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三章 想いの果てる場所

 五月の最後の週、ユーカリ達の元にシンシアから手紙が来た。

 五月最後の日、テネリタースで待っている。

 ただ、その一言しか書かれていなかったが妙に緊張した。自分達は今、かつての級友と担任を敵に回している。そして、決着をつけなければいけない。

 テネリタースは「騎士達の塔」と呼ばれており、エテルノリーフデはアモールに対しての祈りに対し、そこはユスティシーに対する祈りをする場所だ。

 ――あぁ、本当に女神がいるのならば。どうか、二人を――。

 ユーカリの祈りは、音もなく夜空へ消えた。



 五月最後の日、テネリタースにやってくる。塔の前には、菫色の髪の少女がただ一人で立っていた。

「……来ましたね」

 それは余裕か、それとも……。

「……アネモネ、グロリオケ。ここは俺と……アドレイに任せてくれないか?」

 ユーカリが二国の軍将に申し出る。義姉は「……分かったわ」と頷き、盟主は「任せたぜ」と笑った。

「ありがとう。アドレイ、行くぞ」

「はい、殿下……いえ、陛下」

 ユーカリは神の遺産を、アドレイは弓を持つ。シンシアは剣を持った。

「悪いけど、私がここにいる限り、アイリスの元には行かせない。どうしてもというのなら……私を倒しなさい」

「もとよりそのつもりだ。覚悟してくれ、シンシア」

 ニヤリと、シンシアは悪人の笑みを浮かべる。そこに女神の顔など、ない。どちらかと言えば、義賊の笑みだった。

 シンシアとユーカリが打ち合いを始める。

「……っ。やはり、お前は強い、な……!」

「お褒めに預かりどうも」

 シンシアは余裕そうだ。――だが、少しして違和感を覚える。

 シンシアは、こんな適当に剣を振るっていたか?

 遠目から見たらほとんど変わっていないだろう。何なら、見ていただけでシンシアと手合わせをしていない人なら分からないまである。だが、ユーカリは何度も、何度も彼女と手合わせをしていた。その時ですら、手加減はするものの丁寧だった。

「アドレイ!」

 叫ぶと、弓兵はシンシアに向かって弓を放った。シンシアはパッと避ける。その隙に槍を向けるが、読まれていたようですぐに庇われてしまった。

 ユーカリがシンシアの腹に槍を貫こうとした時だった。シンシアが剣を投げ、ユーカリに抱き着いたのは。

「――――――――!」

 槍はもちろん、シンシアの腹を貫いている。少女の口からは血が流れてきた。

「――シンシア!」

 それを見ていたアドレイが近付いてくる。ユーカリが槍を引き抜くと、少女の身体は兄の方に倒れた。

「にい、さま……」

 少女の口が動く。彼女の右手は兄の失われた右目に伸ばされる。その右手からは淡い光が散った。眼帯を外されると、見えないハズの右目が見えるようになる。

「やっぱり、にいさまには……右目があった方が……」

 少女は力なく微笑む。その間に他の人達もシンシアを囲んでいた。

「シンシア!いや!死なないで!」

 アネモネが涙を流す。パリン、と何かが割れた音が聞こえたと同時にシンシアの姿が金髪碧眼になる。兄の目に映る自身の姿を見て、少女はもう一度笑った。

「あぁ……ユスティシーの哀れみかしら……最期に、人の姿に戻れるなんて……」

「シンシア!待ってくれ、すぐ回復を……!」

「あり、がとう……」

 目が閉ざされ、手が地に落ちる。だんだんと冷たくなっていく少女の身体。心なしか、笑みが浮かんでいるように思えた。

 人間に戻してくれて、ありがとう。

 そう、言っているようで。ユーカリの目からも一筋の雫が零れた。それを合図にしたように、他の人達も泣き出した。あのグロリオケやキキョウ、ガザニアまで、声なく涙を流している。

 だが、止まっている暇はない。あとは、アイリスを倒さなければいけないのだ。そして、真実を知らなければいけない。彼女達が遺す、この世界の真実を。

 シンシアの遺体を他の人達に見張っていてもらい、ユーカリ、アネモネ、グロリオケが塔の中に入る。

 最上階に、アイリスはいた。彼女は背を向けていたが、気配を感じたのか三人を見る。

「……その様子だと、シンシアを倒したみたいだね」

 彼女は悲しそうだ。だが、同時にシンシアと同じ覚悟もしていて。

 ――嗚呼、この人も自分達のためにやっていたんだな……。

 いつから、この人達は計画を立てていたのだろうか。帝国が戦争を仕掛けた時から?女神になった時?アルフレッドが亡くなった時?それとも……。どんなに思い返しても、よく分からなかった。

