表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

光に導かれ

 薄暗い夜明けの空に佇む人工物、そのどれもが鬱蒼と生い茂った植物たちに縛られ崩れて楽になることを抑制しているようだった。


 『並行世界(パラレルワールド)』知優はここをそう定義した。私たちは夢の世界を彷徨っているのではなく並行世界(パラレルワールド)に連れ込まれてしまった。そのきっかけとなる人物は社会学部専属教師"飛竜鴒霸"、彼が関係している可能性が高い。私は飛龍先生に刺されて、気が付いたらここに居た。そして知優も街中で殺戮の限りを尽くしていた彼に襲われたのが最後らしい。


「私も目を疑ったよあの人間の鏡とまで言われた新人が、しかも大勢の人が居る繁華街で」


「飛龍先生のことを知ってるの?」


「当然さ」そう言って知優は白衣の襟をめくって常和学園の紋章が彫られたバッチを覗かせた。そういえば、バッチを付けてさえいれば私服登校も認められていることを忘れていた。「まあ、二留の落ちこぼれだがね」


「でも飛竜先生はあいつらについての話を一度もしていなかったわ。少なくとも、私と過ごした一年間は」


 もしそうだとしても、私たちの殺害が目的ならわざわざ手順を増やす必要が無い。『革命には血が必要なんだ』その言葉にいったい何の意味があるのだろうか。




 暫く街中を散策していると、突然知優は足を止めた。


「どうしたの?」


 私が訊くと、すぐそこにある建物を指した。五階建ての高等学校だった。


「最上階の窓に動くものが見えた」


「生存者が居るってこと?」


 そうだといいんだがね、と小さく語彙を濁らせた知優はなにかに警戒しているようだった。


 その正体を探るため、私たちは校門をくぐった。正面玄関は散々なもので、ドアのガラスの破片がそこら中にばら撒かれ、踏み抜けるには少し勇気が必要だった。靴箱に入った靴はぼろぼろで埃かぶっているところからも、相当放置された空間であることがわかる。忘れられた場所、静まり返った空気がそう感じさせた。


 今にでも崩れそうな手すりのついた階段を上がっていくと、クラス番号が記されている表札をぶら下げた部屋がずらりと並ぶ廊下に出た。知優が言っていたのは、この先にある3-A教室だろうか。静かに扉を開いて中を覗く。人影などは無く、机の順が少し乱れていたくらいで特におかしなことはなかった。


「なんだ、誰もいないじゃない――」


 安堵してため息をするように出した言葉に、知優は口元に指を立てた。なにかの存在を危惧しているようだった。


 彼女は徐に銃を取り出し、薬室を確認しながら教室内へ入っていく、誰かに悟られないように足音を殺しながら。その後彼女は窓際で足を止めた。静かな空間で風が鳴いている。緊張が走る最中、彼女はゆっくりと掃除用具箱に手をかけた。


 ぎい、と叫ぶような金属音が鳴り響く。私もすぐにそちらへ向かうと、そこには耳を塞いで震える同年代の女性が居た。常和学園のバッチを付けている。


「どうしてどうして僕は何もやってないのに死にたくない怖い助けて……」


 こちらが見えていないのか、彼女は俯いたまま呪文のようにそう唱えていた。


「落ち着け、私たちは君の敵では無い。一体何があったんだ?」


「ひゃい?!あああの自分はえっと黒いものに襲われてすごく怖くて嫌で……」


「……混乱しているようね」


「無理もない、むしろ私たちの方が冷静すぎるのかもしれないよ」そう言って知優はすぐ近くの机に座り、浮いた足をパタパタとさせた。


 私はランタンを机に置き、過呼吸気味に嗚咽する彼女の背中を(さす)る。髪先が深い緑色に染められていて、座っていて気が付かなかったけれど、大きいドラゴンのような尻尾が付いている。彼女は紛れもない巫女だった。なのに、私は拭えない違和感を感じていた。


『”僕”が一体何をしたの』さっき彼女は自分のことを僕と呼んでいた。ペティのように、まだ幼くて世間知らずな子なら一人称が正しく定まらない、という話も稀にある。けれど彼女は高校生、私なんかよりもよっぽど小さくて、身体つきも女性そのものだった。それなのに、なんで男性の一人称を使っていたのだろう。


「ごめんなさい、ようやく落ち着いてきました」


 彼女は乱れた心を整えるように深く息を吸い、現在に至るまで経緯を話し始めた。




 彼女の名前は委碧 蒼夷(いへき あおい)。常和学園に通っている私の一つ上の先輩だった。彼女もまた屋外学習で繁華街を通った際、飛龍先生に出会して気が付いたらここに居たらしい。


