二章 女神再臨
二月、修道院では謎の軍団が襲い掛かってきた。
「アイリス!そっちを頼むよ!」
「分かった!」
二人でその侵略を何とか食い止める。この人数の前では無謀に思われるが、さすが天才軍師、次々に倒していった。
修道院に襲い掛かった謎の集団を撃退した二人組の噂が、三国にも伝わった。
「もしかして、シンシア……?」
そう憶測する者も、もちろんいた。だが、もう一人が分からない。まさかそれがアイリスであると、誰も思わなかった。
三月、会戦が始まる。三国が入り乱れて争っていると、突然光の矢が飛んできた。
「――――――――!」
誰が、などわざわざ聞かなくとも分かる。それを使える者など、一人しかいないのだから。
誰かが近付いてくる。記憶より背の伸びた少女――シンシアだった。さらに後ろから、教師であるアイリスも来た。
「全く……数年見ていないだけで、ここまで荒れ果てるとは」
シンシアははぁ、とため息をついた。身長が伸びた以外は変わっていないように見える少女。アイリスに至っては、あの頃から一切変わっていなかった。
「我々は女神より遣わされた者だ!女神は争いの絶えぬ現状に飽き飽きしている!よって、ここに女神再臨を宣言し、この地を燃やし尽くして造り直すことにする!」
「逆らう者があるならば、我々を倒すがいい!それしか、お前達が生き残る道はない!」
その宣言に、全ての人々がざわめいた。
――嗚呼、自分達の知る彼女達はもういない。
そう思った時には、手遅れだった。二人は入り乱れている場所に入り、兵士達を倒していった。二人だけとは思えぬほど、次々と倒されていく様子を見て、三国は危険だと察知した。彼女達なら本気でやりかねないと。
三国は引き下がり、どうするべきか考えた。その時、ヨハンから三国に呼びかけた。
「女神が脅威となるのなら、協力しあえばいいのではないのか?」
それに食い下がったのはグロリオケ。
「ですが、そのうちの一人はあなたの孫娘……シンシアです。本当に、いいのですか?」
「……あの子は、もう「女神」になってしまった。ならば、せめて最後まで立ち向かうのがあの子のためになる」
ヨハンは寂しそうに、そう呟いた。それは、彼なりの覚悟だった。女神の一族として生まれた者の、強い覚悟。
――今は、協力して二人を倒さなければならない。
グロリオケはそれをいち早く思い、二国に会談を申し入れた。しかし、王国側はまだユーカリが了承しないらしい。帝国は、一時休戦も考えていると返事が来た。
その頃、修道院では次の計画が立てられていた。もちろん、二人は女神に意識を取られたわけではない。ただ、皆を繋ぐために演じているだけだ。
「王都奪還は?」
「それは是が非でもしよう。アマンダは強力な魔導士だ、兄様達が対等に戦えるかどうか分からない」
シンシアとて、ユーカリ達を侮っているわけではない。アマンダが魔導士でなければわざわざ出る必要はなかっただろう。
「トリストはどうなっている?」
「五年の間にある程度は潰してる。襲ってくるということはあると思うけど、刻印さえなくなれば、あとはどうにでもなると思うよ」
「了解。じゃあ、あとは計画通りに進めるだけだね」
二人は笑う。ただ、大切な人たちのためだけに。
――ユーカリのため、王国のため。
この時はそれしか、考えていなかった。
四月に入り、シンシアとアイリスは王都に攻め込んだ。もちろん、二人だけで攻めてきたものだからアマンダは驚いていた。
「お前達、奴らを捕らえろ!」
アマンダの指示も虚しく、彼女を守っていた兵士達は一掃された。残すはアマンダのみ。
「……ユスティシー」
