創造神と龍人3
「どちらに人里があるのか皆目見当もつかない。それなら、とりあえず太陽の向かう方へ歩いてみようか」
ハマーが呟くと、横で宙に浮いている小さな神は無責任に笑った。
「そこらへんは全部ハマーに任せるよ。ボクは全く役に立ちそうもないね。なんせ記憶が無いからね。ハハッ!」
バカ神シドは脳天気に宣う。まるで他人事のようなその態度に、ハマーは内心苛立ちを覚えながらも、現実的な優先順位を整理した。水場の確保が何より先決で、食料の調達はその後だ。幸いにも気温は二十度前後で過ごしやすく、寒さで命を落とす心配はなさそうだった。
山の獣道を進み始める。足音が落ち葉を踏み砕く音だけが、静寂に包まれた森に響いていた。鳥のさえずりも虫の鳴き声もない。まるで生命が息を潜めているかのような、不自然な静けさだった。
しばらく歩き続けても、何にも出会わない。シドが警告していた、ハマーを細切れにできるという凶悪な魔獣の影すら見えない。
「なぁシド、魔獣はおろか何にも出会わないんだけど、なんでだ?」
ハマーが振り返ると、シドは相変わらず暢気な表情で肩をすくめた。
「ボクが分かるはずないでしょ?なんたって君よりこの世界にほんのちょっとだけ詳しい位なんだから。まぁ出会わないことは喜ばしいことなんじゃない?」
役に立たない。ハマーは心の中で毒づいた。こいつはいつかどこかに捨てよう。自力で生活できるようになったら、さりげなく撒いてしまおう。
「それより君の世界のことを聞かせてよ」
「俺の世界は魔力やら魔力やら無く、科学が発展した世界だった。この世界の文化レベルが分からないから一概には言えないけど、食べるのには困らない、それなりに平和でそれなりに良い世界だったんじゃないかな」
「娯楽は何だったの?当時のことは良く思い出せないけど、暇だったことは間違い無いんだよ。折角封印が解けたんだから楽しみたいじゃん」
「娯楽に関しては多岐にわたるな。ギャンブルもパチンコやら麻雀やら色々あるし、インターネットっていう全世界で同じ映像を見ることができるツールもあるし、本だっていろんなジャンルがある。この世界に慣れて暇になったら色々教えてやるよ。最高神も好きに生きろって言ってたし」
「パチンコ、麻雀!なにそれ面白そう!」
シドが突然目を輝かせた。その純真無垢な反応に、ハマーは一抹の不安を覚える。何かのきっかけでギャンブル狂になるかもしれない。気をつけなければ。
そうこう話しているうちに、山頂付近で小さな水場を発見した。湧き水が静かに溜まっている、手のひらほどの小さな池だった。緊張のせいか腹は空いていないが、喉の渇きは限界に近かった。おそらく二十キロメートルほどは歩いただろうか。西の空が薄紅色に染まり始め、夕暮れが迫っていた。ようやく一息つけるという安堵感が、ハマーの全身を包んだ。運が良いのか、結局魔獣には一匹も遭遇せずに済んだ。
水面に顔を近づけ、手で掬って飲もうとした時、ハマーは自分の姿に愕然とした。
「なんじゃこりゃーーー!!!なんで若返っとるんじゃ!」
水面に映る顔は、確実に十八歳程度まで若返っていた。高校生と見間違うほどの若さだった。現実世界ではアンチエイジングに意識を向け、それなりに金もかけていたが、実際に若返ってみると、歳には勝てないものだとしみじみ実感した。
「最適化したって言ったじゃん。若返って良かったね」
シドが無邪気に笑う。確かにちょっと、いや、かなり嬉しい。心の中で創造神様に感謝の気持ちを抱いた。
冷たい湧き水で喉を潤し、ホッと一息ついていると、水場の反対側に小さな山小屋があることを発見した。ようやく人と会えるかもしれないという希望が胸を躍らせる。第一村人発見!という高揚感に包まれ、元気よくドアをノックした。
「こんばんはー。誰かいらっしゃいますか?」
静寂。風が木々を揺らす音だけが返答だった。もう一度だけノックしてみるが、やはり返事はない。無人なのかもしれない。
それなら今夜はこの小屋で泊まろう。そう考えてドアに手をかけた時、中から震え声が聞こえた。
扉を開けると、そこには深々と土下座をしている人影があった。全身が小刻みに震えている。
「私はモンドという者です」
低く震える声が響いた。
「あなたのような高位の神にこのようなお願いをするのは大変恐縮ですが、どうか見逃していただけないでしょうか。私は黒龍人族で、このジグの大森林の浅層にある里の出身です。しかし突然変異による白い肌のため、不吉の象徴として虐げられてきました」
その声には、長年の孤独と絶望が滲んでいた。