「そしたら奇妙な生き物に出会ったんです。全身が黒くて大きくて……まるで、人のパーツを適当に練り固めたような見た目でした。それから逃げるのに必死で……」


 蒼夷の話を聞いている知優の顔がだんだんと険しくなっていくのがわかった。当然ね、ノイアのような人の形をした化け物ならまだしも、全く想像がつかない形をした化け物、いやクリーチャーと呼べる生き物がこの世界には住み着いているのだから。


「とにかく、君は幸運だ。この私に出会ったのだからね」


 私が君たちの命を保証する、と言って知優は胸を軽く叩いた。間違いない、実際に今私が生きているのも彼女のおかげなのだから。


 机の列を指でなぞりながら彼女の自信に溢れた声を聞いていると、教卓の方から何やら光り輝くものを見つけた。それはプラスチックの容器に入った一つのチョークだった。手に取ってみると、チョーク特有の粉っぽさがなく、ツルツルとしている。まるで人工的に作られた結晶模型のようだった。


 私はそれを知優たちに見せようと振り返る。するとさっき置いていたランタンの光がチョークを通して何かを映し出した。けれど、光が弱いのか、映像が薄くてなにも見えない。もっと近くから映さないと。できる限り、焼けてしまうほどに、近くから。


 私はそのことで頭がいっぱいになった。そして無意識に灯火に繋がる小さな穴からチョークを入れていた。


「何をしているんだ?!」


 そんなことわからない。ただ一つだけ言えるのは。


「見ないと、いけない気がしたの」


 火を避けるように変形し、ガラスに張り付いた結晶は、光を導き始めた。






『今回のテストも、坂本が不動の一位だ。皆もよく見習うように』


 まるで私たちが今ここに居ると思うほど鮮明な音、匂い、カレンダーに記された八月一日の文字。さっきまでひび割れていた壁はなく、隅々まで整備が行き届いている教室の真ん中で教師らしき人物が、黒板に張り出された成績表の一番上の名前を指している。


『さすがだよなあ、坂本。足元にも及ばねえよ』


『よせよ、あいつの兄貴も東大医学部に通っているんだ、しかも常にトップの成績で。遺伝子からちげえんだよ』


 ”坂本太一”クラスメイトの視線から、彼を特定するのは容易だった。眼鏡をかけた、私たちと同い年くらいの好青年だった。


「私たちがいた場所とよく似ています、誰かの記憶が形として残っていた?でもなんでこんなものが残っているのでしょう……」


 そう言って蒼夷は映し出された人物に触れようとする。けれどそれはあくまでも映像、彼女の手は虚しく空を切っていた。


『それと、今日から港まつりだ。楽しむのは良いが、羽目を外しすぎないように。では号令』


 起立、気を付け、礼。聞き慣れた挨拶をした後、クラスメイトが続々と帰っていく。その波に逆らい、一人の女の子が彼に近づいてきた。


『さかちゃんも一緒に行くよね、港まつり』気さくで明るい、透明感のある笑顔だった。






 一瞬だけ消えかけた灯が再び燃え上がり始める。入れた結晶が完全に燃え尽きているところから、どうやらここで映像が終わってしまっているようね。


「……さっきのは一体なんだったんだい?」


「わからない、でも……」


 意味深に残された結晶体と、結晶を操り、神を名乗る二人。そして、マザリノさんにもらったランタン。これらが無関係と言えるのだろうか。


 もしこの世界のヒントになっているとしたら、この結晶を辿っていけば、見えてくるものがあるはず。きっと、あの人のことも……だから。


「行きましょう、ここから出るためにも」


 黄金色の光を放つランタンを掲げ、その場に立ち上がると、蒼夷が徐に話し始める。


「あ、あの……それと同じようなものを海沿いの民家で見たような気がします」


「じゃあそこに向かいましょう。案内してもらえる?」


 蒼夷は嬉しそうに口角を上げ、一目散に教室のドアに手をかけた。


 さり気なく、当たりを見渡す。そこには何もいないはずなのに。


「自分が見たのは漁港の近いところにありました。窓からキラキラしていたものが見えたので、あのチョークと同じものがあると思います、多分」


 蒼夷はまるで小学生の子供のように階段を一段飛ばしで降りていく。さっきまで隠れて震えていたことが嘘のようだった。私たちも急いで彼女に付いていく途中、さっきまで暗く閉ざされていた図書館が開いているのを見つけた。もしかしたら蒼夷のようにここへ逃げ込んできた生存者かもしれない。そう思い二人を止めて中を確認してみることにした。


