ブレークポイント
「あれ?なんか撮っとる?」
リビングに入ってくるなり、オルが夫のモンパカに尋ねた。夕飯の匂いに釣られて部屋から出てきたのだろう。
「ん?」
料理の手を止めずに聞き返すモンパカ。棚に置いたノートパソコンに目をやると、画面の上に付いたカメラの横が赤く光っていた。
「いや、触っとらんよ?」
「え?嘘やん?」
モンパカが答えるとオルは驚いた様子でパソコンに掛けよる。
「まさか、ハッキング?」
カメラの脇のランプは、そういう時のための警告だ。……と以前にオルは説明していた。万が一ハッキングされて盗撮されたりしても分かるよう、録画中は必ず光るように作られている。
「ほんまマジで?嫌やなぁ……。後でちゃんと調べるから、触らんとってな」
副業で在宅SEをやっていてIT関連にめっぽう強いオルは、そう言ってパソコンを閉じた。
「すみません、『慮る』さんですね?」
オルとモンパカが夫婦で連れ立って歩いているところにそう声をかけられたのは、そのしばらく後だった。
「ええ、そうですけど、なんか用ですか?」
モンパカがそう答えるや否や、乗って下さい、と車に引きずり込もうとする。黒塗りの高級車に、絵に描いたような黒服の男達。
「え?なんやねん!あんたら?」
慌てて振りほどこうとするが、まあまあまあ、と有無を言わさず促され、オルと2人、並んで後部座席に座らされ、アイマスクを付けられた。
いかにも過ぎる展開には、むしろ、安心できた。
最近は見かけないが、芸人を拉致した体で何か無茶をやらせるテレビ番組の類だろう。もちろんヤラセの演出で、ちゃんと事前に話があるものだが、臨場感を出す演出か何かで、夫婦漫才コンビのオルだけに話を通したに違いない、とモンパカは判断した。そのオルは、モンパカを一瞥した後、本気で嫌がる名演技を見せていた。
芸名で呼びかけてきたことから察するに撮影は始まっているのだろうと、驚いている演技を続ける。とはいえ、「本物の悪漢に拉致された」と勘違いまでしているように見えたらやりすぎで。……さじ加減が難しいなこれ、とモンパカは、なけなしの芸人魂をフル稼働させることになった。
恐ろしく乗り心地の良い自動車に運ばれること2時間ぐらいだろうか。スマートフォンも取り上げられてしまい、2人は今が何時かも覚束なかった。アイマスクを外されると、何の変哲もない豪華な応接室。夫婦並んでソファーに座らされていた。
「不老不死を得る方法、をご存知ですか?」
低いテーブルを挟んで対面に黒服の男が腰を下ろし、開口一番、そんな事を聞いてきた。
モンパカはずっと、こないだのハッキング騒動……かなにかは仕込みだろうが、何をやらせるつもりなのか、どういうリアクションがウケが良いか、と頭の中で数々のシミュレーションを繰り広げていた。が、いきなりのこの質問に虚を突かれた。
「なるべく長生きするようにする」
と、不機嫌な表情を隠そうともせず、オルがあっさり答えた。
「そんなもんで誰でも不老不死なれたら苦労せんわ」
条件反射でツッコミを入れる。黒服の男にはウケず、沈黙が流れた。オルがため息を付いて続けた。
「長生きする。その分、医療技術が発達する。もっと長生きできるようになる。もっと医療技術が発達する。もっともっと長生きできる……」
それが正解だったのだろう、まだ続けようとするオルを手で制して、黒服の男が後を引き継いだ。
「そうして、いずれ開発される不老不死の技術まで持たせれば良いわけです。それを実際に目指す、さる人物がおりまして……」
黒服は、懐から2枚のクレジットカードを取り出してテーブルに置いた。
「ここからの話は他言無用に願います。ご協力頂ければこちらを。それぞれ一ヶ月の限度額は50万円で支払いは当方が全て持ちます。お二人から話が漏れたと確認されない限りは、一生涯に渡ってお使い頂けます」
「いや、微妙にしょぼない?ここまで雰囲気出しといて。そんな黒服まで着てなんや企むなら、どーんと100億とか言おうや」
とモンパカがツッコミを入れる傍ら、オルはさっさとカードを手に取った。2枚とも。そのまま懐に収める。モンパカが「いや、えー?」というリアクションを、どこから撮っているのか分からないカメラに向けてやってから聞いた。
