この世界で 六
「ご結婚、おめでとうございまーす!」
風美が部屋に入ってきたときの第一声がそれだった。
清水がドアを開ける、風美が入ってくる、俺と清水を交互に見て、このセリフというわけだ。風美の脳内で何がどう事故したのか知らないが、まずは否定の言葉。
「すまないがそういうわけでは無いんだ」
「いや、夏希はこんなに顔真っ赤にしてるから」
俺が清水の方に顔を向ける。
見事に赤面していた。どうしたんだ清水、それじゃあまるで図星みたいじゃないか。もう少し適応する能力をつけろよ。
「とりあえずそういうことはない。だから話を――」
「一緒に暮らすんでしょ? じゃああたしが邪魔しちゃ悪いじゃん、おいとまさせていただきま~す」
じゃね、と言って風美はドアを閉めて出て行った。
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いやいやいやいや! なんで帰ったんだあいつ! なんでいきなり帰ったんだ!? なんで呼んだと思ってんだよあいつぅ!? 世界が変わってなんかめんどくさい性格になってねぇか!?
「ちょっと待てって!」
俺は立ち上がってドアを開ける。あのやろうなんていう誤解をしたまま立ち去りやがったんだ! あれは風美であってるのか!?
見た目は風美そっくり。女子の見た目なんて気にしたことなかったけど、風美は長いこと……そこまで長くはないけど友達をやってきた仲だ。間違えないはずだ。実際ちゃんと見たことはないが……。
黒髪セミロング、大きな黒い瞳、本当に楽しそうなあの笑顔。全部同じなんだ。
……同じなんだよ。全部。
「清水! 行くぞ!」
もう変な誤解がどうとかじゃないんだよ、そんなの追いかける口実がほしいだけ。本当は、また、あの無邪気な笑顔を、俺に向けてほしいんだ!
俺は清水を置いて走り出す。階段を下りて玄関へ。
「あわててどうしたの? お探し物ですか?」
と、階段を降りたところで発見、確保!
「ちょっ! い、いいきなり、抱き着かないでよ……」
…………うん、この反応、風美だな。そして俺も自分の行動をもう少し制限しよう。マジで。考えてから行動しよう、本気で。
「ごめんっ、俺こういうのうまくできないから……」
こういうのとは果たしてどういうのだろう。相手がどんな解釈をするのかを考えるまでに至らないのが俺という人物だ。
「ま、まぁいいよ。それで……夏希は?」
風美は階段を見上げながら訊く。俺はため息をついて、招き猫のように階段をのぼりながら風美に来るように伝える。
清水の部屋、ドアのすぐ横に清水は座っていた。俗に言われる女の子座りで。そして当然のごとく、赤面状態である。
「夏希~、ねぇ夏希~?」
風美が何回も呼びかけるが、反応なし…………。
と、風美が何かを思いついたのか俺を手で招いて呼ぶ。
「これ聞いてみてよ」
と、風美に言われたが、いったい何を聞けというんだろうか。風美が指をさしている方向には清水しかいないんだが……。
「耳近づけてみなよ~」
楽しそうに風美は笑う。
俺は逆らわずに清水の口元に耳を持っていく。そして聞こえてきた小さな呟き。
「……結婚なんて……まだ出会ったばっかりだし、それに悠喜は……でも…………嫌ってわけじゃ…………」
俺は耳を離して、風美の方を見る。
「何も聞こえないんだが……」
俺は聞こえないふりをした。うーんとな、こいつの発言は時たま俺の相手を考えない発言を凌駕すると思うんだ。というか、ツッコミ入れたくなった。なんで「嫌ってわけじゃ……」なんて言葉が出てくるんだ? 風美、お前はいったいどんな魔法を使ったんだ?
「面白いよね~、夏希。ちょっとからかえばこんなになっちゃって……。初めて見たよ、さっき聞いたときは笑いそうになったし」
……うん、風美はもう、俺の知ってる風美じゃないんだな。こいつこんなに明るかったっけ? 確かに明るかったけどここまでじゃなかった気が……。
「とりあえず、清水を起こそう」
覚醒だ。寝てるわけじゃない。現実に戻してやろうという意味だ。
……あれ? 清水のこれって妄想の世界に入り込んでるとかそういうのなのか? となると清水はそういう妄想をするような子で、それはつまりそういうことに憧れて……。
「夏希、聞こえてる~?」
風美が清水の顔の前で手を振る。それでも起きない、気付かない。
「な~つ~きッ」
風美が清水の前で両手を思いっきり叩く。パンッ、ととてもいい音が鳴り響く。それとともに清水が「きゃっ!?」と言って立ち上がる。
「……とりあえず、落ち着いて話がしたいから、風美は清水をからかわないでくれ」
「オーケーだよ」
風美は二つ返事で了承してくれる。一方清水は「え? へ? 何のこと?」とおろおろしていた。全くいったいこいつは何をしてるんだ?
