だって嫌なんです 4
ユージーンは、小ホールで、ルーナを待っている。
ローエルハイドの屋敷だ。
向かい側には、大公と、その息子が座っていた。
「大公が、もっと早く子を成しておればよかったのだ」
「相変わらず、憚るということを知らないね、きみは。少し、言葉に飾りをつけてみちゃあどうだい?」
「俺は、言葉を飾るのは好まん」
やれやれといった態度の大公にも、ユージーンは慣れている。
つきあいも15年を過ぎてくれば、こんなやりとりも日常茶飯事なのだ。
それに、大公は知り合った当時より、少しだけ丸くなった。
彼の妻のおかげだろうと、ユージーンは思う。
「ジーンは、オレに、もっと早く産まれてほしかったのか?」
大公の息子ジーク・ローエルハイドだ。
ブルーグレイの髪と瞳の少年は、ユージーンの従兄弟に、とてもよく似ている。
大公の妻レティシア・ローエルハイドには、従兄弟の血が流れていた。
その血が、色濃く出ているのだ。
ジークは、名だけではなく、従兄弟と同じ能力も持っている。
それを見るにつけ、ユージーンは従兄弟を思い出した。
ユージーンを、いつも「間抜け」だと言っていた生意気な少年のことを。
「そうだ。お前が、あと1年早く産まれておれば、ルーナと同じ歳であった」
「つまり、彼は、今夜のエスコート役に、お前を抜擢したかったのさ」
ジークが、うへえとばかりに顔をしかめる。
それを見て、大公が穏やかな笑みを浮かべていた。
大公もジークの中に、ユージーンの従兄弟の面影を見ているのだろう。
だとしても、明らかに態度は息子に対するものだった。
以前の、右腕と言える存在だったジークに見せていたのとは違う顔をしている。
「なんだ、お前はダンスを踊れんのか?」
「まさか。父上に、どれだけしごかれたと思ってんだよ」
「それほど厳しくした覚えはないがね」
「父上の“それほど”くらい、信用ならねーもんもないだろ」
「かもしれない」
大公が、楽しげに小さく笑った。
ジークは、ちょっぴり不満げだ。
「ならば、エスコート役はできるだろ?」
「踊れるけど、踊りたくねーの。面倒くせえ」
頭の後ろで両腕を組み、どさっとソファの背もたれに体を倒す。
ジークも言葉を飾らない。
ちゃんとした貴族言葉を使えるくせに、使わないのだ。
とくに、身内との会話では、気を遣う必要がないと思っているらしい。
大公もジークに注意したりはしないので。
「しかしね、ジーク。ティアの時には、きみにエスコート役をしてもらうよ?」
「……それは、しかたねーな……あいつの相手を、どっかの子息にやらせるわけにいかねーから」
「私の気持ちをわかってくれているようで、なによりだ」
大公には娘もいる。
シンシアティニー・ローエルハイドは、ジークより3つ年下で、今年、十歳。
ジークと同じ、ブルーグレイの髪と瞳をしている。
大公と、その妻のように黒髪、黒眼ではなかった。
そのことに、大公もだろうが、ユージーンも安堵している。
この世界に、たった2人。
人ならざる者の証を持ったことで、2人は苦しんだ。
なければないほうがいい力だと、ユージーンも今では思っている。
国の抑止力としては、これ以上ない力だが、安易な手段だと考えを改めたのだ。
簡単な手に頼らず、外交を取りまとめるのが宰相の腕の見せどころだろう。
「それにしても、遅いではないか。よもや、行きたくないと、駄々をこねているのではあるまいな」
「女性は、身支度に時間がかかるものだ」
「そうそう。たいして変わりやしないのにサ」
「そうでもないよ、ジーク。といっても、装いで変わるわけではないがね」
大公が、少し目を細めている。
おそらく、彼の妻を想っているのだと、察しはついた。
だから、なにも言わない。
ユージーンも、女性が、ある時、突然に輝きを増すことを知っている。
かちゃと、扉が音を立てた。
大公の妻レティシアと、大叔母サリーに連れられ、ルーナが部屋に入ってくる。
ちょっぴり気恥ずかしげに、頬を赤く染めていた。
「じゃーん! どう? ユージーン、びっくりしたでしょ?」
「う、うむ……よく似合っている」
レティシアの言葉に、ユージーンは軽くうなずく。
とはいえ、内心では、かなり驚いていた。
大公は、装いではないと言ったが、それでも装いで変わることもある。
今夜のルーナは、とても大人びて見えた。
アイスブルーのドレスは、全体的に花の刺繍が施されている。
腕と胸元は花びらが散ったような小さな刺繍がされているが、それ以外は完全に肌が透けていた。
腰がきゅっと締まっており、そこから下へふんわりと柔らかく裾が伸びている。
イヤリングは小さめで、品良くルーナの耳で光っていた。
緑の葉の形をしているブルーグリーンのそれは、おそらくエメラルドだろう。
おそらくというのは、見たことのない色だったからだ。
ユージーン自身に興味はないが、宝飾品についての知識は持っている。
取引での正当な価格を見極めるためだった。
「このイヤリング、素敵だよね? 大公様が作ってくださったんだって!」
ルーナの目が、嬉しそうに輝いている。
ユージーンは、少しだけムっとした。
(大公の、こういうところは変わっておらん!)
大公は、いつだって「いいところ」を、かっ攫っていく。
最終的には、ユージーンの初恋人すらも、かっ攫われた。
もとよりユージーンの横恋慕だったのだが、それはともかく。
「たいしたものではないよ、ルーナ」
「でも、すーごく綺麗! ぴかぴか光ってるのも不思議!」
「少し磁気を帯びているからだね。ユージーンは間が抜けているし、いつ、きみを見失うかわからないだろう? それをつけておけば、すぐに見つけてもらえるよ」
「本当に、いつまで経っても、大公は口が悪い」
ユージーンは憮然として言ったのだが、大公は涼しい顔をしている。
もういくつか反論してやろうかと思ったのだけれども。
「それなら、これは、ジーンのための道しるべね! 最高に素敵!」
ルーナが、はしゃいでいるので、水を差すのはやめておいた。
すたたたっと、ルーナが駆け寄ってきて、あたり前に腕を組んでくる。
幼い頃は、よく手を繋いでいた。
気づくといつも、その小さな手はユージーンの手の中にあったのだ。
なにやら、しみじみと感慨深い。
「彼が感傷的になる前に、馬車に乗るべきじゃあないかな?」
大公の言葉で、我に返った。
大公と話していると「人の心を操ったり覗いたりする魔術はない」との研究結果が疑わしくなってくる。
ともあれ、出かける時間なのは間違いない。
「ルーナ、外に出る前に外套を着せてやる。窮屈だろうが、脱ぎ散らかさぬようにするのだぞ」
ルーナが、ぷっとふくれ面になったのも、周囲から「あれが駄目なのだ」という視線の集中砲火を浴びていても、ユージーンは、まったく気づかない。
彼にとって大事なことは、ルーナが体を悪くしないこと、それだけだった。