 教室よりも物が多いせいか埃っぽい空気が私たちを出迎える。上に付いた蛍光灯も、自身の役目を忘れてただ佇んでいる。その代わりに原始的な光と壁に映された人影の姿がはっきりと見えた。蝋燭(ろうそく)の光を頼りに本の埃を払っている眼鏡をかけた成人男性だった。


「感慨深いな。こういう形で再開するとは思っていなかった。……俺に説教でもしに来たのか?」


 彼は誰かに話しかけるような口調でぶつぶつと独り言を言ってる、なにか不気味な雰囲気を感じた。


「ねえ、誰と話しているの?」


 声をかけると、それに反応してゆっくりとこちらに振り向く。そして私たちの姿を確実に捕らえるかのように凝視した。


「驚愕した。まさか君たちが……そのランタンも、ただのランタンじゃなさそうで。……()()を求めているようだ」


「このランタンがどうしたの?」


「妙にあの人を思い浮かばされる……”ノイア”と同じ光を」


「あいつのこと知ってるの?」


 私の問いに彼は不的な笑みを浮かべる。


「知っているも何も。俺はノイアの親友。聞いていなかったのか?Dr(ドクター).シープの名を」


 ほんと、ダサい名前だよな、と。一つ一つの言葉を力強く言い放つ彼の眼鏡が淡い光を反射した。


『とにかく、これからはおれとシープで捕まえてくるから』ついさっきペティが言った言葉を思い出す。そうか、そうよね。まだ見えない第三の刺客。私たちを殺害するのが目的なら、あんな小さな屋敷に三人も必要ないわよね。なら、こいつは……。


「”敵”っていうことよね」


 彼は私たちを殺すためにここへ来たノイアの手下、ならあいつらが合流する前に始末しないと。


 彼女も同じ考えなのか、知優が一歩前に出る。その様子を見て彼は二歩下がる。そして降伏するように軽く両手を上げた。


「勘違いをしているようだから言っておく。俺はペティやノイアのように結晶を作り出すことも、身体能力に長けている訳でもない。()(いくさ)をする気は無いので、俺()君たちに危害を加えないことを約束しよう。ただ……二人を、家族を侮辱されて、黙っている訳にもいかないだろう」


「何をする気なの」


 だらんと上げていた両手を下ろす。


「……人は死ぬとき、どんな顔をするか知っているか。笑うんだよ。彼女みたいに、な」


 突然、蝋燭の火が消える。目が慣れる頃にはもう彼の姿は無かった。


 ぴちゃり、と真後ろから濡れたぞうきんを落としたような音がした。魚が腐敗したような嗅いだことの無い悪臭が辺りに広がる。その正体はすぐにわかった。長くて不潔な黒い髪に全身を包まれた女性のような生き物、けれど人間の足は付いておらず、代わりに魚のような大きな尾鰭(おひれ)と、すぐに折れてしまいそうなほど細い腕を八本も付けていた。これが蒼夷の言っていた”化け物”だろうか。


 刃のように尖った指を床や壁に突き刺しながらそれはゆっくりと近づいてくる。言葉のような呻き声がまるで呪いの呪文を唱えているようだった。


 こんな奇怪な生き物はフィクションの世界でも見たことがない。ゾンビやドラキュラなどが可愛く見えるほどに。できるなら、今すぐにでも目を抉りだして、この生き物を空想上の生き物だと、頭の中だけでも完結させたかった。少しだけ気が狂うというものがどういうことなのか理解できた気がする。


 じりじりと追い詰められ、ついに窓際まで来てしまった。ここは四階、高さにしておよそ10mほどだろうか。人間の私が無策で飛び降りたら、怪我はおろか骨折まであり得る高さ。そして窓枠は人一人分ほどの幅しかない。知優に担いでもらって降りたとしても、蒼夷が一人でここに残ってしまう、その隙を突かれたら……。例え彼女が巫女であっても、両者の戦闘力は未知数、得策とは言えない。


「私が引きつけよう、君たちはあそこから逃げるんだ」


 そう言って知優は物陰に隠れた本棚を指した。確かにあそこからなら私と蒼夷は逃げられる、でも。


「あなたはどうするのよ」


 あの化け物に勝てる策があるのか、彼女はあの時と同じ余裕そうな顔で言った。


「もし駄目でも、君たちは助かる。最も、私が勝つ未来は明らかだが」


 頼もしい言葉ね、と安堵すると同時に、私たちは彼女が居ないと何もできないのだなと思う。私にも自分の身を守れるくらいの武器が欲しい。例えば、彼女が持っている拳銃とか。