「で、協力っちゅうのは?」
「さる人物は、最善の努力にも関わらず、現在は病床に就いており、その上、病状が芳しくなく……」
「不老不死できとらんがな!想定外の病気か?」
「いえ。想定内です」
思わずモンパカがツッコミを入れると、黒服はきっぱりと否定した。
「現状、あらゆる病気を100%の確率で治せるようになるにはまだまだ足りません。実のところこのプロジェクトは、さる人物が、100%の確率に届かない部分を、ほぼ100%に補う方法を見つけたことからスタートしています」
そして、もったい付けるように間を取ってから、とんでもないことを言った。
「時間を巻き戻す方法を見つけたのです」
「へ?」
モンパカの口から演技ではない声が漏れた。
「治療が難しい難病でも、何度も繰り返し、様々な治療方法を試していけば、かなりの確率で治せるでしょう。やり直しが利くのであれば、副作用のせいで助かる見込みがないような危険な薬品ですら試すことができますので」
「はあ……」
言わんとすることは分かるが、あまりに突拍子が無さ過ぎて、モンパカはまともなリアクションを取る余裕が無くなってきている。
「ショートコント!発明」
困惑する彼をよそに、オルが急に立ち上がった。
「助手君、ついに『時間巻き戻し機』が完成したねぇ」
「はい!完成しました!」
即座に立ち上がって合わせるモンパカ。
「じゃあまずは祝杯だ!かんぱーい!」
「かんぱーい!」
そしてグビグビとジョッキを飲み干すジェスチャー。ダン!と空のジョッキを机に叩きつけて言う。
「うまい!それじゃあ早速、実験だ。作動!」
「作動!」
ボタンを押して、みょんみょんみょん……とジェスチャーで時間を巻き戻し。
「助手君、ついに『時間巻き戻し機』が完成したねぇ」
「はい!完成しました!」
「じゃあまずは祝杯だ!かんぱーい!」
「かんぱーい!」
そして、再び一気飲み……。
仮にもプロの端くれがやるこっちゃあない、古き良き宴会芸だった。何かしら、一気飲みを続けなければならないシチュエーションをコントで演じ、ぶっ倒れるまで飲み続けて笑いを誘うという下品なネタ。
フィクションで時間を巻き戻すネタが使われる場合は、誰かが以前の記憶を持ったままにするなどの設定が必要になる。単に巻き戻っただけでは、同じ時間の繰り返しの無限ループに陥る。
「ええ……。はい。ですから、そうならないようこれを使います」
言わんとすることは伝わったのだろう、どうにか自分のペースを取り戻そうと苦労している様子が見て取れる黒服。その懐から手の平大の四角い箱を取り出してテーブルに置いた。
「『神のサイコロ』です」
3桁の数字だけが表示されているのは時計のようでもあったが、数字はでたらめに変化していた。
「まあ……、大げさな名前を付けていますが、それ自体は何というものでもありません。量子効果が影響を及ぼす程に微細な回路のノイズを拾ってでたらめに拡大して、0から255までの数字として表示しているだけです」
「……分からへん。つまり?」
モンパカが聞くと、答えたのはオルだった。
「つまり、例え同じ時間を繰り返しても、でたらめな目が出るサイコロや。さっきの無限乾杯も、最初に『0が出たら止める』って決めといたらええねん。時間を巻き戻す度に違う目が出るから、いつかは終われる」
「そ……その通りです。ご理解が早くて助かります……」
黒服はあっけにとられっぱなしだった。このオルは全く仕事が来ない自称漫才師の片割れにしておくにはもったいないぐらいに頭が切れるのだ。
「やり方はこうです。まず、ありとあらゆる治療プランを挙げます。標準的なものから、通常は絶対に選ばれないような危険なもの、明らかに無関係な見当違いのものまで。そして、どのプランで進めるかを選出するプログラムを起動して、しばらく神のサイコロの出目を入力して初期化します。あとは、プログラムが選んだプランに従って着々と治療していくだけです。神のサイコロで初期化されるプログラムは時間の巻き戻し毎に違う大抵はプランを選びます。まれに以前と同じプランが選ばれた場合でも、また繰り返せば良いだけです。続ければ、いずれは成功する治療プランに当たれるという訳です」
