満ちゆく月 1
これで、ひとまず、ルーナの服が剥かれることはない。
ユージーンは、そのことに満足している。
「ジーン……」
ルーナが、ぎゅっと抱きついてきた。
いつものことであるはずなのに、ちょっぴり、どきっとする。
見慣れていたため、服の上からでもわかる体つきを、意識してしまったのだ。
(いかん。俺は“どすけべ”ではないのに、どすけべだと思われる)
どすけべとは、好色家を意味する。
ルーナに、好色家だと思われることは避けたかった。
さりとて、彼女を「育ての子」として見ることは、もうできない。
自分の気持ちは、自覚済みなのだ。
「ごめんなさい、私、また迷惑かけちゃった……」
「なにを言う。キースリーもルノーヴァも、引き合わせたのは、俺だ。立て続けに見誤るとは、俺も不甲斐ないものよ」
「でも、一覧からジェラードを選んだのは私だし、レニーと旅行するって決めたのも私だもん」
「俺が……」
嫉妬混じりの心配から、ルーナを叱り飛ばしたのが原因となっている。
そのせいで、ルーナは、誰にも行き先を告げなかったに違いない。
考えるほどに、自分の責任だと感じる。
「俺が悪いのだ。そういうことにしておけ」
「……ジーンは悪くないけど……来てくれて嬉しかった」
すり…と、胸に顔をすり寄せてくるルーナを、ぎゅうっとしたくなった。
けれど、抱きしめ返さず、代わりに頭を撫でる。
今の「ぎゅう」は、ひと月半前の「ぎゅう」とは意味が違ってしまうからだ。
勢いあまって、口づけたくなっても困る。
(しまった! これから俺は、ルーナの“口くっつけ癖”に、どう対処すればよいのだ?! あのようなことをされたら、ひとたまりもないではないか!)
ユージーンには、女性経験があった。
14歳で、初めてあてがわれてから、8年間、毎年、違う女性と、毎日のようにベッドをともにしてきたのだ。
義務と責任だと思い、苦痛に耐えてきたわけだが、それはともかく。
とはいえ、レティシアに恋をして以降、女性とは関係を持っていない。
もとより、乗り気ではなかったし、その気になれる女性は、ちっとも現れてくれなかったし。
好きな女性には好かれない呪いが、かかっていそうだし。
まだ「ふられてはいない」としながらも、確信が持てずにいる。
ユージーンは、女性経験はあれど、恋には「手慣れて」いないのだ。
38年の人生で、たった2回しかないのだから。
(だが、たとえ、ふられるにしても、己の心は伝えておかねばならん)
でなければ、諦めがつけられない。
レティシアには完全に、完璧に、ふられた。
だからこそ、というべきか、レティシアとは、今もつきあい続けていられる。
吹っ切れたあとは、なにもかもが、すっかり平気になっていた。
ユージーンは、もうレティシアに、どきどきしない。
胸が高鳴ったり、抱き締めたくなったり、口づけたくなったり。
およそ、恋心を意識することも、下心もなくなったのだ。
それから、恋とは無縁に生活をしている。
きっと諦めがついたからだ。
諦めの悪いユージーンの「諦め」には、それだけの意味がある。
ルーナが、結局、自分を「育ての親」として見ていたのだとしても、同じくらい諦めをつける必要があった。
でなければ、いつまでも引きずってしまうし、ルーナとの関係性が崩れる。
すでにユージーンは、ルーナを抱きしめ返すことすらできなくなっているので。
「それでは、帰るか」
「どうやって? ジーンは転移できないでしょ? 私の転移に便乗する?」
「いや、ザカリーに……点門を開ける魔術師を頼んでいる」
危うく、ザカリーに点門を開かせる、と言ってしまうところだった。
ルーナにも、ザカリーが「与える者」でないことは、話していない。
それは、同時にユージーンが「与える者」であることも意味している。
あまりにも重い内容だ。
ルーナに、そんな話はしたくなかった。
信用の問題ではなく、気持ちの問題として。
ザカリーにも「王宮から出るな」と言い渡してある。
細かくは説明していないが、理解はしているはずだ。
ザカリーは、ユージーンの私室から点門を開くだろう。
「では、迎えが来る前に、始末しないとだね」
背後からの声に、ユージーンは驚かない。
おそらく、そんなことだろうと思っていた。
ただ、落胆はしている。
(もっと強く殴り倒しておけばよかったか)
予想より、レオナルドの回復が早かったのだ。
予定では、ルーナを帰してから、ここに戻るつもりでいた。
ユージーンは、手加減をした。
手加減をして、殺さなかった。
レイピアの柄を、顔に叩きつけただけだ。
その衝撃で、レオナルドは吹っ飛ばされ、鼻もひしゃげ、歯も折れていた。
が、それでも、殺しはしなかったのだ。
ルーナに胸を張れないことはしたくない。
彼女の前では「正しく」ありたかった。
ルーナの体を離し、ユージーンは振り返る。
レオナルドは、治癒の魔術を使えたのだろう。
ひしゃげた鼻も折れた歯も、元通り。
見栄えのする顔に戻っていた。
「あなたが、ここに来られた理由を、ちゃんと考えるべきだったよ」
「そうだな。お前は、常に“ちゃんと”していたのだから、考えるべきであった」
レオナルドは、魔術師を辞める気があったのに、魔力分配を受けていた。
なにか、魔術師としてではなく、魔術を使いたい理由がある。
完全に魔術が使えなくなってしまうと、困るのだ。
ロズウェルドの者だけが持つ、魔力の器は、その機能を失うと元には戻らない。
維持するには、魔力を尽きさせないようにする必要がある。
さりとて、王宮魔術師でない「見習い」扱いのレオナルドに与えられる魔力は、ごくわずか。
ぎりぎり器を維持できる程度だったはずだ。
「レスター・フェノイン」
ユージーンが、その名を出す。
レオナルドの表情は、相変わらず冷たく無感情だった。
「奴は、長い時を、ここで過ごしていた。ここは、王宮魔術師が奴を幽閉し続けるための術もかけられている」
器を、ぎりぎり維持できる程度の魔力量で、ルーナを便乗させながら、繰り返し転移などできはしない。
「器だけは大きい。そうなのだろ? レオナルド・ルノーヴァ」
器が大きければ、魔力を溜めておくことが可能なのだ。
与えられた魔力を、使いさえしなければ。