「任せたわよ」


 考えても仕方がない。私は今にでも泣き崩れてしまいそうな葵の手を引き、知優が言っていた通りの道をなぞる。


 時々、本棚の隙間からあの生き物と知優が見えた。予想通り、あの化け物は彼女に注目している。そして一人になったのを見計らったのか、鋭い指を露わにしながら一気に飛び掛かっていった。その瞬間、何発もの発砲音が響き渡る。……効いている。あの化け物が撃たれたであろう部分を押さえて、気持ち悪い声を上げながら悶え苦しんでいるようだった。


 あと数発。特に、頭のようなところを狙えば倒せるかもしれない。けれどいくら時間が経っても次が来ない。なぜなら彼女の拳銃は中途半端に開いた状態で静止している。弾詰まり(ジャム)を起こしていた。


 その隙をあの生き物は逃さない。獲物を捕らえる網のように恐ろしく長い腕を彼女に伸ばし、唯一の武器である拳銃を弾き飛ばした。


「しまっ――」


 彼女の額に脂汗が浮かぶ。そこに振り被られたもう一本の腕が風切り音を鳴らし襲い掛かる。焦りの声を聞き切る間もなく彼女の頭をわしづかみにした腕は、その勢いのまま壁にたたきつけた。


 血に汚される純白の白衣、衝撃で舞い上がった埃越しにその色を見た時は、彼女なら倒してくれるなんて淡い期待を寄せるのはやめてしまおうと考えた。その時、直後に化け物の鋭い悲鳴が木霊する。彼女はまだ打開策を持ち合わせていた。悲鳴の正体はあの細い腕を見事に貫いているナイフだった。


 けれど、あの化け物にとっては八本あるうちの多寡が一本。足取りが不安定で何とか立てている状態の彼女に、逃げる隙など与えてくれないのが現実。


「及百合さん、このままじゃ綏操さんがっ!」


 蒼夷が泣き叫ぶように言う。わかってる、そんなこと。あの人の命は見捨てるに重すぎることなんか。


 私は即座に落ちていた銃を拾い上げる。レプリカとは違って、本物は冷たくて重い。薬室を覗き込むと、予想通り弾薬が斜めになった状態で膠着(こうちゃく)していた。確か、こういう時はスライドを引いてあげて不発弾を取り除くことで解決したはず。


 コトン、と鉛の重い振動が床から足に伝わる。よし、あとは狙って打つだけ。私はとにかく引き金を引いた。何度も、何度も弾切れになるまで化け物に風穴を開ける。そして完全に弾を撃ち切ったあと、蒼夷が思い切り体当たりをして、何とか知優の拘束を解除することができた。けれど、あの生き物はまだ生きている。のろのろと起き上がると、今度は蒼夷の方に鋭い指を向けた。


 絶体絶命、と言いたかったけれど、私が想像するよりもはるかに彼女は強かったらしい。左手で頭を押さえながらも、白衣に隠し持っていた一回り大きい拳銃を取り出し、正確にあの生き物の頭を打ち抜いた。


 彼女の綺麗な白衣が自分の血と化け物の体液で汚れていく最中、爆音と共に消え去った頭の一部を押さえたまま、化け物はそのまま倒れて動かなくなった。


「まったく、助かったよ。慣れない器具を使っているのだから、不備や誤作動などはある程度考慮していたのだが、まさかこんなところでとは」


 あの状態で正確な射撃をしておきながら慣れていないということに驚いた。やっぱり巫女って偉大だわ。でも、今回の件は交渉で使えるかもしれない。


「怪我の治療が必要ね、その前に」


 拳銃を受け取ろうと差し伸べられた知優の手を軽くあしらって続ける。


「借りを返すということで、この銃を私に譲ってくれない?」


 もし今回のように知優が殺されそうになったら、もし知優が死んで二人きりになってしまったら。彼女に頼りきりの私たちは生きる手段を無くす。そのためにも、戦える選択肢が欲しい。この銃さえあれば、自分の生き残れる確率が格段に上がるのだ。


「二丁あるのなら、なおさらいいでしょう?」


「本当に君は人間らしいな。私を助けたのも、それが狙いだったのだろう?」


「全くの嘘……とは言えないわね」


 現に知優が死んだら死んだで、時間をおいて回収しようかと思っていたところだし。


 はあ、とあからさまな溜息をつく。そして手に持っていた大きい拳銃を差し出した。


「こっちの方が高威力だ。反動も取り回しも悪いが、人間の君が化け物と対峙するのならこっちの方がいい」


 持たされてわかる重装感、まるでちっちゃな戦車をこの手に収めているようだった。確か、この回転する薬室が使われている拳銃のことを”リボルバー”と呼ばれているのよね。銃身上部にある三つの穴が特徴の銃、名前は確か……蛇みたいな名前だった気がする。