成功するまで繰り返せば、成功する。モンパカはなんだか馬鹿馬鹿しいことを言われた気がした。
「じゃあ、どうやっても治せへんときは?」
オルの当然の疑問に黒服が答えた。
「残念ながら、『諦める』という選択肢も含めています。それが選ばれた際には治療を終了し、時間を巻き戻さないことになりますが、今までの所、そうなったことはありません」
「今までの所?」
オルが促すと、黒服は続けた。
「さる人物は、時間を巻き戻す装置を使って十分な資金を貯めた後、自分に万が一の事が起こった場合に備えて、この治療方法の実験を繰り返していたのです。秘密を守れ、高額な治療代金を払える人を対象にして……。詳細は明かせませんが、治せない、と病院から匙を投げられた方々も、まさかというような治療が功を奏して、みなさん一回で確実に快癒なさっておられます」
その言うところは、何度も時間を巻き戻して無茶な治療を繰り返した結果、意外な治療方法で完治した。失敗する毎に時間を巻き戻して失敗を無かったことにしているため、最後の一回以外で、何を何回どう試したのかを知る方法は無い。
「じゃあ、うちらに何をさせるつもりですのん?」
モンパカが聞き返すと黒服は言った。
「ええ……。実はそのプログラムの責任者が……、つい先日、首を括ってしまいまして」
「はあ……」
モンパカが気の抜けた返事をした。
「責任者は、プログラムの初期化が済んで使い終わった後も、神のサイコロの出目をずっと記録していたようでした。それが、最近になって、プログラムに重大な欠陥を見つけたから修正させろと言い出しまして。ですが、治療が行われているのはここではありませんし、一度、走り出したプランに手を加える権限は我々にはありません。その後、治療の中止を訴えて騒いだり、『宇宙人が居ないことが証明された』と言い出したりと、錯乱気味だったのですが。とうとう、こちらのメモを遺して……」
そう言って差し出されたメモには、「『慮る』を呼べ」と手書きされていた。
「それで、律儀にうちらを誘拐しはった、と?」
「治療開始後に医療技術に進歩があった場合に備えて、『識者に話を聞く』という選択肢も治療プランには含まれます。それが選ばれた場合、プランに指示された識者をお呼びするのは我々の管轄でして」
「識者って、……売れない漫才コンビを?」
思わずモンパカがツッコミを入れた。
「いえ。お二人をお呼びしたのはプランの指示ではありません。命を絶った責任者の剣幕があまりのものでしたので、プランの邪魔にならない範囲でなら許されている我々の裁量でお呼びした次第です。こちらの映像もありましたので」
そう言って黒服が見せたのは、オルが「あれ?なんか撮っとる?」と駆け寄ってくる映像。あのハッキング事件の夜のものだった。
「責任者が記録していた、神のサイコロの出目の記録を印刷した物がこちらです」
黒服がそう言って紙の束を取り出した。オルが受け取ってめくるのを横から覗き込むと、英数字や記号がでたらめに、びっしりと印刷されていた。
「うわおう……」
何枚かめくったところで、オルがうめいた。
ページの途中から明らかに他とは趣が違う部分がある。点で区切られたいくつかの数値で改行。次の行はでたらめに文字が並んでいたが、それを見たモンパカが驚いた。
「えっ?」
その文字列は、家のパソコンのログイン名とパスワードだった。それよりもオルは、その後ろ、さらに異様な部分をじっと見ていた。
「----- BEGIN OPENSSH PRIVATE KEY -----、と」
そして、マイナス記号を「引く」と呼びつつ読み上げた。そこからの行は、またでたらめな文字の羅列。
「ちょっと、うちのスマホ返してんか」
オルが黒服に言った。
「応じられません」
「ええやんか。どうせこの部屋か建物か、電波妨害でも掛けとんやろ?」
渋る黒服だったがなおも要求を続けるオルに折れ、別の黒服にスマートフォンを持ってこさせた。
オルはそれをペタペタと操作し、2人にも見えるよう机に置いた。
「ほれ、見てみい」