シンシアは女神の名を呼ぶ。すると、彼女の手に光の粒子が集まり、槍が現れた。
「ディオサハスタ」と呼ばれているその槍はユースティティア家の中でも限られた者しか使えない武器だ。そして今、これを使えるのはシンシアただ一人。
「覚悟してください、アマンダ」
アマンダは後ずさりしている。当然だ、この槍には他の神の遺産と比べ物にならないほど強い女神の力が込められているのだから。既に死んでいる、もしくは入れ替わっている彼女にとっては恐ろしいものだ。
シンシアは一瞬にして懐に入り、アマンダを斬り捨てた。周囲を見渡し、一息つく。
「これで一応、大丈夫だね」
「うん。あとは兄様に返すだけ」
二人はあくまで王都を奪還しに来ただけだ。侵略しようとは思っていない。そのままその場を去っていった。
次の日、民衆がアマンダの手から解放されたことを喜んでいた。名もなき人物から王都はユーカリに返すと知らされ、さらに歓喜する。
同時間、ユースティティア家にいたユーカリに、一通の手紙が来た。
ユーカリ殿下
先日、王都を奪還した。王都はあなたに返す。
フレットの悲劇の犯人……それは帝国の人間ではない。一度アネモネやグロリオケと会談するといい。解決の糸口が見えるだろう。
王国の人々はあなたを求めていた。あなたがよき指導者となることを祈っている。
シンシア=ブルーローズ=ユースティティア
そう、女神になってしまったハズの妹からだった。ユーカリは驚き、メーチェとシルバーを王都へ偵察に行かせる。
数日後、戻ってきた二人からそれが事実であると告げられた。王子は戸惑っていたが、ヨハンが彼に告げた。
「殿下、行かれるといい。心配なら、私もついていこう」
「ヨハン殿。ですが……」
いまだ足の踏み出せないユーカリに大公爵は笑いかけた。
「大丈夫、民を信じなさい。……きっと、あの子もそのためにあなたに伝えた」
「……………………」
「殿下には話していなかったね。五年前、あの子は国務をやっていたが……それはあなたのためだった。王国は問題をたくさん抱えていたからね。あなたが王位に就く前にそれを少しでも解決したいと、私に頼み込んでやっていたんだよ。私には、無理やり押し付けた体でいってほしいと言っていた。あなたに負担をかけないために」
ユーカリは目を見開いた。自分のため……?でも、確かにシンシアはよく自分に意見を聞いて、その通りにやってくれていた気がする。フレットの悲劇だって、必死で調べてくれていた。
「あの子から、フレットの悲劇の真相まで送られてきている。これでフレット人の無実が証明されるだろう。……あの子の苦労に応えたいのならば、どうか王位に就いてくれないか?」
ユーカリは考えた。自分が本当に、王にふさわしいのかと。シンシアの方が向いているのではないか。だが、シンシアは自分のために全てを背負ってくれていた……。
ユーカリは顔をあげる。そこにはもう、復讐の炎はなかった。
「分かりました。私は、王位を引き継ぎます」
その答えに、ヨハンは嬉しそうに微笑んだ。
ヨハンや仲間達と共に王都に行くと、民から歓喜の声が上がった。
「殿下が戻ってきてくださった!」
「これも女神様の祝福だ!」
「女神様がアマンダを倒してくださったんだ!」
民の言葉を聞いて、ユーカリの中でシンシア達の目的が分からなくなる。
――なぜ、この地を造り直すと宣言したのに王都を返した?
それだけではない。よく考えれば、彼女達の力をもってすれば、あの場で自分達を殺せたハズだ。なのに、なぜ……?
手紙にも、帝国や同盟と会談するように書いてあった。彼女が自分にそうさせる理由は?