いきなりこんなにぎやかになるとは思わなくて少し混乱していたが、なるべくそれを表に出さないようにしようと思った。だって、俺はそういうやつだったんだから。感情の変化はあっても、それを外には出さなかった。行動で見せたりしなかった。
この考えも捨てて話を元に戻そう。いや、戻すって言い方も変だな、始めよう。
「とりあえず、風美を呼んだ理由なんだけど」
「!…………ま、まだ十六歳じゃないから……!」
「引きずってんじゃねぇ!」
大声でツッコんでしまう。いや、しょうがないだろ。清水があんなことを言うのがいけないんだ。うん、それと風美の発言も問題なんだ。俺は悪くない。ちなみに男性は十八歳にならないと結婚できません。
「で、単刀直入に言うが、俺はお前と話がしたくて――」
「風美にプロポーズするつもりだったの!?」
「お前はいつまで引きずる気だ!?」
清水が何かわかんないけど壊れたっぽい。いやまぁ、これが本来の清水ならそれでいいんだが、清水の一部しか知らない俺としてはキャラ崩壊とかそういう方面で受け取るしかないんだ。
「それで……えーと、何処まで話したか忘れたんだが……」
ツッコむことがあるとは思っていなかったので、予想外のことに反射で反応してしまって、頭に構築していた言葉が吹っ飛んだ。
……まずは、風美と話がしたいってことからだったよな。よし。
「俺は風美と話がしたくてだな、清水に頼んだんだ。えーと…………」
まずは何をしゃべればいいんだ? 話題が思いつかない。いきなりパラレルワールドから来ました、とか言ったら痛い子だと思われるだけだし。でも俺は話題なんかそれしかないわけで…………。あっ、一個ある! まずは……
「前に、俺がこの家の前で騒いでた時があっただろ。その、あれはな……」
…………あれ? 結局ダメじゃない? これ俺の今の事情を説明しなきゃいけないじゃん。え? どうすればいいんだ?
俺は何をテンパっているのだろうか、と自分で思うのだが、テンパっているわけじゃない。これはただ単に俺の対人スキルが低いだけです。風美だってわかってても初対面として接するとどうしたらいいのかわかんないんです。
「? あれは何か事情があったの?」
と、風美が訊いてくる。俺は返す言葉が見つかっても信用してもらえないと思ったのでごまかす。
「ま、まぁ事情があったんだ。変な誤解しないでくれ」
風美はさっきと同じ調子で「了解ー」と言ってくれた。
…………………えーと、どうしよう。こうやって一言ごとに次の言葉考えてたら俺の精神が持たないぞ。えーと……。
「あの、さ……」
と、俺がこめかみに人差し指を当てて唸っているとこう提案してきた。
「まずは自己紹介しない? 君はあたしの名前知ってるみたいだけど、あたしは君の名前知らないからさ」
そういえばそうだ。初対面ならまずは名乗らなくてはいけなかった。そんなことも思いつかなかったって、俺はどんだけ対人スキルがないんだよ。
「まずあたしから。中川風美、夏希のクラスメイト。知ってるんだよね、多分」
俺は頷く。そして俺も自己紹介することにする。
「俺は清水悠喜。えーと、学校は……この辺じゃないんだ」
俺はそう嘘を吐いた。いや、正直に言ったのかもしれない。俺の通ってる学校は清水と風美と一緒。でも、この世界とは違う別の世界の学校。遠い場所だ。でも近い場所だ。すごく不思議なことだと思う。
だが、風美は俺の学校の方はどうでもいいらしく「へー、名前……」とか言っている。名前が一体どうしたっていうんだ?
すると風美は大声でまた爆弾発言した。
「もう籍入れてたんだね! ってことは結婚式はもうすぐ!? もしかしてもう結婚式済ませてる!? 済ませてないならみんなに報告を――」
「すみませんマジで勘弁してください清水さんがあの通りまたへたり込んでるんで」
風美がケータイを取り出してなんかメールを打ってるんで本気で頭を下げる。部屋の隅では清水がまたさっきと同じ状況になっていた。いつ移動したんだあいつ。
息継ぎなしで、なおかつ初対面であそこまですらすらいえた俺を褒めてほしかった。っていうかほとんど反射だったけど。
「あらら、夏希はなんでこんなにかわいい反応するんだろう……襲いたくならない?」
「微塵も思いません」
俺はすぐさま反射で答える。確かにかわいいとは思ったことあるよ。初対面の時こんな反応する子が本当に要るんだな、と思ったし。でもな風美。襲いたくなるっていうのはどうかと思うぞ。そこまで言ったら犯罪者だ。………………うん、俺犯罪者になりかけてたんだよねストーカーとかに間違われて。
風美が俺に笑顔を向けて、また清水を覚醒させるために近づいて行った。
そして今度も俺を手で招いて呼ぶ。そして耳を澄ます。
「…………悠喜と…………結婚…………ッ~! ……でも、押し倒されて…………だから責任…………」
「俺は何も聞いてないからなッ!」
俺は清水を指さしながら答えた。頼むから俺を犯罪者だと思わないでいただきたい。確かに最初はあんなことしたけど、全部誤解なんだよ! だから蒸し返すのはやめてくれ!
俺が必死になって風美を見ると、そこには……
「面白いねっ、悠喜くんって」
笑顔で俺を見ている風美がいた。