紙の束のさっき読み上げた次の行と、スマートフォンの画面を左右の指で差す。量が多すぎて全部は見比べきれないが、スマートフォンの画面をびっしり埋めている文字の羅列は、紙に印刷されたものと全く同じようだった。
「こらあかんわ……」
オルが、天を仰ぐように顔を上げて目頭を両手で押さえた。
そして、がばっと顔を戻し、神のサイコロを睨み付けた。深呼吸でもしたように静かに息を吐き、ドスを利かせた声で言った。
「主ら……世界を滅ぼしつつあるんとちゃうか?」
「また、何を唐突に言うとるねんな」
芝居がかった言い方に義務感を覚え、モンパカがツッコミを入れる。
「すなわち、こういうこっちゃ。制作者はんは、もし無限乾杯地獄に陥ったらどうしようと思って、念のために神のサイコロの出目をずーっとチェックしてはったんや」
その装置を指差して言う。
「に……ゃんや、あれ、猿さんにキーボードを打たせる話は知っとるか?デタラメにでも無限に打たせ続けたら、いつの日か必ず、シェイクスピアの傑作が出てくる時が来る。これは我が家のIPアドレスで、こっちがログイン名とパスワード」
さっきモンパチが気付いた部分を指差して言った。
「なにそのにゃーん?猫がキーボードの上を歩いたらたまたまパスワードが入力された、とかそんな話か?」
「うん、まあ、猫でもええけど、今回のお猿さんはほんまに優秀で、それどころやあらへん」
その後ろのさっき読み上げた部分を指して言う。
「秘密鍵っちゅうてな、家のパソコンを遠隔で操作するために設定しといたやつや。このデータを持ってたら世界中のどっからでもうちのパソコンをいじれる、絶対バレたらあかん危ないデータや」
そして、スマートフォンの画面に表示された同じ内容。
「なんとびっくり、たまたま偶然、完全に一致、っちゅう訳や。特にこれは、うちが若気の至りで作った無駄に複雑な4096ビットの豪華版。テキストファイルで3.4キロバイト。こいつがでたらめなデータとたまたま偶然一致する確率は……」
「確率は?」
オルがスマートフォンの電卓機能で計算してから言った。
「目ぇかっぽじって聞けや、なんとびっくり、10の8270乗分の1や。8270分の1とちゃうで、分母に0が8270個並ぶんや」
ちょっと想像できない数字が出てきて、困惑する聞き手2人。
「へーんな話、1万個ほどのサイコロを振って全部ゾロ目になるのと同じぐらいの確率や」
そして早口に続けるオル。
「いーち、言う間に30回ずつサイコロを振り続けたら1世紀で1兆回ほど。そんなヤツらが1兆人居る星が1兆個ある銀河が1兆個ある宇宙が1兆個あって、1兆世紀掛かって試せる回数が、10の72乗回。こんだけ試して1回でも100個のサイコロでゾロ目が出たら、相当、運がええ方や。それが1万個のゾロ目が出とんねん、今回。どんだけ繰り返したらそうなると思う?」
「つまり、途方もない回数を試しても成功しないぐらい、さる人物の快癒は難しい……とおっしゃるわけですね」
ずっと黙って聞いていた黒服が言った。
「ショートコント!テキ屋」
オルが立ち上がって言った。
「いらっしゃい、らっしゃーい、そこのボク、くじ引きどうや?」
モンパカも慌てて立ち上がる。
「ルンバあるで、豪華景品100種類やで。ピコピコも当たるでー」
「うわぁ、ルンバ欲っしい、ピコピコ欲しいー、って釣られるボク居るかなぁ。商売やねんから、売り口上ぐらいしっかりやろうや」
「ちー…ゃんとやと?ほな、ええか、箱には番号が書かれたクジが10枚入っています。たかし君はそのうちの1枚を無作為に選んで取り出して、番号が指す景品を受け取ります」
「なんの試験問題やねんな。そやなくて……。てか、あかんあかん。当たりが100種類て言うてたのに、クジが10枚しかなかったら、絶対当たらん景品あるやろ!」
「毎度!ハズレ無しやで!ピコピコ当たるでー!」
「毎度て、やらんで、自分は。それ、絶対、ピコピコ当たるクジは入っとらんやろ、どのピコピコか知らんけどやな」
「いや、ピコピコちゅうたらこれや、これ」
オルの、何かの箱を差し出すジェスチャーを見てモンパカが言う。
