第6話 隠れ鬼
目の前に現れた角の生えた金髪の青年は、大きく目を見開いた。
咄嗟にダガーを鞘にしまうが、それに夢中になった結果、少年は――。
――もにゅ。
胸が強く押される感覚。
わたしたちの顔はくっつきそうな程に近く、エルドの両手はベッドとわたしの右胸についている。
「うわああああああ!」
わたしは色気もクソもない声で叫んだ。
少年は咄嗟に体を離す。
「す、すまない」
少年が取り乱したのは一瞬だった。
即座に我に返ると、ダガーの柄に手を当てて周囲を警戒した。
「魔王はどこだ!? 君はあいつに連れてこられたのか?」
(そりゃ、そう思うか……)
わたしは胸の動悸を抑えながら、目の前の少年を見た。
片方だけ大きい黒い角は、魔王国にある西の山岳地帯に住む鬼の一族の特徴だ。
話で聞くよりもずっと人間らしいし、軽装でやたら露出が……。
(わ、わたしは何を考えてるんだ?)
「ど、どどどうやってここに入った?」
「オレのことはいい。それより、ジャグナロは!?」
わたしは頭をフル回転させる。
(杖をとる隙があるか? 杖なしで使える呪文は限られてる)
「わたしは……ジャグナロに捕らわれた。お前は……ジャグナロを殺しに来たんだな」
少年の誤解に合わせるように嘘をついた。
(まずい。咄嗟に嘘をついたが、こういう準備のない嘘はすぐ破綻する)
「……そうだ。キミは……」
わたしはベッドから降りると、床に放っていた杖(短い指揮棒状のもの)を手に取った。
「捕えろ!」
命令と共に光の綱が出現する。
が、その直後に少年の姿が黒い霧となって消えた。
(見えなくなるだけの術だろ?)
次の瞬間には、わたしは背後を取られていた。
先程とは違う刃物、細いの金属が首元に当てられている。
「キミは……魔王の仲間か?」
わたしは判断を誤ったかと後悔した。
執務室と自室はあらゆる魔法から守られ、外部とのあらゆる干渉を受け付けない代わり、内部からも外部に情報を伝える手段がない。
ダインからの助けは期待出来ない以上、わたし一人でどうにかするしかない。
その焦りから、安易な手段をとってしまった。
「……いいや」
わたしは呼吸を整えた。
伝えるべき情報、相手の敵意を解かせるために最初に伝えるべきこと……。
選択を間違えれば、おそらく殺される。
「ジャグナロはそもそも復活してない。ぜんぶ狂言だ」
「……そんな馬鹿なことあるか? 昨日たしかに、儀式は行われていた」
少年はどうやら、わたしとダインの合わせ技も見ていたらしい。
生贄のわたしが光を放って変身し、ダインがその隙に鉱石化したジャグナロを別地に転移させた瞬間を……。
「『変身術』だ」
わたしは少年に見えるように手の平を前に出し、それを竜の鱗に覆われたような形に変形させた。
これを教えた以上、少年は殺すか口を封じなければならない。
「…………言われてみれば、君はあのときの生贄の少女と同じ体型をしているな」
あの偽の儀式の際、わたしは仮面を被っていた。
それは理由があってなのだが、今は裏目に出たかもしれない。
「なぜ、そんなことをしている?」
「……魔王を完全に殺すための時間稼ぎだ」
わたしは不味いと思いながらも、情報を次々と開示してしまう。
「……嘘を言ってるようには思えない。だから、今は生かしておいてやる」
そう言うと、少年は再び姿を消した。
わたしは周囲を見渡したが、黒い霧すら見えなかった。
「くそっ。あれは姿を現す時だけなのか?」
あの少年が仮に王の敵対勢力、帝国か魔王国内の別勢力の刺客だとするなら、情報を持ち帰って報告しない理由がない。
わたしは急いで、杖を持って自室を出た。
執務室の扉まで近づき、そこで足を止める。
扉が開いた痕跡はない。
「そうか……あいつ……!」
わたしはあの少年がどうやって部屋に入ったか理解した。
ダインが部屋を入ったタイミング、もしくは出るタイミングで入り込んだだけで、自力でこの扉のセキュリティを破ったわけではない。
「まだ、あいつは二つの部屋のどこかにいる」
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
わたしはまず、落ち着くために自室に戻った。
状況を整理する。
(扉を開けられるのはわたしかダインだけ。あいつは執務室とわたしの自室のどこかにいる)
扉を開けて助けを呼ぶのは危険だ。
部屋を開けたタイミングで、外に出られる可能性がある。
(つまり、明日以降、ダインが来て扉を開けるまでの間に、わたしはあいつを殺すか拘束するかしないといけない……)
「おそらく、あれは『潜伏術』もしくは『幻覚術』。あるいはその二つを合わせたような術だろう……」
『転移術』の類ではない。
それなら、わたしの上に不時着することなく、即座に別の場所に転移すればよかった話だ。
だから、部屋全体を巻き込むような魔法で攻撃すればあの少年――“暗殺者”を殺害することはできるかもしれない。
(……まあ、そんなことを仕掛ければ今度こそ殺し合いになる)
わたしは考えるのに疲れ、眠くなった。
「……そうだな。動け!」
杖を執務室の机に向ける。
机は微かに浮くと、勢いよく扉の前まで移動した。
「ここから動くな」
わたしは机を固定する魔法をかけた。
これで、ダインが来ても外から扉は簡単に開かない。
わたしはドアを開けっぱなしにしたまま、自室へと戻った。
(あとは、そうだな……)
わたしはベッドに戻ると、脇の机に置かれたアロマを焚いた。
このアロマにはリラックス効果があるだけでなく、魔法への耐性を一時的に弱め、その結果『回復術』などが効きやすくなる。
「癒しをもたらせ。ヴィス・ベルタ・コアトル」
わたしは自分自身に、簡単な疲労回復の“まじない”をかけた。
不得意な呪文だが、このアロマあれば多少は効果がある。
ふんわりとした微睡が全身を包む。
この行動を見て、“暗殺者”はわたしを愚かだと呆れるだろうか、それとも肝が据わっていると思うのか……。
どっちでもいい……。
むにゃむにゃ……。
わたしは敵が同じ屋根の下にいることはおかまいなしで、たっぷりと睡眠をとることにした。