第4話 夕食とともに訪れる自己確認と浅はかな考え
帰宅すれば室内からは何か良い香りが広がっていた。靴を揃えてキッチンへ向かうと弦が何か料理をしていたようだった。
「おかえり~織理。ご飯出来てるよ」
「ありがとうございます……」
仄かにあったかい部屋と同じくらいの、ほわほわとした弦の声。ご飯をよそいはじめる弦にふと織理は疑問を口にする。
「あの……二人は?」
「在琉は先に食べてた、攪真はちょっと遅くなるらしいよ」
在琉は割とその辺が適当というのだろうか、人に合わせる事をしない。お腹が減ったら勝手に作って勝手に食べるタイプの人間だった。
織理は弦の返答に納得して席に着く。待たなくていいなら別に待つ気もない、織理も体裁のために人に合わせているだけで食卓はみんなで囲む物、と言うこだわりはなかった。
弦も織理の前に座り箸を取る。両手だけ合わせて料理に手をつけ始めた。
今日の夕食は野菜炒めと言うのだろうか。蒸して調理したように見えるそれは、脂っこくもなく食べやすい。程よい塩気にご飯が進む。
「今日のも、……美味しいです」
「そ? なら良かった。織理が美味しく食べてくれるなら手料理も苦じゃないね」
ふふ、と笑う弦はどちらかと言うと料理するのが得意ではない。と言うか買って食えばいいじゃん派の人間だ。ただそれだと偏るから仕方なく料理して食べているだけ。つまり半分自炊しない派閥の人間だった。
――美味しいのに在琉は食べないんだ……織理は何となく勿体なく感じてしまう。
少し食べ進めた頃、織理はふと口を開く。
「そう言えば、変な事を聞いてもいいですか……?」
「んー? いいよ、なぁに織理」
弦は一度箸を置いた。
「あの……俺って、男として見られてますか……?」
予想の斜め下の質問に彼は一瞬首を傾げた。織理はその反応を見て少し羞恥心が湧く。
ずっと気になっているのだ、もしかして自分は男とすら見てもらえていないのかと。別に女に見られたからどうだと言いたいわけではないが、いわば自己のアイデンティティである性別すら碌に維持できていないのであれば……なんとなく、嫌だった。「可愛い」と年がら年中言っていた弦ならもしかして、と疑う気持ちもある。もし、これで女の子だと思ってた、などと言われたら割と、好意も冷めるような……微妙な心境だがこれだけははっきりさせたかった。
弦は困惑しつつも、正直に答える。
「いや全く思ったことないけど……。もしかして可愛いって言ってたの、気にしてた? だとしたらごめん」
「いえ、それは……嬉しいので良いんですけど……」
言っていて恥ずかしくなってくる。可愛いと言われて喜ぶ男ってどうなんだろう、織理の中の境界がブレる。弦の言う可愛いは嬉しいのに、赤の他人から女扱いされるのは嫌。自分でもよくわからない感覚だった。
「じゃあ誰かに言われた? 女の子みたいだって」
確かに言われたことはある、だが今こう考えてるのは全て昼間の件だ。
織理は正直に告白した。攪真が女の子好きであること、とてもモテること、なんで自分が好かれてるのかわからない、もしかして女だと思われてるのでは。それらを織理なりに伝える。
「それは……えぇ……攪真……」
弦は同情した。あれだけ織理に執着しているくせに性別議論一つで信用にヒビが入る程度の信頼度に。
ただ織理を責める気にもならない、色々思うところがあるからだ。攪真は勢いこそあれど、どこか自分を晒すのが下手だと弦は思っていた。焦りすぎるところもある、そして意外と自信がない。
とは言え物理的に言えば、攪真が織理を女だと思っているわけがないと弦は考える。理由は単純、織理と攪真は既に性行為を済ませているからだ。
ただ恐らく女の子扱いというのは肉体の話だけにとどまらないだろうとも思っていた。常に女役をさせられる織理が男である意味とは、と考えるのも不思議ではないのかもしれない。
弦は珍しく返答に困った。攪真は織理を男だと思っているよ、と自分が伝えるのも変だ。そう言うことは当人同士で伝え合い想いを深めるべき問題である。
「……まぁ攪真の女遊びについては結構噂にはなってたんだけど」
「そうなんですか?」
こればかりは事実だ。今後の為にも先に現実を伝えておくべきだろう。織理がどこまで攪真のことを知っているのかは別として、側から見た時に彼は女好きであることは事実なのだから。
「うん、俺のクラスの女の子も攪真くん好きーって言ってる奴がいるんだよね。なんか、関西弁が色っぽいとか、たまに子供っぽくて可愛いとか……? 趣味悪いなーって聞いてる」
うんざりとした弦の顔が少し面白くて、織理は内容にショックも何も受けなかった。いや、普通に聞いていてもモテる攪真を嫉妬などはしなかったが。
しかしこう聞いてみると攪真のこと……いや、この同居人達の、外での姿を織理は知らないことを突きつけられる。攪真のことはつっかかってくる同級生だとしか思っていなかったし、弦のことは先輩ということしか知らない。在琉もそう、嫌味なクラスメイトだった。
それでも今までは平気だったのだ。ただ外の世界が絡んだ時にふと織理は孤独感に近いものを感じる。自分には外の世界が匠くらいしかないのに、彼らはもっと多くの人と関わっている。
自分はなぜこの人たちに好かれているのだろう、漠然とした不安を抱きながら織理は食事を終えた。
どこか上の空になっている織理に弦は苦笑する。
「あんまり深く考えないでね。周りの環境がどうであれ、俺たちは織理の側に居たいと願ってここに居るんだから」
