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すり替わる心━攪真前日譚━



 ――脳繍 織理(のうしゅう しきり)、それはこのクラスでも1.2を争うほどの強さを持つ男だった。童顔の華奢な男、触れたら折れそうなくらいにか弱そうな奴。


「何か用? 最近やけに俺のところに来るけど」


 昼下がりの廊下、声をかければすぐに突き放すような言葉が返ってくる。その顔には何の温度も浮かんでいない、可愛い顔しているくせに人懐こさの欠片もない。


 ――腹立つなこいつ。そう思う心を笑顔で取り繕う。


「いや、その……一緒に帰らんかなぁって思って」


 自分でも間の抜けた声だと思う。だが言葉を飲み込むよりはマシだ。


「なんで? もしかして先日の実地でアンタを負かしたから弱点でも探ろうと思ってるの?」


 ぎくり、と少し鼓動が速くなる。


 ――先週、対人戦を想定した授業で俺と脳繍は戦った。こいつの能力は【洗脳(ニューロテック)】。文字通り人を洗脳する能力。そもそもが応用の効く強い能力だった。


 そしてその日、対峙した俺は一瞬で負けた。試合開始の合図とともに、この男は俺の「授業開始から談笑に上がるその時までの記憶」を消した。言葉通りだ、気がついたら目の前に脳繍がいて、グラウンドの中央にいる。俺は一瞬のことに何が起こったかわからなかった。


 こいつに能力を使われた、それを把握する前に鐵棍に殴られた。女の子の前でカッコつけようと思った矢先のことだった。だって俺の能力は対人相手ならば強い部類。


 だがどうやら1分足らずで決着がついたと言うのだから立つ瀬はない。

 幸か不幸か、クラスで浮いている脳繍の勝利を喜ぶものは居なかったし、その勝ち方に非難の声も上がっていた。だがそんなことで気は晴れなかった。腹が立った、悔しかった。そんな方法で負けるなんて、もっとちゃんと戦って負けるならまだしも……! 無力感、持つ者への嫉妬、今まで視野にも入れていなかった奴に負けたことへの焦燥。


 だがそれを悟られるのは余計にダサい。だからただ善意を装って弱点を探るしかなかった。もう一度戦って負かす、その為に。


「ちがう! ただお前と仲良ぅなりたくて」


 必死を装って言い繕えば、脳繍は目を細める。


「嘘くさい……」


 本当に何も信じていない顔。そう言い捨てて去ろうとするアイツを、俺は思わず追いかけた。


「なんでついてくんの?」

「あ、えっと……近くにカフェ出来たやん? 一緒に行かへん?」


 足を速める彼にしがみつくように言葉を重ねる。どうにかして彼の交友に紛れなければ弱点を知ることなど叶わない。


「なんで?」

「ええやん、学友との交流やって」


 下心なんてありませんよ、そう顔を作りながら理由を答える。

 しばしの沈黙。脳繍は溜め息交じりに答えた。


「……俺、お金ないから」

「出してやるって! ほないこいこ」


 ここまで食い下がるのもアホらしいとは思う。だが始めてしまった以上途中で辞めるのも癪だ。それにこれでコイツのことを知れる。

 ――能力には必ず代償が伴う。その大きさは人それぞれ、けれど強大な力には強大な代償が伴う。もしそれを知ることが出来れば、コイツがどの程度まで能力を行使できるかもわかる。戦に勝つには情報が必要なのだ。それだけのはずだった。


 ……それだけのはず、だったのに。




 ――――

 



 カフェは、別段特別な場所ではなかった。大通り沿いにできたばかりの店、木目調の内装と淡い照明が心地よい温かみを漂わせている。ガラス越しに差し込む午後の光は少し傾きはじめ、テーブルに淡い影を落としていた。


 メニューを開いた俺は、さして悩むこともなく珈琲に決めていた。男ならブラック、苦くてもそれを飲みこなせる方が格好いい。そういう見栄も半分はあった。


 一方の脳繍はメニューを眺めたまま動かなかった。華奢な指が紙の端にかかったまま、視線だけが泳いでいる。


「飲みたいもん無い?」

「……お前と同じでいい」


 どこか投げやりな返答。


「俺珈琲頼むで。甘いのの方がええんちゃう?」

「子供扱いしてる?」


 少し不機嫌そうな物言いについニヤけてしまう。なんだ、コイツ反抗的な猫みたいだ。

 否定してやると脳繍はそれを信じたのかポツポツ話し始めた。


「……こう言うところ、来たことなくて。擾繰の、オススメとか……聞きたい」


 ――何やコイツ、超可愛い。照れを隠すために上擦った声、なのに視線は俺を上目遣いで見てくる。それ無意識でやっとんの? 憎い相手の筈なのに、いや、憎い相手だからこそそのギャップに惑わされているんだろう。

