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最終話 いつもの日々へ

 弦の部屋を出た織理は攪真の元へ向かう。部屋……はノックしても反応がなかった。その為一階へと降りる。

 するとちょうどリビングに入ろうとしていた攪真が見えた。


「攪真」


 織理は階段を下りながら攪真に声をかけた。その声に彼の顔は上を向く。かちあった赤い瞳がどこか昏く見えた。


「なんや、織理。そんな怖い顔して……」

「攪真って俺のこと好き? 俺は攪真のこと好きだよ」


「え?」


 いきなりの言葉に攪真は止まった。返す言葉がすぐに浮かばない。昨晩の言葉が思考を邪魔していた。

 戸惑いを浮かべる攪真に、織理はただ目を合わせる。


「……攪真って本当に咄嗟の判断ができないね」


 結菜達とのやり取りの時も思ったが攪真は特に顕著だ。人付き合いが上手いはずなのに咄嗟の言い訳が出てこない。自分のように口下手であれば考える時間も取れるだろうに、彼のような性格ではそれも難しいのだろう。


「……織理、何言って。いや、俺はお前のことが好きや、けど……」


 歯切れの悪い言葉はどうにか絞り出されたかの様に震えていた。織理も別に攪真の好意を疑っている訳でも、浮気云々を咎める気持ちもない。


 思えばこんな質問をしたことすらなかったかもしれない。ただ好きであると答える割には足りないものがあると思っていた。


「でも俺のことは信じてくれないんだ。別に信じろとは言ってないけど……」


 信頼。それこそが今の攪真と織理の間に不足しているものだ。織理はそう思っていた。あの学校での騒動にしても、今回の事にしても攪真は織理を根本的に弱く庇護される物だと思っているからこその対応に思えた。弱いから、他の女の子からの敵意から守らなくてはならない。弱いから自分の本音などぶつけられない。


 人の心に疎い織理なりに考えた、攪真の思考。


「攪真の中で俺ってそんなに不確かな物なの?」

「そんなことない、俺は織理が本当に好きで」


 今度は食い気味に返された。


 攪真には織理がこのように質問する意図が分からなかった。ただ、流れ的に自分の心変わりを疑われているのではといつもの様に邪推するだけだった。


「攪真が好きなのは俺じゃないよね。ずっと考えてた、攪真の求めてる物……ただ自分の意見を受け入れてくれる人形が欲しかったんでしょ」


 弟のような物、弱くて脆いから守りたい、そして弦に行った能力の全容。それらを加味すれば大凡この答えが出てしまうのも致し方ない事だ。手足での物理的抵抗を抑え、人には言えない自分の暗い部分を晒す……攪真にとっての弦は織理の代わりの、都合のいい人形でしか無い。


「違う!!! ……なんでそんなこと言うんや」


 織理の中で、「攪真が織理の前で格好つけたいから」と言う考えには行きつかなかった。だがあまりにも心外だと攪真は声を荒げる。少なくとも彼はそう思っていなかった。 


「……攪真の見てる織理って何?」

「織理は織理やろ」


 聞こえがいい言葉、だが本質はそこでは無い。あまり言いたく無い言葉を、織理は意を決して口にした。


「依存しやすくて、ひ弱で、意志が弱くて……人の意見に流されやすくて、泣き虫で、甘えん坊で……攪真の言う事を疑わない織理が欲しいんでしょ」

「っ……」


 自分で言いながらなんて情けない人物像だろうと思う。客観視しつつ、いつもの卑下を加えた自己像。けれど攪真が息を呑んだ事であながち間違いでも無いことを察した。少し腹立たしい。


 ここまで来たら喧嘩するつもりで全てをぶつけるしか無い。多少彼を悪く言う事になろうとも、今詰めるしかない。


「在琉は俺のままでいいんだって。弦さんはどんな俺でもそばにいたいって。でも攪真は? 攪真の思いだけを受け止める織理は居ないんだよ」


 それぞれが織理を求めていたが、落ち着く場所が違った。在琉は最早織理を独占する気もなく、織理の変化も望まない。弦はそもそも側にいられたらそれで、と言うスタンス。だが攪真の求める物がどうなっているのかは分からなかった。弦を壊すまでは織理を独占したいと言う思いが強かったが。


「……何が言いたいんや、織理。俺だけアイツらとは違うから諦めろって言うんか?」


 不貞腐れたような、どこか圧のある声。このまま怒るのではないかと思う雰囲気だ。だが臆せず織理は攪真に詰め寄った。後少しで顔がくっついてしまう様な距離まで。



「攪真、俺を見て。その上で判断して。このまま俺のそばにいるのか、離れるのか。どちらにせよ弦さんを巻き込まないで」



 じっと彼の目を見つめる。すぐにでも操れるほどの真剣な眼差しに攪真はたじろいだ。


 ――怯えなんてどこにもない。守りたい、だなんて烏滸がましく思えるほどに意志の強い目。


「織理は……変わったな」

「そりゃあ3人と暮らしてるんだから、変わるよ。良くも悪くも……」


 ――自分が好きだった織理。それはどの織理なのだろう。強くて卑屈な男に負けたことを悔しく思って、そこから絡み出したのだ。弱点を知る為、能力の限界を見極める為……なのに、普通に過ごす織理が無垢で可愛く見えて、何よりも脆い人だと知ってしまった。自分はいつからか織理を守りたいと、彼のその一面を自分だけのものにしたくなってしまった。それが始まりだったはずなのに。


