17 -苺と檸檬-
「とりま、ここ座んね~」
山姥さんによく似た山張苺は、腰抜けた僕には微塵も興味を示さずに、僕の横を通り過ぎた。ソファにどかっと座り、長い足を組む。そして、その足と同じように長い爪を眺め始めた。
――ちゃんとした人間か。
僕はやっと頭で理解した。こんなにも山姥さんと共通点を持つ人間は初めて見る。身を振り乱したのも、しょうがない。うん。許容範囲内のはずだ。
はっと気づく。山張苺が人間なら、まず話を聞かなくては。
僕は床に手と膝をつき、立ち上がろうとする。しかし、なにかに足を引っ張られ、膝を強打してしまった。鈍い痛みが足中に響き渡る。痛みを引きずったまま後ろを振り向くと、マノムがスラックスの裾をくわえていた。
「ベグに任せられない」とでも言いたげな冷たい目線が僕に注がれている。
「話聞きます」
バブルはこちらには目もくれず、山張苺と向かいのソファに腰を掛けた。
きっと2人とも内心、先の僕の醜態にご立腹なのだろう。僕は四つん這いのまま、第一号・山張苺の願い事を聞くことにした。
バブルの声を聞き、山張苺は爪から目を離す。バブルに顔を向け、口を開く。
「そうそう、お願いってゆーのは……」
――これが初めてのビジネスだ。一体どんな願いなのだろう。
僕は瞬きもせずに、2人を見上げ続ける。
「めっちゃ悩んだんだけどぉ、やっぱ次のネイルのテーマが決まらなくてぇ」
「イチゴかレモンで悩んでるんだけど、どっちがいーと思う〜?」
ん?
僕は心の中で盛大に戸惑った。終いには、自分の聴力までも疑った。部室内の空気も一瞬止まり、また流れ出す。
悪魔ならどんな願いも叶えられる。代償をちゃんと払えば、どんなことでもだ。
過去未来を行き来することも、もげた足を生やすことも、1国を潰すことも簡単にできる。
それなのに、こんな、自分自身でどうにかなるようなこと――言ってしまえば、こんなちっぽけな願い事を聞いたのは初めてのことであった。
僕たちが悪魔ということを知らないことを考慮しても、ネイルの色くらいで人に相談するとは……。
僕は内心呆れていた。
僕が見ている間に、バブルは連続で瞬きを3回した。視線を腕時計に落とし、また顔をあげる。変わらない表情で山張苺を見つめる。
「命、3日分貰います」
「あ〜。どーぞ、どーぞ」
「……イチゴとレモンを合わせたらどうですか」
「え〜!いいじゃ〜ん!んじゃ、それにしよぉ」
マノムと僕は呆然と2人のやりとりを見上げていた。
山張苺は悩み事が解決したのか、真っ白な歯を見せて豪快にニカッと笑った。勢いよく立ち上がり、僕たちの横を通り過ぎる。
「まじ感謝〜。また来んね〜」
山張苺はウィンクをし、扉の外へと姿を消した。
お客様第一号は、僕らに3日の命を残して、嵐のように去っていった。
手応えの無さからなのか、初めての体験であったからなのか、何がこうしているのかは分からないが、僕たち3人は暫く意味もなく扉を眺め続けていた。