 落ち着け、顔に出すな。自分を諌めながら俺は無難な返しを考えた。


「せやったらキャラメルマキアートとかどうや? 甘くて美味しいで」

「じゃあそれにする」


 思ったよりも素直に頷いた脳繍に驚くような、嬉しいような不思議な感情が芽生えた。懐かない猫が手から餌を食べた時のような高揚感。何か言わなきゃいけない、そう思うのにその感情のせいで頭が混乱する。


 とにかく注文してしまおう、何も織理に返せず店員を呼び注文を伝える。


 暫くして運ばれてきた物を飲み始める。珈琲の香りが気分を落ち着かせてくれる気がした。


「……うまい?」


 ストローを口に着けてちまちまと飲んでいる脳繍。多分美味しかったのだろう、僅かに頬が緩んでいて俺は『そんな顔もできるんか』と奴の顔を見てしまった。


 その顔を見ていると、不意に「弟」という言葉が浮かんだ。甘え方を知らず、素直になれない小生意気な弟。俺が兄なら、許してやれるのかもしれない。




――――




 数日が過ぎても、俺は変わらず脳繍のもとへ足を運び続けた。

 カフェに誘い、適当に理由をつけて隣を歩き、時には嫌な顔をされても押し切った。そうしているうちに、クラスの連中も俺の動きを面白がりはじめたらしい。その度に俺は脳繍を弟のようなものだと形容した。それに不満そうな彼の顔は見なかった事にする。


 昼休みの教室。ざわめきの中で俺が何気なく視線を脳繍に向けると、すぐさまそのことを嗅ぎつける奴がいた。


「攪真、また彼のこと見てるの? 本当に好きね」


 机に肘をつき、にやにやと笑うヨルハ。


「好きちゃうわ!!」


 即座に声を荒げれば、教室のあちこちからくすくすと笑い声が漏れた。

 余計な注目を集めてしまったらしい。顔が熱くなる。


 ヨルハは隣のクラスの幼馴染だ。だというのに俺のこの醜態が面白いのか、度々教室に現れては俺を揶揄うような事を言う。


「ただ……アイツは弟みたいなもんやからな、心配してるだけやって」


 俺の口から出たのは本音だ。弟。甘え方を知らないくせに生意気で、でも放っておけない。だから気にしているだけなのに――周りからすれば、そう見えないのかもしれない。いやでも普通に考えて態々クラスメイトと絡んでるだけだろ、と反論したくもなる。


「へぇ、まぁそう言うイメプもいいんじゃない? 脳繍さんは嫌がるだろうけど」

「イメプ言うなや……」


 ヨルハはケラケラと笑い声をあげ、立ち上がるとそのまま教室を出て行った。休み時間の残りはわずか、きっと購買にでも行くのだろう。

 残された俺は、机に頬杖をつきながら深く息を吐いた。周りのざわめきが妙に遠く聞こえる。



――――




「またきたんだ。暇人だね」


 脳繍は机から顔を上げるなり、いつもの調子で俺を突き放す。毎回のことだ。

 だからこそ「またか」と心の中で毒づいた。けれどその日の彼は、どこか違った。声音がほんの少し柔らかい。刺々しい棘が抜け落ちているように聞こえた。


「なんや、ええことでもあったん?」


 軽く笑ってみせながら問いかける。脳繍の機嫌が良さそうな理由が気になった。


「少し」


 短い返事。けれど、その声に隠された温度はこれまでとは違っていた。

 誰かと話したのか。何か良いことでもあったのか。胸の奥に妙なざわめきが広がる。普段俺にそういう顔を見せないくせに。誰に対しての笑みなのだろう。


「擾繰にあえて、ちょっと嬉しい……かも」


 ガツンと脳を叩かれた。照れを滲ませながら視線を揺らし、それでも正直に言葉を紡ぐ脳繍。無防備なその表情に、思わず手を伸ばしそうになる。必死で抑えて俺はヘラヘラ笑って誤魔化した。


「脳繍にそう言ってもらえて嬉しいわ。仲良うなれたんやなぁって」

「……ん」


 小さく頷き、すぐに俯いてしまう。その癖、返答に困ったとき目を伏せる仕草。今の俺にはただ可愛く思えるだけだった。


 

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