……いや、自分はもう知っているのではないか?彼女達が、「女神になんてなっていない」ということを。
何のために演じているのかは分からない。だが、少なくとも言動は矛盾だらけだ。まるで、元々造り直す気なんてなく、三国を繋げるかのように……。
そこでハッとなる。まさか……。
王位に就いたユーカリは、アネモネやグロリオケと会談を行った。最初は酷くまとまることはなかったが、何度も重ねていくうちにそれぞれの目的が分かってきた。
アネモネは刻印がなく、平民も共に政治に参加出来、平等に暮らせる世界を。
グロリオケは他民族、他国とこの大陸を繋げ、共存出来る世界を。
そして、自分自身も民には理不尽に傷つくことなく、幸せに暮らせる世界を。
それが分かった時、三人は笑った。
「なんだ。俺達は似たような世の中を望んでいたんだな」
「えぇ、そうね。なんだか、戦争しているのがバカバカしいわ。私もちゃんと話し合えばよかった」
「そうだな。俺も復讐を望んでいたのがおかしく思えてきた」
そうしてくれたのは、シンシアだった。その彼女が、ここにいない。それどころか敵対してしまっている。
三人は皆を呼び寄せ、これからを話し合う。
「やっぱ、女神様達を止めるべきではないのかね?」
グロリオケが意見を出す。それにその場にいた全員が賛成した。唯一、ユーカリだけが二つ返事だった。
「それはその通りなんだが……」
「どうしたの?ユーカリ。先生やシンシアを早急に止めるべきだと思うのだけど」
「その前に、シンシアと話がしたい」
その意見に反対したのはフィルディア。
「なぜだ?猪。あいつはこの大陸の脅威になってしまっている」
「そうですよ、殿下。昔のシンシアは、もういないんですよ」
シルバーも諦めたように告げるが、
「――本当に、そうか?」
有無を言わさない強い瞳に、ゴクリと他の人達は息を飲んだ。
「確かにあいつは女神再臨を宣言し、大陸を造り直すと言った。だが、実際はどうだ?王都を奪還し、こうして会談するように進言した。……本当に滅ぼす気なら、そんなことはしないと思わないか?」
「それはただ、私達が協力しないと滅びると告げているだけでは?」
メーチェが自分の考えを言う。シンシアは慈悲深い少女だ、ありえない話ではない。だが、いくら何でもそこまではしないのでは?
「それがおかしいと言っているんだ。恐らくだが、あいつはあの場ですぐに燃やし尽くすことも出来たのではないか?」
ユーカリの言葉にグロリオケがハッとなる。
「つまり、シンシアは女神になったわけではなく、「自分の意思」であんなことを言ったわけか」
「俺の考えが正しければな。なら、説得の余地はあると思う」
「……あなたの考えは分かったわ。それなら、私は止めない」
アネモネはふぅ……と息を吐く。彼女とて、妹に死んでほしいわけではないのだ。たとえ妹の姿をした女神であっても。
ありがとう、とユーカリは笑う。そして、それならとこの場でシンシアに手紙を書いた。
シンシア
久しぶりだな、元気にしていたか。王都を奪還してくれてありがとう、感謝する。
お前に頼みがある。一度会うことは出来ないか?場所は……。
場所と日程を書き、それを修道院に送るよう使者を出す。
そうして、指定した日が来た。オキシペタルムクラッスの元級友達がそこでシンシアを待っていた。
「本当に、来るでしょうか?」
「心配はいらないさ。もし、あいつがあのままならば」
シンシアは「誠実」を体現したような少女だ。あの時の少女のままであるなら、絶対に来るとユーカリは踏んでいた。
やがて、遠くから黒衣が見えた。
「……シンシア」
「お久しぶりです、ユーカリ様。あの会戦以来ですか」
そう、シンシアだ。彼女は深々と頭を下げる。あの時はまじまじと見ることは出来なかったが……恐らく義賊の時の服装なのだろう。身長も、五年前に比べ伸びている。アドレイより少し低いぐらいか。
「まさか、あなたから話がしたいと言うとは思っていませんでした」
本当に予想外だったのだろう、少女は焦ったような様子だった。
「それで、どうされたのですか?」
「お前達は、本当にこの大陸を燃やし尽くすつもりか?」
まずはそれから尋ねる。シンシアは「えぇ、そうですが?」と笑みを浮かべた。そこに淋しさを漂わせて。
「――本当は、そんな気はないんだろう?」
単刀直入に告げると、シンシアは「……なぜ?」と問い返した。
「言葉と行動が矛盾している。お前なら、変なことをせず目的のために動くだろう。だが、お前はあの時に燃やし尽くすどころか王都を奪還し、アネモネやグロリオケと会談するよう仕向けた。お前だって分かるだろう?そんなことをして、不利になるのは自分達だと」
