさっさと警察にでも行けばいいじゃないか」
まさかのストーカー本人からのアドバイスも、あたしには届いていない。
あたしは自分を叱咤する。決意したんだ、逃げないんだ、進歩しないで、止まったままで終わりたくなんかないと。
だがたった一人震えているか弱い小さな少女はとても繊細で、壊れ易い。
男があたしの目の前で止まる、そこでようやく男が近づいてきたのに気がつく。
「そうすれば、こんな目にあうこともないよ?」
男の伸ばした手が迫ってくる。あたしの硬直していた体が頭からの命令ではなく、体に刻まれた恐怖から生み出された命令信号によって強制的に動く。自分に迫る大嫌いな手を避けようと後ろに下がりながら自分の右手で出来る限りの大きな力で弾く。その瞬間、同時にあたしの叫び声が路地裏に響き渡る。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!」
強制的に動かされた体は重心を維持できずに尻餅を付いてしまう。
あたしはそのまま立ち上がることもできずまたしても硬直してしまう。
「そんなに怖い?」
男が心底不思議そうに訊ねてくる。なぜ不思議がるのだろうか、そう思うだろう。
見ず知らずの自分よりはるかに大きい男の人にストーカーなんていうことをされたんだから。確かにこんな気持ちは女性ならではなのかもしれない。けれども、そんなことは関係なく、男は今自分がしていることが相手にどれだけ嫌な気分を味あわせているのか知っていなくてはいけない。自分のしていることだからこそ。
あたしは足を少し後ろに引いて力を入れる。立ち上がろうとするがうまく足が動いてくれない。自分の体が言うことを聞いてくれないという状況がさらに不安を感じさせる。あたしは自分の瞳にだんだんと涙が溜まっていくのを感じる。その涙すらなかったことにするべく、無理やりに立ち上がる。震えて、今にも倒れてしまいそうな細い足で。
「こ、怖くなんかない…………ぃ……」
自分では精一杯大きな、威嚇するような声を出したつもりだったが、その声は震えいえ付かん等かけらもなく、むしろ自分の弱い部分を晒してしまっただけだった。
震える自分の声を聞いただけでまたさらに誰かのそばにいたいという欲求が爆発的に湧き上がってくる、心細いという単語では表しきれないなんとも言えない泣き出してしまいそうになるほどのここで感じるはずのない焦燥感に潰れそうになってしまう。
逃げてしまいたいと切に願う。逃げてしまってはいけないと頭の中で自制していた先ほどののような意志で自分を動かすことができない。思ったまま、逃げ出したくなる。
遠くの方でかすかに電車の通る音が聞こえる。
こんな場所からどうやって逃げ出す。出口はもとの道をもどるだけの簡単な方法でたどり着ける。けれどもそこにはあの男がいる。逃げ出すことなどできない。
「逃げれるなら逃げればいいよ、ほら」
あたしは目の前に突然男が現れたように感じ、まるで瞬間移動でもしたのではないかとうい錯覚に陥ってしまう。だが、そんなものでは終わらない。さらにあたしは混乱させられる。男は言い終わると同時にあたしの両肩に自分の手を乗せてきた。
「ッぅ!!!」
かろうじて叫ぶことはなく、しかし弾かれた様に飛び上がってしまう。
「ほら、逃げられる?」
そう言うと同時、男はあたしの顔の前に自分の顔を持っていく。あたしの視界いっぱいに男の顔が広がる。嫌だ、もう怖くて嫌、嫌という言葉だけが頭の中を埋める。顔をそらすこともできず、ただ目を瞑る。すると目尻から一筋の水滴が流れる。
「可愛いね。そんなに怖いんだ」
自分の頬を伝っていく涙に気づいてしまい、さらに男に可愛いという単語だけなら嬉しいはずの、しかし猛烈に寒気を感じる言葉が二重であたしを責め立てる。
逃げ出せない現実ばかりが鮮明に見えてくる。
触られている。胸などのいやらしい部分ではないがそれがとても嫌だ。自分の体に目の前の男が触れているというだけで耐えることができない。震えを止めようとする意思すらどこかに消え去ってしまった。
「…………め……ぇ…………」
うめき声のような嗚咽のような声があたしの口から小さく発せられる。
きつく閉じた両の瞳からは絶え間なく涙が流れ続けている。震えも止まらず膝から倒れてしまいそうになる。
「もぉ…………や、だぁ…………ぅ……」
あたしは涙でうまく発音することができない口をそれでも必死に動かしなんとか言葉として聞き取れる声を出す。
両目を瞑ったままではいけないと思い、涙で濡れた瞳を男に向ける。そしてあたしは両手にきゅっと力を入れて、今出せる最大限の音量で叫ぶ。
「もぅ……やめてぇ……。もう、ストーカーするのやめてぇ!」
そう叫ぶと男は愉快そうに顔を歪め、さらにあたしの顔に顔を寄せる。
何も言えなくなる。何も出来なくなる。できるのは頭の中での拒絶。
――やだッ、やめてッ、あたしはまだ、汚れたくなんかない!
無意識にまた目を瞑ってしまう。現実から逃げようと。
助けに来て欲しい。誰でもいい、どんな人でもあたしを助けてくれるなら誰だっていい。そう思っているのに浮かぶ顔はたった一つ。お姉ちゃんの彼氏で、お姉ちゃんに似てて、自分であれこれ悩んで、とても優しい人。
その人は今、表通りの方であたしの帰りを待っている……ハズだった。
「おい、ふざけんじゃねぇよ」
荒々しい男の声、けれども目の前のストーカー男の声とは似ても似つかないあたしが唯一信頼できる男性の声。自分のことを焚きつけた張本人。
目を開き、その声のしたほうを見る。そこにいたのは予想通りの人物で――。
学ラン姿の少年は自分よりも大きい大学生の男の肩に手を置いていて、男が少年の方を向くと同時、男は少年に肩を勢いよく引かれバランスを崩したところに少年の力いっぱいの拳が飛んできた。
――涙がでそうになった。恐怖から生まれる涙ではなく、安堵から生まれる暖かい涙。来て欲しいって思ったら、来てくれた。嬉しかった――。
「七海は今、やめてくれって言っただろうが!!」
――自分のために怒りをあらわにしてくれる人が目の前にいてくれることが。