 ただ、一つだけ分かることは。この人を倒さないと、前には進めないということ。

 アイリスは剣を抜く。そこにはもう、感情はなかった。

「……悪く思わないでくれ」

 小さく呟いたつもりだったが、聞こえていたのか口の動きで分かったのか、アイリスは小さく微笑む。ユーカリは歯ぎしりをした。どこかで気付いていたら、止められたのに。その後悔を抱きながら。

 ユーカリとアネモネが前線に、グロリオケが後衛でアイリスと戦う。やはり、手加減されているような気がする。

 やがて、グロリオケの放った矢がアイリスの心臓に刺さった。彼女は膝をつき、三人に笑いかける。

「強くなったね」

 さすが、私の自慢の教え子達だと誇らしげに告げた。アイリスもシンシアと同じように元の姿に戻る。

「ありがとう。君達はどうか、生きてくれ」

 ユーカリに手を伸ばし、しかし届かず地に落ちた。倒れる彼女をユーカリはとっさに抱える。そんなことをしてももう、意味がないと分かっているが。

 愛する人を大事に抱え、三人は皆と合流する。アドレイがシンシアを背負い、ユースティティア領地に戻った。

 ヨハンは孫娘と彼女の従者になるハズだった女性の遺体を見て、涙を流した。

「ヨハン様……心中、お察しいたします……」

 使用人や騎士団の人達は、主君を慰める。だが、彼は「私より、この子達の方が辛いハズだ」とユーカリ達を見た。

「すまなかったね。こんな役目を……」

「いえ、私達も、彼女達の覚悟に気付かなかった。私達のせいでもあります」

 事実、彼女達はかなり前から……恐らく士官学校時代から、覚悟を決めていたのだろう。

「彼女達の遺体をどうするかは、お前達に任せる。きっと、その方がこの子達も本望だから」

 ヨハンはそう言って、部屋に戻ってしまった。葬式などは出来ないから、出来れば綺麗な場所に埋めるのがいいだろうと皆で話し合って決めた。


 数日後、ユーカリとアドレイが歩いていると、紫色の景色が広がった。

「これは……」

「スミレ、ですね」

 そういえば、シンシアはスミレが好きだったなと思い出す。美しいこの花畑は、まるで外の世界を知らないような、そんな雰囲気を漂わせていた。

 今度、修道院に行くことが決まっていたのでいつまでも遺体をそのままにしておくわけにはいかなかった。皆に相談して、ここに二人を眠らせることにした。

(シンシア……ゴメンね、せめて、どうか安らかに)

(先生……いや、アイリス。すまなかった、お前達の悲願は、必ず果たすから)

 ユーカリとアドレイはそう思いながら、二人を埋めた。どうか、空で見守っていてほしいと願いながら。


 修道院に行くと、思っているより復興していることに驚く。予想していたが、やはり二人はここで生活していたようだ。

 グロリオケはユーカリと共にシンシアの部屋に入り、周囲を見渡す。

「……お、こことか何かありそうじゃないか?」

 グロリオケは楽しそうだが、どこか寂しさを漂わせていた。彼が遠慮なくそこを開くと、紙が入っていた。何か手掛かりがあるかもしれないとそれを読む。

 これを読んでいるのはグロリオケさんかな?あなたは探索するのが得意だからね。この場所を真っ先に探すのはあなたぐらいじゃないかな?

 一文目で、自分の名前が書かれていたことに驚く。読まれていたのかと思うほどはっきりと断定していた。

 続きを読むと、外交のことやネメシスのことが書かれていた。

 ――ヘオースの王子様。

 その言葉が入った時、あぁ、気付かれていたんだなと苦笑いを浮かべた。だから乗り気だったのか。

 まとめるとこうだ。

 ネメシスは、元々善人だったらしい。いわゆる眷属の一人で、ユスティシーにかわいがられていた。

 ある日、刻印があることに疑問を覚えた彼は女神達に申し立てたらしい。女神達は確かにと思い、消そうと思った。

 だが、それを快く思わない者もいた。そんな中、アモールを守るためにユスティシーは亡くなった。その時、ユスティシーの娘であるアスルルーナは十三歳だった。それを快く思っていなかった者がやったのだと勘違いしたネメシスは、激怒してアモールを殺してしまった。

 そこから、大戦争に発展した。それは五年に渡り、人間達は女神や眷属達の亡骸から武器を作り出した。ネメシスはそのことを知らず、皮肉にも殺したアモールの骨で作った剣をその戦争の時に使っていたらしい。

 ――それこそが、千年前の大戦争。アリシャとネメシスの、戦い。

 それは三枚にわたって書かれていた。そして、四枚目には。

 と、言うのがユースティティア家に伝わる、表向きの歴史。

 最初に、そう書かれていた。ゴクリ、と固唾を飲む。グロリオケは意を決して、続きを読んだ。

 ここからは、おじい様も知らない、私だけが知っている本当の歴史。

 ネメシスは、本当はユスティシーの子で、アスルルーナの兄だった。なぜ眷属と書かれているのか。それは女神の子供が悪人になるわけにはいかなかったから。

 刻印のある世界を望んだのはアリシャで、ユスティシーを殺したのも彼女だった。それに気付いたネメシスは、自分が悪者になってでもアリシャの暴走を止めなければいけないと思った。