「さあ、用件は終わり。保健室なら玄関近くにあったはずよ」


 肩を貸し、一早く保健室へ向かった蒼夷を尻目に、私は床に放置されたケースを拾う。形状的に恐らくナイフをしまっておくものなのだろう。要らないのならそれも貰っておこうかしら。


 動かなくなった化け物の腕には、やっぱりナイフが刺さりっぱなしだった。鼻を塞ぎたくなるような強い刺激臭と、黒く濁った体液が染みついたナイフをゆっくりと掴む。引き抜いた時に筋肉が委縮したかのような抵抗を感じた。




 ガーゼに包帯、傷薬。軽い治療ならここで全てが賄える。少しだけそれらが残っているか心配だったけれど、むしろ何を持っていこうか迷うくらいだった。こういう時に小さいバックがあればな、と都合の良い考えが思い浮かぶ。


「具合は大丈夫ですか?」


 知優の頭に包帯を巻き終わった蒼夷が心配そうな声色で訊く。


「巫女は少し頑丈にできているようだ。これくらいなら、すぐに動けるよ」


 空のマガジンに弾薬を詰めながら軽く言う知優。ばらばらに分解して手入れしていたはずの拳銃はすでに元の形に戻っていた。あまりにも早い手さばきに、本当に素人なのか改めて疑うってしまう。


「それにしても、及百合さんって銃に詳しいのですか?自分はこういうものにあんまり得意じゃなくて」


「ただの友人の入れ知恵よ」


 私が銃の仕組みを知っているのは、他でもない翡翠のせい。よくゲームをしている翡翠は、半年前くらいにエフピーエスゲーム?という銃で撃ち合うゲームをしていた。その時に『私も兵士の一員なんだから、銃くらいいつでも扱えるようにしないと』と銃を分解して組み立てるゲームをやっていた。その時の付き合いで同席していた私は、永遠に続く翡翠の小話を聞きながらその画面を見ていた。弾詰まり(ジャム)についても、この時に聞かされていた。よって、マニアほどではないけれど、銃について多少話せるくらいの知識が付いてしまった、ということ。当時は全く役に立たないと思っていたけれど、まさかこんなところで役に立つとは。


 銀色の銃身を静かに撫でる。弾丸はシリンダーに入っている分も合わせて13発、これが私の命綱だとすると、あんまり無駄遣いできる数じゃない。


「そういえば、あのシープっていう人が言っていた”憶晶”って何なのでしょう?」


 憶晶。恐らくあの結晶化していたチョークのことを指しているのだろう。ランタンの灯火で燃やした時に映ったあの日常は、きっと誰かの記憶。この世界も誰かの記憶を基に構成されている。


 でも引っかかることがある。それは誰の記憶なのか。ランタンから映し出された映像は、まるで私たちがその空間に居るように、全方向を完璧に再現していた。これがもし人の視覚から得られた情報を基に構成されたのなら、その人の後ろ側、つまり死角の映像が見られるのはおかしいこと。その人の記憶が補正されているとも考えたけれど、あんまりぴんと来ない。


 とりあえず、怪我全般に応用が利く包帯と傷薬を胸ポケットにしまい、学校を出た。




 海沿いの民家にある憶晶を求め歩いている道中、教室にあったチョークと同じ輝きを持つ結晶を発見した。何の変哲もない普通のバッグ、さっきの記憶でみんなが身につけていたことから、恐らく学校指定のバッグなのだろう。ランタンの灯火が早くそれを入れてくれ、と言わんばかりに激しく揺らいでいる。けれど、このバックを入れるには口が小さすぎる。


 仕方がないので細かく砕こうと憶晶に力を加える。思ったよりも脆く、輝かしい音と共にそれは儚く砕け散る。地面に落ちた欠片を一つ残さず集め、ランタンの灯火に放り込む。そして、また記憶が映し出され始めた。






『港まつり、楽しみだね』


 さっきの続きだろうか、制服姿の坂本と女の子が二人きりで歩いている。やっぱり両者は同じ学校指定のバッグを使っている。でも女の子の方は可愛らしいサメのキーホルダーをつけていた。


 夕日に照らされる彼女の笑顔と坂本の暗い寂しげな顔が、二人の関係性を大きく混乱させられる。水槽に隔離された魚とそれを眺め話しかける人間のように、近くて遠い存在に見えた。


