創造神と龍人6
陽光が木製の小屋の隙間から差し込んでくる。普通なら心地よい朝の始まりのはずだった。しかし、胸に宿るのは清々しさではなく、得体の知れない不安だった。ストレス耐性はある方だけど、さすがに転生初日はきつかったな。まぁなんとかなるか。
「ハマー、お腹空いた。早く朝食作って」
のんきな声が響く。振り返ると、ベビータイガーの姿をしたシドが、まるで飼い猫のように床でごろごろしていた。
「モンドは昨日の疲れからか起きる気配が無いんだよ」
シドの言葉通り、隅で眠るモンドの寝息は深く、時折うめき声を上げている。きっと昨日の戦闘と、自分たちの正体を知った衝撃で心身ともに疲弊しているのだろう。
「とりあえず顔を洗って魚でも獲ってくるよ」
立ち上がると、窓の外を眺めた。この水場のエリアには結界が張られているはずだ。木製のドアに手をかけた。古い木材の感触が掌に伝わる。きしむ音を立てながらドアを開けるとそこには、信じ難い光景が広がっていた。
馬鹿でかい魔獣が、朝霧の中に佇んでいる。ライオンのような逞しい四肢、筋肉質な胴体、そして背中から伸びるサソリのような尻尾。しかし最も異様だったのはその顔だった。人間の顔、それも端整な西洋系のイケメン顔が、獣の体に不自然に据えられていた。
脳裏に、前世のネット文化で培われた感情が沸き上がる。とりあえずイケメンは滅びろ。
その瞬間、魔獣マンティコアがゆっくりと振り向く。人間の顔に浮かぶのは、明らかな敵意だった。
「シド!何かいるって!」
俺の叫び声に、シドはのんびりと答える。
「そういえば昨日ハマーが神々破で迷宮を壊したよね」
シドの声には、まるで他人事のような軽やかさがあった。
「ここに張ってあった結界はあの迷宮あっての結界だったみたい。今は魔獣も自由に行き来できるんじゃないかな。この家にはボクがいるからなかなか近寄らないみたいだけど、どこの世界にもアホはいるから」
愕然とした。このベビータイガーの姿をした創造神は、危機的状況を前にしても飄々としている。その性格には重大な欠陥があるとしか思えない。
「ボクが倒してもいいんだけど、ハマーに倒して欲しいんだよ」
シドの言葉が続く。
「基本的に他責で行動力が無い癖にプライドが高いハマーに」
会って二日目にして、心の奥深くを抉るような暴言を平然と吐かれた。ハートブレイクショットを打たれたときのように心臓が一瞬止まったんじゃないかと思った。
「俺の神々破が火を噴くぜ!か~み~が~‥‥‥」
必死に詠唱を始める俺を、シドは容赦なく遮る。
「あ、神々破は一時的封印したよ。あまりにも強すぎるからハマーが成長しないと思って」
俺の絶望は頂点に達した。この創造神は確実に悪魔だ。
「魔力貯蔵庫を意識しながら魔力を体内に循環させてみて」
シドの指示に従い、意識を内側に向ける。体の中心にある何かを感じ取ろうと集中した。すると、温かな流れが体内を巡り始める。心地よい熱が四肢に広がり、まるで生命力そのものが活性化されるような感覚だった。
この状態になれば、魔力が視覚化されるはずだ。しかし、ハマーには何も見えない。ただ、体の奥底から溢れ出る力強い鼓動を感じるだけだった。後で、魔獣に殺されなかったら、モンドさんに聞いてみよう。
「うまいうまい。才能あるよ。それじゃ早速行ってみよう」
悪魔のような創造神による適当な指導で、いきなりの実戦に臨むことになった。まるでブラック企業の新卒がいきなり飛び込み営業に駆り出されるようなものだ。
しかし、ハマーの内に闘志が燃え上がる。やってやろうじゃないか。
ドアを開け、外に足を踏み出す。朝の冷たい空気が肌を撫でていく。マンティコアは約200メートル先で、何かを探すように首をきょろきょろと動かしていた。その動作には、どこか間の抜けたところがある。
「こんにちは。何かお探しですか?」
