第11話 都合の良い夢
数刻ほど休み、攪真は家に帰った。出迎えてくれたのは弦だった。先ほど見た夢を思い出して体は強張る。
――いや、あれはヨルハの能力でしかない。何も、まだ始まっとらんはず……。現に弦はいつも通りの柔らかな表情を浮かべている。
攪真は表情を取り繕い、にへらと笑った。
「織理はもう帰っとる? 遅くなってしもうて悪かったな」
いつも通りの声色を意識して、問いかけながら靴を脱ぐ。
「織理は今日は帰ってこないよ。匠の家に泊まってくるって」
仲良いよね、なんて笑いながら言われた言葉に、は、っとまた表情が抜け落ちそうになった。いや、今織理の顔を見るのは怖いから良い、夢の中で嫌いと言われたのが地味に頭に残っている。けれど、いつもいつも気がつけば匠とか言う奴と仲良くしてるのは気に食わない。――俺への心配とか無いの? 俺も倒れたのに。いやいやそんなことを考えてはダメだ、と攪真は小さく頭を振る。
そんな攪真を見て弦は困った様に笑う。
「……大丈夫、じゃなさそうだね。攪真……ココア入れてあげる、少し……俺の部屋で話しようか」
弦の声は夢よりも遥かに優しい。自分を心配してくれている様に聞こえる。ここで断る気にはならなかった。人の善意を、嫉妬だけで踏み躙るほどの度胸はない。
「先に俺の部屋行ってて。好きなところに座っていいから、……ココア入れてくるね」
弦はそういうとキッチンの方へ向かう。――なんか織理に対しての声色と同じくらい優しい。ちょっと怖いくらいだ。
攪真は言われた通り弦の部屋へ向かった。二階の1番奥の部屋、本人がいないのに入る事へ若干躊躇われる気持ちもあるが、ゆっくりと扉を開けた。
初めて入る部屋の中はパソコンとダブルサイズのベッド、そしてわずかながら洋書や学術書があるだけの堅苦しい部屋だった。本棚近くの、折り畳みテーブルのそばに座る。
これから何を話されるのか不安でついじっとテーブルの面を見てしまう。別に弦に嫌われたってどうでもいい、ただ弦を通して織理に嫌われたく無い。どこまで彼が知っていて、自分に何を告げてくるのか。色々な最悪の予想を立てる。
――説教だったら嫌やな、お前の執着は間違ってるとか言われたらどうしよう。壊してしまうかもしれん。夢で見たことの再演になるのだけは阻止したかったが、妙に攻撃的な思考しかできない。イライラする、と言うのだろうか。何もうまくいかなくて誰かにぶつけてしまいたいだけなのでは、僅かに残る冷静な自分は分かっている。なのに考えるほどにアレを排除したくて堪らない。
うだうだ考えているとようやく弦が部屋に戻って来た。お盆の上に二つのコップ。コトン、と小さな音を立てて目の前にココアが置かれる。ほのかに甘い香りが鼻をくすぐる。
「緊張しないで。攪真とのんびりお話ししたいだけだから」
「……でも言うことなんて何も無いですわ」
「いいよ、それでも」
柔らかく笑う先輩は本当に、大人の色気……と言うのだろうか余裕がある。織理が彼に惚れるのは分かる、安心するのだ。嫌いなのに。
だから素直になれない、子供みたいに怒りをぶつけたくなる。けれどそれも少しの理性で止める。ココアを口に含んで落ち着かせる。
――あんたさえいなければ、織理は俺のことを1番に見てくれたはずなのに。だって織理が感情をのぞかせたのは俺だった、弦先輩なんて後から来ただけの間男でしか無い。そのくせ全てを奪おうとして。
でもそれを口にしたら惨めになるのは自分だ。自分自身でも酷い僻みだと分かっている。織理は俺のものじゃないのに、と。でも抑えられない、弦さえいなければと思わずにはいられない。
そうして黙っていると、彼は少し悲しそうに目をふせる。陰を落とす白金の髪は、彼を儚く飾り立てる。
「……ごめんね、俺が攪真を追い詰めてたんだよねきっと」
「……そんなことあらへん、全部。ただ俺が、織理の1番になりたかっただけで」
謝られてしまうと、自分の怒りの行き場がなくなる。けれど逆上するにはあまりにも優しい言葉。これを殴り捨てるのは流石に苦しい。
「織理はきっと誰も選べないよ。きっと攪真は俺が1番織理に近いと思ってるんでしょう?」
「えぇ、……まぁ」
在琉と弦、どちらも織理との距離は近いが信頼を勝ち取ってるのはどう見ても目の前の人だ。
「俺からしたら攪真の方が織理に近いよ。織理を強く引っ張れるのは攪真だし、その積極性と局面を把握できる力は攪真にしか無いものだ」
謙遜、ではない。彼の目は本当にそう思っているかの様に攪真を真正面から見つめる。黒く深い目に吸い込まれそうなほど、本心が伝わってくる。
けれどその目を見ていられない。その言葉は表面をなぞるだけで今の攪真には受け入れられなかった。
「……でも、何もせんでも織理に愛されとるや無いですか先輩は。俺はそっちがいい、勝手に……」
攪真は口を閉ざす。『勝手に織理が俺に執着してくれる方がいい』そう言いかけて。でもそれはあまりにも弦に対して口にするには恥ずかしい様な、自分の醜悪さをのぞかせるような……とにかくこの男に弱みを見せたく無い。
ココアを一口飲んでまたテーブルに置いた。揺れる表面をじっと見つめる。
「……ふふ、攪真。こっち来て」
そっと手が頬に触れた。何を、と視線を向けるとまるで花を慈しむかの様な表情に見えた。
その表情に見惚れていると、ゆっくりと腕が回され抱きしめられる。花の様な甘い香りがした。心地よい体温に一瞬息を止めてしまった、がハッとする。
「な、っ……! 何しとるんや、先輩」
「……攪真、俺のこと『織理だと思って好きにしていいよ』」
その言葉は脳を麻痺させるかのように甘く響く。何を言ってるのか、そう言いかけた口内がやけに乾く。そんなの無理、だって見た目も違、う……?
