朱羅
時は戦国の世。
人間同士の争いは絶えず、妖怪と人との争いもまた絶えることのない時代だった。
そんな世の中で、妖怪退治を生業とする一人の少女がいた。
「くらいやがれー!」
「ひぃっ!」
朱羅が刀を振るうたび、雑魚妖怪たちが次々と倒れていく。
「よし! 退治完了!」
「ありがとうございます、退治屋さん」
「このぐらいお安い御用だ! また何かあったら、いつでも言ってくれよな!」
得意げに胸を張る朱羅のもとへ、一人の男が歩いてくる。
「おーい、朱羅。そっちはどうだ?」
「おー、弦月の叔父貴! こっちは問題ないぜ。アタシが大活躍したおかげで、もうこの辺りの妖怪どもは悪さなんてできないさ」
「まったく……あまり調子に乗るなよ。お前はまだ半人前だ。強い妖怪を一人で倒せるほどの力はない」
「ケッ。いつもいつも半人前って言いやがって。じゃあアタシは、いつになったら独り立ちできるんだよ」
「妖怪を甘く見るなと言っているんだ。それに、お前はまず周りを頼ることを覚えなさい」
「へーい」
朱羅は面倒そうに返事をした。
(ったく、叔父貴は心配性なんだよな。妖怪退治なんて慣れたもんだってのに)
そう思いながらも、朱羅には少し物足りなさがあった。
(それにしても退屈だな。戦うのは楽しいけど、相手は雑魚ばっかりだ。たまには大物の妖怪と戦ってみてえな)
そんなことを考えながら、朱羅は弦月とともに家へ帰った。
その夜――。
「うっめー! 叔父貴の料理は何度食っても美味いな!」
「ハハッ。そう言ってもらえると作った甲斐があるな」
勢いよく飯をかき込んでいた朱羅だったが、ふと箸を止めた。
「なあ、叔父貴」
「ん?」
「どうしてアタシは……ひとりぼっちなんだ?」
弦月が少しだけ目を見開く。
「何言ってるんだ。俺がいるんだから、ひとりじゃないだろ」
「そういう意味じゃなくてさ」
朱羅は視線を落とす。
「アタシの父ちゃんと母ちゃんは、どうして死んだんだ?」
「それは……」
弦月の表情が曇る。
だが、朱羅はすぐにいつもの調子に戻った。
「あー、やっぱいいや」
「朱羅?」
「そんなこと知ったって、今さら何かが変わるわけじゃないもんな」
朱羅はニッと笑う。
「アタシはこれからも退治屋を続ける。それで、いつか戦国最強になるんだ!」
その言葉を聞いた瞬間、弦月の脳裏に一人の姿が浮かんだ。
「……日に日に似てくるな。あいつに」
「ん? どうした、叔父貴?」
「いや、何でもない」
弦月は何事もなかったかのように立ち上がる。
「食ったら寝る支度をしなさい。明日は薪割りでもやってもらうぞ」
「おう! 任せとけ!」
朱羅は元気よく返事をした。
翌日――。
「ふぅー……よし、あともう少しだな」
朱羅は家の外で薪を割っていた。
その時だった。
「きゃああああっ!」
遠くから大きな悲鳴が響いた。
「何だ!?」
朱羅が振り返る。
山の麓にある村から煙が上がっていた。
そしてその中心に、山のように巨大な妖怪が立っている。
「妖怪……!」
朱羅は迷わなかった。
刀を手に取ると、そのまま村へと駆け出した。
「おい、そこの妖怪!」
巨大な妖怪がゆっくりと振り返る。
「こっちだ! アタシを見ろ!」
「……何だ、小娘」
「アタシは退治屋の朱羅だ!」
朱羅は妖怪と村人たちの間に立ちはだかる。
「暴れたいならアタシが相手になる! だから村の人間には手を出すな!」
妖怪は一瞬黙った後、大声で笑った。
「ガハハハハ! 退治屋だと?」
「何がおかしい!」
「この黒嶽を、お前のような小娘が退治しようというのか」
「ああ、そうだ!」
朱羅は刀の柄を握り締める。
「つべこべ言わず、かかってこい!」
「面白い!」
黒嶽が巨大な腕を振り上げる。
次の瞬間、その手が朱羅を押し潰すように振り下ろされた。
「っと!」
朱羅は間一髪でかわす。
地面が大きく揺れ、土煙が舞い上がった。
「危ねえな!」
朱羅はすぐさま鞘から刀を抜き、黒嶽の腕へ斬りかかる。
キィン――!