『さかちゃんは頑張りすぎてるよ、毎日毎日勉強ばかりで。たまにはゆっくりしてもいいんじゃないの?』


 坂本はうつむいたまま、黙っている。それを見て彼女は訊く。


『なにかあったの?』


『何でもない、考え事をしていただけだよ』


『ふーん、そか』


 夕暮れの空の元、(カラス)の鳴き声に紛れて微かに人の楽しそうな声が聞こえる。それが逆に、この重苦しい空気を引き立てていた。


『じゃあまた後でね、浴衣楽しみにしておいてよ』


『待って』


 彼女は自宅であろう家の玄関に手を伸ばした時、大人しかった坂本が声を上げた。


『今日は少しでも君と居たい、ここで待っていてもいいかな』


 不安に満ち溢れた顔に、彼女は『どうしたの』と困った顔で笑う。普段はこんな様子じゃないのだろう、赤の他人である私から見ても異常な雰囲気だ。伸ばした手が細かく震えている、愛故の独占欲とは違う、もっと恐ろしい感情が坂本を支配しているように思えた。


『わかった。さかちゃんがいいようにしてよ』


 彼女は優しく微笑み、手を握る。


『さかちゃんは私の命の恩人なんだから』






 映像が途絶え、辺りは薄暗い明け方の空に戻る。やっぱり風景は憶晶に刻まれた記憶とほとんど変わらなかった。あの子の家が瓦礫の山にされているところを除けば。


 どこからか吹く不穏の風、当たり前の日常から垣間見える不審な行動や言動。似てる、あの時と。常人なら見過ごしてしまうような闇を、見えざるものが近づく恐怖を。彼はこの結果を知っていたのだろうか。


 『港まつり』と言うのだから、海の方から聞こえてきた声の方向なのでしょう。そこへと歩いていくと途中から路上に屋台が出店されていることに気が付く。きっとここが港まつりなのね。


 でもやっぱり人の気配が無い、楽し気な雰囲気もどこか他人事で色が無い。彼はあの調子で、あの子との時間を有意義に過ごせたのかしら。


 そこからまた少し歩いた所に、海が見える簡素なベンチだけが設置された広間があった。そこにまた一つ、ラムネ瓶の形をした憶晶が置かれている。今度こそは彼があの子の隣で楽しそうな顔をしていることを、心のどこかで願っていた。






 花火が弾ける音。夕日は沈み、黒色になった空を一輪の花が彩る。浴衣姿の彼女が『た~まや~』と、どこか抜けた様子で飲みかけのラムネを片手に言っていた。


『さかちゃん見てよあの花火!いかの形になってるよ』


『そうか、君は見たことがないんだっけ』


『そうだね、去年までは祭りとか興味なかったから』


 絶え間なく咲き続ける花火を見つめ続ける二人、程なくして彼女はさりげなく辺りに人が居ないことを確認して口を開ける。


『悩みがあるんでしょ』


 その言葉に坂本は口ごもり、堅苦しい表情のまま目を逸らした。その顔はどこか迷惑そうで、その話に触れてほしくないような顔をしていた。


『私そんなに頭良くないからさ、さかちゃんが何で悩んでるのかまではわかんないけど、さかちゃんの役に立ちたくて今日誘ったの。正直まだ人込みは苦手で、穴場スポットまで案内してもらったんだけどさ』


 また一凛、花が咲く。


『一年前に私がいじめられて、対人恐怖症になっちゃって学校に来れなくなった時覚えてる?その時に真っ先に助けに来てくれたのがさかちゃんだったんだ。毎日学校終わりに私の家に来てくれてさ、勉強教えてもらって、不安になった時は夜通し電話もしたっけ。そっから少しづつ回復してって、いじめもさかちゃんが居るからって、安心して学校に行けるようになったんだ。病院の先生の台本みたいな慰めの言葉を聞き入れることができなかった私を治したのが、さかちゃんなんだよ。さかちゃんは私の唯一のお医者さん』


 花火の笛がとびきり長くなっている最中、彼女が立ち上がり、坂本に手を伸ばした。


『私は努力家で、優しくて、かっこいいさかちゃんが好き。だから、付き合ってください!』


 ドン、と視界いっぱいに花火が広がる。七色の花火に照らされる彼女の頬は綺麗な朱色に染まっていた。


 人の記憶は嫌なことばかり残り続ける、とよく聞いていたけれど、そんな心配は必要なかった。同級生の男女が健全な恋をして、青春を謳歌する。模範的でうらやましい、私もこんな初恋をしてみたかった。


