112話
「う、ぐ……。痛、い。痛いのは好きなはず、だったのに。今は、嫌いかも」
デモンルインとなった女性は死んではいないものの、虫の息。
息をするだけで痛みが走るのか、その声は聞こえるかどうかくらいの小ささ。
完全にモンスターの姿になってしまい、俺の中の選択肢は殺すの一択だが、まだしばらく弓では殺せないんだよな。
「殴り殺すのは弓を使うよりも罪悪感があるが……。仕方ないか」
「安心、しなさい。その必要はない、から。リストカットとか、自傷には慣れているから、私」
ノスタルジアの木に変化しようとする様子なく、デモンルインは自分の口に手を突っ込み、そして最後の力を振り絞って自分の舌を引き抜いた。
普通の自殺なら舌を噛み切るところだが、爆発の際にボロボロになってしまった歯ではそれが難しかったようで、余計に痛々しい光景が俺の眼前に映った。
リストカットに慣れている。自傷に慣れている。
この女性は自分の思想と掛け離れたこの現実世界で、そのストレスから逃げるためにそういった行動をとっていたのだろうか。
もしかすると、ここにいる探索者たちはそれぞれそういった闇を抱えているのかもしれない。
『デモンルイン【色欲】がダンジョンに現れるようになりました。レベルが上がりました』
久々に流れるアナウンス。
それはモンスターの、女性が死んだ証――
「死んだけど、死んでない。リポップされたモンスターたちは記憶も何も失くしているが、全て同じ個体。ダンジョンに現れるようになったっていうのは、ある意味で永遠を手にしたということ。しかもそれは人間に敵対しろという呪い込みで、モンスターというより機械のように俺たちは生き続ける。たまたまスキルの影響でこの呪いを和らげてくれている俺みたいな奴もいるが……。死にたい。このループから俺は、俺は……。それが分かっているのに、どうして俺は、俺は……」
わなわなと体を震わせるナーガは、その瞳に涙を蓄えながらも中途半端にノスタルジアの木となった男性に歯をあてがう。
『ナーガ【暴食】がダンジョンに現れるようになりました』
「そうか、そうだったのか。俺は、俺が原因でここに生まれ、そして自分自身に食われ、食ったのか……。俺は、俺は最悪の『人間』だ。誰かこんな俺を醜い俺を殺してくれ――」
『了、解。こっちとしてもノスタルジアの木の加工をしてくれる、新しいナーガ【暴食】がリポップしてくれた方が嬉しいもの。どうやらこっちのダンジョンに同じ個体がいると、生まれた場所がどうであれ、新しい個体は生まれないらしいんだよね』
「みなみちゃん」
突然空中に映し出された佐藤さんの荒い映像。
偶然その機能を試しているときに俺たちを発見したのか、その表情はどこか驚いているようにも見える。
『まさかナーガ【暴食】を仲間にしてここまでくるなんて予想してなかった。私だって心苦しいんだよ、みんなと直接戦うのは。だから私のいないところで死んで』
「残念だが俺はクロをお前の、佐藤さんのもとまで連れて行く」
『保護者面きっつ。うざ。まぁいいや。向こうのダンジョンのモンスターを倒しているだけだとなかなかレベルも上がらないなって思っていたし、豊富な経験値がもらえる存在は有難い。それにここから下の奴らが負けるとも思えないからね。せいぜい頑張って。頑張って、経験値を置いていって頂戴』
佐藤さんが苛立った表情で俺たちに背を向けると、映像は消えてしまったのだった。