妹だったら 13
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翌朝、予想できなかった緊急事態が起きた。
現在時刻は八時、今から学校に向かうのだとしたら走らなくては余裕を持って学校につくことができなくなってしまっている時間帯。そんな状況で俺の今いる清水家では信じがたいことが起きていた。
朝になっても、七海が部屋から出てこないのだ。
七海の部屋には鍵がかかっており、いくら呼びかけても返事一つ返ってこない。
そんな状況で悩んでいた母さんに俺たちもつきそうような形で今七海の部屋の前に集まって必死に七海に呼びかけていた。
「七海、どうしたの? 具合でも悪いの……?」
心配そうにドアの前に立って向こう側にいるであろう七海に話しかける夏希。
「七海。朝ごはん冷めちゃわよ? 早く降りてきなさい」
一見同様など全くしていないように見えるいつも通りの優しい声で語りかける母さん。
父さんは既に仕事に行ってしまったためここにはいない。そしてここにいる唯一の男の俺は七海に声をかけられずにいた。今俺はものすごく困惑していた。
朝起きたらいきなりこんなことが起きたのだ。状況の整理ができなくて俺はただ立ち尽くすだけで何もできない。ほんの一言、声をかけてやることもできない。
なんでこんなことが……。何が起きたんだ……? 俺が七海の傷口の触れたからいけなかったのか? 表に出さなかっただけで本当は俺に向かって憎悪と恐怖を増幅させていたのか? くそッ、なんだよ、やっぱり俺は自分勝手で自己満足のためにばっかり動いてるクズだ! 七海の本当の気持ちに気づいてやることもできない鈍感な馬鹿野郎だッ!
俺は自己嫌悪で自分自身を殺したくなる。
母さんがはぁ、息を吐き夏希に少しほっておいてあげようとでも言うかのように肩を叩く。夏希はすこし抵抗するような素振りを見せたが、母さんの言うことが正論だと思ったのかうつむいて階段を降っていった。
そして階段を降っているとき、母さんは俺に視線を向けて来た。その視線は無駄な言葉を省いて何かを俺に伝えようとしているかのようだった。だが、鈍感な俺はそう言う言葉のない会話はうまくできない、だから予想するしかない、母さんが俺になんて言っていたのかを。そして俺が出した答えは簡単で単純な一言だった。
――七海の近くにいてあげてね。
俺の脳内で母さんの声が響き渡る。俺の予想が頭の中で俺の中でだけの確信へと変化する。この状況で俺一人をここに残した母さんの考えだ、考えられるのはたったそれだけ。もし俺をここから離れさせるべきだと考えたら夏希を連れて行くと同時に俺も一緒に連れていくだろう。それをしなかったのは多分、俺にはここにいて欲しかったからじゃないだろうか。俺の単純な思考回路じゃこんな発想をするのが限界だ。だから俺が出したこの予想は母さんみたいな人の心を敏感に受信できる人の考えを受け取ることは出来ないかもしれない、でもだからこそ、そんな俺のことをどことなく理解してくれているあの人なら、俺に伝えやすいようにそうするはずだ。
俺は自分の予想した母さんの言葉を信じてここにいることにした。
俺は何か言葉をかけるでもなく、ただそこに立っているだけ。他には何もしない。
下の階でガチャ、と玄関の開く音がする。そして夏希の元気のない声が聞こえてくる。
「……いってきます……。七海、ちゃんと学校行くんだよ……?」
それだけ言うと夏希は玄関から姿を消して学校に行ってしまった。
今日の空は昨日に引き続き曇天だった。雨が降りそうな灰色より黒に近い空。昨日の曇天は、この展開でも予知していたのだろうか。だからこんな今の清水家全員の心情を合わせたかのような重苦しい色をしているのだろうか。
俺は鍵の掛けられた七海の部屋のドアを見つめる。
個のドアの向こうで、今七海はなにをしているんだろう。何を思ってこんなことをしたのだろう。ここから何か語りかければ聞こえるのだろうか。
俺の頭に浮かんでくるのはいつもと同じ、行動できないでただ待つだけの受動態の疑問形の言葉ばかり。断定的な言葉は一つも浮かんでこない。
行動もせずにただそこに立ちつくしたまま時間が流れる。
