第7話 愛とは一体
「織理……そこまで耐える必要はないと思うよ。こんなの、あんまりだ」
弦は乱れた呼吸を整えさせるように、ゆっくりと傷口の処置を続けながら声をかけた。
夜も更けた頃、涙に濡れた目で彼の部屋を叩いた織理の姿に弦は言葉を失った。ワイシャツはぐしゃぐしゃに乱れ、震える手で下腹部を押さえて立っている。
嫌な想像しか浮かばなかったが、案の定だった。許可をとって服をめくれば胸元に新しい装飾、そして無惨に深く突き立てられた簪。
織理は「大丈夫」と言い張ったが、その態度はあまりに危うい。何もできないと思うあまりに自己犠牲を極めたような織理の態度は非常に危うい。自分に対しては多少それが緩和されたように見えていたから油断していた。ここまで在琉が拗らせているなんて予想ができていなかった。
在琉と言う男は、弦からすれば本当に子供だった。まるで好きな子をいじめる小学生男児のように織理に絡む。
ただ問題があるとすればそのズレが、純粋に好意を隠す気持ちからきているわけでも無さそうである事が分かり始めた事だろう。
織理を玩具と呼び、こうして所有印を刻むところを見るに、根本的には気に入っているのだろうとは察せるが本人は織理を嫌いだと言う。
――これ、俺がけじめつけないといけないか。年長者だし。織理が少しでも楽になれるようにと、好意に対する対処法を教えたつもりだった。相手の好意を認められないなら試してみればいい、それで嫌がる相手は勝手に離れていく。それでも好きな奴はお前を本当に可愛がってくれるから、と。
正直在琉も人間だ、どこかで気に入ってる人間から甘えられたなら自覚するものかと思っていた。
「織理……ごめん。俺、織理に傷ついて欲しくなかったのに」
傷に触れないよう、恐る恐る腕を回す。ほんの少し抱き寄せるだけでも、彼の体温が伝わってきた。もっと近くで包み込めたらと思うのに、胸に食い込む装飾が邪魔をする。そのわずかな距離がもどかしい。
「弦さんは何も……むしろ、こうしてもらえて安心する……」
「……織理。本当……、可愛いね」
――本心から思う。織理のこの無自覚な甘え仕草が何よりも心を離さない。ずっと本気になんてならないと思っていたのに。ただの後輩で、揶揄ったら可愛い反応するからずっと言い続けて、結局言霊の様に本当になってしまった。
織理のか細い呼吸を聞きながら、弦は思う。
――このままじゃだめだ。織理が壊れてしまう前に、自分が動かなければ。
彼は在琉と膝を突き合わせる覚悟を固めた。子供じみた独占欲の暴走を、このまま黙って見ているわけにはいかない。織理を守るためにも、年長である自分が正面から向き合うしかない。
――――
「在琉、今いい?」
「あれ、先輩。どうかしました?」
織理が絡まなければそんなにおかしくも見えないからこそ気味が悪いのだ。いや、少しは傲慢な口振りを隠しているだけで、言葉の端はどこか棘がある。
「お前さ、織理のこと好きなんだよね?」
「先輩もそれを言う? 嫌いって何度も言ってるんですけど」
それは照れ隠しではなかった。本心から彼はそう思っている。本人に自覚がないんだ、と弦は掌に爪を立てた。
「じゃあさ……もう関わらないでくれよ。俺と攪真はアイツが好きなの、大切にしたいって思ってる。ずっと一緒に、誰にも渡したくもないのに」
――これは一種の賭けだ拒絶を重ねれば、いずれ在琉の内側から何かが噴き出すはずだ。歪んでいてもこれは恋だ。弦はそう確信しているからこそ、この同棲を認めたのだ。
「へぇ? なんかその言い方、織さんを物扱いしてる感じ。俺に何か言う前にそこ改めた方がいいんじゃないですか?」
「ふーん、お前自覚あるんだ。織理が物じゃないって」
在琉は薄笑いを浮かべた。
「いっそ本当に物ならアイツは楽だったでしょうね、使われるだけの人生。アイツみたいに自分の選択に自信も無く選べないくらいなら誰かに支配されていた方が遥かに幸せだろうに」
弦は思わず目を細める。驚いたのは、在琉の言葉が的外れではないことだ。だが、その結論を良しとしないのが自分たちであり、在琉は逆にそれを推し進めようとしている。
「そんなに織理のこと考えてくれてるんだ。好きなんだねぇ」
弦は少し揶揄うように返す。在琉は首を傾げて嘲笑した。
「ここの奴ら本当人の話聞きませんね。考えるまでも無く見ればわかることでしょう? 本当無力で無様で、ガラスケースにでも入れておきたくなる様な奴だよ。アイツは」
「それさ、世間では恋とか愛とか言うんだけど本当に自覚ないわけ?」
「恋? 愛? だってアイツとは子孫も作らないし必要ないでしょ。父が子に対して抱く感情であるならば、まぁ確かに俺のは愛でしょうね。こんなにも面白い玩具、愛さないわけにはいかない」
けはは、と笑う在琉は何か根本的に話が合わない気がする。弦は頭を抱えかけた。愛と恋の言葉を知っているのに中身が伴わない、生殖のための物だと思っているのは彼の独特の思想なのだろうか。生い立ちも知らない在琉の言葉を推測するのは流石の弦でも難しい。育ちからくる歪みなのか――そう思った瞬間、答えが形を成した。
「お前も織理と同じで愛されてこなかったんだね」
一瞬だけ、在琉の表情が揺らいだ。すぐに取り繕ったが、見逃すほど弦は甘くない。
「そうだとしたらオレと織さんは分かり合えますね。だからこんなに楽しいんだ。それは気づかなかったよ、先輩」
あっけらかんと告げて、在琉は通り過ぎていく。弦はその背を見送りながら、息を詰めた。
――これは長丁場になる。歪んだ子供を相手にするのだから。