 けれど、こんなに幸せな記憶の中で一人、苦虫を噛み潰したような顔をしている人が居た。


『……そんなこと言われたら――』


 俺がもっと辛い思いをするだけじゃないか、と坂本は花火の音に紛れて確かにそう言った。






 騒がしかった情景が我に返ったかのように静寂に包まれる。最後の言葉が頭から離れないせいで、最初に見た時よりもベンチの色が浅黒く見えた。


「あの、もうやめにしませんか。こんなもの見ても辛くなるだけです……」


 蒼夷の言う通りだった。今のところ、私たちが求めている情報は一切出てきていない。こんなところで道草を食っているくらいなら、少しでも歩いて散策した方がマシなんじゃないかと。


 でも頭に引っかかっているものがあるのも確か。それはこれが本当に実際の記憶なのかどうか。

 学校の雰囲気から見るに、何十年も前の記憶ではないと思う。でも彼女が置かれた環境は、この平和な日本では異質すぎる。知優が定義した並行世界(パラレルワールド)が本当だとしたら、何が私たちの世界に影響しているのかはっきりするかもしれない。


 蒼夷が言っていた民家はここから近いところにあるらしい。次の記憶はどんなことが記されているのか、少しだけ楽しみな自分が居た。




 民家はひどく荒れた状態だった。物は床に散乱し、壁紙は所々剥がれ落ちている。とても人が住めるような環境ではなかった。そんな状態でもただ一箇所だけ綺麗に保たれた空間がある。それは広いリビングにある食卓テーブルとその周りだ。そこに置かれているのはさっき蒼夷が言っていた憶晶が二つ、一般家庭に置かれるはずがない注射器と女の子がつけていたサメのキーホルダーの形だ。

 私はとても嫌な予感がした。その二つの憶晶が並んでいる光景を悪い方に解釈してしまった。

 否定したい、自分の考えを。私は震える手で憶晶を砕き、ランタンの灯火に放り込んだ。






『ただいま、兄さん』


 七月二十五日と記されたカレンダー、どうやら今まで見てきた記憶の一週間前の記憶のようだった。


 20cmほど離れた身長差を埋めるように顔を上げる坂本。この人が坂本の兄、確かに知的な雰囲気を感じるけれど、どうも顔が強張っている様子だった。


『太一……話がある』


 母さんが蒸発した。緊張した空気を切り裂くようにその言葉は放たれた。


『……は?兄さん、冗談はやめてくださいよ』


『冗談じゃない、死んだ父さんの遺産を男に使い込んで借金を作っていたんだ。その責任すらも逃れて俺たちになすり付けるなんて想定外すぎる。母さんのおつむは弱いのか?息子二人の未来を潰すほどに?奇天烈こいてんじゃねえよ!』


 兄は怒りの苦しみから逃れるように椅子を蹴り上げる。そして私は驚いてしまった、人間の顔が憎しみでぐちゃぐちゃになっている様子は初めて見たから。


『あいつのせいでどれだけ苦しい思いをしてきたと思っているんだ。教育なんかろくにしねえ、働かずにホスト通い。金も人望も、優秀な俺が医者になれば全てが良くなる、あと一年でそうなる筈だった。だがどうだ、今の状況は。這い上がれないほどのどん底沼、それ以外の言葉で表せない。あのクソアマのせいだ!信じられるか、俺たちあいつの腹から出てきたんだぜ、あんな穴を満たすことしか脳が無い虫ケラからよお!』


『と言ってもどうするのですか。俺たちじゃ学費を稼ぐなんて到底叶いませんよ』


『太一、俺たちに残された選択肢は二つだ。ここでクソッタレな人生を終わらせるか、他人の命を使ってやり直すか』


 兄は坂本の肩に手を乗せる、そして静かに語りかけた。


『俺は世界を救える人材だ、俺さえ居れば無能な人間どもが救えなかった命も救えることになる。お前ならどっちの選択が正しいか分かるよな』


 邪悪と恐怖が入り混じった笑顔をした兄を見て、彼も察しがついたのだろう。手の震えが止まらない、吐いた息が吸えない。けれど彼は頷いた。あんなに拒否反応を示したと言うのに、自分の選択であの女の子を手に掛けると決めたのだ。





 場面が変わった、恐らく二つ同時に入れたせいだろう。日付は八月一日に戻っている、港まつりが終わってすぐの記憶のようだ。でも夜だというのに兄の姿が無い、大学生は夜遊びをするものなのだろうか、それとも……。驚くほど静かな家庭に彼女は訊く。