下の階から聞こえていた水の流れる音と、食器のカチャカチャという音が途切れ洗濯機が動く音も止む。母さんはいつもと変わらずに家事をしている。今起きているこの深刻な事態など気付いていないかのようにいつも通りだ。
母さんが洗濯物を干しに二階に上がってくる。七海の部屋には目も向けずに階段を上って右側にある姉妹の部屋とは逆の右側のベランダのあるほうに真っ直ぐに向かう。
……母さんも、戸惑ってるんだろうな、と直感的にそう思った。
だって、今日の天気を見ればすぐに気付く。今日は曇天だ、雨が降りそうなほどの曇り空。だというのに母さんはわざわざベランダに干しに来た。母さんは普段こういう日は脱水機にかけて雨が降った時のために部屋干しをしていた。なのに今日は無理にいつもどおりにふるまおうとしたのか、べランダに洗濯物を干しに来た。表情には一切出さないけど、母さんも戸惑っているんだと俺はなぜか少しホッとしてしまう。
母さんがとりあえず洗濯物をベランダに干し終わると一階におり、そして一度リビングに入ってから玄関に向かった。
「七海、回覧板まわしてくるついでに何か買ってきてほしいものあったら買ってくるけど……何かほしい?」
母さんが玄関から七海に向かってそう問いかけるが、返ってくる返事はない。
「……じゃあ、家にいる人一人になっちゃうから少しお留守番お願いね」
え? 一人? 七海と俺で二人じゃないか?
「リビングのテーブルの上に朝ごはんのおかずが残ってるから、食べたかったら食べてね」
そう言い残して母さんは出かけてしまう。家に残ったのは七海と俺の二人だけだ。
だが、なぜ? 何で母さんは家にいるのが一人などと言ったのだろうか。そんなことを言ったら七海が不安でよけいに部屋から出てこなくなるんじゃないか? 俺は母さんがなぜあんなことを言ったのか理解できなくてしばらくそのことを考えていた。
と、カチャという解錠音が目の前から聞こえてきて俺の意識が目の前に集中する。
そしてドアノブがゆっくりと重たそうに動き、ドアが小さく口をあける。
「七海…………?」
「ッ!?」
七海が息を呑む気配がしたと思うとガチャッ、っとというドアが閉まる鋭い音とともに再び施錠音がする。
「待てよ七海ッ…………」
そこでようやくわかった。母さんが一人などといった理由が。
多分七海は母さんたちの前に出て行きたくなかった。そう考えたのだろう。女の子の心は複雑と言うから、そこは女同士の間でしか理解できない物があるだろうが、母さんは娘のそういう心を読み取って家に七海から見て一人しかいないという状況を作り出したのだ。
それに、七海は昨日の夜から何も食べてないんだ。何か食べようと動くということもあったかもしれない。だから付け足しのようにリビングにあるという風に言ったのだ。
七海が再び閉じてしまったドアが俺の前に壁として立ちふさがる。
俺は母さんのその意図をくみ取れず声を出してしまった。それがいけなかったんだ。
「七海、本当にどうしたんだよ…………一昨日俺が色々やったのがいけなかったのか?」
でも、だからってここでまた黙ったって何の意味もない。ここは会話をするべきだ。七海に無視されて会話が成立するかわからないが、とにかく言葉を投げかける。
「なぁ、みんな心配してるんだ、空元気でもいいからちゃんとみんなの前に出てこいよ……」
もちろん七海からの返事はない。俺のただの独り言のようになってしまってる。
俺は立っているのが嫌になってきたのでドアのすぐ横の壁にもたれかかり、そのままズルズルと下がり、座り込む。
「はぁ…………。七海、みんな信用できないのか? だから出てこないのか?」
俺は片膝を曲げ、その膝の上に両手を重ねて置く。
「七海、聞いてないなら別にいいんだけど…………。何で一人になりたいんだよ。それだけでもいいからさ、答えてくれよ」
それでもなお、返ってくる言葉はない……。
七海が聞いてないなら、もう俺の独り言だ。でも、聞いていると信じて七海に言葉を投げかけ続ける。
「やっぱり、男の人は嫌いなのか? 俺のことが嫌だから何も答えないのか? だったらそれでいいから、夏希とか母さんの言葉くらい聞いてやってもいいだろ?」
「……………………ぅ…………」
かすかに、嗚咽のような七海の声が聞こえる。泣いているのか?