やっぱり弦もエスパーなのかもしれない。織理はあまり納得いかなかったが頷いた。疑っているわけではない、弦の言葉はいつだって本心だと言うことを経験でわかっているから。
――――
攪真が家に帰ったのはそれから1時間後のことだった。家に帰ったら彼を出迎えたのはリビングで寛ぐ弦だ。他の2人の姿はない。
「おかえり、攪真。遅かったね」
「ちょっとクラスの女の子に捕まってなぁ……織理は?」
「風呂入ってるよ」
そんな時間か、と時計を見る。そんな彼を弦はじっと見て、口を開いた。
「ねぇ、攪真ってまだ女遊びしてるの?」
直球の問いに攪真は口の端がひくついた。何を言い出すんだこの先輩は、と。
「あ、遊んでるわけ、あらへんやろ……! 俺は織理が……」
そこまで言って攪真は気が付いた。弦の問いは本気でもなんでもないことに。むしろこちらの反応を楽しんでるだけの嫌な絡み。織理の前ではしないが、弦はそこそこ人を揶揄う人物であることを攪真は思い出した。
「……そんなこと言うたら先輩やって女に言い寄られとるやないですか」
「俺の金欲しさにね。だから俺は相手にしてないの」
半端に相手するお前とは違って。言外にそう言っているようだった。弦はそもそも半ば有名人だ、フォロワーの多いインフルエンサーで配信者。あの匠ですら彼のファンなのだからその知名度は窺い知れる。だが反面で浮ついた話は一切聞かなかった。どんなにアンチが粗探ししても出てこない程度には女の影がない。その事実を攪真だって知っていた。
――だがだからって自分だけが遊んでいるかのように言われるのは心外だ。そもそもただ買い物などに行くだけ、お泊まりなんてしたこともない。
「俺のこと好いてくれとる子を無碍にできへんやろ。それに奢っとるし、デートだけやし。それもこの家に来る前の話で」
少しムッとしながらも弁解する。
「殺傷沙汰にならないように気をつけてね。俺そんなことでアンチに餌与えるの嫌だから」
弦は笑って返した。もちろんこの発言も本心ではないのは攪真にもわかる。嫌味だけを言う先輩ではないのだ。同居人のスキャンダルで一緒に世間に晒されるのは嫌だと。そんなことありえないだろと言いたかったが、それだけ自分の状況は危ういと言うことなのだろう。
――なんだか今日はなんも上手くいかん。織理とは話せず仕舞いだし、過去に一度デートしただけの結菜はやけに絡んでくるし。ただ、これで織理が嫉妬してくれたら……なんてヨルハに伝えた事が頭によぎる。
その考えを読んだかのように弦は切り返した。
「織理はきっと嫉妬してくれないよ。むしろ勝手に離れてくだけだから。身の振り方には気をつけてね~って助言してあげる」
「なんや先輩は思考盗聴のプロか? 怖いわ」
「いや、当たってたの? 彼女の目の前で浮気する男の言いそうなことを考えただけなんだけど……」
あからさまに引いた態度の弦に攪真が頭を抱えそうになる。
彼も彼で冗談で言った事が当たっていたとなるとなかなかどうして反応に困る。考えてる中でも最低な答えのつもりで言ったのだから。
攪真は絶句するしかなかった。鎌を掛けられた訳でもないのに何か自爆したのがわかる。ここからは何を言っても言い訳にしか聞こえなくなってしまう。自分の言い訳の下手さは何となく自覚していたが、この人相手だと本当に全てが裸にされる。たかが一つしか歳も変わらないのに。
「……織理がなんか言ってました?」
「攪真のことは……あぁ、攪真がモテてるのを実感して不思議がってたかなぁ」
弦は意図的に主語を抜く。何を不思議がっていたのか攪真の解釈としては『モテていること』としか受け取れなかった。正確には『なぜ自分が好かれているか』なのだが。だがそれくらいはお互いに話し合って欲しい、一緒に暮らしていくなら、とこれ以上は何も言わなかった。
カラカラと風呂場の扉が開いた音が聞こえた。弦は席をたち、そちらの方へ向かう。攪真も数歩後ろをついていく。
脱衣所には、パジャマを着て髪にタオルを当てている織理の姿があった。どことなくブカブカな紺色のパジャマを着る姿は、改めてみると愛らしいなと攪真は感じる。全体的に小柄で、細くて、少し女の子みたいに見える。
攪真がそう考えていると、弦は織理の長い髪を手で掬った。
「織理、髪の毛乾かさせて」
きょとんとした目を向けた織理は少し照れながら頷く。
「お願い、します……弦さんの、気持ちいいから好き」
「嬉しいこと言ってくれるね~。織理の髪、サラサラしてて乾かすの楽しいんだよね」
何やら目の前でイチャつかれてる。やっぱり織理の弦に対する反応は明らかに自分と違う、気がする。
そっとその場を離れつつ、攪真はどこかやるせない気持ちだった。弦は織理の信頼を勝ち取り、在琉は織理から愛を与えられている。それに対して俺は? 確かに好きだと言ってくれるしキスもする、処女を貰ったのだって自分だけれど、その反面織理が自分をどう思っているのかはわからない。
弦を見ていると思うのだ。――あの位置に自分が立てたらいいのに、と。そもそも全部自分のものだったらよかったのに。どうして4人で同棲なんか始めてしまったのだろう。考え始めると止まらなくなりそうな独占欲、俺のことだけを好きになって欲しいと願うのにそれ以上を進められない。
織理があの女の子達みたいに自分のことが好きで好きでたまらない……なんて顔をしてくれたならどんなに良かったか。そんな夢みたいなことを考えながら彼は部屋に戻った。