ハマーは極めて自然に挨拶した。挨拶は社会人の基本だ。言葉が通じるかは分からないが、さわやかにコミュニケーションを図ってみる。
突然声をかけられたマンティコアは、明らかに驚いた様子で振り向く。人間の顔に浮かぶ表情は、戸惑いから敵意へと変化していく。
「お前、不味そう。昨日感じた、うまそう、違う。でもいい。喰う」
マンティコアの言葉と同時に、サソリのような尻尾が目にも止まらぬ速さで突き刺してくる。
しかし、ハマーにとってその速度は——はっきり言って遅い。
尻尾を横にかわし、そのまま掴む。甲殻類の殻のような硬い触感が掌に伝わってくる。毒がありそうで危険だと判断し、迷わず引きちぎる。
あまりにも簡単に千切れた。
「アアアアアアアアアアア。オレの、尻尾を、許さん!」
マンティコアの絶叫が朝の静寂を破る。
ハマーは冷静に状況を分析していた。転生してまだ二日目だというのに、もう人間の域を超えている。シドは明らかに高位の神だ。その力を受け継いでいるのだから、自分も相当なものなのだろう。
最高神は「チートはやらん」と言っていたが、これはチートどころの騒ぎではない。こんな力を手に入れて普通に生きろというのは無理な話だ。
将来への不安を抱きながらも、噛みついてきたマンティコアの顎を片手で掴む。
「死んでください、な」
魔力を込めた平手打ちを叩き込む。マンティコアの顔面が一瞬でミンチ状になり、遥か彼方まで吹き飛んでいく。討伐完了。
「強いよハマー。何にも教えてないのに」
いつの間にかベビータイガーが近くに現れていた。きっと危なくなったら手助けするつもりだったのだろう。無駄にツンデレなところが憎めない。
「教えたくても何にも覚えて無いんだけど。ハハッ」
シドの苦笑いが、朝の空気に溶けていく。
「シドの魔力が強すぎるんだよ。シドはかなり高位の神だったんじゃない?」
「たぶんね。普通の神なら相手にならない位だと思う」
あっさりと肯定された。当分普通の暮らしはできそうにない。グッバイ、平穏な暮らし。
「今ハマーがマンティコアを討伐してるところを見たら、昔マンティコアを飼ってた頃を思い出したよ。名前はマンP。懐かしいな。元気にしてるかな」
ハマーは呆れる。十万年も生きる生物がいるはずがない。明らかに死んでいるだろう。そして何よりも、そのセンスのない下ネタのような命名に頭を抱えたくなる。
「このマンティコアは神性が無いから得られるのは魔力だけだよ」
シドが解説を始める。
「今回はボクが何もしなくても自動的に倒した人に吸収される仕組み。大して増えないから数を倒さないと強くなりにくいのが魔力のだめなところかな。あとは、心臓の所に魔石があるから忘れないで回収してね。肉に毒があるかは分からないからとりあえず食べてみよう」
ハマーは身構えた。また心臓タッチで地獄を見るのかと思ったが、神性のない魔獣なら大丈夫らしい。貴重な情報として記憶に刻み込む。
「これは‥‥‥ハマー殿が倒したのか?」
モンドが目を覚まし、外に出てきた。マンティコアの死骸を見て、その顔には信じ難いという表情が浮かんでいる。
「この図体の大きさと、引きちぎられてはいるが、サソリのような尻尾から推測するとマンティコアかと。そうだとすれば、Sランクの上位魔獣だが大丈夫だったか?」
「モンドさん、起きたんだね」
ハマーは肩をすくめる。
「人面のマンティコアだったよ。あんまり強くなかったからもしかしたら弱い個体だったのかも。とりあえずこいつで朝飯にして昨日の続きの話を聞かせてよ」
「マンティコア‥‥‥大したことない‥‥‥」
モンドが呟く言葉には、現実を受け入れがたい困惑が込められていた。
「深く考えるな、シド様とハマー殿が異常なだけだ」
自分自身に言い聞かせるように、モンドは首を振る。
ハマーは今日明日の二日で食べられる分だけ肉を切り分け、家に戻ることにした。余った死体はシドが何かを作るらしい。
ブックマークと高評価をいただけたら泣いて喜びます。