「……七海、ごめん。なんか嫌なことしてるんだよな……」
俺はなぜか自分でもわからないうちに謝罪の言葉を口にしていた。
「…………ち……ぁう…………」
また嗚咽のような声が聞こえてくる。でも、涙声じゃない、それに今の言葉「ちがう」と言ったのではないだろうか。
会話が成立し始めている、俺は確かな手ごたえを感じて言葉を返す。
「何が、どう違うんだ? 男の人は、嫌いじゃないのか?」
俺は視線を閉ざされたままのドアに向ける。だが今度は言葉が返ってこない。
「七海…………?」
俺は何か発言を誤ったのかと心配になり七海の名を呼ぶ。
一人にしてほしいってことなのかと思い、俺は立ち上がろうとした、その時――。
カチャ、と静かな音を立てて閉ざされていた扉が開放される。俺は反射的に動きをとめ、すぐ右横のドアに視線を向ける。ドアが開くのと同時に、七海の姿が見える。だがすぐに七海は部屋の中へと姿を消してしまう、ただドアを開けたままだ。
俺はそれを入ってきてほしいという意思表示だと判断して部屋の中に足を踏み入れる。
「…………閉めて…………鍵も……」
七海の小さな呟きに従って俺はドアを閉め施錠する。
七海は部屋に入って左側にあるベットのほうに歩いて行き、そのまま腰を下ろす。俺も七海の前まで歩いて行き、膝を少し曲げて顔を七海と同じ高さにする。七海の顔は俯けられていてその瞳は前髪で隠れていて目を合わせることができない。
俺は声をかけるべきかどうかしばし逡巡したのち、さっきと同じ質問をした。
「何が、違うんだ?」
俺は真っすぐに七海の顔を見つめて言うが、顔を上げてはくれない。
「……隣に……座って…………」
返答の代わりに出てきたのはそんな切なげな要求だった。
俺は七海のベットに腰を下ろす。俺が腰を下ろした反動でベットが沈み、跳ね返る。
そして俺は首を曲げて左隣の七海のことをしっかりと見つめる。
「七海、違うってなにが――」
「嫌いなんかじゃない……。男の人は、イヤだけど……あんたは違うの…………」
そう言う七海は何かに怯えていて、けどその何かに気付いてあげられない俺は聞くしかなくて、そんな自分が嫌で。けど、七海が俺のことは違うって言ってくれたことでまた自分に対して安心してるのも事実で、また訳のわからない感情にのまれそうになって……
「……ねぇ…………。あんたは、なんで学校に行かなかったの……? その制服、お姉ちゃんと同じ学校じゃないの……?」
いきなり話題を変えられてたので少なからず違和感を感じるが、素直に応える。この世界で信頼される程度の嘘で。
「いや、俺は違うんだ。もっと遠くのところだから……」
「だから、ずっといてくれたの…………? やることが無かったから……?」
「まぁ、そういうことだな…………。そんなことより、七海のことのほうが問題だ。なんで部屋から出てこなかったんだよ?」
そう、今はこんな質問なんかじゃない、こんな会話をしている場合じゃないんだ。
「…………ッ……」
七海がベットのシーツをぎゅっと掴む。その様子を見て、不安が湧き上がってくる。
「……あの、男の人。一昨日、話したよね……前にストーカーにあってたって…………。昨日の帰り、その人にあったの」
七海の口から流れてくる言葉に耳を傾ける。聞いいてやることしかできない。
……それでいいのかは分からないけどそれしかできない、今は。
「その人にずっと遭ってなかったから、その分、驚いて、何も出来なくて……」
涙を流しているわけではない。けど一昨日の時よりも七海は怯えている。震えている。声もはきはきとした元気な声な訳はなく消え入りそうな小さな声、さっきシーツを握ったった手は震えを押し殺すかのようにより強く、精一杯握られている。
俺は、この手を握ってあげるべきなのだろうか? 一昨日した時のように。
七海はうつむいたまま目線は上げずに首だけ動かして俺の方を向かせる。
「ねぇ……ごめん、また関係ない話する。……あんたは、あたしのこと心配してたの?」
「なんでそんなこと――」
「お願い、答えて」
七海に強く言われて俺は答えるという選択肢した取れなくなった。
