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第16話 塞がれた言葉

 朝は変わらず訪れる。攪真はいつもの様に朝早く目を覚ました。いつの間にか寝落ちしていたらしい、自分の物より広いベッドに手をついて足を床に下ろす。


 弦はまだ起きていない。寝苦しそうでもなく、穏やかな顔で眠っている。


「はー……なんや俺、どうしたいんやろ」


 ――結局弦に甘やかされている、織理が好きだと宣う口で。弦が治れば織理に戻れる。一晩寝て思い返してみると確かにそうなのかもしれない。自分が壊した弦への負い目、だから介抱してるのであってこの人に恋してしまったわけではない。その負い目が無くなれば、遠慮なく織理へ思いを募らせる事ができる。……本当に?


 そもそもいつ治るのだろう。弦は確かに回復し始めた、だが脚は依然として動きが鈍い。後遺症の目と内臓へのダメージは俺のせいではないとは言えそれも心配になる。弦があまりにも気にせず振る舞っているせいで健康に見えてしまうが、そんな軽いものではないはずで。ベッドサイドに置かれた痛み止めがそれを物語っている。


 そんな人間に俺は甘えて、全てを許されて不平不満を吐き出している。なんて自分勝手で浅ましい人間なのだろう。それでも嫌な顔ひとつせず受け止めてくれるから、止めることもできない。


 ――このままずっと甘え続けてしまいそうだ。治らなくても、治ったとしても自分の価値をここに見出しそうになる。


 過った考えに頭を振る。自分から退路を塞いでどうする。でもこのまま弦に鞍替えすれば俺はそのポジションで生きていけるのでは……いや違う、そうじゃなくて……でも、織理はどうせ俺だけを選んでくれない。違う、もうそんなこと考えてない。


 考えるほどにこんがらがっていく。攪真は頭を抱える様に項垂れた。もしも、例えば、もしかしたら。可能性を辿れば辿るほど自分を嫌いになっていく。自分が本当にしたかったことも見失っていく。今の攪真には、何が最初だったのかなど見当もつかない所まで来ていた。


「弦……俺を突き放してくれ……そうしないと、俺は……」


 ――本当に織理に戻れなくなってしまう。混乱する頭で唯一絞り出せた言葉。その言葉はあまりにも自分勝手で、気持ち悪いものだった。自分から離れようとしない、自分が決めて離れることができない。嫌われたから、弦に言われたから、そう言った理由がなければ自分はどうにもなれない。


 混乱する頭と連動するかの様に視界が歪む。助けて欲しい、答えを教えて欲しい。自分を必要としてくれる人が、欲しい。


 ふと、背中に何かが触れた。


「……攪真、また能力溢れてる。本当に癖になってるんじゃない?」


 弦の指先が触れたのか。重たげな瞼から彼の黒い瞳がこちらを見ている。


「起きとったんか……先輩」

「今起きた。……攪真、何をそんなに自分を追い詰めてるの?」


 ――追い詰めてる。違う、考えているだけ。では何を考えているのか、それを言葉にすることができなかった。言葉に出来ればもう少しまとまっていただろう。


 黙る攪真に弦は目線を逸らした。


「……もし、俺の存在が攪真を追い詰めているなら手を離して」

「何言って……アンタの存在に追い詰められてなんか無い」


 攪真はにへらと笑う。追い詰められてない、むしろ救われているはず。手を離すも何も無い。自分から離せる訳がない。


 その作った様な笑みに弦はどうしようもなく無力感を感じた。自分が上手く誘導出来ないから、彼の精神を乱している事に。言葉にして伝えても、どうも的外れなのだろうか。ただ彼の欲しい言葉は分かっている。恐らく、突き放されたいと強く願っている攪真に言うべき言葉。


「俺は1人でも大丈夫だから、俺のことなんて気にしなくていいんだよ。……今までごめんね、ありがとう」


 突き放せと言われたなら突き放す。出来ることなら言いたくは無かった言葉だった。役目を見失って迷子になっている人に、更に手を離す様な言葉を使いたくは無かった。


 案の定、攪真は目を見開き口元だけを笑わせて震え始めた。感情の瓦解、希望通りの言葉。


「お、れが要らん様になったんか? アンタまで、俺を、見てくれへん様になるんか」


 織理みたいに自分の事を触れにくい相手扱いするつもりなのか。そうなったら自分の存在意義は何だと言うのだろう。


「……そうじゃないよ。ただ無理してほしく無かっただけ。ごめんね、不安にさせて」


 攪真の不安を刺激しない様に、言葉を選んで元に戻す。――やっぱりダメだった。ここまで攪真が弱っていたなんて。弦は手元に目線を向けながら考える。1番手早いのは織理に攪真を選ばせる事だろう。結局のところ攪真は織理が好きで、今の行動の根幹は殆どが彼に基づいている。


 もう一つあるとすれば、昨夜言った通り自分の怪我が治る事だろう。弦は動きの悪い脚に目を向けた。この脚さえ問題なくなれば攪真の責任は軽くなるだろう。


 何も言わなくなってしまった弦に、攪真は焦った。自分勝手な喚きに呆れられてしまったのでは、と呼吸が荒くなる。


「弦、俺には、あんたしか」


 言いかけた言葉は弦の掌に塞がれた。弦の表情は見えない。

 ――これ以上先延ばしにはできない、弦はかき消す様に言葉を被せる。


「……織理……織理を呼んできて」


 言葉と同時に解かれた掌。目を見開いてその言葉を咀嚼した。織理を呼んでどうするのだろう、自分の情けない姿を彼に晒せと言うのか。それとも、織理に自分を止めさせようとでも言うのか。――手に負えないから?