「里の者を見返すためにジグの大森林で修行をしていましたが、中層から深層に入る境界で大型の蜘蛛の魔獣に襲われ、命からがらここに逃げ込んできたのです。この水場は魔獣から発見されない特殊な結界が張られているようで、鍛錬を続けながら再び帰る機会を探っていました。本日の昼頃からこの近辺の魔獣が全て姿を消し、私も尋常ではない気配を感じていましたが、ここを離れれば死ぬことが分かっていたため、留まっていました。何卒、何卒お許しください!」
おそらく三十歳前後と思われる、筋骨隆々とした龍人が、恐怖に震えながら命乞いをしている。アルビノなのだろう。肌の色による差別は、どこの世界でも変わらないのかとハマーは苦々しく思った。
「ボクは創造神シドだよ。このハマーに封印を解かれて、この世界に出てきちゃった。キミは全然強くないけど、ハマーよりは強そうだから糧になってもらうのも良いかな」
シドの無邪気な言葉に、モンドの顔に絶望の色が浮かんだ。このボクちゃん、脳筋すぎるだろう。せっかく言語が通じるこの世界の住人を、俺の糧にしようだなんて。
「いやいやいや、せっかくこの世界の人に会ったんだから情報収集しないと。それに会う人会う人殺していったら、最終的に俺一人になるだろう。孤独じゃん。モンドさん、安心してください。見逃すとか以前に、殺すような真似はしませんので」
ハマーの言葉に、シドは手を叩いた。
「おっ、そうか、そうだね。ハマーはできる奴だね」
モンドは驚いた表情でハマーを見つめた。どうやら最初はハマーの存在に気づいていなかったようだ。
「ハマー様、ありがとうございます。私の知り得ることであれば、全て開示させていただきます」
「モンドさん、敬語は必要ありませんよ。実は我々、この世界のことをほとんど知らないんです。山頂の祠のような場所に落とされて、その拍子にこのシドの封印を解いてしまったんですよ。封印の解き方が悪かったのか、シドの記憶がほとんどなくて、情報収集のために町に行こうとしていたんです。どこに向かえばいいのかも分からず、適当に進んでいたらこの水場を見つけて、水場のついでにモンドさんの小屋も、という感じです」
「山頂の祠‥‥‥創造神‥‥‥シド‥‥‥それは大変でしたな」
モンドの戸惑いは隠しきれなかった。正直な人なのだろう。横目でシドを見ると、すでに話に飽きている様子で、だらけて座り込んでいる。
「改めて自己紹介させていただく。我はジグの大森林の浅層に里を持つ黒龍人族のモンド。生まれつきの白い肌と赤い瞳で忌み子として嫌われ、十三歳で村を出て外の世界で修行を積みました。さらなる成長を求めてシグの大森林に入ったものの、深層に進んだ辺りで深緑色の大きな蜘蛛に発見され、逃走を余儀なくされた。幸運にも先ほどの蜘蛛は他の魔獣との戦闘に巻き込まれ、ここまで逃げ延びることができた。そしてシド様とハマー殿にお会いできた。ここで出会えたのも何かの縁と考え、我にできることは全て手助けさせていただきたい。また、その対価としてジラの大森林から出る際は、同行させていただければと思う。また、そちらも敬語は必要ない」
「よろしく、モンドさん。俺はハマーだ。つい先ほど、最高神という訳の分からない神に転生させられた、ほやほやの一般人だ。武術も魔法もまるで経験なし。使えるのは神々破という訳の分からない技だけ。モンドさんには、この世界の現状と武術・魔法を教えていただきたい。まずは理解するところから始めたい。最終的にはこの森を出て、一般的な生活を送りたいと考えている。もちろん、モンドさんの目的達成のための手伝いもするよ」
「そういえば、このジラの大森林の中には凶悪な魔獣がゴロゴロいるとシドが言っていたんだけど、全く見なかったんだよね。どこに行ったのかな?」
「魔獣は全て逃げました。シド様の黄金に輝く魔力に当てられて」
モンドの声に恐れが滲んでいた。
「こんなに強い魔力を感じたのは生まれて初めてです。シド様が近くにいるだけで、生きた心地がしません。ハマー殿、シド様に魔力を抑えるようお願いしていただけないでしょうか」
なんと、シドからは強力な魔力が発せられているらしい。ハマーにはただのボケているボクちゃんにしか見えないが、異世界人だからだろうか。
「おーいシド。何かお前から恐ろしいほどの魔力が出てて、周りに悪い影響が出ているようだぞ。俺は全く感じないけど。魔力を抑えることはできるか?」
「そうなの。貧弱だな。もうちょっと慣れたら、この姿でも魔力を抑えられそうだけど、今は難しいな。それなら変身でもしようかな。牛か蛇が得意なんだけど、魔力をあまり抑えられないから‥‥‥ベビータイガーにしておこうかな」
そう言って一瞬光ったかと思うと、白と金の美しい毛並みを持つベビータイガーの姿になった。
「かわいい‥‥‥」
ハマーは思わず呟いた。その愛らしさに、先ほどまでの緊張が一気に和らいでいくのを感じた。
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