「……ただの気まぐれですよ」
「そんなわけがない。一年間も一緒に過ごしたんだ、お前の性格など分かっている。お前は無意味なことが嫌いで、効率を好む。そして、他人のためならば自分の身だって殺す。違うか?」
ユーカリの考えは当たっている。シンシアはフッと笑った。
「……そうですね、正解ですよ。バカにするわけではありませんが、まさかあなたがそれに気付くとは思っていませんでした。気付くとしたら、グロリオケさんあたりかと」
「なぜ、嘘をついた?」
「逆に聞きますが、あのままであなた達は会談をしましたか?」
そう言われてはぐうの音も出ない。彼女の言う通り、もしあのままだったなら会談をするどころかずっと復讐にだけ目が行っていただろう。
「昔、言ったハズですよ。騎士とはただ従うだけではない、止めることも必要だと。……この方法でないと、皆を繋げないと判断したからやっただけに過ぎない」
確かに、彼女はそう言った。それはちゃんと覚えている。だから、この身をすりつぶすのだと、少女は答えた。
話はそれだけですか?とシンシアは去ろうとした。これ以上は話すつもりなどないと。
「あなた達はただ、私達を倒すことだけに集中しなさい」
そう告げる少女の腕を、ユーカリは掴む。
「待て。俺達は分かり合えるハズだ」
「……そうですね。確かに、分かり合えるかもしれない。だけど、共に生きることは出来ない」
それを振り払い、シンシアは吐き捨てる。なぜ、と問いかけると私達は女神の意思を継いでしまっているから、と答える。
「人間の世にしたいのであれば、私達は生きることが出来ない。……そんな風に生まれてしまったから」
「なぜだ?」
意味が分からないと言いたげだ。シンシアはため息をつく。
「……アネモネが人体実験を受けたことは知っているかな?丁度、前皇帝の子供達が不審死した時なのだけど」
「人体実験のことは知らないが、不審死のことについては聞いたことがある」
「まぁ、姉様も公にはしたくないでしょうからね。あれは「トリスト」のせいだったのだけど、実は教団でも同じように人体実験がされていたの」
女神を作ろうとしていたみたいなんだ。その言葉で、ユーカリはすぐに理解した。
「まさか、それは……」
「そう。私達は教団……正確には大司教……いや、「アリシャ」のせいで女神にさせられた人間だ」
「あり、しゃ……?」
それは、確か……。
「アヤメの正体だよ。彼女は千年前にネメシスを封じた張本人。ディアーとチェリーは彼女のきょうだい……三人は神話に出てくる「女神の使い」だ。どうやらそのことについては、私しか知らなかったみたいだけどね」
なぜそんなことが言えるのだろうか。さすがにそんなことはありえない……ハズだ。
――いや、なぜありえないと言える?
担任は突然、緑色の髪になった。その時、アイリスは女神と一体になったと言っていた。そして目の前の少女も、元は自分と同じ金髪碧眼……。
「なんで、ためらう必要があるの?私は「シンシア」であり「ユスティシー」でもある。アイリスだって「アモール」でもあるの。……人間とは、一緒に生きていけない」
それでも、ためらってしまう。本当に、目の前の少女が女神なのか。他に方法があるのではないか。
その様子を見ていたシンシアはため息をつき、腰につけている短剣に視線を落とした。
「なら」
シンシアはその短剣を、ユーカリに差し出した。
「未来を切り開きなさい、兄様」
その表情は笑顔だった。妹が兄に向けるような、純粋なもの。
――王国には、短剣を渡すことに意味がある。彼女の言う通り、「未来を切り開く」という、大切な人に向けて後押しする意味が。
ユーカリは、それを受け取る。彼女にしてはあまり実用性がない、飾りのようなそれを、なぜ今まで持っていたのだろうか。それは彼女の口から明かされた。
「……それは、ね、母の形見なんです。亡くなる数日前に私にくれたもので、母自身も祖父からもらったらしい。手放すべきではないのかもしれないけれど、私が持っていてももう、意味がないから」
数少ない、母親の形見の品。それを譲るほど、シンシアは覚悟を決めていたのだろう。
シンシアは背を向ける。
「さようなら、兄様。次に会う時は……私達は敵同士ですよ」
一歩踏み出そうとした時、再び腕を掴まれた。
「待って」
そう、アドレイだ。シンシアはキョトンとし、「……離して」と弱々しく言った。
「嫌だ」
しかし、彼はそれを断る。
「きっと、今しか伝えられないから。