 そのきっかけに比べたら今の織理はどうなのだろう。織理は変わらず可愛くて、ずっと側にいたい。けれど彼は自分だけを求めてくれることもない、自分の欲しい言葉をくれる事がない。必要とはされていない。


「……俺な、織理のこと、好きなんやけどわからんくなってしもうて……」


 ここは真実。織理のことは変わらずに好き。攪真は思考を纏めるように吐き出していく。


「弦の側にいると、俺は必要とされている気がしてしまう」


 ――弦は自分の欲しい言葉をくれる。手足が動かないから、織理と在琉が小さいから、物理的にも自分に頼るしかない。


「それが心地良くなって、気がついたらあんなに燃えてた織理への想いが落ち着いてて……好きなのに、弦さんを壊してまで手に入れようとしてたあの頃の自分がここにおらんくなって」


 弦の演じる織理で満足してしまったのか、そもそも自分は織理が好きでは無かったのか。それとも弦のことも好きになって浮ついているだけなのか。言葉にしても答えは見つからない。ただ事実、もう織理を独占したいとは思わなかった。叶わないから思わなくなったのかもしれない、それすら自身の心なのに憶測でしか分からない。


 攪真の言葉を聞いても織理は問題点に行き着けなかった。心が落ち着いたことの何が悪いのか、恋愛とは常に燃え上がっていなくてはいけないのか。この家での生活以外に、同棲も恋愛も知らない織理は攪真の悩みにきちんとは寄り添えない。


「……でも俺のこと好きなんだよね?」

「当たり前やろ」


 即答する攪真に織理は尚更よくわからなくなった。その気持ちがあるなら別に問題ないのでは? と。別にこの際、好かれてなくとも問題はない。人の気持ちは移ろうもので、昨日まで関係が悪く無かったとしても、翌日には自分を殴る者に変わる事もある。


「俺よくわからない。壊したいほどの想いが落ち着いて何が悪いの? 俺は壊されたく無いんだけど」


「だって、それなら俺が弦をあんな体にした意味が無い……!」


 弦を壊したから、攪真は織理をいつまでも情熱的に求めなくてはならない。それは一つの強迫観念だった。ある意味でこの家で最も平凡である彼にとって、罪の意識から逃げるにはそれ相応の理由が必要だった。理由がなければ自分が潰れてしまう。


 攪真の気迫に織理は返す言葉が思いつかなかった。確かに、ともそんなことは気にしないで、とも言えない。なぜなら事実損害を被ってる存在がいる手前、軽々しく部外者が言えることがない。



 だがそんな空気を壊すかのように、織理の後ろから声が投げかけられた。


「そんな理由なら辞めたら? お前の自己満足じゃん、それ」

「在琉……」


 面倒くさそうに言い放ったのはいつのまにか後ろにいた在琉だった。言い争っている間に部屋から出てきたのだろう。


 彼は織理の隣まで足を進めて、攪真を睨む。


「まどろっこしいんだよ、アンタ。それら含めて全部受け止めてくれる弦さんに鞍替えすれば良いじゃん。悪いけど織さんはアンタの思う様な人じゃないよ」

「俺今貶されてるの?」


「弦さんをお人形にした方がお前は満たされると思うよ。織さんは欲深いから俺たちの中から誰かを選ぶ気もないし、誰かのものになる気もない」


 なんとなく器量が小さいと貶されている気がした織理の抗議は無視された。在琉はそのまま事実にしてもどこか棘のある言葉を続ける。織理は言いたいことがありつつも口を閉ざす。結局のところ、自分には攪真の説得がうまく出来なかった。弦に宣言したのに残念である。


「そんなん……弦を織理の代わりにしとるだけやん」


 攪真は在琉の言葉に苦い顔をした。知ったような口を、と怒りに任せて反論できたなら良かったのだが、彼はこう言うところで真面目に受け取ってしまう。


 だが在琉はそんなこと知ったことではない。


「それ本人に言ってみれば? 弦さんはそれを気にする人じゃないし。むしろその距離感の方が楽な人だよあの人は」

「なんでお前がそんなこと言えんのや」


 断言される言葉に、それこそ知ったような口を、と言いたくなる。在琉と弦がそんな理解し合うほど仲良いとも思っていなかった。


「だってあの人、織さんの事大好きだから。織さんの豊かな生活のためならなんでもするよ、織さんが攪真を拒まない限り攪真のことも拒まない」


 ――とてもわかりやすい人だ。在琉にとっての弦は本当にそれが根底にあるように見える。同棲こそ強行したが、それ以外で織理の嫌がることを彼はしない。在琉や攪真が織理と何をしようと、織理が嫌がらない限りは止めもしない。