鈍い音が響いた。
「……え?」
朱羅の刀が真っ二つに折れた。
「そんな……」
黒嶽は無傷だった。
「ガハハハ! そんな刀ごときで、俺の体に傷をつけられると思ったか!」
「クソッ……!」
朱羅は折れた刀を見つめる。
(刀が通じねえ……)
周囲では村人たちの悲鳴が上がっていた。
泣き叫ぶ子供。
逃げ惑う人々。
朱羅は折れた刀を強く握り締めた。
(何を弱気になってんだ)
自分に言い聞かせる。
(アタシまで諦めたら、この村は終わりだ)
朱羅は黒嶽を睨みつけた。
(考えろ。何かあるはずだ。コイツに勝つ方法が――)
だが。
「遅い!」
「え?」
黒嶽の拳が朱羅の体をまともに捉えた。
「ぐあっ!」
朱羅の小さな体が宙を舞い、そのまま遠くの地面へ叩きつけられる。
「がはっ……」
体中に激痛が走った。
起き上がろうとしても、思うように力が入らない。
「……あーあ」
朱羅は力なく笑った。
「無様だな、アタシ」
折れた刀。
動かない体。
「武器がなくなっただけで、何もできねえなんて……ほんと情けねえ」
意識がぼやけていく。
(叔父貴の言う通りだったな)
弦月の言葉が頭をよぎる。
(アタシは妖怪を甘く見てた)
どんな相手でも、自分なら勝てる。
本気でそう思っていた。
(ごめんな、叔父貴)
朱羅はゆっくりと目を閉じる。
(アタシ、バカだけどさ)
(バカなりに、弱い奴らを守ろうと頑張ったんだぜ)
遠くで黒嶽の足音が聞こえる。
(これから多分、アイツにボコボコにされて死ぬんだろうな)
それでも不思議と、少しだけ安心していた。
(でも、その後のことはあんまり心配してねえ)
朱羅の頭に弦月の顔が浮かぶ。
(叔父貴は強いから)
(アタシがいなくなっても、きっとアイツを倒してくれるよな)
その時だった。
朱羅の脳裏に、見覚えのない光景が浮かび上がる。
炎に包まれた屋敷。
燃え盛る柱。
誰かの叫び声。
赤く染まった空。
(……何だ、これ)
(夢……?)
朱羅はうっすらと目を開く。
(でも……何でだろう)
胸の奥がざわめいた。
(どこかで見たことがあるような……)
その瞬間。
ドクン――。
朱羅の心臓が大きく脈打った。
「っ……!」
全身を駆け巡る血が、焼けるように熱くなる。
(何だ……この感じ)
ドクン。
ドクン。
血が沸き立つ。
そして朱羅は、ふと気づいた。
(そういや……黒嶽の奴、なかなか来ねえな)
遠くから悲鳴が聞こえる。
朱羅の目が見開かれた。
(まさか……また村人を狙ってんのか!?)
朱羅は歯を食いしばる。
(……そうだ)
震える手を地面につく。
(アタシ、まだ死ねないじゃん)
ゆっくりと立ち上がる。
(死ぬならせめて――)
朱羅の瞳が鋭く光った。
(アイツを倒してからじゃねえと、安心してあの世にも行けねえよな!)
「見つけたぞ、小娘」
黒嶽が朱羅の前に姿を現す。
朱羅は口元を歪めた。
「へへっ……」
「何がおかしい」
「お前の方から来てくれるなんてな。わざわざ探しに行く手間が省けたぜ」
黒嶽が眉をひそめる。
「……何だ?」
先ほどまでとは何かが違う。
立っているだけなのに、目の前の少女から異様な気配を感じる。
「お前……さっきと雰囲気が違うぞ」
「ケッ。何言ってやがる」
朱羅はゆっくりと顔を上げる。
「アタシは何も変わっちゃいねえよ」
そして、不敵に笑った。
「変わったとすれば一つだけだ」
「何?」
「差し違えてでも、テメーを倒す覚悟ができたってことだ!」
「生意気な!」
黒嶽が拳を振り下ろす。
だが。
「なっ!?」
当たらない。
朱羅は黒嶽の攻撃を紙一重でかわしていた。
もう一度。
さらにもう一度。
それでも一発も当たらない。
(何だ、こいつ……!)
黒嶽に焦りが生まれる。
(さっきとは速さがまるで違う!)
朱羅の姿が消えた。
「どこだ!?」
「ここだよ」
「っ!」
黒嶽が振り向いた瞬間。
ザシュッ!
「ぐあっ!」
黒嶽の胸に、深い傷が走った。
「何だと……?」
黒嶽は自分の傷を見て愕然とする。
刀ですら傷一つつかなかった体が、切り裂かれている。
「何で……」
黒嶽が朱羅を見る。
その手から、血が滴っていた。
鋭く伸びた爪に、黒嶽の血が付着している。
(爪……?)
黒嶽の背筋に寒気が走る。
(あれは人間の爪じゃない……!)
「ハァ……ハァ……」
朱羅自身も、自分の手を見つめていた。
だが次の瞬間。
彼女の口元がわずかに笑った。
「何だろうな……」
胸の奥から、言葉では説明できない感情が湧き上がってくる。
「この感じ」
黒嶽の血を見ただけで、体が熱くなる。
「アタシ……」
朱羅の瞳が妖しく揺れる。
「コイツを傷つけて……楽しいって思ってるのか?」
自分でも信じられなかった。
「こんなの……初めてだ」
「く、来るな!」
黒嶽が後ずさる。
しかし朱羅の姿が再び消えた。
ザシュッ。
「ぐああっ!」
一撃。
二撃。
三撃。
黒嶽の体に次々と傷が刻まれていく。
そして――。
「うわあああああ!」
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
巨大な黒嶽の体が、無数の爪痕とともに地面へ崩れ落ちる。
「ハァ……ハァ……」
朱羅は黒嶽の前に立っていた。
その手から血が滴り落ちる。
朱羅はゆっくりと自分の手を見る。
「……何だよ、これ」
その時。
「おーい、朱羅!」
聞き慣れた声がした。
「叔父貴……?」
弦月が駆け寄ってくる。
だが、朱羅の姿を見た瞬間、その足が止まった。
「……朱羅」
弦月の顔から血の気が引いていく。
「お前、その姿は……」
「……え?」
朱羅は自分の顔に触れる。
額から伸びる一本の角。
人のものとは思えない鋭い爪と牙。
瞼から頬へと浮かび上がった赤い紋様。
そして、獣のように変貌した瞳。
そこに立っていた朱羅の姿は――
まさしく、鬼だった。