「はい、火災警報機『ピコピコ』と」
真顔に戻ったオルが腰を下ろす。このオチで合っていたようだ、と心の中で胸をなでおろしてモンパカも座った。
「と、いうわけで、おたくらのそれ、『諦めて止める』のハズレクジ、入っとらんわ、絶対。ちゃんと入っとったら、さすがにもう当たっとる頃合いやぞ。これぞ本番って気合いを入れて、治療プランをいつもより念入りに集めすぎたんちゃうか?」
「いえ。治療停止の選択肢は確かに含まれています。いつもより念には念を入れてあらゆる治療プランを集め、それぞれも細かく細分化しているのは確かですが……」
答える黒服を遮るようにさらに聞くオル。
「のーり過ぎたんやな、調子に。おたくらのプログラム、使てるのは、Pythonか?Javaか?」
「Python言語……だと聞いています」
「やったら、乱数アルゴリズム……、クジを選ぶプログラムは、メルセンヌ・ツイスタっちゅうやつ使てるはずや。せやったら、さっきあんたが言うた通りのプログラムを普通に作ったら、……そのプログラムが取れる挙動は全部で2の2万乗枚ぐらいしかない」
スマートフォンの電卓を触りながら話すオルと、理解が追いついて居ない2人の聞き手。
「おーっと……、マンガによく居《お》るやろ、天才キャラ」
キリッとして続ける。
「残念だったね、君は、自分のロボは誰にも全く予想も付かない動きをすると自慢していたようだが、実は、行動パターンはたった2の2万乗通りの内のどれかでしかない。最初の動きを見て、2の2万乗通りのどれかが分かれば、後の行動は全てお見通しなのさ!!」
元の調子に戻って言う。
「あれや。神のサイコロまで使こうて、毎回、無限の可能性の内から治療方針を選んでるつもりかも知らんけど、実際には、2の2万乗通りのパターンのどれかを選んどるだけや。箱に入っとるクジの枚数が2の2万乗枚で、そん中にハズレのクジが1枚だけ入っとるなら、ハズレが当たるのはサイコロ7~8千個ほどのゾロ目が出るのと似たような確率やぞ」
「ちょい待て、さっき、これまでに1万個のゾロ目が出るほど繰り返してるはず、言うたよな……?ハズレクジが箱にちゃんと入っとるなら、確率から言うて、今までに当たってないはずがない。……入ってないハズレは出ぇへん。せやから、治療プランをそれよりぎょーさん用意しすぎて、ハズレクジが箱に入りきっとらんのやろ、と言うんやな」
相方の言わんとすることが分かってきたモンパカが口を挟んだ。
「あ……、宇宙人が居らへん、ってそういうことか」
気付いたモンパカが言う。
「もし、宇宙人が居ったら、きっとそいつらの誰かが時間巻き戻し機を発明して、いつかは無限乾杯コントをやらかして、乾杯より先に時間が進まんようになる。宇宙の終わりや。逆に、宇宙がまだ終わってないっちゅうことは、まだ誰もやらかしてない。まだ誰も居らん……かった、と」
凄みを利かせてモンパカが黒服に言った。
「おたくら、宇宙を終わらせた責任、どないして取る気や?」
言った本人も何が何だか分からない恫喝。
「ス……ショートコント!永遠軒」
動揺でもしているのか、オルが噛み気味に宣言して立ち上がる。
「なんやここ?ラーメン屋?」
しょうがなくモンパカも立って、のれんをくぐるジェスチャーで入店する。
「わっしょい、らっしゃい、ラーメンでええね?」
「わっしょい?なんやそれ。ラーメンちょうだい」
「熱ーいこのスープが秘伝やねんわ。こうやって、よーく混ぜてな……」
言いつつ、器にスープを注ぐジェスチャー。
「リアルでウマイで、ほいおまち!」
そう言って差し出してくる。
「なんとビックリ!水ラーメンや!」
「待てや、スープどこ行ったんや」
「よーお混ぜててんけどな、たまたま掬う時に水とスープに分離しよったわ」
「ないないない!あらへんわ、そんなこと」
「ふざけとらんで、ほんまやて。うち、宇宙ができる遙か前から未来永劫ラーメン屋やっとるんやけど、こんななったん初めてやで。スーパーウルトラ激レアや。お客さん、ラッキーやで。よう味おうて食うてんか」
「その味が無い、言うとるんや!」
そこでオルが座ったので、モンパカも座った。