僕は、君が好きだよ」
もう後悔はしたくないと、アドレイは想いを告げる。シンシアは目を見開き、そして悲しそうにする。
「……私も好きだよ。だけど、この恋は叶えてはいけない」
「なんで?」
「互いに苦しくなるだけよ。敵同士の恋愛など、悲劇以外の何物でもない」
かつて両親がそうであったように。敵対している者同士の恋ほど、悲しいものはない。結ばれないことも多いのだから。
必死に振り払おうとする。だが、力が入らない。
「僕は、一緒にいたいよ。どんなに苦しくったって」
「……っ!」
その言葉を聞いた途端、シンシアは強く振り払った。
「私だって、皆と一緒にいたいよ!でも、出来ないんだよ!」
少女は泣いていた。――それは、初めて聞いた「本音」だった。
「なんで――」
シンシアはアドレイの胸に顔を埋める。
「なんで、私は「女神の器」なの……っ!」
なぜ、皆と生きていくことが許されないのか。なぜ、自分は皆と違うのか。
嘆く少女を、アドレイはただ抱きしめるしか出来なかった。その姿はまるで、敵国の兵士に恋をした姫と嘆く彼女を慰める騎士のようだった。ここまで綺麗な恋模様があるのかと思うほど、美しく儚い愛情。
「――ヒイラギ卿とニールさんは生きている」
不意に、少女から告げられた。
「え……?」
「領地で匿ってもらってるよ。大司教にバレないようにしなきゃいけなかったから。本当は、おじい様に言ってもらう予定だったけど……ここまで来たならもう、隠す必要もないし」
顔を離した少女はいまだ涙目だった。
今まで隠していてゴメン。謝る彼女はどこか苦しそうで。
「もう、私は行かないと」
今度こそ、シンシアは去っていった。涙を拭いながら。
嗚呼、なんでこの子達が辛い目に合わなければいけないのか。
ユスティシーはシンシアの姿を見て、悲しく思った。
元々、彼女とアイリスは普通の「人間」だった。自分も、天で人々を見守るだけだったハズだ。
だが、気付けば自分は少女の隣にいた。姉も、アイリスの近くに存在していた。わけが分からないまま、自分達は過ごした。
そんなある時、シンシアが見つけてくれたのだ。自分達が現世にいる理由を。
――刻印石……あなた達の心臓が、僕達の中にあるからだ。これは、僕達が「女神の器」であることの証明であり、永い時を生きていかなければいけないことを表している。僕達は人間とは別の生物になっているらしい。
それから逃れるには、身体に埋め込まれたあなたの心臓を壊すか、アヤメを殺すか。……もしくは、誰かに殺してもらうか。恐らく、普通の人には殺せないだろうね。
少女にそう言われた時、ユスティシーの頭は真っ白になった。そして同時に、なぜこの少女にそんな運命を背負わせたのだろうと恨んだ。初めてだった、誰かを恨むというのは。
ユスティシーは武神で、アモールより強い。それは人間に扱いかねる力だ。それを、彼女は必死に留め、他人を傷つけまいとしている。だが、どんなに苦しんでも死ぬことは出来ない。どんなに血を吐いても、気を失っても、逃れることは許されないのだ。耐えられているのは、自分の血を引いているからに他ならない。
アイリスはなぜ苦しんでいないのか。それはアモールの方が力としては弱いからだ。創造する力は姉の方があり、ユスティシーは人々に道を説き、導く方が慣れている。アイリスとシンシアの関係はまさにそうだった。
二人をこんなにしたのが姉の長子であるアリシャであることを知った時、ユスティシーは自らの失敗を恥じた。眷属というものがなければ、刻印がなければ、こんな狂ったことはしなかっただろう。アリシャの行いが、遠い未来にこうして大戦争へと発展させるとは思っていなかった。
「……ユスティシー、何考えてるの?」
シンシアが問いかける。少女はこちらを見ない。だが、何を思っているのかは分かった。
――気にしないでいい。あなた達は何も悪くない。
女神を求めたのは人間達だし、あなた達はその通りにしただけ。アリシャがあんなことをするとは予想していなかったことだし、知っていたならそもそもアモールだって放っておくことはしなかったでしょ?
この少女は時々、大人びた考えを持っていた。やはり、繰り返しているが故だろう。
「……そうね」
「アリシャの暴走を止めるために、「私」はいる。……もう一度、この世界に足をつけたいと願ったのは、「私」だもん」
シンシア……いや、「アスルルーナ」は自身の母に笑いかける。これが、シンシアが「イレギュラー」たるゆえんだ。
ユスティシーはここで初めて、少女に笑いかけた。それは娘に向けるような、柔らかなものだった。