✤盛誉のお母さん✤
盛誉のお母さんは、とても優しい人だった。
盛誉がなかなか会いに行こうとしないから、僕、てっきり怖い人何じゃないかって思ってしまったじゃないか……。
……うん。これはもう、そう言う血筋なんだって僕は思う。
盛誉もそうだけど、もう見ただけで分かる。優しい人だって。
玖月善女さまは少しふくよかで、小柄な人だった。
白い肌にはシミひとつなくて、笑うと少し目尻が下がる。
盛誉と一緒だ。
それから……そう! まるでお寺に安置されている仏さまのように、とっても柔らかな顔をしているんだ。
ふくよかだから?
ううん違う。雰囲気が凄く柔らかいの。
そんな盛誉のお母さん……玖月善女さまは、僕を見ると下げた目尻を更に細めた。
「まぁ! なんて可愛らしいの?
全く他の色がない黒猫など、初めて見ました」
そう言って玖月善女さまは僕を撫でてくれた。
撫でてくれると玖月善女さまのその掌からは花のような、甘く優しい香りがした。
僕がふんふん……と鼻を引くつかせると、玖月善女さまは、ふふと笑って活けていた花を見せてくれる。
「ふふ。よいかおりでしょう? 薄黄木犀と言うの。
淡い色の小さな可愛らしい花がたくさんついて、私はこのお花が大好きなのよ」
そう言って玖月善女さまは微笑んだ。
すると盛誉がふふふと笑う。
「しかし母さま? いくらなんでも薄黄木犀を活けるなど、あまりオススメは致しませんよ?」
盛誉の言葉に、僕は驚く。
え? どうして? こんなに良い香りなのに……。
見上げれば、盛誉は笑って教えてくれた。
「木犀は落ちやすい。
可愛らしいから、良い匂いだからと切り取っても、直ぐにその花弁は散って仕舞うのだよ。
あるがまま、自然に咲いているものを縁側から見る方が、より美しいというものですよ? 母さま……」
すると玖月善女さまは ほほと笑う。
「あぁ、確かにそうですわ。
本当にあなたは賢くて優しい子。
けれどこの香りには思い入れがあって、傍にあって欲しいと思って、ついつい活けてしまうの。ダメね。
私はあなたの事を早くに寺へと入れてしまって、後悔もしたのだけれど、こんなに優しい子に育ってくれたのですもの。それもまた、仏のお導きだったのでございましょう。
普門寺の阿闍梨真盛さまに仕え、日向国随一の黒貫寺で修行しただけの事はあります。
民に慕われ、あの普門寺の五代目院主になられ、私も鼻が高うございますわ」
「は、母さまっ!? おやめ下さい恥ずかしい。
そもそも私は寺に入って後悔などしてはいませんよ? ただ、家族と離れ離れに過ごさなければなかったこの身が、少しばかり寂しかっただけでございます。
今こうしてなんの憂えもなくお会い出来るのも、一重にあの日あの時、出家させて頂いたからだと思うておりますのに」
そう言って盛誉は赤くなった。
盛誉は色が白い。だから赤くなるとすぐに分かる。
多分、お母さんの玖月善女さまに似たのもあるだろうし、外ではなく室内でよく過ごすせいかも知れない。
盛誉はよく、お経を唱えているから。
人間の顔立ちは、猫の僕にはよく分からないんだけれど、盛誉は他の男たちと違って、物腰が柔らかい。だから怖くはないんだと思う。
「母さま! そんな事よりもこの猫。ここへ置いてくれはしませんか?」
『!』
僕はビックリして盛誉を見る。
それから玖月善女さまの方を見ると、玖月善女さまも、目を丸くして僕を見た。
「あらあら、けれど盛誉? 子猫はなんだか不満げですよ?」
そう言いながら僕を見て、ふふふと笑う。
うぅ。……そりゃ、不満だよ?
だって、僕は盛誉が好きだから……。
僕は盛誉の傍にいたい。
けれど盛誉は頭を振った。
「いいえ。母さま。私はまだ修行の身。
まだ幼い、この子猫を見守るには時間が取れませぬ。この子にはまだ母が必要でございます……」
そう言って、僕の鼻をつつく。
「この子は、母さまの傍にいれば、きっと幸せになりますから」
盛誉は微笑んだ。
「……まぁ」
玖月善女さまは、呆れたように溜め息をつく。
「確かに私は嬉しいのですけれど、けれどそれでは、お前が寂しくなるのではなくて?」
玖月善女さまはそう言うと、イタズラっぽく自分の息子を見上げた。
『……にゃあ』
僕も便乗して鳴いてみる。
「……」
僕が鳴いて盛誉を見上げると、盛誉は一瞬、泣き出しそうな顔をして、溜め息のような微笑みを吐き出した。
「それはそうなのですが、今は情勢が思わしくありません。
出家した身なれど、私は湯山の次男である事には変わりはなく、いつ火の粉が我が身に降り掛かるやも知れません。
この子は早くに親とはぐれてしまいましたから、その分幸せになって欲しいのです。
幸いにも私に出会ったのも、つい先日のこと。母さまは今日お会いになられた。さほど変わりは致しませぬ。
ですから私の代わりに、この子の母になって下さいませ」
「……」
玖月善女はその言葉に、悲しげに微笑んで、
それからゆっくり頷いた。
× × × つづく× × ×