「し、きり……?」
色素の薄い、ミルクティーの様な髪色。少し骨ばった体、そして、眼帯の下の黒く変色した肌……。
――もしかしてまた夢か? ヨルハの奴がまた俺に何かを見せようとしてる?
弦先輩だったものは織理でしかなくて、どこか乞う様に俺を見つめている。本当に、これは織理? でも大丈夫だったはず。弦は変身系の能力者じゃ無いし、洗脳だって出来ない。だからこれはヨルハの夢以外何も無いだろう。その証拠によく見れば景色は少し歪んでいる。
なら、少しくらい良いのだろうか。本当にしたいことをしても。
恐る恐る『織理』を攪真は抱きしめた。――やっぱり体格は織理だ、大丈夫……弦じゃ無い。少し小柄で華奢な体。
織理は抱きしめられたままにぽつぽつと話し出す。
「俺ね……攪真が他の女の子と、なかよくしてたの気にしてないよ。だって……攪真は絶対俺のところに帰って来てくれるから」
それは、先ほどの夢でも似た様な事を言われた。ただニュアンスが違う、この言葉は信頼だと受け止められた。織理は俺に帰ってきて欲しいと思ってくれている。
「織理……そんなふうに思ってくれてたんか」
でも、もっと醜く嫉妬して欲しかった。その子より俺を優先して、って言って欲しかった。その思考が通じたかの様に織理は謝り出す。
「……でもそれが攪真を不安にさせたなら、謝る……ごめん、なさい……俺、我儘で……全部あって当然みたいに思ってたみたい……」
ぽろぽろと涙をこぼし始めた織理はぎゅっと服を掴む。こんなに俺のこと考えてくれてたのか、と少し嬉しくなる。けれど泣かせたのは心苦しい。
「俺も……素直に言えんでごめんな……不安やって、弦先輩ばっかり目で追うお前に……愛されてないんやないかって」
「そんなこと……ない……、好き……好きだよ攪真……弦先輩よりも在琉よりも……誰よりも攪真が好き……」
そして織理は俺に口を差し出した。軽く当たった唇から舌を差し入れて、織理の舌を絡める。くぐもった声、久々に聴いた甘い声。少し強く吸えば、びくんと腕の中で体が震えた。
「かく、ま……して……、攪真のもの、になりたい……の」
僅かに伝う唾液をそのままに、蕩けた目を向ける織理。紅潮した頬があまりにも色っぽい。思えば明るいところでこの様な表情を見たことがなかった。
「ほんまに、ええんか……」
「……ふふ、たまに能力溢してるの、……あれで頭、ぐちゃぐちゃにされたい……攪真のことしか……考えたく無い」
体の芯が熱くなる。高揚感に堪らずまた織理の唇を奪った。そして軽く能力をかける、優しく脳を撹拌するように。
「っ、あ……、! ぅ、……か、くま……!!」
「織理……ずっと一緒におってな……俺のことだけ考えて」
とろんとした目で力無く俺の体にもたれかかる織理、あからむ頬と生理的な涙が溢れる瞳に唆られない方がおかしい。
「すき、……攪真……! もっと、……」
いっそ一つになってしまうのではないか、そう思うほどに強く抱きしめ首筋を噛む。髪から甘い香りがする。舌を這わして噛み跡をなぞる。胸元に当たる織理の腕が震えた。そしてそのまま俺の胸元に手が当てられる。
「織理……抱いても、ええか」
「……う、ん……ぜんぶ、攪真の……もの、だよ……」
――こんな夢なら醒めなければいいのに。




