創造神と龍人4
「これでどう?」
シドの小さな掌から放たれた温かな光が、私の胸の奥深くに静かに染み入っていく。まるで激流が穏やかな小川に変わるように、体内を駆け巡っていた圧倒的な魔力が徐々に鎮まっていくのを感じた。
「ありがとうございます、シド様」
モンドが深々と頭を下げながら言った。
「もうほとんど魔力を感じられません。これでいつも通りの生活ができそうです」
その声には、長い間抱え続けていた重荷がようやく降りた安堵が滲んでいた。
「そう、それならよかった」
シドは小さくあくびを漏らし、
「それじゃボクは寝るから、用があったら起こしてね」
そう言い残すと、シドは部屋の隅にある毛布の上で小さく丸くなった。琥珀色の毛並みが夕暮れの光を受けて輝き、規則正しい寝息が静寂に包まれた部屋に響く。その愛らしい姿に、思わず頬が緩んだ。かわいい。
「自由な奴だな」
私は苦笑いを浮かべながらシドを見つめ、モンドに向き直った。
「それで、モンドさん、この世界のことを教えてくれる?」
「長い話になるだろうから‥‥‥夕食を取りながらにしよう」
モンドは腰に下げた小さな木製の保存箱に手を伸ばした。
箱から取り出された肉は、薄紅色をした上質なもので、モンドが慣れた手つきで短剣を使って一口大に切り分けていく。そして何の詠唱もなく、指先をひらりと動かすだけで、部屋の中央にある石造りの囲炉裏に真っ赤な炎が踊り始めた。
「かっけー‥‥‥これが魔法か」
心の奥底から湧き上がる興奮を抑えきれず、私は身を乗り出した。まるで子供の頃に初めて花火を見た時のような、胸の高鳴りが止まらない。この世界の不思議さと可能性が、私の心を強く掴んで離さなかった。
適度に焼かれた肉に岩塩を振りかけたシンプルな料理だったが、素材の味がしっかりと感じられて美味しかった。焚き火の暖かさが頬を撫で、パチパチと薪の爆ぜる音が夜の静寂を優しく包み込んでいる。
モンドは肉を咀嚼しながら語り始めた。
「まず、この世界には数多くの迷宮が存在する。迷宮とは、かつて神々の戦争を終結させるために最高神が神々の上位権能を封印した結果、発生したものと言われている」
炎の光が彼の 顔を照らし出し、無駄に神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「現在発見されているものでおよそ1000。だが世界にはおそらくその倍の迷宮が眠っているとされている。迷宮には確かに魔物や魔獣といった危険な存在も潜んでいるが、同時に食料、鉱物、そして神の力が込められた神機など、多様な恩恵ももたらしてくれる。そのため迷宮は、この世界の人々の生活に欠かせないものとなっているのだ」
モンドの説明を聞きながら、私は先ほどシドが封印されていた祠のことを思い出していた。あの場所も迷宮だったのだろうか?だとすれば、なぜ本当に何もなかったのだろう。シドの強大な力が、他の存在を寄せ付けなかったのかもしれない。
「ジラの大森林内にも多数の迷宮があると言われているが、中層以降はほとんど発見されていない。森が深すぎて、人が踏み入れることのできない領域なのだ」
モンドは遠い目をして続けた。
「そしてこの世界には、魔力という力が存在する」
モンドは手のひらに小さな炎を浮かべて見せた。
「魔力は魔法に使用でき、火、水、土、風の四属性と光、闇の二属性、そして万人が持つ無属性の計七属性がメインとなる。無属性は主に体内強化に用いられ、体外に放出することは非常に困難だ。一方、神性魔力はその神の特性によって七属性に属さない魔法を使うことができる。また神性魔力は一般魔力としても使用可能で、とある神の使徒となった者が急激に強くなったという話も聞く」
彼が説明を続けながら、私の周りを見回す視線には探るような鋭さがあった。
「一般魔力を纏うと白っぽく見え、神性魔力を纏うと色がついて見える。色付きの魔力持ちがいたら少なからず警戒するべきだな。ちなみにハマー殿からは、弱々しい白い魔力のみが見える程度だ」
「弱々しい魔力‥‥‥」
俺は胸の奥に感じる違和感に触れながら言った。
「シドから魔力貯蔵庫なるものを心臓に取り付けられているんだが、それは見えない?」
モンドの表情が一瞬困惑に曇った。
「正直言うと、まったく見えない。おそらく上位の神のみが把握できる力なのかもしれない」
彼は首を振りながら続けた。
「ちなみに魔法は使えるのか?」
「魔力を目いっぱい放出する『神々破』という力技なら使えるよ」
俺は苦笑いを浮かべた。
「シドが封印されていた祠で使用した時は、壁に傷一つつけられなかったから威力は微妙かもしれないけれど」
実際のところ、あの時の手応えのなさには拍子抜けしたものだった。
「一回、外で撃ってみようか?」
「それなら、ここから約200メートルほど川沿いを下ると、ちょうど開けた場所がある。そこで試してみよう。まだ魔獣も戻ってきていないようだから安全だ。結界も深層の魔獣を寄せ付けないほどのものだから、まあ大丈夫だろう」
モンドは立ち上がりながら提案した。
夜風が頬を撫でていく中、川のせせらぎの音を聞きながら歩いていると、やがて月光に照らされた開けた広場に出た。一辺が500メートルほどの正方形の空間で、広場の一角には巨大な岩山がそびえ立っていた。
その岩山を見た瞬間、なんとなく神聖な気配を感じて嫌な予感が胸をよぎったが、そんなに大した威力ではないだろうと自分を納得させた。
「それではあの岩山に向けて撃ってみてくれないか。射程は大丈夫だろうか?ダメなようならもう少し近づこう」
モンドが岩山を指差しながら言った。
「ちょっと遠いけど、やってみるよ」
私は深呼吸して集中し、体内の魔力を呼び起こした。心臓の奥で眠っていた力が、まるで目覚めた竜のように蠢き始める。
「よし!か~み~が~み~~~はっ!!!!!」
前回と同じように、黄金に輝く波動が一点に集中され、高速で放出されて岩山に向かって駆け抜けていく。夜の闇を切り裂く光の奔流は、まるで流れ星のように美しく、そして恐ろしかった。
チュドドーーーーン!!!!
