第3話 自分のための支配
家に帰り、織理は真っ先に階段を上がった。廊下の1番奥、弦の部屋の扉を叩く。返事と共に扉が開く。中から出てきたのは攪真だった。
「おかえり、織理」
相変わらず気まずそうな彼の表情にどんな顔を返せば良いのか。少し俯きがちに口を開く。
「攪真、ただいま……弦さんに会って良い?」
攪真は頷く。部屋に入れば攪真は入れ替わるように一階へ降りて行った。その態度にどこかもやもやとする感覚はあったが、そのまま弦のベッドに近づく。
弦は寝ていた。僅かに上下する胸、小さな呼吸の音。ただ身動ぎ一つ起こさない静かな姿に、息を殺す。――なんだか、死んでいるかのように見える。頬に指を滑らせ、そのまま唇に触る。少しカサついた唇は織理の指を喰んだ。
「……ん、? あれ、織理だ……おかえり~」
ゆるく瞼を開けた弦は嬉しそうに笑う。その声の明るさに織理は安堵した。
「弦さん……まだ、動けない、ですか?」
起きても、体を起こすことのない彼に織理はわかり切った事を聞く。
「ごめんね、まだ無理。心配かけてるよね……早く治すから、もう少し待ってて」
重たげに動いた左手が織理の手に触れた。一応回復はしてるんだ、と喜ぶ気持ちもある。だが謝らせてしまったことに違う心苦しさが襲ってくる。
「いや、そうじゃなくて……」
織理は言い淀む。
ずっと考えていることがあった、在琉に言われたように弦を操ったらどうかと。勿論全てじゃ無い、ただ四肢が動くように催眠すればもしかして、と思っただけで。
「なにか、俺にできることは……無いですか」
「……織理は優しいね。でも大丈夫だよ、そんなに酷くはないから。ただ回復する為に寝る時間が増えてるだけ……それに自分でやらかしただけのことだからちょっとね……」
弦は苦笑する。攪真を焚き付けたのも、媒体になることを選んだのも自分なのだ。目測が誤って少し後遺症が残ったが、それは自分の選択の誤りでしかない。正直ここまで攪真を拘束してしまっていることだって、彼からすれば誤算も良いところだった。故にこれ以上人の手を煩わせたくない、何故なら本当にそのうち治ると思っているから。
だが織理の顔は晴れなかった。
「……優しくない。そうじゃない……!!! 俺は、俺のためにあなたを、動かしたいんです……」
織理は弦の手を取った、握り返されない重たい手を。
「弦さんに触れて欲しい……抱きしめて欲しい……、ずっとそばに居たいのに……!」
啖呵を切ったように溢れ出す自分の欲。最低だと思った、自分のことばかりで弦のことなんて何一つ考えていないかのような要求。けれど止められなかった。
「織理……」
「お願い……俺にあなたを操らせて……」
強く握った手に額をつけて、織理は涙交じりに懇願した。結局、自分は攪真と変わらない。人のことを操って思い通りにしたい、そんな欲があった事に嫌悪しながらも隠しきれなかった。
「泣かないで……、織理。君に、代償を支払わせたくないんだよ俺は……」
弦は織理を抱きしめようとして、動かない手足に諦めた。宥めることもできないのは少し息が詰まる。それは本人も感じていた。
ただ織理の能力は強い。それだけ代償が大きいことを弦は察していた。織理の眼帯の下、既に空洞となった眼孔こそがそれを物語っている。何度か一緒に寝ていたから彼はそれを知っていた。
織理も、その気持ちは受け取る。弦が自分を心配してくれているのは痛いほどわかっていた。
「……1日一回、10分くらいだけ、動けるようにしてみるのはどうですか……? 俺それくらいなら全然おかしくならない、と思う……」
だから妥協点として提案する。本当は幾らでも操るつもりはあるが、弦に余計な心配をかけたくなかったから。分かりやすいくらいの間隔をあけて、提案すれば弦は小さく頷いた。
「……じゃあ、お願いしようかな。辛くなったらすぐやめて、……いつかは治るんだから」
「分かりました。無理はしません……」
