42 -愛の靴音が鳴る-
ベグが攫われた頃、バブル・ジーはというと秘密の花園部にて女子トークに花を咲かせていた。
というよりも、我1番と咲き誇る花々に時々水を与えていたと言う方が正しいかもしれない。
「いいですか!雪江さん!」
あめちゃんはひと口紅茶を嗜んだ後、その大きな瞳を細めて真剣な面持ちになった。
「ズバリ『あいバラ』こと『愛の薔薇園』でラストに結ばれるのはヒロインであるグレイスと1話目から活躍を見せるヘンリー王子です。王道が1番!はい!これが真理です!」
あめちゃんは力強く言い終わると共に立ち上がった。立とうという意思はなく、あまりの熱に立ち上がらずにはいられなかった。そんな様子であった。
「いやいやいや、あめちゃん。浪漫百合子先生がそんな安易ストーリーを構築する方ではないことくらい知っているでしょう?」
対するは、2年白組の酒井雪江。秘密の花園部唯一の2学年。左側に垂らした三つ編みと眼鏡が特徴的で、面倒見の良い人間と私は記憶している。
「ラストは絶対に敵国ガラルドの王子リアム……いえ、王女リアムとグレイスが結ばれる運命よ。百合よ。百合のハピエンに勝るものはないわ」
「リアム王子って男性じゃないんですか?」
リアム王子の中性的な外見を思い出しながら、私が疑問を口にすると、酒井雪江の眼鏡はキラリと反射した。
「よく読むと明確な描写が一度も無いの。これは絶対先生の意図よ。きっとこれからガラルドの複雑な事情が明らかになっていくんだわ……。私のグレリア同人誌コレクションがそう訴えてるし」
「え〜!それ雪江さんの推しカプってだけじゃないですか〜!」
「そうよ。あめちゃんだって、そうでしょ」
「……うっ、そうですけど〜」
2人は頬を紅潮させ、雄弁に語っている。あめちゃんから借りた少女漫画「愛の薔薇園」は私も楽しく読んでいる。だから、話しを聞くだけで心が躍る。
聞いている最中、ふいにある考えが思い浮かび、そのまま口に出した。
「誰とも結ばれないって終わり方もあり得ますよね」
そう言った瞬間、見るからに2人の温度が急激に下がった。1人はうなだれ、1人は青ざめていく。
「駄目。死別による*メリバだけは一生引きずるからやめて」
*メリバ――(メリーバットエンド)受け手によって解釈が変わる結末。
「雪江さん。雪江さんと分かち合えることはないと思ってましたが、こればっかりは同意見です……」
「……私はグレイスが幸せなら、どんな終わり方でも満足です」
意気消沈する2人の前でぼそっと呟く。「愛の薔薇園」を巡るここ数日の長い会話の中で言おうかどうか迷っていたことだ。
「バブちゃん……!やっぱりバブちゃんだね……!」
あめちゃんは涙ぐみながら私の首に腕を回し、酒井雪江は「バブちゃんはもう王子よね」と頷きながらこちらを見ている。
言ってよかった。心の中に小さな花が咲いた気がした。
「盛り上がっている所、失礼するね。お客さんだよ」
銀英ルイが本棚の影からひょっこり顔を出す。その後ろには床に引きずるほどに長い、真っ黒な装束を身につけた人間がいた。フードを深く被っており、何者か判別がつかない。
「バブル・ジー」
フードから聞こえた声は高い声であった。知らない声だ。
「私はオカルト部、淵井愛華。バブル・ジー……」
金属製楽器のような声で囁く。あまり良い予感がしない。気づけば、息を呑んでいた。
「よ、よければ、で、弟子にしてください……!」
――え?
笑いを絶やさない銀英ルイを除いて、全員が同じ空気を共有していた。
「あ、私、ずっと黒魔女になりたくて、あ、あの悪魔である貴方なら、私のことを黒魔女にしてくれるんじゃないかな、と思って……!部長の命令無視してお願いに来ちゃいましたぁ……」
黒い人間はそう喋る間にも、いつの間にか私の目の前に来て、両手を握っていた。フードの影から見えた赤色の瞳は恍惚とし、あまりの艶やかさに狂気さえも感じる。
あめちゃんがギョッとした顔で黒い人間を見やる。
「ちょっと!あめちゃんが悪魔であるわけがないでしょ!」
「ちゃんと悪魔様ですよぉ……。ほらぁ」
「ほらぁ、じゃないわよ!!あめちゃんは天使以外の何者でもないわ!!」
2人の人間から近距離から圧迫され、汗が滴り落ちるだけで何も言えない。助けを求めるように上級生を見やる。
「うんうん、仲良しそうで何より」
「淵井さんにはどのティーカップが合うかしら?」
バブルのSOSは見事に通り過ぎ去っていく。両サイドからの圧に小さな花は既に根負け寸前であった。