大地を揺るがす大爆発と共に、強烈な衝撃波と巨大な土煙が立ち上った。轟音が森全体に響き渡り、鳥たちが一斉に飛び立つ羽音が夜空に響く。煙が晴れると、そこにはもう岩山の姿はなく、代わりに半円型に抉られた更地が月光の下に現れていた。
「やったぜ。雪が降ればハーフパイプに使えそうだ」
威力ありすぎだろ。気まずすぎてボケてしまった。
「ハ、ハマーさん?」
振り返ると、モンドが石のように固まっていた。その表情には驚愕と畏怖が入り混じり、声も震えている。
「こ、この威力で微妙ということですか?」
彼は ギギギと音が鳴りそうなほどぎこちなく、まるでブリキの人形のようにこちらを向いた。しかも急に敬語になっている。
「うーん、こんなに威力があったのか。使ったの2回目だから知らなかったよ。ハハッ」
私は頭を掻きながら苦笑いした。
実際、本当に知らなかったのだから仕方がない。これを町でいきなりぶっ放さなかっただけでも良かったと思うべきだろう。それにしても、あのゴミ創造神は一体どんな技を教えたのだ。
「ちなみに、この魔法は何回くらい撃てそうですか?」
モンドの声は明らかに上ずっていた。そして、まだ敬語のままだ。完全に距離を置かれてしまった。
「い、一回が限界ですって!」
私は慌てて手を振った。
「底をついてる!俺の魔力、底をついてる!」
韻を踏んでみた。内容はもちろん嘘だ。実際は体感1000回は可能で、実質無限に等しい。だがそんなことを言ったら、さらに恐れられてしまうだろう。
「嘘はいらない」
モンドは深いため息をついた。
「ハマーの規格外ぶりを見て、シド様がかなり高位な神だということが分かった。しかし、とんでもない威力だ」
「おーい!」
突然、愛らしい声が響いた。振り返ると、シドが小さな足音を立てながらこちらに駆け寄ってくる。
「急にいなくなってどうしたかと思ったら、神々破を迷宮にぶっ放したんだね。しかも迷宮ごと神を討伐してるし。やるう、破天荒!」
「は?どういうこと?」
「見たら分かるでしょ」
シドはクスクスと笑いながら説明した。
「さっきの岩山が迷宮だったんだよ。なんか変な感じがしたでしょ?ちょっと神聖な感じっていうか。うーん、ちょっと見てくるね」
そう言って、シドは可愛らしいトラの姿で駆け出していった。その愛らしい後ろ姿を見ていると、思わず抱きしめたくなってしまう。中身が小憎らしいのは分かっているのだが。
「中位の神かな。おそらく‥‥‥なるほどなるほど」
シドが何か牙のようなものを拾い上げて、納得したように頷いている。
「これは1899位『黒霧の狩神ヴァンライク』」
シドの声は、突然学者のように真剣なものに変わった。
「混沌から生まれた獣の神で、その暴力性と暴虐性故に『全ての生物は自分の糧となる』と理解していた。しかし光の神々より『理のない獣は秩序を持たぬ』と影の世界に封じられた。影の世界で長い年月封じられた結果、黒い霧となり、かつての暴虐性は消え失せた。さらに時は流れ、ジラの大森林の大岩が影の世界を穿ち浸食した。黒い霧とジラの大森林が交じり合い神域となった。その黒い霧は神域の秩序を守り、狩りを守る選択をしたのさ。『狩ることだけが狩りではない。森の秩序を守ることこそ狩りなのだ』だって」
シドの説明を聞いて、私は少し安堵した。無害な神だったのなら、罪悪感を感じる必要はない。
「あんまり攻撃的な魔法には使えなそうかもしれないけど、まあいいや」
シドは軽い調子で続けた。
「とりあえず3等分しちゃおう。まずはハマー、次にモンド、最後に僕ね」
そう言ってシドは私とモンドの胸を掌で軽く叩き、その後に自分の胸も叩いた。
瞬間、私の胸の奥で何かが爆発したような激痛が走った。まるで心臓を鷲掴みにされたような苦痛が全身を駆け巡り、視界が白く染まる。
「イデデデデデエエエエエエエエエエエエ!」
隣でモンドも同様に絶叫している。
「アバババババババババ、ナンダナンダナニコレエエエエエエエエエエエエエエ!」
二人の阿鼻叫喚の中、シドだけは何ともない様子でケロリとしていた。
「なんだ、やっぱりボクはもらえないみたいだから」
シドは少し残念そうに言った。
「ハマーにあげる」
再び胸を叩かれる。今度は先ほどの何倍もの激痛が全身を貫いた。骨の髄まで焼かれるような苦痛に、意識が混濁していく。
「アンギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
私の絶叫が夜の森に響き渡り、やがて意識は深い闇の中に沈んでいった。
ブックマークと高評価をいただけたら泣いて喜びます。