一刀両断 1
ルーナは、朝から浮かれている。
今日が特別な日になると思っているからだ。
鏡の前で、自分の姿を確認してみる。
さらりとした肩までの赤い髪は、どこにもハネがない。
念入りに梳かして整えた状態に満足した。
リリーに頼んで薄化粧もしてもらっている。
大きな濃褐色の瞳は、喜びにあふれていた。
頬は、薄赤く色づいている。
この後のことを考えると、胸が弾んでしかたがないのだ。
唇も、ふっくら。
カサつかないよう、最近は「お手入れ」をしている。
ルーナは、ほかの貴族令嬢たちのような派手な口紅は好きではない。
そのほうが、見栄えはするのかもしれないが、似合わないものを、あえてつける必要もない気がした。
今日は、14歳の時に来たドレスより、さらに大人っぽいドレス。
胸元が大きく開いていて、首から肩にかけて肌が露出している。
二の腕に、くるりと輪っかのような袖があるだけ。
腰から太腿にかけては、体の線がはっきり見えるくらい、ぴたっとしている。
黒に近い濃い青色をしたドレスは、背中にも切れ込みが入っている編み上げ式。
「悪くない! 大人って感じよね!」
くるんと回って、腰に手をあててみる。
首には、ユージーンにもらったネックレスをつけていた。
小さな花を形づくる、ダイヤモンドの並ぶそれは、見た目が上品で、とても気に入っている。
耳には、大公に作ってもらったイヤリング。
「完璧! すっごく大人に見える!」
よし!と、意気込み、それでも深呼吸した。
目を伏せてから、転移しようとして、いったん中止。
「今日は、膝に飛んじゃ駄目なんだから。気をつけないと」
ユージーンの膝に転移するのが、当然になり過ぎている。
そこは、自分の場所だと思っているルーナには、思い浮かべようとしなくても、自然と「画」が見えた。
が、今日は、これまでとは違うのだ。
別の場所を、ちょっぴり苦労しながら、思い浮かべる。
すとん!
成功した。
ユージーンの執務室、書き物机の正面に、ルーナは立っている。
ユージーンは、いつものように、仕事中。
書類に猛然と立ち向かっていた。
「そんなところに突っ立って、どうした? 転移に失敗か?」
顔は上げてくれなかったが、気配には気づいたらしい。
書類に、なにやら書きつけながら、声をかけてくる。
ほんの少し、むくれたくなったが、それでは今までと同じだ。
今日は「特別」なのだからと、我慢する。
「今日が、なんの日か、わかってる?」
「むろん、わかっている。お前の誕生日だ」
ふわっと、気分が良くなった。
言わなくても、やはり覚えていてくれたことに嬉しくなる。
「今年は、欲しいものを前もって言わぬから、用意ができておらん。なにが欲しいのか言ってみろ」
毎年、ルーナは誕生日が近づくと、ユージーンに欲しいものをねだってきた。
たいして高価ではないものばかりだったが、ずっと大事にしている。
最も高価なのが、今つけているネックレスだ。
それでも、ルーナが指定したのではない。
ユージーンが選んだ品だった。
「ええと……あのね……」
ちょっぴり気恥ずかしくて、言いよどむ。
とたん、ユージーンの手が、ぴたりと止まった。
顔を上げ、ルーナに視線を向けてくる。
緑の瞳に、心臓がバクバクした。
(ジーン、なんて言うかな……大人過ぎて、びっくりしてるかも……)
大人びた自分の姿に、ユージーンがどう反応するかが、気になる。
どきどきしながら、ユージーンの言葉を待った。
のだけれども。
「む。誕生日の夜会を開く予定であったか。俺は、聞いておらんぞ。トラヴィスの奴め、俺に気を遣って報せなかったのだな」
「えーと……ジーン……夜会は、ないの……」
「そうなのか? それにしては、いやに、めかし込んでいるではないか」
「ま、まぁ、誕生日だし……ちょっと雰囲気を変えてみようかなって……」
ユージーンは、だいたい無表情。
それでも、ルーナには、ユージーンの感情がわかる。
なのに、今、わかるのは、ユージーンが「なんとも」思っていないことだけだ。
「そうか。お前の欲しいものが、わかったぞ」
「えっ! ほ、本当にっ?」
「俺が、何年、お前の世話をしてきたと思っている。見縊るでない」
ふわわっと、頬が熱くなった。
ユージーンが、ちゃんとわかってくれていたと、思い込む。
ルーナには、ひとつの答え、ひとつの選択肢しかなかったからだ。
まさか別の答えが返ってくるなんて、思いもしない。
「生き物だろう」
「ま、まぁ、うん……い、生き物……? 生き物……だけど……」
「しかしな、ルーナ、生き物というのは、世話をせねば死ぬのだぞ。簡単に飼って良いものではない。責任が伴うものなのだ」
「飼う……???」
ルーナのハテナを置き去りに、ユージーンが立ち上がる。
書き物机から離れ、ルーナへと歩み寄ってきた。
なにかおかしいと感じつつも、ルーナは、また胸の高鳴りに、支配される。
ユージーンの奇妙さも、軽くスルーしてしまった。
「だいたい、結局は、俺が世話をすることになると決まっている。覚えているか? お前は、鉢植えさえ枯らしたであろう」
「……なんの話? 鉢植え……?」
ますます、わけがわからなくなり、ルーナは困惑する。
さすがに、スルーできなくなってきた。
「あれは、お前が7歳の時だ。どうしても薔薇を育てたいと言うから、俺が鉢植えを用意しただろ? それを、お前は、ひと月も経たずに枯らした」
「……それは、覚えてるけど……」
「ならば、わかるのではないか? お前に、犬や猫を飼うのは、無理だということがな。こればかりは、お前が、どんなにねだっても飼ってはやれん」
ぴきぴき。
ルーナの我慢という名の入れ物に、ヒビが入る。
16歳の誕生日、せっかくおめかしをして、大好きな人のところにやってきた。
自分は大人になったのだと知ってもらうためだ。
にもかかわらず、この子供扱いさ加減ときたら。
「動くぬいぐるみで我慢しておけ。魔術をかければ、鳴き声も出せよう」
ばきんっと我慢の入れ物が、ぶち壊れる。
ルーナは16歳で、婚姻を自分で決められる歳になっていた。
それを、ユージーンは、まるきりわかっていない。
「ジーンが欲しい! 私が欲しいのは、ジーンなのっ!」
「ルーナ……俺に、ぬいぐるみ代わりはできん。第一に、大きさに問題が……」
「違うっ!! 私と婚姻してって言ってるのっ!!」
ユージーンが瞬き数回。
それから、深くうなずいた。
「そうか。俺に求婚をな。お前も、そういう歳になったということか」