『今日もお母さん居ないの?』


『昔からそうだよ。もう慣れた、一ヶ月くらい帰ってこないことなんかザラだったから。それに、俺には兄さんが居るし』


『そっか……』


 ごめんね、と彼女が小さく謝った。数秒、重い空気が肺に張り付く。お互いに息を吸うのも辛そうな静寂の中、切り出したのはやっぱり彼女だった。


『そうだ、さかちゃん、なんかやってほしいことある?彼女として何でも好きなことしてあげるよ』


『……何でもってあんまりいうもんじゃないよ、僕が悪い人だったらどうする』


『さかちゃんが悪い人なわけないでしょ。んでんで、何やってほしい?好物のオムライス作ろっか?』


 陽気に尋ねる女の子、大事な人のため行動しようとする彼女は本当に幸せそうな顔をしていた。


『俺のためなら何でもしてくれるんだよね』


『もちろん!だって私、さかちゃんに恩返しがしたいんだもん』


『じゃあさ、一つ頼んでもいいかな』


 反対に坂本は感情を押し殺しているような辛い顔をしていた。坂本は兄の思想に囚われている。人間としてやってはならないこと、常識、劣悪な環境下で育った彼はそれよりも兄を信じたのだ。


 止めようとしても無駄。なぜなら私たちは傍観者、注射器の先から薬液を飛ばし、彼女に迫る彼の姿をただ眺めることしかできない。でも私の心は至って冷静だった。あんなに不幸を嫌い嘆いていた私が、淡々と彼女の死を許容しているようだった。


 彼女の首元に針の先端が当てられる。けれど彼女は喚いたりしなかった。


 さっきまでの笑顔を崩さず、彼女は話す。


『そっか、私、騙されてたんだね。いいように』


 感情が漏れ出ているような声色と共に、雫が頬をなぞる。


『さかちゃんがどうしてこんなことをするか、私にはわからない。だけどね、さかちゃんには私の分まで幸せになってほしいな。生きるって、そういうことだから』


 そうじゃないと許さないから。と、彼女が言い終わるころには、薬液は全て打ち込まれていた。


 殺される前に彼女は一つ求めるように両腕を伸ばした。薬のせいなのか死に対する恐怖心のせいなのか、その行為をするだけでも辛そうに震えている。そして坂本はごめん、ありがとうと言いながら寄りかかるようにして彼女を腕に収めた。


 彼女は力尽きるように坂本の腕を背中に乗せる。もう死ぬ、霞みがかった瞳を見てそう思った。最後の言葉を残すのだろうか、閉じかけた瞼を持ち上げ、彼にも聞こえないほど小さな言葉で彼女は言った。


「さかちゃんは本当に優しい人です。だから、どうかさかちゃんが潰れないように見守ってあげてください。"神様"」


 最後の神頼み、他の人はそう思うと思う。けれど私にはその言葉がはっきりと鮮明に聞こえた。なぜなら彼女の眼は私を映していたから。私の存在を彼女自身が認識していたから。







「……危ない、誠羅ッ!」


 耳に薄い膜が張ってあるかのように知優の声が遠く聞こえる。でも私にはそれが言葉ではなく音として認識してしまって、何も頭に入ってこなかった。


 それともう一つ耳障りなサイレンの音がする。昔に聞いたことがあるような。ふと窓の方へ目を遣ると大きな白黒の物体が飛んでくるのが見えた。点滅を繰り返している赤いランプを見て、あのサイレン音の正体がパトカーの音だってことをようやく理解した。


 でもなんでだろう、生まれてこの方パトカーのサイレン音なんて聞いたことないのに、彼女が言った"神様"という言葉が脳の深くまで浸透していって結びついた感覚がした。はっきりと思い出せないけど、あれはもっと寒くて暗い時間帯だったような――――


 瞬間、私の身体は知優に抱きかかえられたまま、床に大きく倒れこんだ。その衝撃で意識が覚醒した私は改めて辺りを見渡すと、さっきまで私が居たところにパトカーとも言い難い鉄の塊が横転し、家をぐちゃぐちゃに破壊していた。


「何をボーっとしているんだ、いつ何が来てもおかしくないんだぞ!」


「ごめんなさい、でもこんな大きいものいったい誰が……」


「及百合さん、綏操さん!だいじょう……」


 一足遅れて聞こえた悲鳴のような蒼夷の声が途切れたかと思えば、恐ろしく怯えた表情をして外を指していた。埃が晴れてきて、明るくなった空に目を細めながら外を見ると、見覚えのある姿がそこにあった。


「なんで生きてるのよ……」


 にやにやと張り付けた笑顔をしているあの化け物の姿が。














 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