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創造神と龍人9

転生してから三ヶ月——季節は初夏へと移ろい、ジグの大森林の木々は青々とした緑に包まれていた。朝露が葉先に宿り、陽光が樹冠の隙間から金色の筋となって差し込む様は、まるで自然が織りなす大聖堂のようだ。


この森は、もはや俺の庭も同然だった。足音一つで魔獣たちが振り返り、尻尾を振って駆け寄ってくる光景は、前世では決して想像できなかった日常となっている。角の折れたオークベアは相変わらず人懐っこく、翼を傷めたウィンドホークは俺の肩を定位置と決め込んでいる。彼らとの絆は言葉を超越し、心の奥底で温かな安堵感を育んでいた。


しかし、日々の鍛錬は決して楽なものではなかった。夜明けとともに響く鳥たちの囀りが俺を起こすと、モンドさんからの厳格な指導が始まる。格闘術では拳に血豆を作り、剣術では筋肉痛で腕が上がらなくなるまで練習を重ねた。午後の魔法の訓練に至っては、もはや修行というより苦行の域に達していた。


六属性すべてに魔術適性を持つという、一見恵まれた才能——だが現実は残酷だった。火属性初期魔法「フレイムスパーク」を放てば、出るのはメタルライター程度の心許ない火花のみ。土属性初期魔法「アースウォール」に至っては、地面がわずか五センチほど盛り上がるだけで、防御壁としての役割など到底果たせない代物だった。


その光景を目にしたモンドさんの表情は、同情と困惑が入り混じった何とも言えない苦笑いを浮かべ、頬の筋肉が微妙に引きつっていた。一方、俺の肩の上に鎮座するベビータイガーの姿をしたアホ神シドは、腹を抱えて転げまわり、小さな体を震わせて爆笑していた。その無邢気な笑い声が森に響くたび、俺の心には複雑な感情が湧き上がる。


さらに追い打ちをかけるように判明した事実——俺の魔力吸収率は絶望的に低かった。シドの説明によれば、モンドさんの一億分の一以下だという。魔獣を倒して強くなる確率はほぼゼロ。「ほぼ」という曖昧な希望が、かえって心を苦しめる。いっそゼロと断言してくれれば、諦めもつくというものだが‥‥‥。


胸の奥で何かがきゅっと締め付けられるような感覚を覚えながらも、俺は自分に言い聞かせた。まぁいいさ、俺にはシドの無尽蔵な魔力があるんだから。目尻に浮かんだ水滴は、きっと朝露のせいに違いない。泣いてなんかいないんだからな。


一方、モンドさんは神性魔力を得たことで見違えるほど成長していた。黒い霧のように瞬間移動する「黒霧移動」と片手剣の連携は芸術的で、深層に住む凶暴な魔獣とも互角に渡り合える実力を身につけている。模擬戦では俺の全敗が続き、勝ち誇ったモンドさんが「ハマー殿にはまだまだ負けんな」と鼻で笑った時は、思わずデイサイドの柄に手をかけたほどだった。さすがにその時のモンドさんの平謝りぶりは見物だったが。


そんな穏やかな日常に区切りをつける時がやってきた。


「だいぶ戦いにも慣れてきたし、そろそろ森を出ようと思う」


俺の言葉に、焚き火の向こうでマンティコアの毛皮ジャケットを繕っていたモンドさんの手が止まった。琥珀色の瞳に困惑の色が浮かぶ。


「実は、当初の予定通りモンドさんに町まで案内してもらうつもりだったんだけど、シドと相談した結果、ここで別れようと思うんだ」


「何故だ?」


モンドさんの声に動揺が滲む。


「我はハンターだ。喫緊の予定も無い。我の事が邪魔になったのか?」


その問いかけに込められた不安と寂しさを感じ取り、俺は首を横に振った。


「違うよ。モンドさんは今が人生で一番実力が伸びる時だと思う。そんな大切な時期に、俺の都合でチャンスを逃すのはもったいない。昨夜シドと話し合ったけど、彼も同じ意見だった。だから‥‥‥ここでお別れだね」


言葉を続けながら、胸の奥に広がる寂しさを必死に押し殺す。


「助かったよ、モンドさん。あなたと会えなかったら、俺はきっとここで死んでいた」


その瞬間、モンドさんの琥珀の瞳に大粒の涙が宿った。普段の冷静沈着な表情は崩れ去り、深く頭を下げる姿に俺の心も揺さぶられる。


「ありがとう、ハマー殿、シド様」


震える声で彼は続けた。


「我こそ、お二人に会えなければ間違いなくここで死んでいた。偶然の出会いが、我の人生を大きく好転させてくれたのだ」


焚き火の炎が彼の横顔を赤く照らし、涙の筋が頬を伝って落ちていく。


「我は四級ハンターと言えど、黒龍人族の里では常に差別の対象だった。血と汗を流して四級の資格を得た後でも、里で最強になることはできなかった。黒龍人族は強さが全て、強さこそが正義——それが絶対の掟だった。その掟を覆すほどの力を求めて、この森で修行を始めたのだ」


モンドさんの告白に、俺の胸は痛みを覚えた。彼の過去に刻まれた深い傷跡が、炎に照らされた表情から読み取れる。


「今思えば、それは自暴自棄だった。自分の才能の限界に絶望し、死を覚悟した無謀な行為だった。しかし‥‥‥」


彼の瞳に、今度は希望の光が宿る。


「ハマー殿は違った。異世界への転生という途方もない運命を受け入れ、どうにもならない状況でも最善を尽くす精魔力。そんなハマー殿が困難に立ち向かう姿を見て、我も再び立ち上がることができたのだ」


モンドさんが俺をそんな風に見ていてくれたのか——胸の奥で何かが熱くなり、目頭が熱を帯びる。彼の純粋な感謝の言葉が、心の深いところまで染み渡っていく。


だが俺は、涙を流すのが嫌いだった。人生を半ば諦めていたから、いつ死んでもいいと思っていたから立ち向かえただけなのに。そんな茶化すような言葉が喉まで出かかったが、このな空気を壊すわけにはいかない。そして、湿っぽい別れは俺の性に合わなかった。笑顔で送り出されたいから。


「永遠の別れじゃないんだから、そんなに湿っぽくしないでよ」


俺は努めて明るく言った。


「じゃあ、またどこかで会おう」


肩の上のシドが、ふわふわの毛を揺らしながら口を開く。


「モンド、そのマンティコアのジャケットは、お前の人生三十年分の買い物だということを忘れるなよ。まだ二十九年九ヶ月も残ってるんだからな」


ベビータイガーの愛らしい外見とは裏腹の、シドなりの不器用な優しさだった。その小さくてふわふわな体が、妙に愛おしく思える。


森の小径を歩き始めると、後方から手を振り続けるモンドさんの姿が徐々に小さくなっていく。振り返るたび、彼の姿はより遠ざかり、やがて木々の向こうに消えていった。心の中で何度も呟く——モンドさん、ありがとう。


足音と鳥のさえずりだけが響く森の静寂の中を、俺たちは黙々と歩き続けた。

そして五時間後——


「‥‥‥おい、シド」


「何?」








「どうやら、迷ったようだ」


龍人の本編はこれで完結です。明日からは、数話、幕間に入ります。

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