「……お前、一昨日の話ちゃんと聞いてただろ。俺はあの時お前にみんなが心配してるって……俺だって心配してるって言ったはずだろ」
なんて意気地なしな遠まわしのヘタレたセリフだろう。最初の方の言葉なんかいらない、最後の俺だって心配してるだけでいいんだ。それに過去形にまでして、なんでそんなふうにためらうんだよ。心配してるって言ったはずだろ? なんだよその自分の言葉に自信を持てない幼稚な言い方は、自分が嫌になる。こういう深刻な話は前の世界では何一つなかったからどうやったらいいのか分からない、対処法がわからない、そうやって言っても、誰だって同じように言うだろう。けど、俺は逃げてばかりで、対人スキルが低いとか言い訳して人と関わるのを避けてたのだってそうじゃないか。初めてのことから逃げてたから全部こうなったんじゃないか。学習しない頭の悪い子供、それがまさに俺だ。
七海は違うと小さく呟く。
わかってる、こんな遠まわしとか過去形とかじゃなくて七海が求めているのは、今、俺がどう思っているのかを一言で表して欲しいっていう意味なんだ。けど、俺は思ったままに行動して言葉を発するとそれが悪い方に転がる。いつもそうだった。だからもう少し、考えなきゃいけないんだ。
「……俺がずっとドアのところにいたのは、七海が心配で離れられなかったっていうのが理由だ。心配しないわけないだろ」
最もらしいセリフ。言葉を並べただけの寄せ集めの付け焼刃。
けど違う、まるっきり本心を口にしてるわけじゃない。無理やり自分の中で言葉を制限してミスらないようにとか怯えながら言葉を選んでるんだ。
「…………そう、じゃあもう聞かないよ。そうやって言ってくれるならそれでいいから……。それで、男の人に、前と同じこと言われて……学校行くのが嫌なわけじゃないの、ただ、外に出るのが嫌なの。外に出たら、またあの男の人に合うかもしれないから」
一昨日よりも遥かに落ち着いているように聞こえる声音。だがその声が発する言葉に秘められているのは恐怖以外のなにものでもない。
と、俺はここになってようやく気づく。俺は今何をやっているんだ? さっきからなんで話を聞いてるだけなんだ? 七海にこんなことを喋らせてばっかりなんだ? こういうの、俺は変わってるって言われながらも貫き通してきた日常の隅っこにあったじゃないか。俺自身が否定していたじゃないか、ニュースの被害者インタビューなんていうものを。
でもなんだ、今俺がやっていることは? そう、ただ七海の実際に体験した辛い記憶を傷ついた人自身に言わせている。俺の嫌っていた不謹慎な被害者へのインタビューとなんの代わりもない。ただ聞くだけ、相手の傷口を見ているだけで治してやろうとはしない人間の最低な行動。それを今俺はやっているんだ。
自分の嫌いなことを自分でやっている。それに気づいたからにはそんな自分を今すぐ変えたくなる、自分の行動を正したくなる。ただ聞いてるだけじゃ嫌だ、相手に言葉をかけるんだ、相手は欲している言葉を。
「……母さんにも、そう言ってあげろよ。分かってくれるからさ」
相手がどんな言葉を欲しているかなんていうのはわからない。俺は人の心情を察するなんていうのが得意な人間じゃない。けど、何も喋らず七海に不安ばっかり感じさせるようなことだけはしたくない、七海だけが傷を深くしていくのを黙って見ていることは絶対にしたくない。だからせめて、なんの効果もないかもしれないアドバイスもどきだけでも。
発言をミスるのが怖いなんて言ってる場合じゃない、俺はただの『怖い』だ。けど七海はそんなものじゃない、七海が感じてるのは『恐怖』だ。俺とは圧力がちがいすぎる。それなのに何をビビッてるんだ俺は。発言をミスるのが怖いから何も喋らないなんて馬鹿な選択肢をとって、ミスったからってなんなんだ。今までさんざんミスってきただろ、けどそれで相手が俺のことをあからさまに嫌悪してきたか? 違うだろ。だったらいいんだ。発言をミスろうが行動を間違えようが。デリケートな今の七海を刺激しないようにとか考えるな、ミスったらすぐそこでやり直せばいいだろ!