「ちなみに、なんで分離したんかと言うと、ただの偶然や。よぉ混ぜたスープのどこを掬ってもだいたい同じ味なんも、ただの偶然。違いは、どっちが起こりやすいかだけや」
オルが何を言おうとしているのか黙って聞く2人。
「さーて、他の物理現象も全部そうや。物を繋ぎ合わせてる電子がたまたまどっかに偏る可能性は、ほぼ0やけど、0やない。そうなると、電子を失った辺りは木っ端みじんの塵になる。表面がちょっぴりずつそうなっていくのが錆で、普通はじわじわと錆びてく訳やな」
オルは神のサイコロをちらっと見て、眉をひそめた。そしてなぜか言いにくそうに続ける。
「み……ゃから、どうやってもいつかは終わる」
「なんでまた猫?」
モンパカのツッコミを無視してオルは言った。
「時間巻き戻し機のどこか重要な部品がただの偶然で壊れたら、時間を巻き戻せんようになる。ハズレクジなんか出なくても終わりや」
宇宙は終わらないが、そのためには途方もない珍事が偶然に起こるのを待つ必要がある。そう理解して、ほっと安心しても良いのか困惑する聞き手の2人。
「たーだ、安心するのはまだ早い。ちょっと待ってや、もう一杯出したるからな」
途中から口調を変えて、オルが再びスープをゆっくりとかき混ぜ始め、
「絶対こぼさんようにな、こう、そーっとやで、なるべくそーっとかき混ぜてな……。熱っつう!」
いきなり目を押さえて大きく仰け反る。そして、何事もなかったかのように言う。
「分かるか?そーっと、かき混ぜてるスープが跳ねて、熱っついやつが目に飛んでくる可能性はどれくらいあると思う?」
「そーっと混ぜてたらめったにないやろけど、まあ、一生に1回ぐらいはあってもおかしないんとちゃうか?」
トーク番組のネタぐらいには出来そう、とか思いつつモンパカが答える。
「あれやったら、水スープとはどっちが起こりやすい?」
「そら、跳ねる方がまだあり得るわな。水スープなんて起こるわけない。せやかて、ほんまに起こるか?」
「ほんまもんの無限は舐めたらあかん。6の1万乗やろうと、何億乗やろうと、無限よりは小さい。どんな大量のゾロ目でも、無限に繰り返したらいつかは出る」
オルが人差し指を上に向けて続けた。
「火―の玉や……。ぐつぐつ煮立っとるお日さんが雫を飛ばしたら、でっかい火の玉になりよる。それがこっちに飛んできたら……」
「地球が、じゅっ、と消えてなくなる?」
オルは無言で頷いた。
「無限乾杯で宇宙は終わらん。いつか、何かとんでもなく起こりにくい偶然で、無理矢理に終わらされるからや。アホな発明に対する天罰やな。あとは、どんな偶然で終わりそうか?火の玉か、故障か?それが問題だ」
突然のシェークスピア。しばらく神のサイコロを見つめてから言った。
「居ったんかも知れん、宇宙人も。ただ、今、探しても見つからん。どんな宇宙人も必ずやらかしては滅ぶまでの無限ループに捕まるからや。悪いことは言わん、天罰に合う前に、さる人物には諦めてもらうこっちゃ」
「なんぼなんでもやり過ぎちゃうか?」
隣のビーチチェアに水着で寝そべったオルに向けてモンパカが聞いた。
「ん~?」
飲んでいたこれ見よがしに冗談みたいな大きさのトロピカルジュースをサイドテーブルに置くオル。
「いや、こないに無理して豪遊せんでもやな……」
結局、黒服やその一団を説得できたかどうかは分からない。そのまま家に帰され、受け取ったクレジットカードは約束された通りに使えた。それを確認してから、オルの希望で2人はヨーロッパに旅立った。3ヶ月掛けてこれでもかと観光地を回り尽くした後は、ここ、アメリカはフロリダに渡ってビーチに寝そべること2週間。
モンパカは、オルの豹変に面食らっていた。この妻は旅行嫌いで、新婚旅行も要らないと言った。それなら「今時、新婚旅行が熱海って、昭和かよ!」という持ちネタを得ておこうと提案して、温泉宿で無駄な一泊をしたぐらいなのだ。
そのオルがサングラスを額に上げて言う。
「いやや。こんなん、何にせよ、いつまで続くか分からへんし」
「あいつらが話を無かったことにしてカードを止める心配か?」