「……え? それ俺が悪いってこと?」


 織理が攪真を拒まないからこうなっている。そんなふうに受け取れる言葉に、急に自分を責められた気がしてしまう。織理は在琉に怪訝な目を向ける。すると今度は在琉の目が織理に向けられて、視線が交わった。


「だって、あんな『俺を見て、その上で判断して』って発破掛けたのに攪真選ばないんだもん。だから織さんが決めるしかないだろ」


 格好つけたのに可哀想、在琉はそう付け足した。なんだか急に恥ずかしいことを言ったような気がしてきて、織理は顔を赤らめた。しかもそれで決着がついていないのだ、出来れば墓場まで持っていきたい。


「……俺はみんなと一緒に暮らしてたい」


 照れを隠すように織理は自分の意志を告げる。これは最近ずっと思っていた答えだ。選ぶことから逃げたとも言う。在琉の言うように欲深い答えだと思う。

 そんな傲慢とも言える答えに在琉は頷いた。


「俺は織さんで遊んでたい。割とこの生活嫌いじゃないし」


 それもどうなのかと織理は口元をもにゃつかせた。遊ばれたい訳ではない。

 そんな2人の答えを聞いて攪真は俯く。


「俺は……」


 ――あんなに1番になりたかったのに。認めてしまったら全部、嘘になってしまうのではないか。答えも出さずに過ごすなんて……


「……俺は織理達のそばにいたいと思ってるよ」


 ふと上から声がした。目を向ければ階段の上から弦がのぞいている。


「なんか告白大会みたいだったから。ごめんね?」


 くすくす笑う弦は先ほどより顔色がいい。その普段と変わらない様子に攪真は息苦しくなる。――朝、あれほど身勝手に責めたというのにまたこの人は笑うのか。


「弦さん……、俺は……」


 ――もう、自分だけが受け止めきれていないことが明らかだった。在琉も弦も、織理もこの歪んだ同居生活で良いと答えを出してしまったらしい。自分が悩んでいることは織理にとって取るに値しない物らしい。らしい、と全てが片付けられていく。


 考え過ぎていたのか? でもこの不誠実な態度で良いのか? 悩む頭に答えは浮かばない。けれど。


「俺も、今の生活は楽しい……でも」


「じゃあそれでいいじゃん。今はそれで。気にしてるのは攪真だけだよ」


 織理にきっぱりと言い切られてこれ以上の言い訳が続かなくなる。


「織理……」

「ゆっくり考えればいいんじゃないの。俺にそうさせてくれた様に、攪真も。ただ俺は今後も攪真だけを選ぶことはないよ。こんな、楽しい生活……簡単には手放したくないから」

「なんやそれ、……」


 煮え切らない攪真に織理は腕を掴む。下から覗き込むように、攪真の庇護欲を燻る角度を心掛けて。


「俺を囲い込んだ責任を、攪真は取らなきゃダメだよ」


 自信たっぷりの顔で織理は不敵に微笑んだ。


 ――責任。その言葉で攪真の頭は殴られたように衝撃が走る。自分が何を思おうと、この生活を始めたのは自分だった。織理の人生を台無しにして、弦の体に障害を残し、……在琉は別に何もないが、攪真はもう逃げる事もできない段階に来ていることを思い出した。


「……俺の責任……」

「この家には攪真が必要だよ。だから、とりあえずでも一緒にいよう?」


 織理に握られた手が熱い。必要、そう織理が言った。であれば悩むも何もない。織理がこうして自分も必要としてくれてるのに、何を断る理由があるのだろう。


「俺が……必要なんか。……そっか、……嬉しいわ」


 ――結構単純やな、自分も。攪真は諦めたように笑った。




 ――――




 話がなんとなく終わり、このリビング前での大集合も解散の兆しを見せていた。


「弦……あの」


 攪真はバツが悪そうに弦を見る。朝の手前、どうにも心苦しい。弦は目が合うと、ふん、と顔を背けた。


「俺の言葉なんて何にも響かないんだねー、攪真は」


 拗ねたような、でも明らかに冗談混じりの声色に攪真は焦る。冗談だとしても普段怒らない人の、この態度は何か心臓に圧が掛かる。


「いやそうやなくて……!! ただ、怖くて」

「……ふふ、俺もちょっとやけになっちゃった。……織理ありがとうね」


 取り繕おうとする攪真に微笑みだけ返して、むぎゅっと織理に抱きついた。その腕に手を重ねて織理は弦に微笑み、そしてそもそもの元凶のことを思い出した。


「だいたい、在琉が変なこと言わなきゃ良かったのに」

「まさかここまでバカだと思わなかったんだよ」


 織理は悠々とする在琉に頬を膨らませる。それを掴みながら在琉は呆れつつも笑った。ふに、と潰れた頬に織理もつられて笑う。


「攪真いなくなったら困る……弦さんを物理的に支えられるのは攪真しか居ないし」


 あんまりな理由に攪真は苦笑いする。


「なんやそれ、弦さんのおまけかいな」


 その返しに皆で笑う。戻ってきた以前のような気安いやり取り。

 なんてことない、いつもの日々。でも、そのいつもが続いてくれることほど、今の彼らには大事なものなんてなかった。


 

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