深呼吸してから弦と目を合わせた。黒檀の目、逸らされないそれに織理は少し頬が緩む。――信頼されてるんだ、弦さんに。
つきん、と僅かに目の裏に走った痛みに弦は顔を顰める。けれど次第にその顔は表情を失い、目は何も見なくなった。
「起き上がって、弦さん」
滅多に見ない彼の表情に、心臓がバクバクと鳴る。怖い、この人の無表情がこんなにも見慣れない顔だとは思ってもなかった。けれどそんな事も言ってられない、織理は躊躇わずに命令を下す。
ふらり、と弦の足はベッドのふちへと移動する。そして、言われた通りに弦は立ち上がった。その姿に声にならない歓喜を叫ぶ。
弦の後遺症は暗示如きではどうにもならなかった、だからそれよりも強い支配を試す。脳に指令を送りその通りに体を動かさせる。荒療治だが一度途切れた回路をつなぐならば実際に動かした方が感覚が戻ると考えてのことだった。代わりに本人の思考も乗っ取ってしまう為、あまり長時間は使えない。
立ち上がった彼に抱きついて、少しだけ頭を撫でてもらう。彼らしい優しい手つきなのに、なんて空虚なんだろう。織理はすぐにそれを止めた。思った以上に満たされなかった。
気を取り直して少し部屋を歩かせる、腕を上げさせる。そんな軽い動作をさせていると、階段を上がってくる足音が聞こえた。
「織理……そろそろ終わったか?」
控えめに開けられた扉の隙間から攪真が覗き込んだ。そしてそこにいた弦の姿を見て目を見開く。
「弦……先輩……!? 動けるように、なったんか?」
それは歓喜とも悲しみとも取れる声だった。
「違う……動かしてるだけ」
「そ、っか……織理、は動かせるんやな……」
震えた声、手を強く握りしめながら吐き出すようなその言葉。
「俺には何もできへん……」
ポツリと吐き出したのは無力を肯定する言葉。
「せめて、動けるようになるまでは俺が責任持ちたかったのに……っ」
嗚咽混じりの声は織理の心に重く刺さる。お前の考えなんて知らない、そう言えたならよかったのに。攪真が後悔していることが強く伝わってきてこれ以上責めたくなかった。
織理は洗脳を解く。どうせ10分しかやらないと約束したのだから妥当だったが、どうにもこれ以上攪真の前で操って見せたくなかった。
「……ぁ、終わってる」
弦は目覚めて状況把握を試みる。どこか気まずそうな織理と、泣いている攪真。何があったんだろう、と思いつつも織理に腕を伸ばした。――すんなりと、動いた。
「織理……! ありがとう……」
「よかった……」
頬を撫でる手に織理は安心した。そして彼の意思で撫でてもらえた事に頬を緩める。
「攪真……こっちおいで。泣かないで……」
「弦……っ! 俺、ほんまに何の役にも立てへん……っ、」
弦は攪真をそばに寄せ、頭を撫でる。
「食事も、移動も全部任せてるのに何言ってるの? ……こんなにしてもらってて役立たずなんて思わないよ」
微笑む弦の胸に攪真は頭を押しつけた。自分の不甲斐なさと弦の言葉とで、溢れる涙は止まらない。織理にはみられたくない醜態、だから頭を押し付けるしか無い。
「織理も……本当にありがとう。こっち、近寄ってもらっても良い……?」
「はい……」
「好きだよ……織理。ありがとう、……動けるのってこんなに嬉しいんだね、織理に触れられる……」
愛おしいものを見るように細められた弦の目に織理は目を逸らせずにいた。弦の指が頭を撫でていく。――あぁ、本当にこの人が好き。俺はこの人に求められている……。ずっと何かしたかった、弦のために何かを返したかった。それが今叶っているような気がする。嬉しい、嬉しい!
「明日も、またやって良いですか……?」
「……うん、お願いね。でも本当に無理はしないでね」
織理はこくこくと頷いて立ち上がる。攪真の方をちらりと見て、そのまま部屋を出る事にした。名残惜しいけれど際限なく縋ってしまいそうだったから。それに明日また能力を使うためにもよく休まなくては。
自分で自分を追い込んでしまえば、悲しむのはあの人だから。