「なんで、?」

「いいから」


 その彼らしくない圧に攪真は頷く。2度ほど振り返りつつ、攪真は部屋を出た。閉めた扉に背を付けて息を吐く。震える体が収まらない、それを取り繕いながら足を踏み出す。

 まるで悪い事をした時に、怒られるであろう事が分かっているのに誤魔化している時の様な息苦しさ。


 織理の部屋の前に立ちノックする。中から眠そうな声が返ってきた。


「織理、弦さんが呼んどる」

「……急ぎ? 着替えるから待って……」


 眠そうながらベッドの軋む音がした。恐らく起きてはくれそうだ。――良かった、起きててくれて。起きていませんでした、なんて報告をしに戻るのは余りにも気不味い。なにを話されるんだろう、そればかりが気になる。


 暫くすると織理は部屋の扉を開けて出てきた、いつも通りのふんわりしたワイシャツに紺色のリボンを付けた姿。目だけは眠そうだが、それが何とも愛おしい。


「じゃあ、行ってくるね。伝言ありがと」


 軽く笑ってそのまま横を通り過ぎた織理の後ろ姿を見送る。当然とは言え連れ添えない事に少し寂しさを感じた。




 ――――

 



 織理が部屋に入ると、弦はベッドの上で緩く笑った。相変わらず広いベッドだ、いつかこの広いベットを部屋に置いて寝相を気にせずに寝てみたい。


「織理、朝からごめんね」

「いいえ、全然……! ただ……、何か用が……?」


 織理は嫌な予感がした。こんな朝早くに呼ばれることも、攪真のどこか不安定そうに見える雰囲気も、弦のいつもの笑みが寂しそうに見える事も。

 弦は躊躇いがちに口を開き、一度閉じる。織理は彼の側に寄り、何となく手を重ねた。


「……俺を操って欲しいんだ……早く手足を直したくて」


 漸く吐き出された言葉は織理の想像していない言葉だった。体が弱っているからとリハビリはかなり間隔を空けていた。そもそも1日10分と約束もした。織理に代償が出ない範囲でのリハビリ。弦本人のことより織理のことを考えた約束だった。


「あの、約束は……?」


 別に織理としては代償が出ようがどうでも良い。弦が治るのなら止める理由は無かった。止められたから止まっているだけで。


 ただ傲慢な考え方になるが、弦が織理(自分)を軽視してこの様なことを頼むとは思えない。だから真意を探りたいと織理は思った。


「俺と、体を入れ替えてくれない?」

「え?」


 ――体を入れ替える? 何を言って……。またもや思いがけない言葉に織理の反応は遅れた。その間に弦は続ける。


「俺と体を入れ替えた織理が、俺の体を操る。織理に痛い思いをさせたくなかったけど……、これなら代償自体は俺が払える」

「何言って」

「俺と織理は代償が物理的に体に出るでしょ? 攪真みたいに精神に残るわけじゃない、だから出来ると思うんだ」


 織理は返す言葉がなかった。まるで名案の様に告げられたお願いは余りにもリスクの大きい物。確かに、体を入れ替えたなら代償自体は弦が負う事になるだろう。中に入っている自分はその失う痛みを感じはするが、織理の体には何一つ出ない。と思われる。


 ――この人はそんなにも手足に執着していただろうか? 寧ろ全く気にしていなかった様に見えたのに。確かに不便そうな場面もあった、昨晩のお風呂でも謝られてはいる。でもそれ以外では気にしてなかった様に見えたのに。


 なら何故、そう考えるも答えは湧かない。心変わりもあるだろう、けれどこんな急に? もしかして昨日自分が支えきれなかった事に対して、思い詰めてしまったのか? それとも誰かに言われて?

 織理の戸惑いは周囲への疑念と自責へと向かう。


「……誰のせい? 俺?」

「織理のせいじゃないよ。俺が、この不便な体が嫌になっただけ」


 悲しげに笑う弦に胸が締め付けられる様だった。

 ――確かに、最近の弦さんは謝ることが増えた。迷惑だなんて思ってないのに、負目でも感じてしまうのかもしれない。自分だって毎日人に助けてもらいながら動く、となれば自己嫌悪で潰れてしまう気がする。


 そう思うからこそ助けたい、だが問題があった。


「……でも代償の出る場所、選べません。手足かもしれないし、内臓かもしれない。残った目が無くなるかもしれない……」


 足を直したのに、代償で足が無くなるのでは本末転倒だ。体に代償が出る以上、その可能性も捨てきれない。どこに出ても生活に支障が出る。だから出来る事なら使いたくない。


 織理の言葉に弦は少し間を置いた。確かに、選べないとなると無意味に終わる可能性もある。大きく損傷して仕舞えば、また攪真を追い詰めるだけだ。けれど、すぐ治せる方法なんてこれしか無いのも事実。自然回復を待っていては余計に拗れるだけ。治りました、でも後遺症でました、は自分の責任にできる。故に答えは一つしかない。


「覚悟の上だよ。……早く、治さないと」


 織理はその時思った。――こうも焦る原因は本当にそれだけか? やっぱり何か他に要因があるのでは。彼が自分に痛い思いをさせてまで、自分の利を求める様な人ではないと思っているからこその違和感。今答えを出してはいけないと本能的に察した。


「……少しだけ考えてもいいですか。俺が、あなたに代償を払わせるのをまだ飲み込めなくて」


 あくまでも代償のことで悩んでいるかの様に織理は切り上げた。その裏で誰に聞けば本質が分かるかを考えつつ。


「……そうだよね。織理は優しいから。……でも、少しだけ前向きに考えてもらえたら、嬉しい……かな」


 そう言って笑った弦の顔はいつもの様に優しく見えた。

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