笑えませんから 1
ルーナの誕生日から、ひと月半。
今年も、例年と同じように1年が始まり、過ぎていくのだと思っていた。
なのに、なにもかもが変わっている。
もう、とんでもなく、ひっくり返ってしまった。
『ジーンが欲しい! 私が欲しいのは、ジーンなのっ!』
その言葉から、始まっている。
突然だったので、まだユージーンの意識は切り替わっていなかった。
『ジーンを、父親だと思ったことなんてないもんっ!』
そうか、と思う。
ユージーンは、ルーナを小さな子供だと思っていた。
成長していると知っていながら、子供扱いを続けている。
子供のままでいてほしかったからかもしれない。
『私、もう大人になったのよ?』
その通りだ、と思った。
ルーナは、大人になっている。
子は成長し、子供のままではいないのだ。
『お、男の人と、ベッドをともにすることだって、できるんだから!』
意味を理解した上で言っていた、とわかっている。
なにしろ、男女のいとなみについて「座学」したのは、ユージーンなのだから。
『ジーンとだって、できる!』
「あの時に、手を出しておけば、よかったかもしれん」
本気ともつかない言葉を口にする。
あの時なら、ルーナをベッドに誘うのは簡単だったはずだ。
間違いなく、ルーナは、ユージーンの誘いに応じていた。
とはいえ、自分が、やっぱり、そうはしなかっただろうことも、予測できる。
たとえ自分の気持ちを自覚していたとしても、成り行きみたいな流れで、彼女を手に入れるのは不本意だ。
ルーナを「世間知らず」に育て、選択肢を奪ったことに変わりはない。
その上、選択肢がないのをいいことに、彼女を自分のものにするだなんて。
あまりにも、卑怯に過ぎる。
「だが、それでもよかったのではないか、なんぞと、思っているのだからな。なんという情けなさか……俺も、落ちぶれたものだ……」
今のルーナには、選択肢が増えていた。
ユージーン自らが増やしたのだ。
そして、どれほど選択肢が増えても、そこに自分は入っていない。
ルーナの心が満ちている間に、ほかの男どもを排除しておけばよかった、と思わなくもない。
卑怯でも、みっともなくても、ルーナの心が欠けていくのを阻止したかった。
「なぜ、俺は、こうなのだ!」
勢いで、イスから立ち上がる。
が、すぐに、とすん…と、腰を落とした。
レティシアの時も、出だしで躓いている。
それに、気づくのにも時間をかけ過ぎた。
が、ルーナはレティシアとは、まったく違う。
出だしもなにも、生まれながらにして、傍にいた。
そのせいで、自分の心から、ある意味、逃げていたのだ。
前を向くことしか知らない、ユージーン・ガルベリーが。
初めての恋では、感情と勢いで突っ走れた。
が、2度目の恋は、1度目より大事に大事に育まれ、ゆっくりと成長している。
初恋に破れた日に出会ったルーナは、ユージーンの心を長く支え続けてくれた。
もうずっと、ユージーンの心には、彼女しかいない。
どうしても失いたくなかったのだ、ルーナを。
ユージーンは、仕事もしていないのに、執務室に籠っていた。
ジークに頼んでいるので、遅からず、彼女は見つかるだろう。
ルーナは、まだ出かけていないかもしれないし、出かけていたとしても、家人に聞けば、行き先はわかるのだ。
「いいや、それではいかん!!」
ガタンッと、今度は、イスを引っ繰り返す勢いで立ち上がった。
ユージーンは、はなはだ面倒で厄介な男ではあるが。
「俺は、まだ“ふられた”わけではない!! 己の心も告げておらんではないか!」
諦めを知らない。
「あれの世話を16年してきたのは俺だ! なぜ、横から出て来た男に、むざむざかっ攫われねばならん! “まだ”ふられてもおらんのだぞ!!」
ユージーンは、いつまでも「ひしゃげたナスのヘタみたいな顔」をしているような男ではなかった。
「ザカリー!!」
「はっ! 兄上、お呼びでしょうか?」
ザカリーは、国王としての公務中だったかもしれない。
が、そんなことは、どうでもよかった。
ユージーンは、己を中心に物事を考える。
相手が、人ならざる者の大公だろうが、国王だろうが関係ないのだ。
「点門を開け」
そのためだけに、ザカリーを呼んでいる。
現国王を。
「どちらに?」
「ウィリアー……」
言いかけた時だった。
(ジーン)
(どうした。ルーナは見つかったか?)
すぐには声が戻ってこない。
ジークが使えるのは、即言葉の下位互換である早言葉だ。
即言葉とは違い、声が遅れてとどく。
(それが、ルーナの奴、誰にも行き先を言ってねーんだよ)
(なんだとっ?! それでは、どこにいるのか、わからんのかっ?)
(だから、ルノーヴァのほうに行ったんだけどな。あっちもあっちで、おかしい)
(どういうことだ? おかしいとはなんだ? 奴に怪しいところはな……)
なかった。
なにも?
なにひとつ?
ぞわっと、背筋が粟立つ。
人間生きていれば、なにかしら「後ろめたい」ことのひとつくらいあるものだ。
それがない、ということのほうが不自然だった。
(実際には、ルノーヴァじゃなくて、キャラックとラスキンの奴らが、行方不明になってんだ。もう、ひと月も姿が見えねーらしい)
ひと月と言えば、ちょうど、レオナルドが謁見を申し入れてきた頃だ。
レオナルドは「絶縁状」を持っていた。
嫌な感じが、ユージーンをつつみこむ。
(それと……ルーナ、ルノーヴァの転移に便乗してるみたいで……あいつの気配が感じられねえ)