「お母さんには、心配かけたくない……から……」
「じゃあ、俺には心配かけてもいいのか?」
深刻な空気を緩和するためなのかどうかは分からないが、直感的に思いついた、自然に口をついて出た言葉がそれだった。苦笑気味のいつもの口調。
「………………迷惑、だよね」
けど七海はなおも少し表情が暗い。迷惑、だなんて言葉を自分で言っておきながら自分自身がダメージ負ってるじゃんか、アホなのかお前は。ってか、迷惑なんて聞くまでもないだろ。俺はさっさと元の世界に帰らなきゃいけないはずだ。この世界の住人じゃないから。それを今現在保留状態にしているわけだ。本来の俺の目的は中断されてしまっている。それに夏希はこの世界で学校があるし、母さんはなんかよくわかんないし、そのせいでこんな子守りみたいなことをやっているわけで、でも自分の意思であるのも確かだ。訳わかんない発言していきなり殺意向けられて、待ち伏せしたら逃げられて、あんな不安そうな表情で泣かれて、体震えさせて恐怖して、そんな姿を見せられたのに、なんなんだよ七海は。俺以上に人の心情を読むのが苦手だったのか。てか第一――
「何言ってんだよ。こっちが心配してるのに何が迷惑だよ」
迷惑ならわざわざ心配なんてしない。面倒なら七海のことなんかほっといて元の世界に変える方法をさがすかもしれない。けどそんなことはないんだ。心配してるのはこっちで、心配されるのが迷惑だっていうならまだわかる。けど、心配をかけるのが迷惑なんて考えはおかしいだろ、心配かけたくて心配かけたとしても、それで今現に心配してるのは誰だと思ってるんだよ、俺がお前を心配してるんだよ。それがどうして迷惑になる。
「気を使わなくてもいいよ……あんたはおねぇ――」
「夏希は今は関係ない。それに気を使うとかじゃない。てかな七海、気を使うってことはさ、どういうことなのかわかってるのか?」
俺は七海にそういうと、七海はさも当然のように答える。
「雰囲気で相手に合わせてあげることでしょ。それ以外に何があるのよ?」
……うん、俺の考えとはそんなに変わらない。正直それも正しい回答だと俺は思える。でも今俺が言った言葉の意味は。
「相手が大切だから不安にさせたくなくて相手を支えてやろうとすることだと俺は思うんだよ。七海のも間違ってないと思うけど、根本的なとこだとさ、結局気を使うのも、大切な相手にしかできないことなんだよ」
「…………それって、遠まわしにあたしのことを大切だって言ってくれてるの? そういうのは好きな人に――」
「そう言ってるんだよ」
あくまで優しい口調を保ちながら、いつもの俺とは何か違う強引な喋り方。自分の思ったことをそのままその瞬間に口に出す自分勝手な行動だけど、間違ってないと思える。臆病になるよりよっぽど。
「七海がいう好きな人って恋愛的なっていう意味だろ。違うんだよ、好きな人なんて何人もいて当然なんだ。自分のために何かをしてくれる人のことだって好きになる、くだらない話をしている相手も好きななるんだよ」
「……同性の人でも? そういうの、恥ずかしくない?」
七海はなにか希望を求めるような細い光のような微妙な表情で俺の方を見る。俺もまっすぐ見返して、本心のまま、思ったことを言う。
「恥ずかしいって言ってたら、なんにもできない。周りの事を気にして臆病になってたらなんにも進歩できないで終わっちゃうからな」
「…………進歩しないで……終わっちゃう……んだ」
またうつむいてしまう七海。けど何か不安そうだけど考えている感じがする。
