一 : 絡み合う思惑(7)-天王寺砦
翌日、自らの持ち場の引継ぎを終えた明智勢は天王寺砦へ移動したが、そこで待っていたのは前任者の塙直政ではなく――
「お久しゅうございます、日向守(光秀の官名)様」
天王寺砦で光秀を出迎えたのは、一人の青年。光秀の姿を確かめると一直線に駆け寄り、お辞儀をする。
「これはこれは、駿河守殿ではありませんか」
思わぬ人物の出迎えに、光秀は驚いた表情を見せる。
佐久間“甚九郎”信栄。官名は駿河守。織田家筆頭家老である佐久間“右衛門尉”信盛の嫡男だ。この時、二十歳。父・信盛と共に伊勢や畿内を転戦、戦功を挙げるなど佐久間家を支えていた。
「本来ならば父がこの場に居るべきですが、尾張衆の増員の為に離れているので、某が代理を務めております」
「それは分かりましたが……して、備中守殿は何処に?」
辺りを見回しても、直政や塙家の者の姿は居ない。一体どういう事か呑み込めない光秀に信栄は困ったような表情をして声を潜めて話し始めた。
「実は……備中守様は『手勢が心許ない』と申されて、某がこちらに着くと引継ぎもそこそこに出立されまして……」
「何と!?」
思わぬ事態に驚く光秀。さらに、そこへ顔を顰めた弥平次が駆け寄って来る。
「殿……少々困った事になりましたぞ」
「いかがした?」
「砦の中や外を一通り見てきましたが、作事の進捗が遅れていたのか途中で放置されている箇所が幾つも見つかりまして……これは由々しき問題かと」
予想外の展開に、光秀も腕組みをして唸るしかなかった。
本来なら、持ち場の作事は次の者が来るまでに完了させておくのが原則だが、直政はその原則すら守っていなかった。これでは不測の事態が発生した場合、防衛拠点としての役割を果たせない恐れが極めて高かった。
職務放棄も同然の振る舞いに、言葉を失う一同。
「……致し方ない。弥平次、手の者を割いて至急終わってない箇所の作事に取り掛かれ」
「日向守様、それでしたら我等もお手伝い致します。某は若輩者ですが経験豊富な父の家臣がおります」
「それは有り難い。では、互いに折半としましょう。弥平次、作事が途中の箇所を記した絵図をお持ちせよ」
「承知致しました。直ちに用意します」
直政の無責任な行動に呆れていても事態は好転しない。光秀達は直政がやり残した作事の分担について相談を始めた。