 アスルルーナは確かにアリシャの軍隊に入っていたが、これは機をうかがうため。だが、ネメシスが死んだ後、アリシャは自分の母親を蘇らせようと人体実験を繰り返した。アスルルーナには、それを止める手立てがなかった。

 彼女は母に願った。アリシャを止めるためにもう一度だけ、この地に足をつけさせてください、と。そうして生まれ変わったのが私だった。

 多分、女神の器である私とアイリスが死んだことでアリシャ……アヤメは死に、刻印はなくなったと思う。だけど、ネメシスは復活する。あの時の善意は全くない、殺戮の悪魔として。どうか、彼を完全に倒して、この世界に平和を作ってほしい。

 これが、真実……。グロリオケは茫然とした。

 確かに、この大陸の秘密を知りたいと願った。だが、これはあんまりだ。本当の悪人が、アリシャの方だったなど。この大陸の歴史は、全て偽りだったのか。

「どうした?グロリオケ」

 ユーカリが様子のおかしい彼に尋ねる。グロリオケは一瞬言うべきか悩んだが、今は協力関係なのだと手紙を見せた。

 それを見たユーカリは、顔を真っ青にした。その時、慌てた様子で皆がやってきた。

「陛下!アヤメ様達が亡くなったそうです!」

「刻印もなくなっていました!」

 二人は目を見開く。まさに、手紙に書いてある通りだったからだ。

「何か知っているような顔ね」

 アネモネがすぐに気付く。二人は顔を見合わせ、やはり手紙を見せた。それを見終えると、信じられないと言いたげな顔をする。

「これは……」

「あいつらは知っていたんだ。自分達が、刻印をなくす鍵になることを。だから、こんな強引な手段を選んだんだ」

 それを聞いて、泣き出したのはアドレイとサライ。つられてシルバーも涙を流す。

「なんで……!確かに俺も、刻印は嫌いだと言っていたけどよ……!」

 あんなことを言ったから、シンシア自身も刻印が嫌いだから。だから、二人はこの手段を取ったのだろうか。もはや、分からない。

 だが、やるべきことは分かった。

 ――ネメシスを倒す。そうして、平和な世界を目指す。

 それが、二人の望んでいた世界であるのならば。


 夜、アドレイはシンシアの部屋にいた。ユーカリ達が見ていいのではないかと言ったからだ。

 彼は机の引き出しを開く。何となく、ここに何かある気がしたからだ。

 そこには、手紙が入っていた。アドレイさんへ、と宛名も書かれている。

 アドレイさんへ

 これを見ているということは、私はもうこの世にいないのでしょう。

 グロリオケさんに書いた手紙は、もう読んだでしょうか。そこに書いてあるように、ネメシスは復活しようとしています。私は、出来ることをしました。彼を倒してこの世界に光を与えてください。

 そしてこれは、私の最後のわがままです。手紙の中に、指輪が入っているでしょう。それを、受け取ってほしいのです。私はあなたを愛しています。愛してほしいとは言いません。どうか、級友の形見として、持っていてくれませんか?

 出来ることならば、あなたの隣で歩きたかった。全てを背負わせてしまった私を、どうか許さないでください。

                           I LOVE YOU FOREVER……

 それを読んで、アドレイは一人泣いた。慰める者は、ここにいない。

 ――僕も、君を愛するよ。この命が尽きるまで。

 そうして、君の元へ。それまで、君は待っていてくれる?


 ユーカリも、アイリスの部屋にいた。机の上に手紙があり、それを読むと。

 ユーカリ

 五年間も行方をくらませていてゴメンね。私はずっと眠っていたみたいなんだ。

 女神の使い達はどうなったかな?私達、というよりシンシアの予想が正しかったなら、亡くなったと思うんだけど。

 アヤメ達が亡くなったのは、女神の心臓がなくなったから。それと同じように刻印も、人に影響することはなくなった。突然で驚いたよね、ゴメン。私達もどうなるか分からなかったから、賭けていたんだ。

それから、五年の間、シンシアはネメシスを弱らせるために活動していた。シンシアが行方知れずになっていたのはそのためだったんだ。

 きっと、かなりの苦戦を強いられると思う。だけど君達なら大丈夫。絶対に勝てるよ。

 最後まで一緒にいてあげられなくてごめんね。君のことを愛しているよ。

                             BESIDE YOU FOREVER

 その言葉で、ユーカリの頬に光が流れた。

 ――俺も、お前の傍にいたかった。

 もし、やり直せるのなら。今度こそ、願ってもいいのか?お前に、甘えていいのか?

 ユーカリは部屋から出て、釣り場まで行き夜空を見上げた。

 そこに、二人の姿があった気がした。

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