そしてもう一度、七海は俺の方をむいて、何かを決意したような強い視線で俺に尋ねる。
「ねぇ、あたしも気にしてばっかりじゃダメなの……?」
それは、俺でも七海がどんな言葉を求めているのか理解できて、自分の背中を押して欲しいと言っているような気がして、俺は直感的に言った。
「ダメだ。引きずるんじゃなくて向かい合わなきゃダメだ」
無責任だと思える言葉だけど、この言葉が瞬間的に浮かんだ。七海が求めていると思った。だからこう言ったんだ。
「また、辛くなって、壊れちゃうかもしれなくても?」
壊れるという言葉のせいで俺の中の感情が静止を促してくる。これ以上無責任な言葉は言うな、取り返しがつかないことになる、雰囲気のままに流されていうのが気を使うことじゃないって、今は思うんだ。雰囲気任せの無責任な言葉なんてそれこそミスだ。俺の中で俺同士の感覚とくだらない恐怖心が言い合いをしている。
考えろ、感じろ。止まって見ろ、逃げるな見つめろ。気を使え、自分の言葉で言え。
言い合いをする俺の心のどっちが正しい、そんなことを考えない。感じるのも少し違う。正しいも何もない、だから、両方混ぜちまえ。
「壊れたら、俺が絶対に直してやる。だから臆病になっちゃダメだ。辛くなったらなんでも聞いてやる、何でも言ってやる、何でもやってやるから――」
途中から何言ってんのかわかんなくなってきた。何が言いたかったんだ俺? 混ぜちゃダメなのか? こんがらがったのか? また解くとか言って時間だけ消費して逃げるのか? いや違う、俺は結局言いたいことなんて一つじゃないか。
「――怖がんなくていいんだよ」
さんざん悩んだ俺が、瞬間的に思いついた結論。そんな無駄な時間ばかりだったどうしよもない俺の行動。けど俺のもととなった行動。理屈っぽいことばっかりで、本当に相手のことなんて考えてないかもしれない。
「なんか、理屈みたいなことばっかり言って、何がしたいのかわかんないわよ」
そう、七海だってそう言ってる。相手には俺が何を思っているのかなんて伝わっていない。だって自分自身でも途中からわからなくなってたんだから。
「でも――」
頭良くなんてないのに頭がいいみたいに理屈ばっかり並べて、無責任な言葉で相手を励まそうとして、何か進歩してるか、俺。
人とうまく向き合う方法がわからない、前の世界ではそうだったから対人スキルが低くてどうしたらいいかわからない、何をしたらいいかわからない。臆病になってる俺、臆病になってた俺は今何をしてる? 自分の言葉を話してるだろ。
でもそれは、何か進歩してるのか? 無責任なありきたりな言葉を並べられるようになっただけ、無駄なことを覚えただけじゃないのか?
俺のそんな考えは意味がない。自分の中だけで考えても、自分のとって自分がどうであっても構わない。自分から見て自分がどうかではない、相手から見て俺がどう思われてるか、相手が嫌な気分にならないかが問題なんだ。
それを確かめるにはどうする? 今までの幼稚な俺なら相手に直接、オブラートに包みもせずストレートに聞いていたのかもしれない。けど今はそんなことをしなくてもいい。相手の感情を察するのが苦手な俺でもわかる。こんなことを言われたら。
「――ありがとう」
七海は、いつだか夏希が見せたようなぎこちない笑みを浮かべて俺を見た。そして七海は真剣な表情に戻ると、意を決して言った。七海自身の出した答えを。
「あたし、あの男の人に会いにいく。はっきり止めてって言う」