第5話 自分の意思とその応用
家に帰った織理は匠の助言をもとに弦の元へ向かった。2階の一室、ドアをたたけばすぐに許可が降りる。
パソコンの前に座っていた弦は織理を見るなり目尻を下げ、柔らかい笑みを浮かべた。
「せんぱ……ゆづる、さん……あの」
先輩、そう呼びそうになる口を訂正する。「名前で呼んで?」とお願いされたのは同棲し始めてすぐのこと。だがまだ慣れない。
「織理、どうしたの? 名前呼んでくれて嬉しい~」
弦は近づきいつものように織理の頭を撫でる。その耳に揺れるお揃いのピアスに気がついてまた笑う。在琉に倣ってお願いしたピアス、細い十字架のそれは織理の髪に隠れて普段はあまり見えない。
織理も織理で、弦の片耳に輝くピアスを見ると少し気恥ずかしさが湧く。お揃い、と言う概念は少しだけ嬉しかった。
が、それよりも今は。
「あの、俺は何をしたら……良いのか知りたくて」
匠に言われた通りに相談する。弦はこの家の中でも特に織理に何も求めない人だった。
「……そこにいるだけで良いんだよ、ってのが納得できないんだよね、織理は」
こくりと頷く。それは弦にも分かっていた事だ。
「したい事はある? でも織理にはそれもわからないよね。どうする? 俺が織理を抱きたいって言ったら」
「弦さんが、したいなら……俺は、受け入れます」
織理は諦めたような、それが当然かのような、受け入る答えを返す。
「……ごめんね、良くなかったね。俺達も男だから、性欲で織理を見ることもある。けどそれは受け入れなくても良いから。嫌なら嫌って言って、興味がある内容なら乗る。そんな感じで良いんだよ」
それはどこまでも織理を労るような、尊重する言葉だった。だからこそ織理は余計に悩みを深める。織理にはその判断ができない、正確には断っていいのかがわからない。
そしてそれも弦は分かっていた。織理に目線を合わせながら軽く微笑む。
「織理は俺の事好き? 嫌いでも良いよ、自分の気持ちわかりそう?」
「嫌いじゃ無い……です。むしろ、先輩と居る時は……少し楽しくて……」
同棲する前、弦からの揶揄うような可愛がりに実際嫌な気はしなかった。まるで自分が普通の人のようになれた気がして、このままそれが続けば良いのにと烏滸がましい夢を見ていた。
「そう言ってくれて嬉しいよ織理。俺は織理が好き、愛してる、出来ることならずっと一緒にいたい。お前が欲しがるものを全部与えて、一緒にゲームして、たまに外食して美味しいねって言い合って……そんな夢を見てるんだ」
どこまでも平凡な夢に織理は逆に困惑した。具体的に自分は何が出来るのか見えてこなかったから。
「それは、俺に何が出来ますか」
「だから俺のそばにいるだけで良い。で、織理が思ったこと、少しずつでも言葉にしてみて欲しい。嫌な事は嫌って言ってくれる方が俺は嬉しくて」
少し照れながら話す弦に織理はもだもだとした感情を抱く。――こんなにも俺を優先して考えてくれるのに、どうして。
だからこれは無意識だった。いつも自分にしてくれるように弦の頭に手を伸ばす。その少し癖のある髪を手で漉きながら撫でてみた。
「織理……」
弦はその行動に少し驚く。織理は恥ずかしそうに目を逸らした。
「こんなこと、して良いのかわからないけど……俺は、弦さんの頭を撫でてみたくなって……」
「……ふふ、嬉しいよ織理。そう、そうやって自分のしたい事、頭で考えずにやってみて。俺も嫌な時は言うから」
そう、だからこの人の側は嫌いじゃない。言葉にして伝えてくれるから。――織理の中で少しだけ何かが見えた気がした。
──
最近、織理と弦先輩の距離が近い気がする。いや明らかに近い。2人で並んでテレビを見ながら、たまに織理から手を伸ばして先輩の髪を撫でているのを目撃する。
――え、織理ってあんなことしてくれるの? 俺はいまだに織理から何かをしてもらったことなんてない。いや、する気はありそうだけど「何をして良いかはわからない」と言うアイツに指示してしまう俺が悪いのか。
ここにいる奴らはみんな織理が好きで、ただ一緒にいたいから、と言う理由で同棲を始めた。在琉は違うかもしれないが。だから抜け駆けも何もない、俺たちは織理に求めず織理を求めることに決めたのだから。だって選ばせたらあいつは能力を使ってでも逃げようとするから。
だけど、1番になりたくなるのは当然のことで。俺の手の中で1番安らいで可愛い姿を見せてほしくて。
なのに、その1番を先輩に取られている気がする。
「なぁ、織理……最近、先輩と仲良ぅなったん?」
「え、っと……少し、だけ? わからないけど」
その言葉に嘘はないように思えた。だがまずここで肯定してくる事が織理としてあり得ないのだ。それだけ心を許したと言うことか、と俺は内に燻る欲を飲み込む。
――なんで? なんで先輩が先なんや。俺と居た時間のほうが長かったのに。最初に好きって伝えたのも俺なのに。そんな事を考え出すと視界が曲がっていくように感じる。
「攪真……能力、溢れてる……俺、何かした?」
その言葉にハッとする。深く息を吸い、吐き出して織理に目を向ける。不安そうに揺れる目に俺はゾクゾクした感覚を覚えた。織理の不安気な顔は正直とても可愛くて、もっと歪めてみたくもなる。俺の手で織理が喘いでくれたならどんなに良いか。いや、本当のところは「攪真が欲しい」なんて言って欲しい。それが性欲であろうと、安心感を求めてのことであろうと関係なく。
織理を甘えさせて、俺無しで生きれないようにしたい。朝起きたら俺が食事を作って、俺の隣で飯を食って、寝る時だって腕の中に閉じ込めて。そうやって、俺がいて当然、俺に捨てられたくないって縋って欲しいような、嫌な独占欲があるのを自分で感じる。
控えめに言ってクズの発想だ。
過去、俺に対して好意を向けてくれた女の子に、そんな事を求められた事はあった。がまさか俺がそれを思う側になるなんて。
だから次の言葉に俺は思考を飛ばしかけた。
「攪真は……何かして欲しい?」
何をしたら良いのか、ではなくて何をして欲しいか。少しの差だが織理の口から出ると大きく意味が変わっている気がする。指示を待つのではなく、自発的に何かをしたがっているのを感じたから。
「俺は……織理に」
なんて言ったら良い。そばにいて欲しいのはいつも言ってる、キスしたいも言った。いっそ抱きたい? けれどそれはただ肉体を欲しがってるだけに思われかねない。少なくとも今ではない。俺が今したい事、して欲しい事……
「織理を抱きしめて寝たい。ベッドの上でゴロゴロ、一日を過ごしてみたい」
「……そんな事で良いの?」
「アホ吐かせ、好きな奴と一日布団の上なんて最高やろ」
俺の言葉に織理は困惑しているようだった。普段どれだけ俺は欲深いと思われているのだろうか。
「そう、? 良いよ、攪真と一緒に眠る」
織理はこくりと頷いた。
――あぁ、結局俺の意思を押し付けて終わった気がする。
「……攪真……あの、ね寝るときにギュッてして欲しい……」
だからその言葉に完全に思考停止した俺は悪くないと思う。