実のところ今ひとつこの状況を信じきれていなかったモンパカが言う。2人で月に100万というのは、金持ちやるような本物の豪遊は無理でも、庶民が思いつく程度の貧相な豪遊ぐらいなら余裕だ。絶対に手放したくないご褒美だから、言われたとおり、秘密は漏らさない。かといって、こっそり溜めて、さる人物の邪魔をするなり出し抜いたりができるほどの大金ではない、飼い殺しのための金額設定。
「いや、せやなくて、……この世界が」
オルは答えた。
「あの秘密鍵のデータな、ひくひくひく、ビギン、ほげほげ、ってな部分あったやろ?覚えとるか?あの部分、要らんのや」
「要らん?」
「せや。ちょっとぐらい違てても……、BEGINやのうて、BAKANとかになっとっても、分かるやつには分かるやろ。ちょちょっとスペルを直したらそのまま使える。うちらが呼び出される可能性は、あの時言った分よりもっと高い。1万個やのうて、9800個ぐらいのゾロ目でも、うちらは呼び出される。せやったら、いったいうちらは今までに何回呼び出されとんのか、っちゅう話や」
遠い目をして言う。
「9800個が揃って呼び出され、9801個が揃って呼び出され、9999個が揃って呼び出され……。毎回、あいつらが諦めるよう説得する。説得できたら、一生豪遊できるから必死でな」
最後の部分だけは、耳打ちするようなジェスチャーでおどけて言った。
ふっ、と笑い、表情を隠すようにサングラスを戻して続けた。
「どんだけ繰り返したことか……、その度に、失敗しとるんや。そうして、ついにめでたく1万個全部が揃ったのが今回や。うちらはもうすでに、追加で200個のサイコロのゾロ目が出るぐらい、何度も何度も黒服を説得して失敗しとる。うちらの説得であいつらが無限乾杯を止める可能性はほぼ無い」
「いや、それやったら、なんで、その話もせんかったんや?良い説得材料になるやろ?」
オルの方を向いたモンパカが当然の疑問を口にした。
「半丁博打や」
オルは答えた。
「神のサイコロあったやろ。あれで、次に出たのが奇数ならそう言う、偶数なら言わん、としてな。結果は丁」
「なんでまた?」
「いつか説得できる可能性を残すためやな。最悪なんは、呼び出される度に毎回同じ説得をして、同じ失敗を続けること、無限乾杯や。無限乾杯を避けたいんやったら、毎回、違う説得をせなあかん」
そう言ってモンパカの方を見てきた。
「気付いたか?会話にバリエーション持たせよ思て、サイコロの出目見ながらしゃべっとったんや。見えた数字から脳内で連想ゲームしたり、『あいうえお作文』したりな。ポケベル入力って覚えとるやろ?10の位の1、2、3、が、あかさたな、1の位の1、2、3、が、あいうえお、や」
モンパカの中で引っかかっていたことに合点がいった。確かにあの時のオルのしゃべりは何かおかしなところがあった。
「それで毎回、前とは違う説得になるから、前とは違う結果になるかも知れへん。いつかは、サイコロの出目が『く・ろ・ふ・く・の・く・び・を・し・め・ろ』になることもあるやろ。その通りにしたら、またちゃう結果になるんちゃうか?知らんけど」
「じゃあ、今回はダメかも知れんから、時間が巻き戻される前にせめて豪遊しとこう、っちゅうことか」
そう聞くと、オルはモンパカの方を向いて答えた。
「それもある。あと、天罰は地球丸ごと消し去るようなもんでなくてもOKや。もしかしたら、お日さんから振ってくる火の玉が意外と小さい可能性もある。火山の噴火か隕石衝突か、ともかくあいつらの秘密基地が壊れてくれたら、それで終わりになる」
「つまり、そうになった時には、日本から遠く離れとる方が安全、と」
「まあ、気休め中の気休めやけどなぁ……」
サングラスを上げてオルが言った。
「それに可能性で言うとやな、一番ありそうなんはやっぱり、秘密鍵のデータは上手いこと盗み出されてただけで、この全部がドッキリ、っちゅうオチやろ。もしそうやったら、こんだけ豪遊しとけばさぞかし撮れ高いっとると思わんか?」
さるお方の用意したフェイルセーフはどんだけやねんというお話。時間巻き戻し装置を数百台から数千台ぐらい用意して、どれか1台でも正常に動いていたら時間巻き戻し、みたいな仕掛けになっていると思われます。